52.青い風を吸う場所
生垣でちょっと一息する庭師さんとアンの休憩回。
空は多分、青いです。
サーチェスの足音が遠ざかり、廊下にひとり取り残される。
肩のこわばりを微かに感じた。
(……ちょっと、息が詰まったな)
——こういう時は、風の通る場所がいい。
図面を抱え直して、私は中庭の迷路へ向かった。
生垣の縁は日陰が一定に落ちていて、風の匂いがいつも少し青い。
今、迷路は文化祭用の“遊び場”に変身中だった。——「来場者向けに」というソフィアの提案だ。安全設計で必要なものは他と同じように私が用意したけど。
庭師さんが脚立の上で剪定ばさみを軽く入れ、枝のあいだへ小さな灯籠を吊っていた。
光石を籠に入れて布をかぶせ、葉には直接当てない、やわらかな灯り。
「やぁ、アンジェリクさん」
気づいた庭師さんが脚立から降りてくる。
「お邪魔してます。……通りがかりに、空気だけ吸いに」
「吸って吸って。ここは吸い放題」
冗談みたいに言って、「いる?」と水筒の蓋を差し出してくれる。私は素直に受け取る。ぬるいけど、喉に優しい。
「迷路の調整、忙しいのにありがとうございます」
「いえいえ。そちらこそ委員、大変じゃない?」
庭師さんの視線が、私の腕の丸めた図面に落ちる。
苦笑しながら返す。
「ええ、まあ。歩いて、拾って、お願いして、また歩いて……」
「いい仕事だよ。“直したこと”は誰かが見つける。“直さずに済んだこと”は誰も気づかない。でも、どっちも効いてる」
私は頷いた。張りつめていた胸の奥が、少しだけ解けた気がする。
「ちなみに、この角は植え足しておくね。走るとぶつかるから、角度を柔らかくする」
「気づけませんでした」
目を丸くして返すと、くすくす笑う庭師さん。
「そりゃあ、木に関しては僕の仕事だからね」
「……自己申告、大事ですね。庭師さんの“技”をひとつ知れました」
「そうそう、自己申告。技ってほどのものじゃないけどね」
おかしそうに目尻を緩めたまま、庭師さんは最後に膝丈の柱へ小さな監視具(レンガ型)を仕込む。目立たない苔色の覆い。
「これは君のおかげで増えた“手”。これで迷子の“滞ってる空気”が拾える」
おかげ、という言葉が素直に胸に入る。
「助かります」
「こちらこそ。こういうのひとつあるだけで、親の安心感が違う」
私は袖の内側で、革の受信ブレスを一度撫でた。
灯りがひとつ、ふたつ増えるごとに、迷路の息づかいが少しだけ祭り顔になる。ふんわりした灯りが目に優しい。
ほっと息が漏れた。
「毎日ここに来たいです」
「毎日おいで。代わりに、剪定くずは持ってってね」
「検討します」
「“検討します”って便利な言葉だ」
ふたりで笑った。
「じゃあ戻ります。ありがとうございました」
「うん。お疲れ様。——よく歩く人の道は、よく眠れる道になるよ」
背中で、はさみの軽い音がまた始まる。私は息をひとつ吸い、校舎のざわめきへ戻った。
次回【文化祭前日・作品が揃う】




