38.焦るソフィアとローゼリア
ソフィアはシナリオ通りに進みたい。
でも台本はもう書き変わっている
すっかり夏も深まった。蜃気楼めいた廊下を腕に抱えた紙の束をめくりながら歩いていたら、化粧室の扉が弾けるように開いて、誰かと正面衝突した。
「いった…! 前見て歩きなさいよ!」
腰を押さえた相手を見て、私は目を見開く。ソフィアだ。
身構えたが、睨むだけで背を向けて歩き去る。その速さに、思わず声が出た。
「……何か急いでるの?」
すると、くるりと振り返ったソフィアは、目をキッと吊り上げて答えた。
「いつもこうよ! 時間が足りないの」
そして、また前を向くとそのままずんずんと突き進んでいく。
私はそれをぽかんとして眺めていたが
「不思議な方ですわね」
と言いながら化粧室から出てきた別の女生徒の登場に驚いて我に返った。
「──テレーゼ様って、いつもなにか焦っているようだわ」
たったいまソフィアが走り去っていった方向を見ながらそう呟くのはローゼリア。
「ローゼリア様、いらっしゃったんですか」
化粧室で、この時期に、この二人の鉢合わせ──ローゼリアに頬を打たれていたいつかのソフィアが思い出されて、もしかすると二人の間で何かあったんじゃないかと、胸がざわつく。
ソフィアにあたるのではなくアレス相手にずばりと文句を言い切ったローゼリアを見て、きっともう、彼女はソフィアに対して嫉妬はしたとしても害を及ぼすほどの憎しみを募らせることはないだろうと考えていたけど……。
おそるおそる尋ねた。
「あの……ローゼリア様、彼女と何かありましたか? たとえばアレス様のことで口論になったりとか……」
「え? ありませんわよ」
あっけらかんと言われた答えに、ほっとした。
「……ただ、気になることは言われましたけど」
「気になること?」
「ええ、なんでも『どうして叩かないのよ』と。それに『本当は、内心では、凄くむかついてるんでしょう!』とも……私が、テレーゼ様に嫉妬していると思われているのでしょうね……それはわかりますが、それより、かなり切羽詰まった様子だったのが少し気になりましたわ」
「そんなことを……?」
頬に片手を添えて首をかしげるローゼリアの話を聞いて、私はもう一度廊下の奥へと視線をやる。でも、すでにどこかに行ってしまったソフィア相手に、その言葉の真意を確かめる術は今はない。
「──ところで、アン。お昼に、あなたが最後の試験対策を考えているから集まってと言われていた話だけど……何かあって?」
「あ、はい、過去の問題をまとめたのができたので、みなさんに配ろうと思って」
「まあ……あいかわらず準備に抜け目ないですわね」
「ええ、せっかくここまで頑張ったんですから、最後まで手を尽くしたいなと」
「いよいよですものね、試験」
ふと外を見ながらそう言ったローゼリアの声が、いつもより高く聞こえた気がした。
「不思議ですわ。他の方にどう思われるか不安はまだあります。だけど……わたくし、アレス様のことを度外視しても、本気で何かに挑めるのが、今からとても楽しみなんです」
「それを聞けて、私も楽しみです」
きらきらと光を得たような瞳で笑うローゼリアに、つられるように微笑み返した。
「確信があります。たとえどんな結果になったとしても、きっと、前と同じではないって」
さっきのソフィアのことはまた別で心配だけど。
もし、次の試験での結果が思うように振るわなかったとしても、とりあえず目の前の彼女はもう“悪役令嬢”にはならないだろうという気がした。
その放課後、購買通りの搬入口前で、リックに会った。「依頼されてたやつな」と耳打ちしながら渡される封筒を脇に挟む。傍からみれば悪い取引でもしてるみたいだ。
中の紙を取り出して、確認にパラパラとめくり……つい口角が上がるのを片手で隠した。
「……なんか悪い顔してんぞ、お嬢」
「気のせいじゃない?……ふふ」
誤魔化そうにも、笑みが溢れる。
「……役に立ったかよ、それ」
「ええ。……おかげで確信が持てた。このまま行く」
私の言葉に、リックはふぅん、とそっけなく肩をすくめるだけだった。
次回【試験開始・アンの後ろの子がソワソワ】




