36.生垣の陰、剣と名
アレスとサーチェスは幼馴染。
これは、私が常々、この学園が凝っているなぁと思うところなのだけど。
この学園は、校舎や寮ごとに庭が違う。
寮の裏は田舎のハウスガーデン、隅にヤドリギのグラスハウス(リックとよく話すところ)。
中等部の中庭は花壇に囲まれた噴水と白石の階段、壁には彫り物。院の方は、東の国風の小さな滝と川を流した庭園。そしてそのどこも放置されていなくて、手入れと目が行き届いている気配が常にする。
人の手の入った匂い。
私は──高等部の左右対称の生垣がいちばん好きだ。立つと迷路に呑まれる心地がして、つい道草を食ってしまう。青い芝の香りも落ち着くし。ただ、人が寄りやすい場所でもある。
今みたいに。
私がその迷路を通り抜けようとしていたところで──彼が来た。
「おい貴様、止まれ」
聞き覚えのある尊大な口調に、私は振り返った。
「ああ、こんにちは、アレス様。ごきげんいかがですか?」
「機嫌なんかいいはずないだろう。白々しい」
声からの予想通り、苛立った表情のアレスがいた。
「白々しいとは?」
「何が狙いだ。以前、ローゼリアの友だなどのたまっていたが」
「本当に友人ですよ。おこがましいことにですけど」
私は笑い返した。
(急に来たと思ったら、敵意剥き出しって何のつもりでいるのかしら、この人は)
そんな風に思いながら。
貴族とはいえ、王子とは違う。同級生だけど、おそらく私の名前も覚えていないだろう彼に緊張する理由もないし、ちょうど気分もよかったので少し心に余裕があった。
(ローゼリアの婚約者。ソフィアの攻略対象者。私にとっては偉そうなクラスメイトってだけなのに、いったい何を聞き出したいんだか──明確にしてほしいわね)
「ローゼリア様があなたに何か相談でもされました?」
「……いや」
私の問い返しに、彼は一瞬目を伏せたがすぐに不機嫌そうに否定した。
(そうでしょうね)
私は頷いた。
最近のローゼリアに、彼と話す時間なんてないはずだ。
「じゃあ、よく一緒にいるソフィアが何か言いましたか?」
「? あいつは関係ないだろう」
「……そうですか」
ソフィアが何か唆した様子でもない、となると、じゃあ──
「心配されてるんですか? ローゼリア様が私に何かされるかもって」
「っ…そんなわけがあるか! ただ、いつも外聞を気にしていたあいつが、今日の授業は違った。あれで周りから何を言われるかわからない奴じゃない──何かが変わった。いつも俺を優先して笑ってばかりいたのに、俺に逆らったのもそうだ。貴様らが何か唆したとしか考えられんだろうが……!」
ああ──つまり、すごく単純な話だ。
「アレス様、この前ローゼリア様に怒られたのが相当こたえてたんですね。…で、その原因を、私たちのせいにして押しつけようってことですか」
「ぐっ……!」
首をかしげながらそう言うと、どうやら図星だったらしい。アレスの顔色が羞恥と怒りで染まった。
「黙れ、貴様…!偉そうに…!」
怒っている顔は迫力があった。
だけど、ずっと見ているとなんだか馬鹿らしくなってきて、反対にちょっと肝が据わってくる。
「そちらこそ、ふざけたこと言わないでください。あの時、ああ言ったのはローゼリア様の意志、本心ですよ。私がなにか唆したわけでも、操って言わせたわけでもない」
だから、私はそう言った。
ほんの少し、怒っていたのかもしれない。
かつては愚かな行為にも走った彼女だけど、それは誰のせいか。いま、彼女は自分の人生と向き合って前向きに頑張ろうとしている。それは、誰のためか。
全部、この男のためなのに。今ようやく変わろうとする彼女を認められないなんてそんな失礼な話があるものかって。
ただ、その後が、言いすぎた。
「嫌われたくないなら、素直に“心配してる”って言ってみたらどうなんですか」
「貴様……!」
アレスの手が私の肩口に伸びてきた。不安定な赤い火の粉を散らしながら。
それは堪えきれずについ溢れた、と言った感じで。
(しまった。彼の感情と炎は連動するのに)
咄嗟に、一歩足を引いて、両手で首を防御しようとする──パチッと火の粉が目の前で爆ぜ、熱が頬に、焦げるような匂いが鼻先まで届いた。その時だった。
「やめろ、アレス!」
そんな鋭い声が割り込んだかと思うと、彼の動きを止めさせた者がいた。
それは──
「っ……サーチェス…」
「何をしてるんだ、アレス。生徒同士の喧嘩にしては度が過ぎてるぞ」
サーチェス・ブラウンが、炎を纏ったアレスの手首を、砂を纏った手のひらでがっと握りこんでいた。
私は、急いで手をおろす。
「離せ。貴様には関係ない、引っ込んでいろ」
「そうはいかない。家訓でな。女に向いた拳は、同席した騎士の恥だ。これは、同級生の女生徒に向けていい手じゃない」
ぎりぎりと、睨み合いを続けながら、そのまま空中で拮抗する二人の腕。サーチェスの砂がわずかに煙を上げながら硝子化してぱら……と落ちる。炎の熱が高い。
サーチェスの拳は動かない。やがて、アレスが唇を噛み、その手を下ろした。
そして、煙を上げている自分の手を見下ろして舌打ちする。
「……もし…あいつを巻き込んでなにか企んでいるとわかったら、容赦はないぞ」
アレスは低い声で呟くと、私を一睨みしてから踵を返した。
去っていくアレスの背中を見送って、私は大きく息を吐いた。
「ありがとうございました、サーチェス様」
「ああ、いや…」
お礼を言うと、ほんのしばらく去って行ったアレスを心配そうに見つめていたサーチェスは、私に向き直って首を振った。
「気にしないでくれ。──それよりも、すまなかった。アレスがあんなことをして。彼女のことになると昔からああというか……どうも最近、気が立っていたようなんだ。気になって追ってきたんだが……」
「ふっ、どうしてサーチェス様が謝るんですか」
つい笑いながら言うと、瞳を大きくしたサーチェスは、気まずそうに言い直した。
「す、すまない、つい癖で──それより、大丈夫だったか?」
「はい、おかげさまで怪我はしてません」
「そうか…、よかった」
ホッと息をついて、サーチェスはそれまでこわばっていた表情をようやく緩めた。
「そちらは大丈夫ですか?」
「ああ、俺は大丈夫だ。砂で熱の伝導はガードしていたから一応…、っ」
そう言いながら自分の手を開こうとした途端、彼は顔をしかめた。
慌てて手を握りなおして隠そうとする。それを止めて、私は彼の手を見る。
(……火傷ね)
ひどすぎる程ではないが、手のひらが赤くなっている。
「これくらい平気だ」
「駄目です」
強がりなのか、虚勢を張るサーチェスに、私はため息をつく。それから、彼の手のひらをとり、自分の両手で挟むように包んだ。
「騎士なら、傷を甘く見るのは良くないって知ってますよね」
ぎこちない動きで私から手を引き抜こうとしていたサーチェスがその言葉でぴたりと止まる。
やっとやりやすくなったと思いながら、私は周りに人がいないかを確認して、続けた。
「聖の治癒魔法は私には使えませんが…これくらいなら」
自分の両手の平のあいだに魔法で薄く水の膜を張り、巡らせる。間に囲んだサーチェスの火傷を負った手を冷やす。最初は「っ…」と痛みを堪えるようだった声が、少しずつ解けた息に変わっていく。
「……すまない。ありがとう」
「いえ。さっきのは、私が調子に乗ったのと、アレス様がそれに乗ったのが悪いんです。だから、これはお礼というか謝罪というか……ともかく、こちらこそ、ありがとうございました」
「……君は前もそんなふうに言ってくれたな」
それからしばらくの間、サーチェスは静かにしていた。
そして、手当が終わると、手を開いたり閉じたりして動作を確認したあと、また律儀に「ありがとう」と腰を折り曲げて私に頭を下げた。
「気にしないでください」と私がお辞儀を返すと、彼は「わかった」と落ち着いた声で答える。
特になんのおかしなこともない、普通の会話だったと思う。
けれど、その直後、部活(彼は学内の騎士隊に入っている)があるからここで、と言った彼と別れようとした時だった。
「そうだ、もし、またアレスのことでなにか──いや奴のことじゃなくてもいい──困るようなことがあったら言ってくれ」
去り際に彼が置いた言葉。
「いつでも。剣と名で応える」
それに、思わず全身が固まった。
おっと、何か踏んだか?
次回【思考放棄のアン、切れ目から庭の人】




