31.悪役令嬢ルートの改編
ローゼリア様ほんっと…ほんと……
恋の力っていうのは怖い。
そして物凄い。
一人の少女が、我を忘れて人への憎しみを募らせて殺人にまで発展してしまうこともあれば、同じ少女が、自らの自尊心とそれまでの生き方を捨ててでも恋した相手に振り向いてもらうという目的のためだけに突き進めるのだから。
そして一度、前を向いて突き進んでしまえば──そういう人は、たいてい無敵になる。
「だから、何度言ったらわかるんです! ここで使うのは、この公式じゃない」
「ですが、これだと長ったらしくなって実践には不向きですわ。もっと素早くできる解法があるはずなんですわ」
「それを考えている間に、試験時間が終わると言っているんですよ」
「あら、でしたら、あなたは魔法物理なんて、机上の話だけで、実践に使えなくても良いとおっしゃるの?」
「そうは言ってません。そういうことが考えたいなら専門院でやればいい。だが、今しているのは試験の勉強です!」
「……う、そうでしたわね」
空いていた教室の隅で、顔を突き合わせて言い合いをしていたのは、察しの通り、ブルーノとローゼリアだ。勉強会を始めて数週間。
最初こそ剣呑な雰囲気を漂わせていた二人はこちらが気をつかうくらい静かなものだったが、最近は、こうしていつのまにか口論に発展するのが常だ。
ただし、それも最終的にはどちらかが相手の言い分に折れて静かに収まるため、最初は止めようとしてあわあわとしていたサシャも私も、慣れてきて放置している。
とはいえ、うるさくなることは確かなので、図書館ではなく、最近の勉強会は、こうして空いている教室などで行っていることがほとんどだったが。
「……熱くなりましたわ、申し訳ありません」
「そうですね」
はあ、とお互いため息をついて席に座ったふたりは、また、それぞれの教科書に向き直るため、視線を落とした。
「……ですが」
ふと、ブルーノがいつもの癖で眼鏡を押し上げながら呟いた。
「僕も、その解法については疑問がありました。あとで時間があれば、考えてみましょう」
「! そうですわよね」
その言葉に、パッと顔を上げたローゼリアが華やいだ笑顔を見せた。
それを隣で見ながら、サシャが少し愉快そうな声で私に耳打ちした。
「なんだか、思ってたより気が合うよね、このふたり」
「そうね……ふたりとも研究者気質だったのね」
私も笑いながら答えた。
ローゼリアとブルーノが言いあうのは大体、さっきのような内容ばかりだ。
数学や物理の話をすれば彼女の思う美しい公式の話で盛り上がり、地理の話になれば、そこに住む貴族の歴史から地層の歴史、地質、川の氾濫時期やよく育つ作物の話題になる。
ふたりが真剣に討論しているのを聞いていると、こちらもかなり勉強になることが多くて面白かった。
実は、意外にも……というと失礼になるけど、こうして四人での勉強会を開くようになり、ローゼリアが想像以上に勉学に長けていたことを知って、私はかなり驚いていた。
(……学年五位ぐらいなら難なく入っちゃいそう。すごいわ)
本当のところを言うと、さすがに学年十五位から急に一位なんて無謀に近い話だから、傾向対策といって、私の覚えている過去の試験問題を少しずつ怪しくない範囲で提示していくつもりだったんだけど……
(……いらないかも)
ただただ感心した。
と同時に、本当に、今までは抑えていたんだなあと思うと少しやるせない気にもなったけど。
「……僕は、ずっとあなたのことを誤解していたようです」
ふっと教科書から顔をあげたブルーノがそんなことを呟き、私とサシャは、「おっ?」という感じでまた顔を見合わせた。
すると、それに対して少し目を見開いたローゼリアが姿勢を正し、彼と、そして私たちに向き直る恰好をとった。
そして「それは、わたくしも…」と言いかけたその時──
音を立てて、教室の前の扉が開いた。
「ああ? なんだ、先客がいたのか──って、貴様らか」
ぱっと視線を向けたそこにいたのは──件のアレスと、ソフィアの二人だった。
「ふん、女ばかり連れて何をやってる?──って」
アレスは入って来るや否や、ブルーノをまず最初に目に留めた様子で、そう悪態をつきながら近づいてきた。その途中で、陰に隠れていたローゼリアに気が付いて立ち止まった。
「なぜ貴様がそこにいる。ローゼリア」
「あ……」
答えづらそうに視線を落とすローゼリア。
その前にブルーノと私が立ちふさがった。
「……共に勉強しているだけだ。なにか問題でもあるのか?」
「……共に? 貴様らと?」
まるでわけがわからん、と言いたげな顔をするアレス。そりゃあまだ彼は理解できないだろう。ついこの間まで、平民と距離を置くように、と口を酸っぱくして言ってきていた婚約者がその平民たちと一緒にいるのだから無理もない。
「はい。それだけです。──それよりも、アレス様は、そちらの女生徒と何をしに来られたのでしょうか?」
私は立ち上がり、ローゼリアより半歩前に出た。
「なんだ貴様は?」
「ローゼリア様の友人です。それよりも、質問にお答えいただけませんか。
この教室は、今でこそ私たちがいましたが、この後は授業の予定もない空き教室ですよ。
そこに、婚約者のいる殿方が、婚約者ではない別の女生徒とふたりきりで入室しようとしていたなんて、見方によっては、そちらのほうが問題だと思うんですが」
「ローゼリアの友人だと?──ふん、冗談など休み休み言うことだな」
アレスは腕を組み、苛立ち混じりに指で自分の肘をとんとんと叩きながら言った。
「あと、別に、こちらもやましいことはない。ただ、あまりにもこいつの魔法の腕が粗末だから、次の授業の前に見てやろうとしただけだ」
「ほ、本当です。それで、たまたま空いてそうなこの教室にきただけです」
アレスの後ろにいたソフィアも小さな声で付け加えた。彼女は一応、ローゼリアを見て遠慮がちに体を小さくしているが……過剰に内側に向いた爪先から、そういう演技だとわかった。
(うん、つまり、過去にも何度も聞いた……筋書き通りってわけね。その理由も本当。ただ、本来なら、ここに入るところを別のクラスメイトに見られていて、後日、二人の仲が騒がれる……そして、ローゼリア様がその噂を聞いてさらにソフィアへの嫉妬を募らせ嫌がらせが増長するんだけど……こうして、教室の中には私たちが先にいた。騒がれることはないし、騒がれても、ローゼリア様は、嘘だと知っている)
「そうだったんですね」
私はにっこり笑い、アレスとソフィアを順番に見た。
狼狽えたような振りで私たちを見るソフィアの、その目の奥が苛立っているのは明白だった。
「それでも密室は誤解を呼びます。婚約者のいる身なら、なおさら」
ソフィアを見つめたままそう言った。一瞬、ぴきりと彼女のこめかみに血管が浮いた。直後、口元を両手で隠して、彼女は目を伏せる。
「たしかに配慮が足りなかったかも…ローゼリア様、ごめんなさい…! でも信じてくださいっ。私は決してそんなこと思ってもみなくて…!」
泣き出しそうな声を出して指で瞼を軽く押さえるように拭うソフィア。涙は出てない。
「っ…やめてくださいませ」
すると、名前を呼ばれたことで我に返ったのか、令嬢らしく凛とした態度に戻ったローゼリアがそうソフィアに答えた。
その声の冷たさを聞いて、ソフィアが他の人にはわからない程度にニヤリと口元に笑みを浮かべるのが私には見えた……が。
「──それに関しては、あなたというより、身分のあるアレス様が配慮すべきところですわ。
ですから、どうか気になさらないで」
「えっ」
「なっ」
ソフィアが驚いた顔をしたのと、アレスの指がぴたりと止まったのはほぼ同時だった。
「そうですわよね、アレス様。遊ぶ気にしろその気でないにしろ、今後はお気を付けください」
「……っ」
ローゼリアの言葉に、奥歯を噛みしめるような、苦虫を噛みしめたような表情になったアレスは、何も言わずに口をつぐんだ。
「……それで、魔法の練習をするのでしたかしら。お邪魔になりそうなので、わたくしは退席させていただきますわね」
さっと立ち上がり、机の上の教科書を閉じて鞄に詰め込んだローゼリアが、硬直した彼らの横を通り抜けた。
気がつけばもう教室を出ていく背中。私たちもハッとしてその後を追いかけた。
「ローゼリア様!」
廊下を進んだ先で、ローゼリアは立ち止まっていた。
「ローゼリア様──大丈夫ですか?」
サシャがまず声をかけ、ローゼリアはそこでようやく振り向いた。
「……ああ、サシャ様。…ええ、もちろん、大丈夫ですわ。それより申し訳ありません、勝手に中断して出てしまって」
「それは別に構わないが……」
気まずそうにブルーノが答える。
男女の諍いやそのあたりのことに耐性なんてないだろうからどう声をかけていいものか戸惑っているようだった。
(まあ、それは私もだけど……)
あんなふうに、ローゼリアがアレスを突き放す言葉を言うなんて思っていなかった。軽く冷や汗が流れる。
(え、もしかして嫌いになったとか……ある? そうだとしたら、アレスとローゼリアをくっつける作戦はどうしたら!?)
「そっ、それにしても、わ、わたくし、言ってしまいましたわ」
一瞬悩みかけたけど、その直後、ローゼリアは震えながら叫ぶように言葉を落とした。
「最近ずっとオーシャン様と──殿方と言い合っていて、慣れてしまっていたからか……つい、その勢いのままに、思った言葉が出てしまいましたわ! あんなふうに焼き餅を焼いてしまって……アレス様、怒っていらっしゃらないかしら!?」
おろおろと頬を両手で押さえて振り返った彼女に、一同ずっこけた。
「あー……いや、いいんじゃないか? あれくらい」
ブルーノがへ立ち直りながら、眼鏡をかけなおす。
「婚約者としては、当然のことだろう。少なくとも、彼ではなく周りの者のせいにばかりしていた以前よりは……うん、悪くない」
「ふふっ、そうだよね。ローゼリア様、すごくかっこよく見えたもん。今は、かわいいけど」
「えっ」
きょとんとするローゼリアに、それぞれ声をかけたブルーノとサシャは笑っていた。
和む雰囲気の二人と一人。
その間に、最初の、分厚く見えていた壁はもうない。
「……あの、わたくし、まだお二人に言っていないことがありますの」
ローゼリアも目の前の二人に何かを感じたのか、意を決したようにきゅっと唇を引き締めたその口を開いた。
「なんです?」
眼鏡を少し上げて、その下から笑いの零れた目じりを押さえながらブルーノが促す。
「あなたがたを誤解していたことです。優秀で努力家で、貴族に取り入らなくても生きていける強い人たち——失礼を重ねました。ごめんなさい。」
サシャは笑うのを一瞬止めて、微笑んだまま隣のブルーノを見上げる。
ブルーノは眼鏡をかけなおして、ローゼリアに向き直る。
「構いません。僕も誤解していたと言ったでしょう。……あなたも強い人ですよ」
「まさか、そんな」
「本当です。勉強会もあなたがいるとまた違った切り口が見つかって楽しい。これからも共にできたらと思うくらいに」
「私もそう思います!」
「まあ……」
誰からともなく握手を交わした三人。
そこに、私も、改めてローゼリアから求められて入る。
「これからも、よろしくお願いしますわね」
「はい」
彼女の手のひらに血が通い出した熱を感じた。
次回【アレスの動揺・ソフィア視点】すぐUP予定




