18.〜赤い回想〜(三周目・一年夏→冬)
※軽い流血・死亡描写があります
とある周回の出来事。
──バシッ。皮膚を叩く音が響いた。
三度目の周回、一年生の夏だった。化粧室に入る直前、奥から女子の硬い声が聞こえた。
「しらばっくれないで。あなたでしょう、最近アレス様に付きまとっているのは」
「ですから、付きまとってなんて……。話しかけてくるのはいつも向こうで——」
「まだそんなことを!」
バッと手が振りかざされる。
それを見た私は、慌てて飛び込んだ。
「ソフィア!」
「アン!」
両手で顔を庇おうとしながら、目を丸く見開いてこちらを向いたソフィア──その彼女を叩こうと手をあげていた赤い巻き毛の女生徒を、私は、キッと睨みつけた。
「何してるんですか!」
「別に何も」
女生徒は、手を素早くおろした。
「アレス様やサーチェス様に“はしたなく擦り寄る”平民に、控えるよう忠告しただけですわ」
彼女は涼しい顔で私の横を通りぬけ、化粧室を出て行った。
私はソフィアに駆け寄った。
「大丈夫?」
「ええ、平気」
少し赤くなった片方の頬を押さえながら、ソフィアは気丈に微笑んでいた。私は眉を顰める。
「まったく、困った人ね。彼女——ローゼリア様って、アレス様の婚約者らしいけど、ちゃんと話とかしていないのかしら。ソフィアにだってブルーノ君にだって、いつもアレス様が突っかかってるだけ。サーチェス様はそれを止めに入ってるだけなのに」
「うん。……ちょっと困ってるくらいなのにね」
「ええ。ねえ、また言いがかりがあれば言ってね!役に立てるかは怪しいけど、友達だから!」
「ふふ、ありがとう」
ドンと私が胸を叩きながら言うと、ソフィアは口元に指をあてながらクスクスと笑った。
それに同じように笑い返しながら、私は、心の中ではひっそり首を傾げていた。
(でも、たしかに、“今回の”アレスはソフィアに少し構いすぎるのよね)
——と
はじめの三年間、彼女は恋の話をしなかった。
けれど、初めてのタイムリープ後、ふいに「好きな人ができたかもしれない」とブルーノ・オーシャンの名を出した時、私は“大事”を直感して協力した。
ただ、結局、その時はブルーノとの恋をあまり上手く進められなくて、卒業間際の大雨の日に誰かに襲われたソフィアはまた命を落とした(一周目)。
それからまたタイムリープ。
次の周、最後のあの夜、恋人のブルーノが彼女を庇ったことで助かった(それが二周目)。
なのに——また戻った。無事に卒業してその三日後には二人の結婚式まで見ることができたのに。
理由はわからなかった。
ただ、違和感だけが増えた。
それはソフィアの口からブルーノの名が減り、アレスの名前が妙に顔を出すことだった。
聞けば「植物園で偶然、お昼寝中のアレス君と話したことがあって」と。それは最初の三年間でも、前回、前々回のループでも聞いたことがなかった話。
(ちょっとずつだけど、違う……枝分かれの未来、というやつかしら)
わからなかった。
だから、できる手を全部打つしかなかった。
なんでもいい。二年後、必ず助ける。そう思って必死にやっていた。なのに。
(神様はひどい。こっちが予想もしていないところから、脇腹を刺してくる)
それは夏の化粧室の一件から数か月──冬の匂いが濃い、聖夜祭直前の午後。
絹を裂く悲鳴に、人波を割って私が見たのは、正面階段の下、赤を広げて倒れるソフィアと、踊り場に立ち尽くすローゼリアだった。
大鏡に映る、震える赤い巻き毛を流した肩。
「まさか、突き落とした……?」
ざわめく群衆。「どけ!」と割って入る赤・黄・青の髪。
青ざめた顔のローゼリアと倒れたままぴくりとも動かないソフィアを視界に入れた彼らの顔に動揺が浮かぶ。
けれど、一方で、その表情に“恋しい人を失った”と思わせるほどの悲壮さは感じられなかった。
「どうしてこんなことを!!」
アレスが怒鳴り、踊り場の彼女がびくりと肩を揺らす。その横で毅然として立つサーチェス様、冷たい目で見るブルーノ君。
私は呆然と思う。
(違う。問うべきは“どうして”じゃない。だって、前にもここで諍いはあったけれど、こんな結果には——)
毎回、秋の文化祭が近づくと、委員に入ったソフィアは彼らと接点が増え、反感を買う。そして始まる嫌がらせ。
その中心はアレスの婚約者ローゼリアだ。
理由は決まっている。——「平民のくせに、ブルーノと一緒に目立ってアレスに楯突き、ついでにサーチェスにも絡むなんて疎ましい」……そんな陰口と無視と物隠し。
それでも、これまでは、この階段で収束してきた“ただのいざこざ” ——のはずだった。
(何が足りなかった?)
タイムリープ前と一度目の周回は受け身をとって助かっていた。次の周はブルーノが受け止めて助かった。そしてローゼリアは過去の非が露見して学園から追放——そうだったはずが。
今回は——ソフィアは助からなかった。
「私が、なにか、違う動きをしたのがいけなかったの……?」
どこかへ駆け出したローゼリアをとらえるため三人が離れていってしまったあとの床には、ソフィアただひとりだけが残っていた。
じきに学園の衛兵も集まってくる。
私は、血だまりの彼女のそばに跪き、制服の上着を脱いでかけた。
「ごめんね」
手も喉も震えていた。けれど、声を絞りだす。もう聞こえない友人に、世界に、宣言するみたいに。
「“わからない”で終わらせない。次は、絶対に助けてみせるから」
床に伸びた冷たい手を取りながら、そう囁く。視界の端からやってくる白の気配に目を閉じた。
白転。それから
「──もう一度」
桜吹雪の入学式へ、私はまた戻り、そのまま駆け出した。
──そして、今もまだ。
あの約束を果たしきれたと思えたことはない。
私はリックのくれた麻袋を握り直した。
次回【悪役令嬢、その台本】すぐUP予定です




