3-26.舞踏会・輪の外の告白
当日が近づいてくると、一段と熱気が上がった。
食堂前の掲示の〈舞踏会ご案内〉。その前で、自然に“お誘い”が始まる。
あちこちで声と色が飛び交う。
そして、ソフィアのもとには、あの熱砂の王子だけではなく、他生徒たちからもアプローチラッシュが“今”とばかりに来ていた。
手紙や贈り物、待ち伏せ。
「今度の舞踏会、最初の一曲、ご一緒してくれますか」
海都の三年生。ソフィアは笑って首を振る。
「ごめんなさい、個別の約束はしないの。輪のどこかで会いましょ」
「了解。じゃあ、当日に」
「開場のとき、入り口で待っててもいい?」
北境の少年。
「友達と回る予定があるの。気持ちは嬉しい」
「……うん。楽しんでね」
学内の三年が、少し照れながら。
「最後の総輪、手を」
「その時に目が合ったら、ね」
波は私にもあった。
「アン先輩、二曲目、外回り歩きながらお話……」
「ごめん。今は約束増やさないでおくね」
「は、はいっ」
掲示板の前を離れる時、廊下の向こうの角に黄色の髪を見た。サーチェス。木箱と教科書の束を隣の子と並んで抱えて歩いている。職員室かどこかへ運ぶのを手伝っているのだろう。
(そういう人)
先日も思ったことをもう一度頭の中でさらう。
(みんなを平等に助ける)
それが、最初からそうだったのかは、わからない。
記憶の中の彼は、気づけばいつもソフィアのために身を投げる人で、そして私はまたループへ戻っていた。それは苦い思い出のひとつでもある。
けれど今回は違った。
責任感はそのままに、全部を一人で抱えず、預けることを覚えている。
しかも、その視線はいま、ソフィアではなく。
(私に向いている、と思う)
一年生の時、中庭で「嫌だなぁ」と呟いたあの頃のように、考えないでいた時期もあった。
でも、それから少しずつ、話して、関わって、ソフィアの恋人候補として見る同級生から、友人へと、小さく温度を上げてきた。
対抗戦の行事の最中、贈り物のブースで、ソフィアが彼の“補正”について言った時、もしかして…とずっと思っていた疑いは確信に近くなった。
でも、それだけだと言っていいのかわからない。
いや、ううん。それだけには思えなかった。
(少なくとも、彼の目はいつだってまっすぐだった)
だから、きちんと考えなくちゃと思う。
楽団の弦が、夜の底をすこしだけ明るくする。シャンデリア、磨かれた床、色とりどりの礼装。踊りの輪は大広間に渦を描き、笑い声がすべっていく。
私は制服の袖のボタンと腕章を確かめてから、壁際に立って、みんなの様子を見ていた。
サシャは紺のドレスで弾むみたいに笑い、ブルーノはそれを目で追って眼鏡の端を無意識に直す。
ローゼリアは落ち着いた紅で視線を遊ばせ、アレスは柱にもたれて天井を睨んでいた——が、彼女が笑うとちゃんと視線が戻る。
(今夜も何件か“お誘い”は来た。うまく断って、ここまで)
「アン」
横から呼ばれて顔を向ける。黄の短髪に黒の礼装。仮面はない。サーチェスだ。迷いのない歩幅で、まっすぐここへ来る。
「少し、外でいいか」
「……ええ」
テラスに出る。空気は冷たく、葉の影が灯に揺れた。下の中庭から、輪舞のリズムだけが淡く届く。
サーチェスは手袋を外して手すりに置き、私より先に息を整えると言った。
「好きだ。君が」
——ああ、やっぱり。
私は驚かなかった。
けれど、やっぱりと思った“だけ”じゃない。それで逃げない。すう、と息を吸って一言。
「ありがとう」
まず、それを置いた。
きちんと受け取りたかったから。
彼の瞳の色が僅かに深まる。
「返事は、今じゃなくていい。けど、今日、言いたかった」
「ううん。返事も今言わせて」
彼の肩が一瞬だけ強張った。それを見ながら私は言葉を選ぶ。嘘は返さない。
「サーチェス。あなたのことは——尊敬してる。頼りにしてる。安心する背中のひとつだと思ってる」
彼は促さず、ただ聴く。
「正直に言う。昔は、あなたが少し苦手だった。飾りがなくて、無骨で、真面目で……誰かのために自分を差し出せる人で。……私と同じに見えて、怖かったの」
彼の眉が、ほんの少しだけ動く。
「でも今は違う。あなたは真面目で、真摯な人。そこは“好き”。——でも」
指先の震えを握りしめた。
「恋は返せない」
目が合った。
「あなたの“守り方”——列のいちばん後ろの子も、端にいる人も等しく拾いあげる、その広さを尊敬してる。その守り方を隊で分けあえる強さも。
でも、もし私が“選ばれる”と、その広さを私で狭めるかもしれない」
「っ……そんなことは」
「……私は、それを望めない」
一瞬だけ彼の息が揺れて、それから、沈黙が一つ落ちた。
「……そうか」
わかっていた顔だった。でも、目の端だけが少し痛そうに微笑んでいた。
そして、息を混ぜて短く。
「俺の“守る”が、君の邪魔になるなら、違う。君は誰かの後ろに下がる人じゃない。——ありがとう。ちゃんと言ってくれて」
ぎゅっと、胸が痛む。私は首を振った。
「こちらこそ。ちゃんと言わせてくれて、ありがとう」
中庭で曲が切り替わる。彼が手袋を取り上げ、もうひと言。
「俺はこれからも『守り』にいる。君が頼むとき、俺は動く。——それでいいか」
「うん。お願い」
サーチェスは一歩下がり、短く名前を呼ぶ。
「アン」
「なに?」
「まっすぐで助かる」
それだけ置いて、彼はホールの輪へ戻った。私は手すりに指を置いたまま、夜気を吸い込む。
少しだけ胸の奥に冷たい空気が入って、抜けていく。
ガラス扉の内側から、サシャの笑い声。ローゼリアのドレスの揺れるかすかな音。ブルーノの足取り。アレスの溜息。他の生徒たちもそれぞれ楽しげに過ごしている。
(大丈夫。ここから先も、友だちでいられる)
戻ると、ソフィアが気配だけで事情を読むみたいに目を細めた。問いは投げてこない。私も頷きだけ返す。
「踊る?」と彼女が口の形で言い、私は肩をすくめる。
「一曲だけ」
輪へ入る。灯へ近づく。背中を向けたテラスの外、夜の向こうで庭の草木が優しく風に揺れる音がした。




