02. アリアスとナルキッソス-01
ヘジュンは左手のクロッキーをひたすら描き続けていた。四時間という時間が与えられ、他の学生たちが出された静物を黙々と描く中、彼女だけは2절サイズの紙に左手を延々と描き続けていたのだ。退屈だった。余白もほとんど残っていなかった。手を描くにしても、形や角度には限界があった。ある程度描いてしまえば、新しい見方が出てこなくなってしまうのだった。
ふと、他の学生たちの絵が気になった。画板の上、隣の生徒の方に首を傾けて観察してみる。絵を本格的に始めたばかりのヘジュンの目にも、実力の差が歴然と見て取れた。干したスケトウダラをイルカのように描いている生徒がいれば、軍手をまるでゴム手袋のように描く生徒もいた。
視線を移してユン先生を探した。彼はある学生のイーゼルの前に座ってデモンストレーションをしていた。そばに立っている学生の身体に遮られてよく見えなかったが、会話からしてグラスを描いているようだった。
「ヨンジン、お前、本物のガラスコップが出たらどうすんだよ?教えてるのに、毎回ステンレスカップ描くなんて」
「ですよね。本物出たら、一気にテンション下がりますね」
「まったく、お前は冗談ばかりだな」
ヘジュンは二人の会話を聞きながら、壁際にある静物棚から予備のグラスを一つ持ってきた。ほこりまみれでざらざらとした手触りがあったが、それでもガラス特有の質感は十分に伝わってきた。しばらくグラスを手に取って眺めていたヘジュンは、他の学生たちの邪魔にならないよう、こっそり予備の椅子も持ってきて横に置いた。その上に筆箱を載せ、さらにその上にグラスを置いた。静物台より距離も近く、目線の高さも低いため、グラスの内側がかなり見えていたが、気にはならなかった。左手で右手を描くことはできず、もう左手を描きたくもなかった。ヘジュンはコンテの鋭い質感を楽しみながら、クロッキー帳にグラスの形を取り始めた。
自分では目立たないように動いていたつもりだったが、フィギュの目には、まるで実技室に彼女しかいないかのようにその動きがはっきりと映っていた。ヨンジンの絵を直して他の学生たちを回ろうとしていたフィギュは、一瞬ヘジュンの動きに注意を向けた。大きな動きもなく、他人に迷惑をかけないように静かに振る舞っていた。そんな彼女の様子が妙に可愛らしく見えた。
ヘジュンが二、三回もぞもぞと動いたかと思えば、すぐにまた静かになった。授業が始まってからもう三時間半近くが経っていたので、いくら広い2절サイズの紙でも、すでに埋まっているに違いなかった。フィギュは興味を引かれて、そっと彼女の近くに移動した。あえて彼女の背後から近づいたため、ヘジュンはフィギュの接近に気づかなかった。
授業が終わって家に帰ったヘジュンはベッドの上でごろごろしていた。宿題があるにもかかわらず、それも鉛筆でクロッキーを五十枚も描かなければならないというのに、心が浮き立ってとても絵に集中できなかった。しばらくしてから鏡台の前に座った。
「線が生きているって、きっと褒め言葉だよね?」
鏡を見つめながらヘジュンはにっこりと笑った。鏡の中のヘジュンも同じように笑っていた。
「特別に入れって言われたのよね?可能性があるからって、そう言ったんだよね」
まだ合格したわけでもないのに、まるで合格が決まったかのように胸が高鳴った。そのとき、鏡台の片隅に置かれた香水瓶に目がいった。ソンミンがプレゼントしてくれたものだった。もらったはいいが一度も使ったことがなく、いや、使えなかった厄介な代物だった。きゅうりの匂いが大嫌いなのに、まるでからかうかのようにソンミンは「ケンゾー」を贈ってきた。その後、彼は自分が贈った香水がケンゾーだったかバーバリーだったかすら覚えていなかった。
そういえば、最近ソンミンのことを一度も思い出していなかった。五年も愛していたと信じていたのに、こんなにもあっさりと忘れてしまうとは思いもしなかった。むしろ、自分が彼を五年も愛していたという事実すら疑わしくなってきた。それほどまでに、彼女の頭の中には絵と、ある一人の人物だけが満ちていた。
「ユン先生……」
彼のことを思い浮かべると、ソンミンを愛していると信じていた頃とは比べものにならないほど胸が高鳴った。けれど、それだけでユン先生を愛していると信じるには無理があった。とはいえ、気分はとても良かった。こんな気持ちであれば、S大に合格することなんてとても簡単なことのように思えた。
しばらく鏡台の前にうずくまっていた彼女は、ぱっと立ち上がった。その手には香水瓶が握られていた。
彼女は香水瓶を持って、冬の冷たい風が一時的にやんだアパートの屋上へと上がった。下を見下ろすと、目がくらむような高さだった。ヘジュンは最後に香水を空中にシュッと吹きかけた。生臭いきゅうりの匂いに、鼻先がひくついた。
しばらくして、屋上の片隅にきゅうりの匂いが漂う大きな染みができたが、やがてそれも消えた。
明日は爽やかな水の香りがするクールウォーターを買おう、そう思いながらヘジュンは屋上を小走りで降りていった。とても良い気分だった。[]
翌日、ヘジュンには香水を買いに行く時間がなかった。鉛筆クロッキーで五十枚も手を描いてくるという宿題は、決して簡単なものではなかった。最初の十枚ほどは勢いよく描き上げたが、そのあとは手の形を取るのも難しかった。鏡に映してみたり、ありとあらゆる奇妙なポーズを取りながら、ようやく五十枚を描き終えた頃には、すでに夕方になっていた。さらに、普段やらないことをしたためか、疲労感がどっと押し寄せてきた。夕食もとらずに、そのまま眠りに落ちた。
その夜、ヘジュンはS大に合格する夢を見た。
***
金曜日、ヘジュンは胸を高鳴らせながら学園へ向かった。一日で五十枚もの絵を描いたということが、これほどまでに誇らしいことだとは思いもしなかった。フィギュがどんなふうに褒めてくれるだろうかと、すでに期待で胸がいっぱいだった。
彼女が到着したのは、やはり他の学生たちが昼食のために席を外している時間だった。前回よりも早く到着したため、実技室にはまだ数人の学生が残っていた。ヘジュンが実技室に入ると、彼らは軽く会釈をして、おしゃべりしながら駆け出していった。
片隅からイーゼルを持ってきた彼女は、久しぶりに視界が開けた静物台を眺めた。彼女はまだ受験生ではないため、いつも他の学生たちに配慮して、あえて後ろの席を選んでいた。
「まあ、いいか。今は誰もいないし」
ヘジュンは静物台に置かれた物たちが乱れないよう注意しながら、そっと手で触れてみた。今日の静物台に置かれていたのは、へこんだ黄色いやかん、ほこりで曇った白熱電球、赤いペンキのついた軍手、片方だけの古い運動靴、赤いレンガ、角材、しおれかけたリンゴ一個、雑誌一冊、汚れた晒し布一枚だった。普段ならそうした題材が与えられると、学生たちはそれぞれに構図を考えて描いていたが、今日はすでに雰囲気のある構図が組まれていたようだった。
フィギュは昼食を急いで済ませて実技室に戻ってきた。きっとヘジュンが来ているはずだった。一を教えれば十を理解する彼女は、教えがいのある生徒だった。それだけでなく、彼女からは同じ道を歩む者にだけ感じられる香りが漂っていた。その香りを早く感じたかった。
実技室のガラス扉の前に立ったフィギュは、大きく深呼吸をした。息を吸いながら目を閉じ、吐きながらゆっくりと目を開けた。そして静かに扉を開いた。彼女の香りが実技室の中に漂っていた。彼女は静物台の前に立ち、慎重な手つきで静物に触れていた。
『静物に触ってみるといいって言ったっけ?』
フィギュは首を少し傾けながら、気配を発した。その気配に気づいたヘジュンが顔を上げ、笑顔で挨拶をした。
「こんにちは」
「おう、ところで何してたんだ?」
「うーん、ただ触ってただけです。描くときにこの感覚を指先に覚えておきたくて」
「そうか。触って指先に覚えるってのも結構効果あるんだよ。実際、石膏デッサンなんかは彫刻科の学生のほうが上手いんだ。あの子たちはいつも触って、手でも覚えてるから、紙の上に描いてるだけの子たちよりずっと上達が早いし、うまいんだ」
「へえ、そうなんですね。あ、先生、宿題やってきました」
「そうか、見せてくれ」
ヘジュンは誇らしげにカバンからクロッキーブックを取り出した。フィギュはそれを受け取り、時に素早く、時にじっくりとページをめくりながら目を通した。ある程度時間が過ぎ、実技室の外が少し賑やかになり始めたころ、ようやく宿題のチェックが終わった。クロッキーブックを閉じたフィギュは、しばらく黙っていた。ヘジュンはなんとなく気まずくなりながら彼の様子をうかがった。そしてようやくフィギュが口を開いた。
「宿題、少なかったな」
思いがけない言葉に、ヘジュンはほとんど叫ぶように聞き返した。
「えっ?」
フィギュは面白がるようににっこり笑った。からかっている様子がありありと見えた。
「正直、全部やってくるとは思ってなかった。でも、本当に全部やってきたし、思ったよりいいのがあったよ」
フィギュは「当たりだった」絵を指さした。わずか四枚しかなかった。がっかりだった。五十枚描いた中で、たった四枚だなんて。
「四枚ですか?」
ヘジュンの声には力がなかった。フィギュはそんな彼女が愛おしくて、思わず笑いをこらえきれなかった。なんて正直な表情なんだろう。
「君、それだけあれば本当にすごいよ。百枚描いても一枚も拾えない子だってたくさんいるんだから」
「でも……」
「心配しなくていい。君には才能がある。十分にやれる」
――だから、うちの学校においで。
その言葉は飲み込んだ。彼女に負担をかけたくなかったし、別の意味に取られてしまうかもしれないという、妙な気がしたからだ。妙な気?それが何かは、まだ分からない。
彼はまだ微笑みをたたえたまま、わざと厳しい口調で言った。
「宿題が少なかったってことだ。君、土日は休みだろ?月曜にまた来るから、その二日で人物クロッキー七十枚、やってきな」
落ち込んでいたヘジュンの表情が、すぐにまた変わった。
「冗談ですよね?」
「いや、今度は手じゃない。人物だ。今から始めてもいいぞ」
「今?誰を描けと?先生?」
「このイケメンを描かせてもらえるなんて、光栄に思えよ」
「うわあ、王子様病ですね」
ヘジュンは肩をすくめて、鉛筆を握った。
その間に、生徒たちが一人、また一人と戻ってきた。一番最後に戻ってきた生徒が、罰として先生たちにコーヒーを配りに行って帰ってきたのを最後に、実技室の扉は閉められた。
実技室には先生と生徒を合わせて百四十人ほどがいた。その中から描きたい人を七十人選べばいいだけだから、モデル探しに苦労することはないと思っていた。だが、それは甘い考えだった。
学院では、たった十五人ほどしか描けなかった。皆が真剣というより険しい顔で画板や石膏像を睨んでいて、誰を描いても同じ顔になってしまったのだ。
結局、帰りのバスの中でも描き、家でテレビを見ながらも描いた。最終的に七十枚を超えて八十枚も描いてきたとき、フィギュはとても驚いた。
ヘジュンの手がこなれ、線にもっと生命が宿ってくるのを見て、フィギュの彼女を見る目も次第に深まっていった。
ヘジュンもまた、生まれたてのヒヨコが母鳥を追うように、フィギュだけを追いかけるようになっていった。




