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01. コンテとトンボ鉛筆-05

ヘジュンは左手のクロッキーをひたすら描き続けていた。四時間という時間が与えられ、他の学生たちが出された静物を黙々と描く中、彼女だけは2절サイズの紙に左手を延々と描き続けていたのだ。退屈だった。余白もほとんど残っていなかった。手を描くにしても、形や角度には限界があった。ある程度描いてしまえば、新しい見方が出てこなくなってしまうのだった。


ふと、他の学生たちの絵が気になった。画板の上、隣の生徒の方に首を傾けて観察してみる。絵を本格的に始めたばかりのヘジュンの目にも、実力の差が歴然と見て取れた。干したスケトウダラをイルカのように描いている生徒がいれば、軍手をまるでゴム手袋のように描く生徒もいた。


視線を移してユン先生を探した。彼はある学生のイーゼルの前に座ってデモンストレーションをしていた。そばに立っている学生の身体に遮られてよく見えなかったが、会話からしてグラスを描いているようだった。


「ヨンジン、お前、本物のガラスコップが出たらどうすんだよ?教えてるのに、毎回ステンレスカップ描くなんて」

「ですよね。本物出たら、一気にテンション下がりますね」

「まったく、お前は冗談ばかりだな」


ヘジュンは二人の会話を聞きながら、壁際にある静物棚から予備のグラスを一つ持ってきた。ほこりまみれでざらざらとした手触りがあったが、それでもガラス特有の質感は十分に伝わってきた。しばらくグラスを手に取って眺めていたヘジュンは、他の学生たちの邪魔にならないよう、こっそり予備の椅子も持ってきて横に置いた。その上に筆箱を載せ、さらにその上にグラスを置いた。静物台より距離も近く、目線の高さも低いため、グラスの内側がかなり見えていたが、気にはならなかった。左手で右手を描くことはできず、もう左手を描きたくもなかった。ヘジュンはコンテの鋭い質感を楽しみながら、クロッキー帳にグラスの形を取り始めた。


自分では目立たないように動いていたつもりだったが、フィギュの目には、まるで実技室に彼女しかいないかのようにその動きがはっきりと映っていた。ヨンジンの絵を直して他の学生たちを回ろうとしていたフィギュは、一瞬ヘジュンの動きに注意を向けた。大きな動きもなく、他人に迷惑をかけないように静かに振る舞っていた。そんな彼女の様子が妙に可愛らしく見えた。


ヘジュンが二、三回もぞもぞと動いたかと思えば、すぐにまた静かになった。授業が始まってからもう三時間半近くが経っていたので、いくら広い2절サイズの紙でも、すでに埋まっているに違いなかった。フィギュは興味を引かれて、そっと彼女の近くに移動した。あえて彼女の背後から近づいたため、ヘジュンはフィギュの接近に気づかなかった。


サラサラ――

実技室の中は、鉛筆が紙に擦れる音だけが満ちていた。時折、教師が生徒にアドバイスしたり、デモンストレーションをするときの話し声以外は、足音さえも聞こえないほど静まりかえっていた。それは、入試を目前に控えた生徒たちへの配慮でもあった。


ヘジュンは薄汚れたグラスを一つ机に置いて、クロッキー帳に熱心に絵を描いていた。フィギュがヨンジンという生徒にアドバイスしているのを聞いて、それほど難しくもないだろうと軽い気持ちで描き始めたのだが、やはり簡単ではなかった。だが、それが楽しかった。光の方向や視線の高さによって、形や影が変化するグラスを描くのが、ぞくぞくするほど面白かったのだ。


「よく描けてるな」

「ひゃっ」


突然背後から声がして、ヘジュンは叫びそうになった。なんとか声を出さずに済んだことに安堵していると、フィギュが微笑んで手を差し出した。


「……?」

「クロッキー帳、見せてくれ。それとこれ、どけて。そう、椅子をもう一つ持ってきて、こっちに座って」


ヘジュンは黙って彼の指示に従い、新しい椅子を持ってきた。席の整理がついて、ヘジュンの視線が画板に向かうと、フィギュが口を開いた。


「退屈だったろ?」

「少しだけ。ずっと手ばかり描いてたので」

「でも描くたびに上達する。よくやってるよ」


ヘジュンはそっと視線を横に向けて、フィギュの横顔を見た。今日が初日なのに、どうしてこんなことを言ってくれるのだろう。


「今日、初めてなんですけど」

「うん、だけど……」


フィギュは言葉を濁した。そう、初日なのに、まるでずっと前から見ていたかのように感じられたのだ。なぜか、ヘジュンに言葉をかけようとすると、思った通りに話せない。ただの学生なのに……背中に冷たい汗がつーっと流れた。


かなり時間が経ったように感じたが、壁の時計を見れば、たった数十秒しか経っていなかった。彼は慌てて話題を変えようとした。ヘジュンも生徒なのだから、他の生徒と同じように接すればよい。そう思っても、なぜか難しかった。何かしら違う言葉が口をついて出てきて、話し終えた後には「自分は一体何を考えてこんなことを言ったんだ」と思わずにはいられなかった。


学生だ。ただの、学・生。


「そうだな……つまり、お前の長所は“線が生きてる”ってことなんだ。これはすごく大きな強みだぞ。俺が美大に入ったばかりの頃、『味を線で表現せよ』っていう課題が出たんだ。もう、目が点になったよ。味を線で?ってな。でも、どうにかこうにか仕上げて、ひどい評価だったけどな。それに、俺の周りにも、意外と線が死んでる奴らが多かった。予備校で機械的に絵を描いてると、必要な線しか引かなくなって、結局美大に入ったら絵がみんな同じようになってしまうんだ」


「へぇ……」


「でも、お前は“線が生きてる”。むしろ、それが死んでしまうのが怖いくらいに。頑張れよ。どうせなら、うちの学校に特別選抜で入ってこい」


ヘジュンの頭の中に、稲妻のように閃光が走った。

『先生の学校に、特別選抜で……?』


「クロッキー帳、見せてくれるか?」


少し迷ったヘジュンは、反射的に彼の手にクロッキー帳を渡した。


フィギュはヘジュンが少し前に描いたグラスの絵をじっと見つめた。形はほぼ完璧だった。コンテで描いている分、ガラスの質感を出しやすかったとはいえ、かなり上手く表現されていた。視点がやや不安定なのが難点だったが、それも、安定した静物台ではなく、少し姿勢をずらせば視点が変わってしまうような近距離の椅子の上にグラスを置いて描いたことを考えれば、大きな問題ではなかった。


彼は心の底から、彼女に自分の後輩になってほしいと思い始めていた。何としてでも、同じ道を歩ませたい。彼の心臓が高鳴り始めた。


ヘジュンは、フィギュが黙って絵だけを見つめていることに、だんだんと不安を感じ始めた。才能がないと言われて、やめろと言われたらどうしようと心配になった。横目でフィギュの横顔と、クロッキー帳のグラスの絵を交互に見た。


すると、彼の頬の筋肉がわずかに崩れるのが見えた。頬骨のあたりがふっと持ち上がり、その後、目尻がそっと下がった。その様子を見たヘジュンは、思わず浅く息を吐いた。まつげを伏せ、かすかに微笑んだ。


「ヘジュン、グラス、よく描けてたよ。かなりいい感じだ。ヨンジンより上手いな。でも、コンテだとやっぱり表現が楽になる。次は静物を描こう。鉛筆でな。鉛筆は思ってるより難しいから」


「はい」


「それと、金曜日までに鉛筆で手のクロッキー50枚、描いてこい」


「えっ? 50枚もですか?」


「そうだ。一分一秒でも無駄にできないからな。S大は、タダで入れる場所じゃない」


フィギュは目だけは笑いながらも、あえて厳しく言い放った。本気でヘジュンを見守りたいと思っていたのだ。後輩としてでも、別の形でも。


「多いなぁ……」


「できるだろ?特別選抜で来るんだから」


フィギュはそう言い残して、ヘジュンの手を一度握ってから席を立ち、彼女とは反対側にいる別の生徒の方へと歩いていった。


ヘジュンは彼の後ろ姿をぼんやりと見つめ、その後、自分の手元を見下ろした。さっき握られたその手は温かかった。まるで、アイロンをかけたばかりの綿シャツのような温かさと感触だった。彼女の胸の奥で、ふわりと、やわらかく、何かが芽吹き始めていた。


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