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【電子書籍化決定&連載版やってます】ピンク髪の転生ヒロインは、運命の人を探さない

作者: 春樹凜

いつも誤字の報告、ありがとうございます。


 

 イリリアン王国の王都にある、セント・ディール学園に併設された学生寮の一室で、その日私は、学園の制服を身に纏い鏡の前に立っていた。


 だけどここで急に違和感を覚える。目の前に映る自分の姿にだ。


 そこにいたのは、腰までおろされたピンク色の髪と、青空色の大きな瞳、それに柔らかそうなぷくぷくほっぺたと形の良い唇を持った、年齢よりも幼く見える、けれど胸はそこそこあるという美少女で。

 

 どこかで見たことがある……記憶を辿っていると急激に頭痛が襲ってきて、そして────。


 私は、自分には不慮の事故で亡くなった女子高生の前世があって、なぜかその時にドはまりしていた乙女ゲームのヒロインに転生していることに気付いた。

 勿論、鏡に映るこの少女が現世での私の姿。名前もゲームのデフォルト名と同じ、アリス・メイトだ。


 確かに私が住んでるこの国もこれから通う学園もゲームの舞台となる場所だし、攻略対象だった王子様達や宰相の息子、騎士団長の息子も通っているらしい。

うん、やっぱりゲームの世界だ。


 だけど、かといって頭がお花畑ヒロインにはならない。だってここは私にとっては現実世界なのだから。

 

 確かにイケメンと恋に落ちるのは魅力的だけど、彼らとハッピーエンドを迎えるのはかなり大変だ。


 そもそもゲームと同じく特待生として入った平民の私は、学費も寮費も食費も全て無料になる代わりに、卒業までの試験で常に十位以内に入らなければならない。そして成績を落とした時点で即刻退学のゲームオーバーになる。


 それに、恋の相手は皆貴族の出身。

 仮にゲームが終わったとしても、ヒロインの人生は続いていく。

 

 ちなみにこのゲームには四人のキャラが出てくるけど、第一王子殿下アレクサー様と恋仲になった場合は、将来ヒロインは王妃に、それ以外だと貴族の夫人になるパターンと、アレクサー様の弟殿下を攻略した場合は、世界中を飛び回る大商人の妻になる。


 勉強するのは苦じゃないけど、貴族としての礼儀作法を学んだり、義務であるお茶会や夜会に出席したりするのは正直めんどい。

 あと、私はすごい船酔いするので、世界中を船で回るとかもう、死亡フラグにしか感じない。この学園に来るときも、そっちの方が安く済むからと航路で来たけど、後悔した。どんな薬も役立たずで、二度と乗るものかと固く心に誓ったほどだ。


 つまりゲームのヒロインとして真の意味でハッピーエンドを目指すためには、勉強も礼儀作法も死ぬほど頑張りながら貴族社会の荒波に生涯その身を置き続けられる鋼の精神が必要となる。

 もしくは、一生船酔いと付き合っていくか。


 うん、無理だな。そんな心を削ってまで、乙女ゲームのヒロインになりたくない。


 というわけで、私はヒロイン転生には気が付いたけど、ゲームには一切関わらないことに決めた。


 それに、この学園で優秀な成績で卒業できれば、非常に狭き門ではあるけど、たとえ平民出身で女性であっても、高給取りとして知られる王城の官吏になることも夢じゃない。私はバリバリと働きたいのだ。その為に私はこの学園に入るための試験を受けたのであって、断じて恋人を作るためではない。

 なのに一週間ほどかけて王都入りし、学生寮にも一番乗りで入り、ウキウキで制服を着てみたらまさかこんな展開になるなんて……。


 でもまあ、入学前に思い出せたのはよかった。

 それにヒロイン転生しているともっと前の段階で気付いたとしても、私がこの学園に通う意思は変わらなかっただろう。


 ただ、私がヒロイン生活を満喫する気がないとしても、このピンク髪だけでもなんとかしたい。この世界は赤や青や金など色んな髪色があるけど、ピンク色の髪を持つ人間は滅多にいない。

 つまり、この髪色は非常に目立つのだ。


 ということで、面倒ごとに巻きこまれるリスクを少しでも回避するため、髪をこの世界では最も多い、ダークブラウンの色に染めることにした。

 ついでにヒロインと同じだった髪型を変えようと思い、なんか面倒だったので長かった髪を肩くらいの長さにバッサリと切ってしまうことにした。

 他にも、顔には度なしの丸眼鏡を装着して、空色の瞳を隠すべく、日本でいうところの濃い茶色の色付きコンタクトのようなものをはめ込む。

 身長はどうしようもないけど、胸はさらしを巻いて大きさを抑える。少し息苦しいが、万が一のためだ。


 こうして入学式の前日、改めて制服を着て鏡の前に立つ私は、どう見てもゲームヒロインの姿とはかけ離れたものになった。

 

 

 

○○○○




 この学園には二つのクラスがある。

 平民や商人出身、男爵、子爵までの比較的低位の貴族出身の子供の集う下位クラスと、伯爵家以上の爵位を持つ子が入る上位クラスだ。

 当然私は下位クラスだし、攻略対象者たちは上位クラスな上そもそも学年も違うから、何も行動を起こさなければ接点はない。


 実家は港町で食堂を営んでいる至って平凡な出なので、もしかしたらみんなには馬鹿にされるかも……と密かにびくついていたんだけど、ありがたいことにそんなことはなかった。


 なんでも特待生として入学できる生徒は非常に少ないみたいで、私の入学は実に五年ぶりの快挙だったらしい。

 だからクラスの子たちは、家庭教師もつけずに独学で勉強して好成績を修めた私に結構な熱量で話しかけてきたし、そのコツを教えてほしいとクラスのみんなが集まってきて、気付けば定期的に勉強会を開催することになった。


 にしてもみんなどうしてそんなにテンション高いんだろう……と内心不思議に思っていたら、この学園、最終卒業試験においてもしも下位クラスの全員の合計点が上位クラスを上回った場合、王家が全面的にバックアップして、良い就職先を優遇してもらえたり、婚約者がいない者にはいい条件の相手を探す手伝いをしてくれるらしい。

 勿論、人として外れていたり、普通に考えて無茶な要求は無理だけど、たとえ身分の差が天と地ほどあったとしても二人が想い合っていれば、王命という形で結ばれることも可能だと。


 どこかで聞いたことがある……どころか、まさしくゲームでヒロインが貴族の方々と結ばれるために必要な条件が、それだった。

 

 一方で上位クラスが優勝しても特に何もない。

 なぜなら幼い頃からずっと家庭教師をつけている彼らが勝つのは当たり前のことだから。逆に負ければ恥さらしなクラスだったという評価が一生ついて回るらしい。


 で、私というイレギュラーな生徒が入学してきたことによって、もしかしたら史上初の下剋上が狙えるかもと沸き立っており、結果クラスは一致団結していた。 

 上位クラスとはまだ点数は離れてるけど、時間をかければ点数の底上げは狙えるかもしれない。当然私も、勉強に熱が入る。だっていい就職先、紹介してほしいし。

 

 結果、私は自分がヒロインだったということも忘れかけ、ひたすら勉強に精を出していたんだけど、ある日それを思い出させる状況に直面することとなる。




○○○○




 それは、中庭で友人達と昼食を摂っている時だった。

 少し離れたところでキャッ! という少女の叫び声が聞こえてきた。

 なんだろうと何気なく顔を向けた私は、思わず目を見開く。


 そこには、地面に倒れている、元の私と同じピンクの髪をした女子生徒と、彼女に手を差し伸べる男子生徒の姿があった。


 ものすごく見覚えのあるイケメンに、そうか、ここって乙女ゲームの世界だったなと久しぶりに思い出した。そして、あれがどうやら攻略対象者の一人、アレクサー殿下だということも。

 この世界の、特に貴族の子息たちは、皆イケメンである。だが画面上ではなく、リアルの人物として初めて見る殿下は、そんな彼らを凌駕するほどの顔面偏差値の高さだった。


 少し長めの黄金の髪を風になびかせながら、王子様然として腰を折って手を差し出す御仁。紫とグレイが混じり合った特徴的な瞳の色は、王家にしか顕在しないもの。


 そしてこのシーン。

 紛れもなく、アレクサー殿下とヒロインの出会いの一幕だ。


「怪我はしていないかい?」

「あ、ごめんなさい王子様ぁ! ちょっと急いでいてぇ、前を見ていなくてぇ……」


 アレクサー殿下の手を掴んだ女子生徒は、べったりとした喋り方で答えて立ち上がった後も、急いでいると言った割にはなぜか殿下の手を離さず、彼を舐めるように見つめている。

 あまりに露骨な態度に耐え切れなくなったのか、殿下が口を開いた瞬間、彼女ははっとした表情になってその場でぺこりと頭を下げ、再び走ってその場から去ってしまった。


 その様子に、周囲で見ていた生徒たちの大半が唖然とする。


 アレクサー殿下はとんでもないイケメンなので、ほとんどの女子生徒が密かに想ってしまうのは、まあ仕方がないこと。

 なんだけど。

 あんな露骨な態度を、本人を前に堂々とできるのがある意味すごい。

 

 にしてもあの子、髪色といい、やりとりといい、まるでゲームのヒロインみたいだ。

 それに…………。


 アレクサー殿下がしゃがみ込むと、地面に落ちたハンカチを拾う。彼女の落とし物のようで、彼はそれをじっと見つめている。


 いやいや、これ本当にゲームと同じだ。


 ゲームでは、王子である自分にぶつかったにもかかわらず気にも留めてないようで、再び走り去ったヒロインに、アレクサー殿下は興味を持つ。

 そして彼女の落とし物を拾ったアレクサー殿下は、これを届けるのをきっかけとして、ヒロインとの恋愛を進めていく────。


 私は友人にあの怪しげな女子生徒について聞いてみた。


「ああ、あの子ね。私達と同じ一年生で、上位クラスのベレール伯爵家のご息女のデイジーよ。なぜか分からないけど、学園に入る前に急に髪の毛をピンクに染めたんだって」

「そうそう。そもそもベレール家ってそこそこ厳しい礼儀作法の家で有名じゃない? 彼女もこれまではベレールの家名に恥じない子だったらしいんだけど、急に人が変わったようになったみたい。男子生徒にべたべたしたりするから、同じクラスの女子たちからはすごく嫌われてるっぽいよ」


 なるほど、私がそうだったんだから、他にゲームの知識を持っている子が前世のことを思い出していてもおかしくない。

 じゃなきゃ、髪をヒロインに似せてピンクに染めるとか、そんな奇行に走る理由が思い当たらない。


 もしかして彼女は、ヒロインになりきり、アレクサー殿下ルートに入るつもりなんだろうか。

 まあ、私に影響がなければそれでいい。クラスだって違うし。


 ただ、アレクサー殿下に関しては、ゲームと明らかに違う部分がある。

 それは、ゲームでは極めて冷えた関係だった婚約者様と、この世界では非常に良好な関係だということ。


 しばらく殿下の方を窺っていると、一人の女子生徒が彼の元へと歩いてきた。


 アレクサー殿下と同じ輝く金の髪と、純度の高いアメジスト色の瞳。肌は抜けるように白く、この学園に通うどのご令嬢よりも美しく、佇まいも洗練されている。彼女こそがアレクサー殿下の愛しの婚約者、ダリアン公爵家のエリザベス様だ。


 アレクサー殿下はエリザベス様に気が付くと、すぐさま蕩けるような笑顔を向けた。


「リズ、午前の授業ぶりだな。昼食を一緒に摂れなくてとても寂しかったぞ」

「あら、クラスも生徒会もずっと一緒ではありませんか」

「それでもだ。だが今こうして会えて、不足していたリズ成分が補充されたよ」


 見ているだけで胸焼けするレベルの溺愛ぶりだ。二人が両思いなのは見ているだけでよく分かるけど、特に殿下からエリザベス様に漏れだすハートマークの多さは半端ない。

 正直あの二人の間に入るなんて、余程の豪胆な心の持ち主じゃないと無理だと思う。まあ、入っていったところで追い返されそうな気もするけど。


 尚も二人の動向を観察していると、エリザベス様が殿下の手にしたハンカチに気付いたようで、わずかに小首を傾げた。


「そちらはいかがされたんですの?」

「ああ、これか。いや、さっきある女子生徒にぶつかったんだが、どうやらその彼女が落としていったものらしい」

 

 その言葉に、わずかにエリザベス様の顔色が曇った。しかし殿下は愛しい婚約者の些細な変化を見逃さなかった。


「君が心配することはない。私は彼女に会っても何も感じなかった」


 すると安心したようにエリザベス様は息を吐くと、アレクサー殿下の手からハンカチを取った。


「これは私の方から返しておきますわ」

「ああ、そうしてくれると助かる。彼女は確か、一年のデイジー・ベレール嬢だ」

「やはり彼女の方が……」


 そう言ったエリザベス様は、ふと顔を上げると私をまっすぐに見据えたように見えた。

 けれどすぐに視線を戻してアレクサー殿下を伴って中庭から立ち去って行った。


 後に残った生徒は、相変わらず仲睦まじい二人だったなと口々に感想を述べていたけど、私の意識は別のところにあった。


 ゲームとは少し違って、未練たらしく殿下の手を握り続け見つめていたヒロイン(仮)。

 殿下が口にした台詞、そしてエリザベス様が呟くように言った、彼女の方という言葉。

 なにより立ち去る直前に感じた私への視線は、勘違いじゃない気がする。


 やはりあのデイジーという生徒、自分がヒロインに成り代わろうとしているんじゃないだろうか。そしてエリザベス様も、そのことに気付いている気がする。        

 当然私が本来のヒロインであることも分かっていて、けれどここまでがっつり変装して勉学に勤しみ、攻略対象者たちに全く近付かないことから、私がゲーム通りに動くつもりはないと思ってもらえているんだろう。

 いや、是非そう思っててほしい。

 ないから。あのアレクサー殿下を奪うとか、死んでもないから。


 まあとにかく、この感じだと、デイジーはヒロインに成り代わるつもりなのだろう。

 私のこの予想は、後日別の場所でとある現場を目撃したことで決定的なものになる。




○○○○




 あの疑惑の日から数日後。

 放課後、私は図書室の机を一つ陣取って、勉強に勤しんでいた。

 もうすぐ各科目で小テストが行われるので、その対策のため、ここ何日かは図書室で過ごしている。

 実はここにはある攻略対象者がおり、私としては万が一を考えて近付きたくはなかったけど、持ち出し厳禁の蔵書には勉強に役立つことがたくさん記載されている。なので仕方なく足を運んでいるのだ。 

 

 鉛筆をカリカリ動かす音と紙をめくる音だけが聞こえる張り詰めた空気は、けれど下校を告げるチャイムが鳴った途端、一気に霧散した。


 使用した本を返却したり、荷物を鞄に入れたり、各々が帰宅の準備に取り掛かっている中、それは突然起こった。


「ディラン様っ、実はその本私も読みたいと思っていたんですぅ。よければディラン様が読まれた後にぃ、私に貸してもらえませんかぁ?」


 どこかで聞いたような若干間延びした大きな声が図書室中に響き渡り、私を含めた生徒たちが一斉に声の方に顔を向けた。


 すると目に飛び込んできたのは、例のあのピンク髪のデイジーが、今まさに部屋を出て行こうと扉に手をかけたとある男子生徒に話しかけているところだった。


 女子生徒が最近悪い意味で噂のデイジーだったこと、そしてその相手がこともあろうにブリザードの貴公子と名高いディラン・パシフィック様だと知った私と図書室に残っていた生徒の皆さまは、思わずひっと息を引きつらせる。


 彼もまた、攻略対象者だ。

 ディラン様は現宰相様の息子で、将来は父の後を継いでアレクサー殿下の忠臣となって国を支える人物になると言われている。

 淡い水色の髪と理知的な濃紺の瞳を持っていて、成績は常に一位を叩き出す天才的な頭脳の持ち主。滅多なことでは感情を出さず、無駄を嫌い、常に冷静沈着で、彼の前に立つ者は思わず萎縮してしまうこともしばしば。故に裏では、ブリザードの貴公子と噂されるほど。


 そんな彼との恋愛ルートだけど、彼の態度は初期からほとんど変わらない。甘い言葉を囁いたり、照れたり、笑顔の回数が増えたりなど、ない。

 

 いつヒロインにデレてくれるのか……と懐疑的になりながらも攻略を続けていくのだが、本当に途中のほんのちょっとの場面と、最後の最後、告白シーンでわずかに笑顔が出るくらいで、ほとんどのユーザーの心が折れるだけに終わった。

 

 そんな彼との出逢いイベントは、まさしく目前で行われている通り。


 どうしても課題で必要な本があったヒロインが、とある男子生徒がそれを読んでいることに気付いて、読み終わるのを待って次に借りようと声を掛ける。するとディラン様は、「平民が急に話しかけるのは不敬だと習わなかったのか」と冷たく言い放つ……というもの。


 一応生徒同士は身分に関係なく公平だ、と学園では言われているが、そんなものが建前であることは、クラスが身分差で分かれていることからしても明白だ。

 アレクサー殿下を始めとした攻略対象者たちはそんな現状をよく思っておらず、現在官吏の職の多くを上位の貴族が独占しているところを、能力があれば身分関係なく積極的に採用すべきだと考えており、学園のクラス分けも撤廃すべきだと考えている。


 が、当然生徒の、特に上位貴族の中にはその考えを厭う者も多くおり、ディラン様はまさしくその筆頭のようなものである。その為アレクサー殿下に態度を窘められても、頑なに改めないのだ。


 だからこそ初期は、ヒロインへの当たりは台風並みに強烈。けれどもヒロインはそんなディラン様に対し、「無礼は承知しております。ですがどうしても課題を解くのにその本が必要なんです」と、物怖じせずに返すのだ。


 ディラン様は、その課題がどういったものかを尋ね、それなら奥の本棚にある別の書物の方が参考になるはずだと、なんとアドバイスをくれる。

 無礼は嫌いだが勉強熱心な人は好ましいらしく、これをきっかけにディラン様と仲良く────プレイしながら全く実感はなかったけど────なっていくという流れだ。


 そして最終的には、ヒロインと接していくことで自分がいかに穿った見方で他人を見ていたかを理解し、相手が平民でも態度を軟化させるようになる。


 この先も同じ展開になるんだろうか。

 私以外の皆も、そこから動かず動向を見守っている。


 ────いや、なにせ現場が唯一の出入り口のドアの真ん前。

 あのディラン様相手に、帰りたいからそこどいてくださいと言うわけにもいかず、否応なしにギャラリーと化してしまった私達は必然的に終わるまで待つしかないのだ。

 

 すると予想通り、否、ゲーム内で声をかけられたときの三倍は不快そうな表情を浮かべながら眉を顰めて、苛立たしい声でディラン様が口を開いた。


「身分が下の者から急に話しかけるのは不敬だと習わなかったのか。しかも親しくもない人間に名で呼ばれるなど不愉快だ。それに品のない喋り方だな。ベレール家はいつから人語を話す家畜を放出するようになったんだ」


 ゲームより数倍辛辣な台詞だった。

 ディラン様の声は全く大きなものではないが、皆が手を止め耳を澄ましていたため、よく聞こえた。


 確かにあの喋り方には物申したい感じはするけど、家畜って。


 するとデイジーは唇を尖らせ、真っ向から反論する。


「ひっどーい! この学園では身分の差なんてないはずですよね!? 差別です! しかも家畜なんて、こんな可愛い家畜がいるわけないじゃないですかぁ!! でもこれから私と仲良くしていけばぁ、あなたの凝り固まった固定観念も崩れると思いますぅ。だから安心してくださいねっ!」

「……は?」


 ゲームをしてるから、まだ私には分かる。けれど、そうでない者からしたら彼女の発言はまさしく意味不明だろう。絶対零度の御仁の口から戸惑いの一音が出たことも、何ら不思議じゃない。

 想定外の言葉に固まったディラン様を前に、ここでデイジーはようやくゲーム通りの言葉を口にする。

 

「それで声をかけたのはぁ、次の課題でディラン様の持っている本を参考にしたいのでぇ、貸してほしいなぁって思ってるからなんです!」

 

 うん、そう、確かにゲーム通りなんだけどさ。

 

 でも、本当にあの本が必要なのか。

 もっと言えば、そもそも彼女はあの本がどういったものなのか理解できているのか。


 ディラン様も同じことを思ったらしく、片眉を上げると少し意地が悪そうに口角を上げる。


「ほう、この本が必要だと?」

「はいっ!」

「なら当然、君はこの本の題名を読めるんだな?」

「勿論……」


 と、ここで彼女の口が止まる。

 そしてたらりと流れる汗。目はパチパチと頻繁に瞬きを繰り返し、その顔には明らかな動揺が見られる。


 それが全ての答えだった。


 ディラン様は失礼する、と一言溢すと、その場を後にする。そして残されたデイジーは、悔しそうに唇を噛みしめたあと、図書館の生徒達が自分を見ていたことに今ようやく気付いたのか、見世物じゃないわよ!! と叫ぶとようやく部屋を出て行った。


 予告なく起こされた嵐がようやく去り、私達も図書室から帰宅の途へ就くことができる。帰りながら面々が口にするには、やっぱり先ほどの出来事のことだった。


「彼女、最近話題の例の子だよな?」

「やっぱり? そういやぁ、この前はアレクサー殿下とお近づきになろうとして、見事にダリアン様に撃退されたらしいぞ」

「それであの方に鞍替えか。……ある意味勇気あるよな」

「勇気がなきゃ、あのバカップルで有名な二人の間に入ろうとしたり、パシフィック様に突撃しに行けないだろう」

「にしても、あの方が持ってた本って、結局なんて書いてあったんだ?」

「俺も読めなかった。どこの国の言葉だろうな」


 やはりあの文字が解読できた生徒はいないみたいだ。


 あれは海を渡った先にある大陸で使われているナウマン語。私はその大陸と取引のある港町の出身だから、たまたま分かった。

 そんなナウマン語で書かれた本の題名は、『有名職人が教える! 誰でも作れる簡単スイーツレシピ』である。


 なんかもう、色々と意外過ぎる。ディラン様が作るのだろうか。

 そういや、なんか設定で、実は甘いもの好きってのがあったな。ゲームではその設定は全くいかされていなかったけど。


 なにはともあれ、今のところ私には何の害もない。あるとするなら、彼女に攻略される予定の殿方たちだろう。


 そして、ディラン様にこっぴどくやられた彼女は、きっと次の相手とのロマンスを求めて突撃しに行くんだろうなぁとなんとなく予想がつく。


 なので、勿論そちらには近付かないように努めようと思っていたのだが。




○○○○




「アリス! 一生のお願い!! フランク様にお礼の品を渡したいから、付き合ってほしいの!」


 同じクラスの友人である、子爵家令嬢のメイニーに、放課後そうお願いされてしまった。


 ザイル・フランク様は、騎士団長のご子息様。

 銅色の髪をツンツンに逆立てた、ニコっと笑った時に見える歯がキラリと眩しいナイスガイ。バキバキの腹筋を含むムキムキ肉体を持ち、将来お父さんと同じ職に就くだけあって剣の腕は超一流。性格は大らかで、女性からの好意には鈍いけど、この人を愛すると決めたら惜しげもなく愛を伝えてくる。


 ザイル様とは、ゲーム通りだと、学園に入学前に出会うという前段階がある。 

 王都の裏通りに迷い込んでしまった際に暴漢に絡まれ、助けてくれるのがザイル様なのだ。

 その時は名前も言わずに立ち去ってしまうのだが、たまたま学園でザイル様を見かけたことで恩人が彼であると知り、その時のお礼を兼ねてお礼の品を持参して、訓練終わりの彼にプレゼントするというのが彼との学園での最初のイベント内容だ。


 勿論今回のヒロインである私はそもそもの出会いを避けるため王都に足を運ばずにおこうと思っていたが、新学期の準備等の為に買い物に行かなければならなかったので、渋々外へ出た。

 が、ヒロインの持つ引力的なもののせいか、うっかりザイル様と道で鉢合わせそうになり、さすがにこれはまずいと思って一目散に退散したおかげで、何とかその前段階のイベントは起こさずに済んだ。


 というかこのザイル様、頻繁に誰かを助ける機会に恵まれているらしく、目の前にいるメイニーを始めとした何人もの生徒たちが、彼に助けられたそう。


 正直自分から近付く真似はしたくないんだけど、まあ、他ならぬ友人の頼みだ。それにこの容姿だし、万が一もないだろう。

 そう判断して放課後、彼がいる学園内の訓練場にやってきた。


 攻略対象者たちの中では一番話しやすいザイル様は、この世界でもそうらしい。

 既に彼の周りには、たくさんのファンと思しき令嬢たちが並び、ちょうど休憩中のザイル様に様々な物を差し出していた。

 

 高級品であるチョコレートや、貴族御用達店のスイーツ店の紙袋に入ったお菓子、それに上等な生地のハンカチ等々。

 それをザイル様は一つ一つしっかりと受け取り、にかっと笑いながらお礼を言っている。

 それを見ていたメイニーは、袋を後ろ手に隠しながら、悲しそうな声色で言った。


「やっぱりこれじゃ駄目だったかな」


 彼女が用意していたのは、一冊の本だった。それは随分前に絶版になった、非常に古びた表紙の子供向けの絵本のようだ。


 メイニー曰く、彼女がザイル様に助けてもらったのは王都の図書館内だったそうで、そこで少しだけ話をした時に、子供の頃にザイル様が読んでいた絵本が話題に上がったらしい。その本を読みたくて図書館を探していたけど、見つからなかったので残念そうにしていたと。

 で、それを知ったメイニーは、その本を探し出して、助けてもらったお礼にザイル様に渡そうと思ったのだと。


 その会話はまさしくヒロインが彼との初対面イベント時に交わすもので、しかもその本ってゲーム中盤で手に入るものなので、それをこんな序盤から渡せるなんてすごいなと思って理由を聞いたら、この絵本の著者がなんとメイニーの叔父だったらしい。

 もう、彼女がザイル様ルートのヒロインでいいんじゃないかって思える。

 こんなの好感度が上がるに決まっている。


 なら、私は私の役割をさっさと果たすだけだ。


「メイニー、絶対に大丈夫だから。……とりあえず行くわよ」

「え、ちょっとま……」


 待たない。

 私は強引に彼女の手を引くと、列の最後尾につく。そして遂に彼女の番になった。


「あ、あの、ダレル子爵家の次女、メイニーと申します………」


 私はただ黙って彼女の隣に立って見守る。

 少しだけ長い沈黙が続くけど、ザイル様は待ってくれていた。そしてようやく意を決したのか、メイニーは手に持っていたプレゼントを彼に差し出した。


「これ! ……少し前に王都の図書館で、絡まれていたところを助けていただいてありがとうございます! よ、よかったら受け取ってもらえないでしょうか!?」


 それがお菓子でも刺繍したものでも、お洒落なものでもなく、ただの古びた絵本だと気付いた周囲の女子生徒たちは、馬鹿にしたように笑っていた。


 が、それも本当に一瞬のこと。


「これは……そうだ、確かに俺が探していたものだ。ほ、本当にもらってもいいのか!?」


 なんせ貰った当の本人が、今までで一番強い熱量で喜びの声を上げたのだから。


「ありがとう! だけど一体どこでこれを?」

「えっと、実はそれを書いたのは私の叔父なんです。それで用意することができて……」

「なんだって!? それは知らなかった! 別に礼などよかったのに。困っている淑女を助けるのは、紳士として当然の行いだからな。だが嬉しいよ。ありがたく頂戴する」


 気付けばそこは二人の世界になっていて、話は大いに盛り上がっていた。


 なので私はそっとその場から離れる。私だけでなく、他のご令嬢たちも、なんとなく勝てないと悟ったのか一人、また一人と立ち去っていく。


 ゲーム通りの展開……どころか、ゲーム以上の光景になっている。

 あんな最強アイテムまで出されちゃ、これは例のヒロインもどきが出てきたところで勝ち目はないだろうなと思った。


 ……と考えていたまさにその時、鼻歌交じりのピンク髪とすれ違う。

 慌てて視線を向けると、件のヒロイン(仮)がプレゼントを片手にザイル様に突撃しに行くところだった。


 が、受け取ったザイル様は何とも微妙な顔をしていた。

 基本的に何をもらっても笑顔の人なのに一体何を渡したのかとそっと様子を窺ったら、


「最強アイテムはまだ手に入らなかったんでぇ、わたしぃ、ザイル様の為に、心を込めてクッキーを作ってきたんですぅ。ちょーっと失敗しちゃったんだけど絶対に美味しいと思うので、食べてくださいね♡」


 そんな彼女の持った透明な袋の中には、ちょっとどころの失敗じゃない、黒こげの丸い何かが入ってるのが見えた。

 しかも、あのヒロインの手作りとか、食べるのが怖い。


「あ、ああ、ありがとう」


 受け取り拒否したいだろうけど、そうはいかないだろうなぁ。彼の性格的にも。

 これがあの冷徹貴公子様ならバッサリいきそうだけど。


 受け取ってもらって満足したのか、彼女は再び鼻歌交じりでどこかへと行ってしまった。


 で、その後の展開はというと。

 あれ以来メイニーとザイル様との仲は急速に発展し、わずか一か月で二人は婚約者になってしまった。


「良かったわね、メイニー」

「あの時アリスに一緒に来てもらってよかった! 一人だったら絶対に渡せなかったもの。それに、今度一緒にデートすることにもなって……!」


 いつも凛として綺麗なメイニーだけど、ザイル様の話をするときは可愛い乙女になる。恋ってすごいなぁと思いながら、二人のデートの行き先を尋ねると、彼女はそれはもうふにゃっとした幸せそうな笑顔で言った。


「ザイル様のおうちで一緒に筋トレするの」


 ……うん、恋って本当にすごい。




○○○○




 さて。

 という訳で、デイジーが攻略できる相手は実質一人に絞られたはずなんだけど。


 彼女の最後の標的は、アレクサー殿下の弟、ウィリー殿下だろう。私の一個上の学年の彼は、アレクサー殿下が王位を継ぐと同時に王位継承権を捨てて平民となり、商会を創設する。

 ヒロインは彼と共に商会を大きくしようと尽力し、その商会は遂には我が国を代表するほどの巨大なものになるのだ。


 勿論ウィリー殿下も容姿端麗だ。

 肩で切り揃えられた金の髪と紫グレーの瞳は実兄と同じ色合い。あまり貴族らしくない性格で、非常にフットワークが軽い。


 この頃から将来を意識しているようで、王族という立場を使って様々な角度からアプローチして人脈作りに勤しんでおり、とにかく忙しく動き回っている。


 彼との初対面イベントは、後に彼が立ち上げる商会に引き込む予定の生徒との会話を偶然聞いたヒロインが、その時話題に上がっていた商品について詳しい知識を持っており、それを話すことで徐々にウィリー殿下に興味を持ってもらうというもの。


 その商品というのも、他の大陸からもたらされる香辛料であったり、国の僻地で作られているワインだったり、はたまた蚕から作られる絹糸だったり、果物だったりと、その時によって違う。攻略本曰く、三十種類のうちのどれかについて、らしい。

 ゲームだったらそれこそ本を片手に正解の選択肢を選べばいいだけだけど、リアルではそうはいかない。 

 大体ワインの種類について細かく話すとか、勉強してないと普通に無理。そんなのばっかりなのだ。

 しかし正解が続けば徐々に彼との親睦は深まっていき、最後はヒロインを自身の商会に誘い、彼の片腕となって世界を飛び回るというエンディングになる。

 けれど答えを間違えるとその場で攻略不可になる。


 攻略する気のない私には端から関係ないけど。


 だけど私の引きが強いせいか、そんなウィリー殿下と自称ヒロインの初対面シーンに、またもや私は遭遇してしまった。


「それってもしかして、東アズール国でしか作られていない物のことですかぁ??」


 食堂でランチ中、二つ向こうのテーブルにウィリー殿下を中心とした集団が座ったのを見て、まさかなと思ってたけど、そのまさかだった。


 席はどこもほぼ埋まっているので今更移動できないし、仕方なくお皿の上のバジルチキングリルを細かく切って咀嚼していたら、彼女がやってきたのだ。


 そして彼らの後ろでさりげなく聞き耳を立てていた────そう装っているけど、実際は盗み聞きしていると丸わかりだった────かと思うと、急に鼻息荒くどや顔になって、例の生クリームにキャラメルとチョコソースをこれでもかと掛けたような甘ったるい声で、ウィリー殿下達の会話に割り込んでいった。


 その相手が、今学園で話題を攫っているデイジー・ベレールだと分かった瞬間、全員が何とも言えない表情を浮かべる。


 デイジーは今、ものすごく失礼な振る舞いをしているのだが、それでもウィリー殿下はそれを咎めることなく、それよりも彼女が口にしたことの方が気になったらしく、余っていた椅子に座るよう勧めた。


「君はベレール家のデイジー嬢、だよね。ところでさっきの話なんだけど、君は彼の国のその商品について詳しかったりするのかな?」


 どうせ視界に入らなくても声はめっちゃ聞こえるし、こうなったら最後まで見届けようと決めた私は、食事の手は止めずに様子を窺う。

 まあ、同じテーブルの友人たちは端から見物する気満々だったようで、随分前からフォークとナイフが動いていない。私たち以外の周囲の生徒も似たようなものだけど。


 そんな周囲の視線を知ってか知らずか、くねくねした動作で座ったデイジーは、ウィリー殿下の言葉に、鼻の奥を膨らませて満面の笑みで答えた。


「勿論ですよぉ! だってウィリー殿下の質問に対する受け答えは、説明も含めてぜーんぶ頭に入ってますから」

「何が頭に入ってるって?」


 意味が分からず首を傾げたウィリー殿下に、慌ててデイジーは何でもないですと返す。


 そしてデイジーは話題を変えるように、彼の質問への回答を饒舌に語り始めた。


 東アズールはここよりもはるか遠くに位置する、冷涼な気候が特徴的な国だ。

 だが、その気候だからこそ作れる、特徴的なアイスワインと呼ばれるものが存在する。

 たまたま凍って使えなくなった葡萄で造ったことにより生まれた、偶然の産物。

 確かに甘くて極上の味わいだが、ワインとして売るにはどうだろうと造った側が考え、葡萄が凍るほどの気候の時にだけ、自分たちが楽しむように作っているのだ。


「アイスワインっていう名前らしいですよ! まだどこも知らないワインですし、もちろん知名度はぜーんぜんないんですけどぉ、ものすごーく美味しいから、絶対に売れると思うんですよねぇ。しかも今のところはそこ以外で作ることが難しいしぃ」


 喋り方は相変わらずだけど、言っている内容は一見するとまともに聞こえる。


「もし殿下があれに目をつけているようだったらぁ、早めに交渉しといた方がいいと思いますよぉ?」


 だが、彼らの表情は固い。それどころかうさん臭そうな目でデイジーを見つめている。

 その理由が分かっている私は、ハートマークを乱舞させて見つめるデイジーにこっそり同情の視線を送る。


 沈黙が続く中、それを破ったのはウィリー殿下の突き放すような冷たい声だった。


「君に助言を求めたのが間違いだったみたいだ。時間を取らせてすまないね。そろそろ昼休みも終わる頃だし、僕たちは戻ろうか」


 そう言い残すと、一行は席を立ち、足早にカフェテリアを去る。


「え、ちょっとぉ、待ってくださいよぉ!! 私ぃ、めっちゃちゃんとしたアドバイスしたのに、なんでそんなに冷たいんですかぁ!?」


 予想とは違うウィリー殿下の反応に、慌てた様子でデイジーが追いかけて行った。


「……ねぇ、薄々勘付いてはいたけど、彼女って頭がずいぶん残念なのね」


 残った食事を急いで、でもあくまでも優雅に口に運びながらの友人からの言葉に、私は苦笑いを浮かべながら同意する。


 なぜなら、彼女がしたり顔で語ったアイスワインの話。

 確かに製造方法は合っているし、大変希少価値も高い代物だけど、あれの生産地はこの国の北側である。 

 そしてゲームでは、ヒロインとウィリー殿下がその土地を持つ領主の元へ行って、そのアイスワインを定期的に製造してくれれば全て自分たちが買い取ると領主に告げ、やがて蜜を濃縮したような極上の味わいのワインの虜になった貴族たちによって、その名が知れ渡っていく……という流れだった。


 が、この世界では既に、ダリアン家によって名前が知られつつあった。それは殿下の婚約者であるエリザベス様の生家であり、多分、彼女もゲームの知識があったから、それを利用したんだろうなと思う。ましてその北側の土地の中には、ダリアン家の領地の一部も含まれているのだから。


 一方の東アズール国は、東の海を渡った先にある大陸の半分を占める大国だ。

 温暖な気候が特徴で、そこで作られているのは質の高い香辛料だ。中でも特に、黄金胡椒と呼ばれる物は、その名の通り、まるで黄金のような煌めきを持ち、香りも他とは段違いだが、決して他国には流出せず、全て東アズール国の王族にのみ献上されていた。


 このことはゲームをしてるからこそ知っていることで、他国と鎖国気味なあの国の黄金胡椒のことは、他の人たちも詳しくは分からなかったのだ。ゲームではその情報を足掛かりに東アズール国との交渉に乗り出すんだけど。

 おそらくウィリー殿下もそこを知りたかったのだろう。

 

 なのにデイジーは、我が国の特産品のことも知らなければ、東アズール国そのものについても知識が間違っている。

 黄金胡椒はともかく、気候や国の規模くらいは、一般常識として生徒が皆知っていることだ。

 しかし、あれだけ自信満々に覚えてるって感じだったのに。覚えるならきちんと記憶しててほしいもんだ。

 

 これでデイジーは、全ての攻略者との最初のイベントに失敗したことになる。


 ということはイコール攻略失敗ってことになるのだろうか。少なくともゲームではそうだった。

 

 けれどやっぱり私には関係ない。これで彼女も少しはおとなしくなるだろうか。

 そしてこのままゲームとか関係なく平穏な学園生活が送れるといいな、なんてこの時は呑気に考えていた。元々自分から首を突っ込んではいないから、平穏だったと言えば平穏だったんだけど。




○○○○




 気付けば季節は夏へと変わっていた。


 私は相変わらず勉強に忙しく、何とか成績トップの座を保ち、クラスの子達とも仲良くやっていた。

 幸せ絶頂のメイニーや他の婚約者持ちの友人からも、誰かいい人いないのかとか言われるけど、こちとら色恋に割く余裕はないし、平民の私は貴族の子たちと違って差し迫った結婚をする必要もないので、適当に流している。


 で、デイジーだけど、往生際が悪いようで、攻略対象者達にめげずに食らいついているようだ。


 まず狙ったのはお相手がいないディラン様だったけど、あまりの絶対零度ぶりに、デイジーの精神が耐えられなかったらしく、いつの間にか姿を現さなくなった。


 次にウィリー殿下だけど、なんとエリザベス様の助言で、ゲーム時より早いこのタイミングで王位継承権を放棄して、商会設立の準備のため学園を辞めてしまった。

 これにはさすがのデイジーも彼の攻略を諦めざるを得なかった。


 次にアレクサー殿下とザイル様に狙いを定めたけど、そもそも想い合っている婚約者のいる二人への接触は難しい。迷惑だから近付かないでくれとそれぞれから、公衆の面前で宣言されていた。


 そのどれもこれもに、私は傍観者としていたんだよね。

 これが本来のヒロインへのゲームの強制力とでも言うのだろうか。


 ディラン様の時は、毎回、凍える視線を浴び続けるデイジーを見る羽目になる私の心臓も凍えそうになった。私に向けてじゃないと分かっていても。


 後の二人に関しては、結構手厳しいことを言われ、涙目になりながら立ち去っていくデイジーを、自業自得だけどまあ他に誰かいい人を見つければいいのに、そんなに可愛い顔してるんだから、と思いながら眺めていた。


 そうしてそれからぱったりと、デイジーの突撃行動が止まった。


 ああ、ようやく諦めたのかなと何気にほっとしていたある日、私はそれを見つけた。


「手紙……?」


 移動教室から帰ってきて机の中に教科書をしまおうとして、さっきまではなかった白い封筒を発見する。


 宛名は私。差出人の名前はない。なんだろうと思いながら開けると、中には一言。


『放課後、裏庭の東屋で待っている』


 とだけ書かれていた。


 なにこれ、どうしよう……と頭を悩ませていると、メイニーがいつの間にか背後にいて手紙を取られてしまう。


「えー、これってもしかして、告白じゃない!?」


 さすが、現在恋愛真っただ中のメイニーだ。即座に恋愛イベントの可能性を示唆してきた。


「でも、差出人の名前がなくて」

「きっと照れ屋なのよ! 素敵じゃない、手紙で呼び出して告白なんて、ロマンチック!! 字も綺麗な方だし、一度会ってみたらどうかしら」

「うーん」


 今の私はこの見た目だ。取り柄と言えば勉強ができるだけの平民少女。告白してくるようなそんな奇特な人がいるのか。


 しかも話の内容も書いていなくて名前もないなんて、普通に考えて怪しいんじゃ……。

 悪戯の可能性が高いし、もしかしたら私の前世を察した誰かからの手紙かもしれない。


 だけど、もしも悪戯じゃないとしたら?

 本当に人が待っているかもしれない。何にしろ確認はした方がいい。ちなみに告白の可能性は一ミリも考えていない。


 というわけで、私は手紙に書いてあった場所へ、放課後出向くことにした。


 結果的に言うと、勿論メイニーの想像する告白的なラブイベントではなかった。


「アリス・メイト! あなたにお話があるの」


 東屋の中にピンクの髪が見えた時、正直帰ろうか悩んだ。

 

 何故に? いや、ゲームヒロインのデフォルト名を持つ私に、何らかの接触があってもおかしくないと思っていたけど、このタイミングで一体何を言いたいのか、という意味での何故に、である。

 だけどここで逃げたってずっと付きまとわれそうな気がしたので、浮かない気持ちを抱えたまま東屋へと足を向ける。


 そして今、私の名前を呼び、思いっきり睨みつけてきている少女は、間違いなくデイジー・ベレールだった。


「それで、何の用ですか?」


 出来たら早く終わらせてほしいけど、長引きそうだし、なんか嫌な予感もするなと思いながらそう尋ねると、彼女は序盤から突っ込んできた。


「そんな地味な見た目だから全然気付かなかったわ!     

 単刀直入に聞くけどあなた、私と同じ転生者でしょう!? しかもゲームのことも知っている」


 しらを切るべきか、肯定すべきか。

 当然私は前者を選んだ。


「一体何のことですか?」

「しらばっくれないでよ!!!」


 結果、彼女が怒り狂うことになった。


 うん、これで彼女が前世の記憶持ちで、ゲームの世界とここが同じだと知っているのは確定だろう。

 さて、ここからどうしようか。ずっとのらりくらり誤魔化すか、正直に話すべきか。

 けれどどっちにしても、彼女の怒りの火に油を注ぐことには変わりないだろうな。

 対応を決めきれず黙っている私だったけど、私が喋らずとも彼女は一人で色々話してくれた。


 デイジーが前世を思い出したのは、やっぱり彼女の奇行が始まったと言われる、入学前の時期らしい。

 名前も生まれもヒロインとは違うけど、ゲームの記憶があるなら自分がヒロインになれると思って、見た目も真似てみた。

 そして入学式で、強烈なピンク髪の見た目のヒロインの姿がないと思ったデイジーは、これは本格的にヒロインの座は自分のものだと思い、まずは一番好みだったアレクサー殿下を狙ったそうだ。


 けれど、ゲームでは険悪だったはずのエリザベス様とはラブラブで取り付く島もなく、他の三人を好きだった順に攻略していったけどどれも玉砕。


「あのエリザベスの中身も絶対に同じ転生者だと思うの。だからアレクサー殿下との恋が進まないのよ! だけどそれ以外も進展しないなんておかしいじゃない!? だからあたし調べたの。そしたら、ヒロインがデフォルト名でこの学園に入学してるって分かったの!! しかも、本当はピンクの髪なのに、染めてるんでしょう!? そんなくそだっさい格好してるから、すぐに分からなかったけどね!」


 そうまくしたてると、彼女は私にびしっと指を突きつけた。


 まあ、くそだっさいは否定しないけど。


「はあ。言っていることはよく分かりませんが。それでなぜ私を呼び出したんですか」


 彼女の話を聞きながらしらを切り通すことに決めた私は、用件を尋ねる。あまりいいお話ではないようだなと考えていたけど、私はもっと彼女を警戒すべきだった。


 ヒロインになりきって髪の毛染めちゃったり、高位貴族の面々に突撃しちゃったり。ここはゲームと同じ世界観とはいえ、私たちにとっては現実だというのに。

 それを理解できないくらい、デイジーはヤバイ奴なのだ。


 デイジーはニヤリと悪魔のような笑みを浮かべると、


「つまりね、あたしは考えたのよ。ヒロインのあんたがいるから、あたしはうまくいかないんじゃないかってね。じゃあ、あたしが本当のヒロインになる為にはどうしたらいいのか。……簡単だわ。あなたがいなくなってしまえばいいのよ」


 そして懐から取り出したものを見た時、私は彼女の狂気をようやく理解した。


「死ねーっ!!」


 そう叫んで、彼女は手にした短剣を振りかざし、鬼気迫る表情で私に襲い掛かった。


「ま、え、嘘────っ!?」


 間一髪横に逸れて攻撃を避ける。


「躱したわね?」

「当たり前じゃない!!」


 なぜ避けたのか分からないという表情をされ、私は思わず叫ぶ。 

 これは本格的にまずい。私には護身術なんてできないし、武器を手にした彼女を倒すなんて無理。とにかくこの場を収めてもらおうと説得を試みる。


「ねえベレールさん、こんなこと間違ってるわ! 仮に私があなたの言っていたヒロイン的なものだったとして、私がいなくなったらあなたの好きな人とうまくいくなんて保証はどこにもないわ!?」


 けれど、頭に血が上り切った彼女は、言葉が通じる相手ではなかった。


「許さない、許さない、許さない……」


 血走った瞳で私を見つめる彼女に既に理性はない。

 怨嗟のこもった声で再度短剣を振り上げる彼女への説得を諦めた私が取れる方法は、ただ一つ。


 この場から逃げる────!


 彼女を背にし、私は全速力でそこから離れる。

 だけど私を抹殺しようと本気で思ってるデイジーが勿論諦めるはずもなく。


「待ちなさい!!」


 声にちらっと振り返ると、鬼のような形相で追いかけてきているのが分かった。


 ヤバイ、あれマジで刺す気満々じゃん!!

 というか、普段から人気がほとんどない裏庭の最奥に呼び出すなんて、最初から私を襲う気だったんだろう。

 今更ながら、私は自分の迂闊さに後悔していた。


 が、過去を振り返っても後の祭り。今はこの状況をどうにかしないと!


 とりあえず助けを求めよう! けどこのまま校舎に向かったら無関係な生徒まで巻き込むかもと考え、ここからそう遠くない裏門近くの警備室に足を進める。彼らなら、デイジーを止めてくれるだろう。

 だけど目的地に辿り着く前に、木の根っこに気付かずそれに足をとられ転んでしまう。


 まずい、そう思った時には、既にデイジーが私に向かって思いっきり短剣を振りかぶっているところだった。


 あぁ、こんなところで私の人生は終わるのか。せめて来世は、乙女ゲームとか転生とか関係ない人生を生きたいなぁ。むしろどうせ死ぬならヒロインとして誰かと恋愛しとくべきだったのかな……そう思いながら、この世を手放す覚悟を決めた私が顔を手で覆って目を瞑った時だった。


「何をしている!」


 頭の上から、聞き覚えのある氷を纏ったような低く澄んだ声がしたかと思うと、ぎゃん! というデイジーの声と共に何かがどしんと地面に倒れる音が聞こえた。


 一体何が起きたのか。

 手は顔から離さずに恐る恐る指の隙間から覗いてみると、まず飛び込んできたのは地面に伸びているデイジーの姿。一瞬死んでる!? って思ったけど、よく見たら体がわずかに上下してるから、気絶してるだけのようだ。


 そして。


「おい、大丈夫か!?」


 屈んでくれたのか、今度は耳の近くでさっきの綺麗な声がする。危険がなくなったんだと知った私は、ここでようやく手を外して声の主を確認すると、驚愕して思わず目を見開く。


「あ、なたは」


 道理で聞いたことがあったはずだ。

 前世ではゲームの中で、今の世界では図書室でのデイジーとのやり取りで散々耳にした。


 そこにいたのは、いつも凍てつく氷を纏っているディラン様だったのだから。

 だけど、いつもとは少し様子が違う。

 光を反射してキラキラ輝く水色の髪は汗で額に張り付いているし、普段は冷たさが際立つ濃紺の瞳には気遣いの色が宿っている。無表情がデフォルトの冷静沈着さが特徴の彼だけど、今の彼にはそんな様子は微塵も感じられなかった。


「よかった、見たところ外傷はなさそうだ。間に合ってよかった」


 彼は私の全身を目で見て確認すると、安堵したようにほっと息を吐いた。


 と、ここでようやく私は状況を把握する。


「あ、あのもしかして、私を助けて下さったんでしょうか……?」

「ああ。叫び声が聞こえたから何事かと思って見に来たら、ちょうど君がそこの人に襲われそうになっているのが見えたから」


 本当に、もう駄目だと思っていた。そもそもこの辺りは人が滅多に来ないところだし、転んだ時点で終わったと半ば諦めていたのに。

 それでも、運が味方したのか、神様が私を憐れんでくれたのか分からないが、とにかく私は助かったのだ。


 私は立ち上がると、慌てて頭を下げる。


「おかげで助かりました。ありがとうございます!」


 すると彼も立ち上がり、軽く肩をすくめると、


「体術に自信はなかったが、何とかなってよかった」


 そう言って、一瞬ふわりと笑ったのだ。


 その顔に、私の心臓がドクンと高鳴る。 


 え、なにその表情!? ゲームでも見たことなかったんですけど……というか、勿論この世界でも拝んだことのないご尊顔なんですけど!?


 けれどもすぐにディラン様の顔はいつもの見慣れたものに変わってしまった。


「とにかく、これは立派な傷害事件だ。早急に彼女を引き渡そう」


 そしてディラン様に、自分が見張っているから誰か呼んできてくれと言われ、私はその言葉に従い急いで最初に向かうはずだった警備室に向かう。

 

 走りながら、そういえばなぜ彼がこんなところにいたんだろうと思案する。


 デイジーが最近は現れていなかったとはいえ、読書に集中できないから人気のない裏庭にでもいたのだろうか。

 確かに本を読むのにはいい環境だ。例えば今目の前にある大木の根本らへんなんて、良い感じに影もあって、今の季節なんてまさにうってつけの……と思ったのは私だけじゃなかったみたいだ。


 なぜならそこは既に先約があるらしく、数冊の本が積まれていたから。なかなかいいセンスの人がいるななんて、通り過ぎる間際、何気に本の横の鞄の辺りをちらりと目にして、思わず目を丸くして足を止めそうになる。


 この学園の鞄には、貴族の人間であれば鞄にその家の紋章が刻まれる。そして、目の前のそれにあったのは、まさしくパシフィック家の印だった。

 それは別にいい。私が釘付けになったのはその隣だ。


 ホイップクリームがふんだんに使われたフルーツサンドに、チョコが散りばめられたクッキー、宝石のように色合いの美しいマカロン、などなど。

 蓋の開いた大きなバスケットの中には、そんなたくさんのお菓子が、ぎっしりと詰め込まれていたのだ。 

 そして、地面には食べかけのサンドイッチが落ちていた。

 

 そう言えば、最初にデイジーに絡まれていた時に持っていた本は他国のお菓子のレシピだったし、さっき置いてあった本も、言語関係なくスイーツに関するものばかり。

 けれど、彼がこんなに甘いものが好きなんて、ゲームでもちらっと言葉で出てきただけだし、現実でも聞いたことはない。

 つまりディラン様は本当にお菓子が好きで、ここでこっそり食べていたとか……?


 ということを走るスピードはそのままほんの数秒ほど考えたが、今はそれどころではない。ただ、彼の至福の時間を邪魔してしまったのなら申し訳ないと思いながら、警備の人たちを連れて急いでディラン様の元へ戻る。


 幸いまだデイジーは起きておらず、彼女は気絶したまま、荷物のような扱いで警備の人たちに運ばれていった。


「お二人にも事情をお伺いしたいので、一緒に学園長の元へ来ていただけますか?」


 私は当事者だし、そりゃそうだろうなと思ったけど、ディラン様はただその場に居合わせただけで関係ない。私だけではだめですかと尋ねようとしたけど、それよりも早くディラン様が同意した。


 そして荷物をまとめて再び戻ってきた彼と一緒に学園長のいる部屋へ呼ばれた私は、事情を説明する。


 私の立ち位置は、乙女ゲーム? 転生? ヒロイン? なんか急に意味の分からないことを言われて襲われたので困惑してます……である。


「何とも珍妙な話だ。ちなみになぜベレール君は、君がその……ヒロインとやらだと思ったのかな?」


 学園長も訳が分からない、という感じで首を傾げる。なので私も困惑した表情で答える。


「そのヒロインさん? と、私の名前が同じだったようです。それから、私の本来の髪の毛の色もその証拠だと仰っておりました」


 どうせデイジーが意識を取り戻したら、私が本当はピンクの髪の毛で、だからそれがヒロインの証明なんだ、と言われそうだ。後から、それは本当なのかと確認されたり、それで逆に疑われても面倒なので、自分から話すことにした。


「本来の私の髪は、今のベレールさんのようなピンクの色なんです。ですが、そのような髪色の方はほとんどいらっしゃらないですし、悪目立ちするのも嫌でしたので、入学前に今の色に染めたんです」


 嘘は言っていない。

 正しくは、ヒロインとして面倒ごとに巻き込まれたくないから、だけど。


 それからディラン様にも状況を確認し、今のところは、妄想に取りつかれたデイジーが起こした傷害事件として話を進めるだろうと学園長から言われた。

 そもそもデイジーの男子生徒への付きまとい等の問題行動は学園長の耳にも届いており、何かしらの処分を下した方がいいと判断された矢先での出来事だったそうだ。


 解放された頃にはすっかり外は暗くなっていた。


 ディラン様が近くにいたのは、やっぱり私がヒロインとして、攻略対象者を引き寄せる性質を持っているからなのかもしれない。普段は疎ましいと思っていたけど、今となっては良かったと素直に思えた。


 まあ、ヒロインじゃなかったらそもそもデイジーに襲われる、なんて危険なこともなかったんだけど。

 それでも助かったのは事実だ。


 私は改めてディラン様に向き直ると、深々と頭を下げる。


「本当にありがとうございました。パシフィック様がいらっしゃらなければ、今頃私はここにいなかったと思います」


 この世界の死は、前世と同じ死だ。ニューゲームもコンティニューもできない。今更ながらそのことに気付いて、思わず背筋がぞくりと寒くなる。


「気にするな。君は寮生だったな。送っていこう」

「そんな、そこまでお手を煩わせるわけには」


 そんな私の言葉を無視して、ディラン様はさっさと歩いて行ってしまう。抵抗を諦めた私は、慌てて彼の後を追いかける。私が追い付いたのを確認すると、ディラン様はすぐにスピードを落として私に合わせる。


 ちらりと見える横顔はやっぱりゲーム通り、冷たい冬を纏わせたような美しさで、しかも平民なんてお呼びじゃないっていう選民思考の持ち主だから、いつもだったらひょえー怖いーってなってたんだけど。

 半日一緒にいて感じたのは、どうもゲームとは印象が違うなということだ。


 学園長の部屋に行く前に、もしかしたら怪我をしてるかもしれないと保健室に連れていってくれて、何度も、どこか痛くないか確認してくれた。


 そこからの移動中も、学園長の部屋でも、表情はいつも通りだけど、ずっと気遣うような視線を向けてくれていた。


 乙女ゲームのディラン様の攻略ルートでさえ、そんなシーンは最後の告白のシーンも含めてほぼ皆無だったというのに。しかも私は彼を攻略していない。

 平民の私にこんなに優しくするなんて、なにか裏でもあるのだろうか……と訝しく思った気持ちが、ふと口から飛び出していた。


「パシフィック様は下位の立場の人間を厭う方だと思っていたのに」

「ああ」


 それに気付いたのは、心の内のひとりごとにディラン様が反応したから。

 やばい、と思って慌てて口を塞いで怯えながら足を止めてディラン様を見上げると、相変わらずの冷たい美貌が少しだけ陰っている。

 彼は私からあえて視線を外すように窓の外に目をやると、形のいい唇を噛む。

 

「情けない話だが君の言う通り、私はつい最近まで、高位の貴族こそが国の中枢を担うのがふさわしいと考えていた。だから君のような爵位を持たない平民は、どうせ何もできないのだから、学園に通って無駄な勉強をせずに私たちにおとなしく守られていればいいのにとさえ思っていた。だが君が入学し、明らかに状況が変わった」

「そう、なんですか?」


 自覚はない。首を傾げると、そこでこちらに目線を向けたディラン様は、わずかに口元を緩めながらゆっくり頷いた。


「平民や下位貴族は、本気で上位を狙おうと勉強やそれ以外にも力を入れ、これまで胡坐をかいていた上位貴族たちも、このままでは逆転されると努力を始めた。結果、君の学年の生徒は皆やる気に満ち溢れ、気付けばクラスも身分の垣根もなく、時には互いの意見を交換しながら本気で実力を競い合っている。しかも、皆とても楽しそうにな」


 そういえば。

 まだ入学して間もない頃、入学後初めて行われたテストで、学年一位の成績を取った時。

 廊下に貼り出された上位成績者のほとんどを上位貴族が占める中、一番上に私の名前があったのを見つけた同じクラスの面々は、そりゃあもう褒め讃えてくれた。

 頭がくしゃくしゃになるからやめろと言っても、すごいすごいと撫でまわし、挙句胴上げまでされてしまった。


 だが、そんな私のことが気に喰わない上位貴族の面々に呼び出され、平民のくせに生意気だとか、女のくせにでしゃばるなと恫喝された。


 もちろん、箱入り貴族のボンボンたちの脅しに屈するはずもなく。


「うっさいなぁ、別に嫌味言ったり嫌がらせして私を辞めさせてもいいけど、そうなるとあなた達は私に実力で勝てなかったということになる。悔しかったらあなた達が馬鹿にしている私にまずは勝ってから文句言いに来いよ」


 的なことを言って、ダッシュでその場は逃げた。


 それから、私を疎んでいるはずの上位貴族たちは面と向かって文句を言ってくることはなくなり、代わりに彼らの成績が跳ね上がった。

 だけど私達も負けてられないとばかりに努力を重ね、以降ますますクラスの面々の勉強に熱が入り、テストでは上位に食い込むクラスメイトが増えた。


「君たちの様子を見ていて、自分がいかに狭い価値観に縛られていたかを痛感させられた。これまで散々、アレクサー殿下に言われていたにもかかわらず、ようやく私はそのことに気付いたんだ」


 冷徹だと言われた顔に春の雪解けのような柔らかな笑みを浮かべながら、一歩踏み出して私との距離を縮めこの言葉を発する場面、すごく覚えがある。

 いや、考えるまでもない。これは、ディラン様のルートの中盤のシーンだ。


 なぜこんなことになった。

 私は彼との接触はこれが初めてだし、攻略する気もなかったっていうのに……!


 この後の展開は、よかったら友人になってくれないかと彼にお願いされ、承諾すると彼との段階が一つ進む。


 そして予想通り、ディラン様は私に友人になってほしいと告げた。


 さて、どうすべきか。


 今の私は見た目もゲームとは違ってるし、すべてがゲーム通りに進んでいるわけでもない。少なくとも私が襲われることも、ディラン様に助けられることもなかった。


 そもそも、私が彼と友人関係になったからと言って、本当にゲーム通り、恋人になるかは分からない。いくら今、彼のルートと同じ出来事が起こっているとしてもだ。

 それにディラン様にも好みはあるだろう。アレクサー殿下がエリザベス様とラブラブなように、ザイル様が友人と婚約関係になったように、ゲームとは違う展開になる可能性の方が高いんじゃないか。


 というか、私はヒロインだから自分が好かれるかもっていう前提でことを進めるのって、なんかちょっと痛い奴だ。


 色々思考を巡らせた結果、もう面倒くさくなって結局思考を放棄し、自分の感情に素直に従うことにした。


「私で良ければ、ぜひ」


 友人が増える。ただそれだけだ。何を躊躇することがあるのか。

 私は最近覚えた淑女の礼で、彼の言葉に返した。




○○○○



 

 予想していた通り、デイジーは頭がおかしくなって生徒を襲ったとして、退学処分になった。けれど彼女の生家はデイジーの引き受けを拒否。そのまま辺境にある最も厳格な修道院に送り、生涯幽閉されることになったらしい。


 そして私とディラン様はというと。


「今日はこれを作ってきたんです」


 裏庭で待ち合わせをして、手にしたバスケットから芋けんぴ的な物を取り出すと途端にディラン様の目が輝いた。


 最近はこうして、スイーツを作って彼に持っていくのが日課となっている。


 きっかけはやっぱりあのデイジーの事件だった。

 

 助けてもらったお礼をさせてほしいとお願いをしたけど、ディラン様は頑なにそれを拒否。

 で、前に図書館で借りていたお菓子のレシピ本と、全く攻略にもシナリオにも生かされていなかった彼の好物を思い出し、試しにナウマン地方のお菓子なんてどうですかと聞いてみたら、ものすごく興味津々な瞳で、驚いた顔をされた。


 なので、実は前にディラン様が彼女に絡まれてる時に持ってた本の題名がそれだったので、と正直に言ったら、唇をもごもごさせながら顔を赤らめ、視線を逸らすという、これまでに見たことのない表情を見せたのだ。


 やっぱりディラン様は相当なスイーツ好きらしく、あの時裏庭にいたのも、実はこっそり大好きな甘いものを誰にも見られないところで食べたかったからだ、と告白された。

 しかも、自分で作ったりもするらしい。


「俺のような見た目の人間が、女性が好むスイーツが好物なんて、恥ずかしいだろう」


 耳まで真っ赤にさせて頭を掻くディラン様に、内心胸がきゅんとする。

 何これ、めっちゃこの人可愛いんですけど!?


 なんでこのシーンをゲーム本編に入れなかったんだと心の内で吠えまくりながら、


「そんなことありません!! 好きなものを好きで何が悪いんですか!? 逆に女性だからと言ってみんながみんなお菓子とか宝石とかドレスが好きとか、そんなこともありませんからね!」


 現に、メイニーは婚約者に影響されたのか、最近の好みは筋肉を作る為のたんぱく質が豊富な鶏肉だって豪語してたし。ちなみに甘いものは、脂肪になるからあまり摂らないようにしている、とも言っていた。

 私だって、甘いものよりもどちらかと言えばしょっぱいものとかおつまみ系が好きだ。

 

 だから男性のスイーツ好きなんて、恥でも何でもない、そう力説したら、ぽかんと口を開けてたっけ。

 その顔すらイケメンだったけども。


 という経緯があって、ディラン様は男だから甘いものを食べるのは恥ずかしい、という考えは間違っていると自覚し、それからはあまり気にせず、学園のカフェテリアでも普通に甘いものを食べるようになった。


 まさかあのブリザード貴公子様が、恍惚とした笑みを浮かべてショートケーキをほおばってるなんて……と、はじめは何か恐ろしいものを見たという感じで皆が動揺してたけど、そのうちそれにも慣れ、貴族第一主義でなくなったこともあって、むしろ親しみやすいと、彼にスイーツを献上しに行く生徒が増えたそうだ。

 

 私は献上しに行く……というか、お礼でお菓子を作って何度かディラン様に渡していたんだけど、そうすると、そのお礼に、と、今度はディラン様が手作りの甘さ控えめスイーツをくれるようになった。


 そのまたお礼に……とやり取りを重ねるうちに、気付けばこうしてお互いのお菓子を食べて感想を言い合う、という流れができたのだ。


 しかし、あくまで私達は友人である。私は絶対にヒロインになんてならない。そう決めているんだけど。

  

 ゲームとは違い甘やかな微笑を浮かべて甘いものを頬張るディラン様を見てうっかりときめいてしまう私が陥落してしまうのは、そう遠くない未来である。


お読みいただきありがとうございます!

この話は、元々長編用に書き上げていた前半部分を短編に作り替えたものになんですが、折角書き上げたので、長編も加筆修正してそのうちあげてみようかなと思っています。

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― 新着の感想 ―
東アズールの話、訳がわからん。 アイスワイン?香辛料? 結局、寒い国?暖かい国?
ヒロインに転生した側の作品が大好きなので、全部読みました。 作品を最後まで読んだ感想は、もっとヒロインを深く掘り下げて欲しい、ラブロマンスがもっと欲しいという事でした。というのも、書かれている内容がデ…
面白かったですわ。 長編もぜひ、と思いましたけれどあのヒロイン(仮)も登場致しますよね。 あの方シンドイですわね。ww
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