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31話 三つ巴の戦い(6)

 新 零(あらた れい)は大天才である。その頭脳の良さは零が子供の頃から発揮されていた。小学六年生で微分法や極限について理解し、将来の夢は医師。彼の将来は多くの人から期待されていた。


 その期待は投資として具現化されていき、零の家には巨額の富が舞降りてきた。平凡な一般家庭だった新家は、零が卒業まであと半年を残している日から瞬く間に富豪へと成り上がっていった。


 しかしその変貌ぶりに十一歳のクラスメイト達はついていけず、零の並外れた学力を不気味がる者や、なんでも手に入れることのできるお金の量に嫉妬する者が現れ始めた。それはいじめへと繋がり、零はその時からいじめられるようになった。小学校でいじめられていたことは、中学に上がってからすぐに広まり、変わることなくいじめは続いた。


 多くの人から期待され、投資までされている零は安易に自分がいじめられていると大人に言えなかった。それにはいじめも自分で解決できないのかと思われる恐れと、もしいじめられていることを言えば、いじめっ子の人生を終わらせてしまうからという理由もあった。


 これだけ期待されている子供をいじめていた者にどんな処罰が下るのかは天才の零には容易に想像できた。


 そんないじめに耐える生活も、ついに限界を迎えた。


 高校一年生の時。さらにエスカレートしたいじめに耐えられなくなった零は家へ引きこもるようになった。両親は高校入学を機に、さらに勉学に励むため家に閉じこもると本人が言っていたと、期待する者達へ嘘をついた。


 大体の者はそれに納得した。


 だが零は納得していなかった。それは両親にではなく自分にだ。


 自分には他の誰にもない才能があり、この才能は人類の為に神が授けてくれた力だと、子供の頃から考えていた零は今の自分を認めることができなかった。しかし小学校からのいじめに対しての我慢が、一気に放出した零には何をする気力も湧かなかった。


 ────一年。何もできなかった零は年が明けて一ヶ月経過したある冬日、静かな街を歩いていた。一ヶ月前からやっと外へ出れるようになった零は度々外を歩いていた。


 それに会ったのはその日だった。


「貴方、悩みを抱えていますね?」 


 背後から突然話しかけられた零はビクッと驚きながら振り向いた。────────そこには『神』が降臨していた。全体的に白を基調とする服に身を包み、髪も同じように純白だった。そして合掌していた。


 その瞳は透明感のある淡い色で、どこかこの世のものではないような静けさを宿していた。その視線はまるでこの世の全てを見通すような鋭さと、全てを受け入れる優しさを併せ持っており、彼女の存在を神々しいものとして際立たせていた。


 まだ幼さの感じられるその一声を聞いただけで、零の優秀な頭脳を持ってしても彼女の話を聞くことから逃れられなくなった。


「そう、あなたは自分より卓越した存在を求めている。多くの者から期待されるあなたはそれに嫌気がさしている。自分よりも頭脳明晰、才気煥発(さいきかんぱつ)徳才兼備(さいとくけんび)な存在を求めている」


 神のオーラを放つ少女は零に微笑みかけた。


「わたくしがあなたの理想の存在になりましょう。元鬱(あさうつ)と言います。あなたのお名前は?」


 零には元鬱と名乗った少女がまだ小学生低学年程の年齢に思えた。しかし彼女にはそんな年齢を感じさせない何かを感じた。それは零が無意識に求めていたものだった。この少女についていけば自分の抱えている悩みは解決するだろうと確信した零は、


「零です。(あらた)零と言います。あの、あなたは一体……いえ、何でもありません」


「新さん、いいお名前ですね。大丈夫ですよ、お答えします。私は元鬱宗の神、名前は未来(みき)と言います。そうですね、こんなところで話す訳にもいきませんし、場所を変えましょうか」


 歩き出す未来に、零は黙ってついて行った。


 零が変わったのはその日からだった。否。零の周りが変わったのはその日からだった。


 元鬱宗、そう元鬱未来が名乗ったそれは、その名の通り宗教のひとつだった。その歴史は長く、平安時代から続いている。しかしこの宗教は少し特殊で、存在していない期間もあるのだ。その理由は元鬱宗の神が存在しない期間があるからである。


 元鬱宗の神として崇められるのは、元鬱の家系から希に生まれてくる神童と呼ばれる子だ。その子供がいなければ崇める神もいないため、元鬱宗はなんの活動もすることなくただ神童が生まれてくるのを待つだけである。


 そして生まれたのが未来だった。


 元鬱宗はあまり大きな宗教ではないが、信者は全員その身全てを教えに捧げていた。いやこれにも語弊がある。全て神である未来へと捧げていた。その信者の中にはもちろん零も含まれていた。


 彼女の存在は零にとって救いだった。今はまだ世に知られていないが、彼女の存在が知れ渡れば世界は自分なんて忘れ去るだろうと、零は信じていた。それほど彼女からは有無を言わさないオーラが出ていた。


 ────────ある日、零の両親が事故に遭って死んだ。


 交通事故だった。特に事件性もない、不幸に不幸が重なった、車の衝突事故。零は絶望した。自分に期待してくれた両親になんの親孝行もすることができず、最後にちゃんとした会話をしたのはいつかも覚えていない。


 そんな悲しみに暮れていた零に、未来は女神のように慈愛に溢れた微笑みで零のことを包み込んでくれた。17歳の青年を10歳の少女が慰めるとは、傍から見ればなんとも(いびつ)だが、元鬱宗の人間からすれば当たり前のことだった。神に慰められるなんて、どれだけ幸せなことか。


 その後両親が亡くなってから、あれほど零に期待を寄せていた大人達は突如としてそれをやめた。そして零に言ってきたのは今まで投資した金を返せという身勝手な要求だった。


 返金などできるはずもない零は、元鬱に助けを求めた。困っている信者を救うのは当然の事で、未来は零を助けた。パタリと止んだ返金の要求。零は未来が何をしたのか知らなかったがどうでもよかった。


 それからも零は元鬱宗に通い続けた。完全に信者のひとりとなり、もうすぐ18歳となる年齢の零はその生涯を未来に捧げると心に決めていた。


 ────それは春も終わり、気温が上がり始めていた六月のある日の事だ。


 偶然、零は交通事故の現場に居合わせた。それは両親が亡くなった車同士の交通事故だった。その時、零の頭にフラッシュバックしたのは両親の記憶と、昔の記憶だった。


 まだいじめを受けていなかった、勉強しかしていなかった頃の期待されていた自分。あの時は本当に勉強が好きだった。まるで勉強に取り憑かれているかのように。それが今は神に頼り全てを投げ出している。


 体の全てを未来に捧げている零の脳だけはまだ死んでいなかった。


 絶対的な未来に対しての信仰に、迷いが生まれた。自分はこのままでいいのか。


 苦しそうに地面に両手をつく。しかしその場にいる人々は事故現場に釘付けで、義務かのように全員が撮影しており零を心配する者はいなかった。


 一人を除いて。


「大丈夫ですか?」


 零に声をかけたのは零とほとんど年齢が変わらない女だった。髪は短く、顔は活気にあふれていて明るい性格の人なんだと零は思った。白衣を着ており、何者なのかは分からなかったが、零の心は無意識に彼女を許していた。


「誰ですか、あなたは」


「私は(かえで)、ちょうどそこの精神科に勤めてるんだ」


「そうですか……」

 

 消えそうな声で返事を返した。サイレンの音が近づいてくる。


 その時再度零は四つん這いになる。そして頭痛に苦しむように顔を歪ませる。


「大丈夫ですか!? 一回うち来ませんか? 今休憩中なのでお客さんいませんし」


 零は素直にその声に従った。


 ────事故現場から約50メートル離れた、一つ曲がったところにその精神科はあった。『ウミネコ精神科』、従業員三人の小さなメンタルクリニックである。中は落ち着いた雰囲気で、観葉植物が多く置かれておりクリニックというより憩いの場のようだった。


 零は静かなカウンセリング室に置いてあるベットで横になる。


「お待たせしました、これコーヒーなんでここ置いときますね」


 楓は横のテーブルにコーヒーを置いた。


「ありがとう……」


「さっきよりは落ち着いたようですね。それで? さっきはどうしたんですか? 事故のショックで倒れた訳じゃなさそうでしたけど」


「そうですね、なんと言ったらいいか……」


 零は言葉に詰まった。自分の今の悩みを話していいのか、話しても呆れられるだけなのではないか。


「大丈夫ですよ別に、そういう仕事してる人間ですし、壁に話すつもりで話してみてください」


 優しい微笑みについ零の口は開いた。今悩んでいることを、淹れてくれたコーヒーを飲みながら全て話した。


 ────時刻は十一時過ぎで、少し暑くなってきた楓は窓を数センチ開けた。


「そうだったんですか、あの、余計なお世話じゃなければあなたのその悩みを解決するお手伝いをしてもいいですか?」


「お手伝い、ですか?」


 零は俯いていた顔を上げた。


「はい! こう見えて私の夢は人を救える大人になることですからね、救わせてください、あなたのことを」


 楓の真っ直ぐな目線に、零の心は揺らいだ。救ってくれるなら救って欲しい。しかし、それは元鬱宗を裏切ることになる。自分を救ってくれた未来様を、裏切ることに、なる。


(? 何言っているんだ俺は。自分を救ってくれた元鬱宗から救ってくれと俺は言っているのか?)


 自分が本当に望んでいることが何なのか、零自身が分からずにいた。


「大丈夫ですよ、悩んでいる時は自分だけを信じればいいんです。誰も信じなくてもいい、もちろん私のことも信じなくて大丈夫です。そう考えた時、零さんがやりたいことはなんですか?」


 なんて暖かい笑顔だろう、と零はしみじみ思った。それは未来が向けた笑顔よりも暖かく、心からの笑顔に見えた。


「自分だけを信じる……」


 何度も心で反芻する。零は決心した。


「俺は、自分の夢を追いかけます。それだけを考えて、とりあえずは生きてみます……」


 このまま元鬱宗に身を捧げることは、人生の放棄だ。自分のこの才能を無駄にするということこそが一番の罪だ。大天才である零の頭脳がそう言っていた。


 だからこそ、零は自分を信じることを選んだ。


「うん! 一緒に追いかけよう、自分の夢を」


 ────それから零は、楓の働いている『ウミネコ精神科』に通うようになった。元鬱宗に行くことはやめた。


 楓は零より2歳年上の19歳で、今は大学で勉強しながら知り合いのクリニックで働かせてもらっている。


 人を救える大人になりたい楓と、子供の頃から夢が医師になることだった零は、お互いの夢を掛け合わせて製薬開発者を目指すことになった。


 もちろんそれは簡単になれる職業ではなく、相当な努力が必要になる。しかし元々努力家の楓と、大天才の零にそれはなんの障害にもならなかった。


 特に零の頭脳は数年ぶりに使われたことに喜んでいるのか、中学時代よりもさらにその才を発揮した。


 一ヶ月で高校三年間で学ぶ全ての学習を覚え、さらに三ヶ月後には難関大学を悠々と合格できる学力を身につけた。


 楓も苦労こそしたがその努力は結ばれた。零には及ばずとも楓の頭脳も優秀なものだった。


 楓と出会って約五年。2019年に零と楓は製薬開発者という夢を叶えた。日本の医療を支える大企業に就職した二人は喜びあった。そして元鬱宗のことはとっくに忘れていた。


 零はすぐに薬の製薬を始め、その天才っぷりには多くの人が驚愕した。今では当たり前に服用される薬を次々と作り出した零は『日本医療界の神』と呼ばれた。それには楓のサポートもあったが、それが世に知れ渡ることは無かった。


 そんな二人の関係は就職後も変わることはなく、切磋琢磨する仲間でも、友達同士でもないただの客と店員──のままでいるわけがなかった。


 二人は恋をした。といってもそれは静かな恋だった。職場の同僚にも二人が付き合っている素振りを見せることは一切なかった。デートも仕事の忙しさからほとんど行くことはできずにいた。しかしそれでも二人は心の底から幸せだった。夢を叶え多くの人を救い、自分の使命を全うできている今が一生続いて欲しいと思っていた────。


 2021年7月12日


 その日、運命の転機が訪れた。


 ────────反社の全国一斉蜂起。


 例の大事件が発生する前から、少しづつ増加している反社がその日、一斉に犯罪行為をした。それは大きく報道され日本に限らず世界的に話題となった。しかし零はその事件に直接的な関わりはなかった。つまり巻き込まれることもその影響を受けることもなかった。


 だが、その日、零は()()()()()()()()()。それはもし世に知られればタダでは済まない程の、少なくとも解雇は免れないものだった。


 しかし零の勤める企業はそれはなんとしてでも避けたかった。これ程卓越した能力を持っている人間は後にも先にもいないだろう。そんな人間を解雇するなんていくら責任を負うためといっても許せなかった。


 どうしたそんなミスをしてしまったのか、誰にも分からなかった。零の仕事は激務といえるレベルだったかもしれない。ストレスや疲労は蓄積していたと考えられる。そんな中、世の中の不安定な状態がそれに拍車をかけミスを犯してしまったのかもしれない。


 とにかく、会社はこのミスの処理をどうするか最優先で話し合う必要があった。


 ────────「本当に、いいんですかっ?」


「うん、大丈夫だよ、零くん。君はこれからも薬を開発して多くの命を救って。私は一旦この道からは離れることになっちゃうけど、本当に気にしなくて大丈夫だから。これは私の意思だから」


 零の負う責任は楓が代わりに負うことが決定した。26歳で楓の夢は終わった。


 暗い実験室には二人だけがいた。あの時と比べて人間味を取り戻した零の顔は、今は悲痛な表情に歪んでいた。一方で「大丈夫」と言う楓の顔は痩せ我慢しているとすぐに察せる表情をしていた。


 その後、楓は決まっていた通り零の責任を肩代わりした。


 謝罪会見で楓は完璧な受け答えをした。それは本当に楓が問題を起こした張本人としか思えず、肩代わりしているとは誰も考えなかった。


 しかし、そんなことはどうでもよく、肝心なのは世間の反応だった。


 インターネットでどのようなことを言われるかなど容易に想像できた。誹謗中傷罵詈雑言、殺害予告に心無言葉。零はそれを見た。しかし楓は見なかった。否、零が見せなかった。


 もちろんそれは楓に当てられた言葉ではなく、本来ならば自分に向けられる言葉だからである。楓が見る必要はない。それに意味もない。


 ────楓が解雇してから約三週間、零の仕事は少しだけ余裕が持てるようになった。以前までなら空いている時間があれば楓と会うことが多かったが、今は会うことができずにいた。彼女の未来を壊した自分を顔向けできなかった。そのため零から誘うことはなく、楓の方から誘われた時だけ顔を見せた。


 その時の楓は以前となんら変わりもなく、いつまでも気にしている自分の方が申し訳なく感じていた。気にしていることを気にされるのが嫌で、零は精一杯以前の自分を演じた。


 しかし零は気づかなかった。本当は楓は変わり始めていたことに。


 ────カーテンを閉め薄暗い部屋の中、楓はベットの中で泣いていた。


 過去の自分は夢を叶えるために必死の努力をし続けてた。そしてついに念願だった夢を叶えることができた。しかしそれも束の間、夢を終わりを迎えた。“自分は何もしていないのに”、そう考える自分が理解できなかった。


 零の負うべき責任を肩代わりすると認めたのは私だ、それなのに、自分の心は夢を諦めたくないと叫び続けていた。そんな矛盾した心情が、楓の心理を不安定に変化させていた。零と会う以前に人と会うこと自体が徐々になくなっていった。


 ────八月の初め。必要最低限な日用品や食料を買いに外出していた楓は、ショッピングモールのソファに座っていた。ここまで来たのはいいものの、身体はなかなか動く気にならずにいた。


 それに会ったのはその日だった。


「貴女、悩みを抱えていますね?」 


 背後から突然話しかけられた楓はビクッと驚きながら振り向いた。────────そこには『神』が降臨していた。全体的に白を基調とする服に身を包み、髪も同じように純白だった。そして合掌していた。


 ソファの後ろから前へ回り、彼女は楓の隣に座った。見た目的には高校生か、自分よりだいぶ歳下に見える彼女だがしかし、楓は目が離せない何かを感じていた。


「そう、貴女は解放を求めている。今の貴女の心には二つの対となる想いがある。その想いに貴女は縛られている、そうですね? 貴女はそのせいで自分を見失っている。このままではいけないということも分かっているのでしょう?」


 自分の心が読まれているようで、恐怖を感じた。しかしそれと同時に、やはりこの子は只者ではないと思い知らされた。


「はい、その通りです……」


「よかった、素直に認めるということはとても良い事です。最近の人はそれができない。貴女は賢い」


 彼女は楓の手を握り暖かい眼差しを送る。


「私が貴女を苦悩から解放させてあげましょう。元鬱(あさうつ)と言います。あなたのお名前は?」


「楓、小川内(おがない)楓といいます」


「楓さん、いいお名前ですね。私は元鬱宗の神、名前は未来(みき)と言います。そうですね、こんなところで話す訳にもいきませんし、場所を変えましょうか」


 ────楓の脳から元鬱という単語は既に消去されていた。


 楓の過ちは元鬱を忘れてしまったことだった。数日後、その過ちは最悪と成ってしまう。


 ────楓から連絡が来なくなって一週間ほど経っただろうか。仕事は少しだけ忙しさを取り戻してきた。仕事の方はそのうち元通りになるだろう。しかし、楓との関係は時間は解決してくれない。このままではいけないと思った俺は、楓の家へと行ってみることにした。


 十二階建てのマンションに住む彼女の部屋は分かっている。インターホンを押しても楓は返事をくれなかった。まだ俺のことを怒っているのだろうか。しかしこれで諦める訳にもいかない。楓から渡されていた合鍵を使ってエントランスを通る。


 四階に上がり楓の部屋の前に行く。インターホンを押しても返事がなかったので仕方なく合鍵で部屋に入った。


 1DKの部屋は暗く中には誰もいなかった。


 そして部屋には生活感がなかった。物は綺麗に整理されていて、何日もここに帰ってきていないようだった。しかしベットだけが乱れていた。つまり、この404号室は寝るだけの部屋として使っているだけということだ。


 しかしおかしい。それは最近何かがあったことを示している。楓からの連絡が途絶える前は、たまに一緒に出かけることもあった。その時からこんな生活感のない部屋で過ごしていたとは想像できないのだ。つまりここ最近何かがあったのだ。家賃十万の部屋を寝床としか使わなくなる何かが。


 楓が今何をしているのか、気になりはした。しかし、俺に連絡をしないということは関わってほしくないか、それか俺に嫌気がさしたのだろう。


 部屋を出て鍵を閉める。そのまま足早にエントランスに行きマンションを後にした。


 零の過ちは楓の異変に気がついたのに何も行動しなかったこと。


 その過ちに気がついたのは全てが終わった後だった。


 ────────2021年8月15日


 世界を変えた大事件、グランドオアシス大事件が起こったその日。


 零は知った。楓が元鬱宗に洗脳されていたことを。そして、あの大事件を起こすために駒として使い捨てられたことを。


 ライブで報道されていたグランドオアシスのオープニングセレモニーの映像に一瞬映った()()の姿を、零は見逃さなかった。彼女────未来はあの時となにも変わっていなかった。元鬱宗の神として崇められている彼女の神のような雰囲気は、テレビ越しでも感じることができた。昔元鬱宗に囚われていた零だからこそ気づく、彼女の異様さ。


 なぜ彼女がこんなところにいるのか零は知らなかったが、ただセレモニーを見にきただけではないということだけは確信していた。


 気がつくと、零は駆け出していた。向かうのはもちろんグランドオアシス。大天才である零は大抵のことは知っている。しかし、自分のことに関することは全て分からなかった。なぜ自分がグランドオアシスに向かっているのか、“なぜ楓がそこにいると思う”のか、なぜこれから最悪なことが起こると思っているのか。


 そんな自分を嫌いになりながら零は向かった。


 ────そして数十分後、それは起こった。超高層ビルは破壊され多くの人々が巻き込まれ死んだ。前代未聞の最悪な事件は世界を変えた。


 零が到着した時にはそこには瓦礫の山と多くの死体しかなかった。


 ここに楓がいたというのはただ予想で、本当にいたかなど分からない。


 しかし、それから何度電話をしても楓が出ることはなかった。


 その日から、零はこの世界が嫌いになった。楓が死んだこの世に未練などない零は、この世を終わらせるために動き始めた。反社が蔓延るこの世界では、多くの人々が傷つき、大切な人を失い、悲しみにくれることになるだろう。そんな世界が存在している意味はないと考えた零は例の兵器の開発を始めた。

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