第8話 神藤真昼との邂逅 後
「——それで浅嶺くん。キミは自分がどうしてここに連れてこられたのか理解できているかな?」
あいも変わらず怪しげなラボ内で、なおも微笑みを崩さない会長に俺は首を激しく振った。
「……わかるわけないでしょ。もうさっきから頭が混乱しておかしくなってますって」
「くふふ、そりゃそうよね。すんなり受け入れられでもしたら、キミの常識を疑うわ」
会長は笑うが、本当に勘弁してほしい。春山に拉致されてからこっちは驚きしか起きていない。愛の告白かと思ったら屋上から飛び降りて空を飛び、裏山にあった地下世界へと足を踏み入れた先に待っていたのは生徒会長ときた。
もう訳が分からない。ドッキリを疑うレベルだ。へへ、信じられるか? これ全部たった一時間のうちに起きた出来事なんだぜ? わずか一時間で、俺がこれまで信じてきた世界は崩壊したんだ。ああ、世界はこんなにも脆いものだったんだな……。
「遠い目をしているね、浅嶺くん? お腹でも痛いの? トイレなら奥にあるから行ってきていいわよ?」
「違いますよッ! 人生の儚さを痛感していたところです」
「いつだって人の世は儚いものだよ。だからこそ、人は夢を見ることにしたんだから」
「……なんだか含蓄のある気がする言葉ですね」
だが、いつまでも驚いてばかりではいられない。自然界では過酷な状況の変化にも適応できなかったものから死んでいく。冷静に対応できなければこの琥珀色の世界を生きていけないのだ。
俺は会話の主導権を握ろうと試みる。
「というか会長、俺のこと知ってんすか?」
「もちろん。生徒の把握は会長として当たり前の責務だしね」
手ですくうように髪をなびかせ、こともなげに告げる会長に俺は驚いて訊ねた。
「把握してるって、もしかして生徒全員?」
「もちのロンよ。そうでなくちゃ意味ないじゃない」
古臭い言葉を遣い鷹揚に頷く会長。しかし俺から訊いておいてなんだが、それは嘘だと思う。
大方、俺がここに連れて来られるまでの間に調べておいたんだろう。昼休みが終わってから既に一時間半以上は経っているはずだ。そのくらいあれば一介の高校生である俺ごときの瑣末な情報の暗記なんて、天才と自負している会長にとっては朝飯前だろうからな。
「むぅ、なんか信じてないみたいだね。いいよ、ならここでキミのプロフィールを紹介しましょう」
思考が顔に出てしまっていたのか、会長は不満げに頬を膨らませるとそんなことを提案してくる。
……なんかホントに子どもっぽいなこの人。常人には及びもつかない天才と囁かれているにもかかわらず、生徒たちにマスコットのように扱われるのもわかる気がする。容姿というよりも言動が幼いのだ。
何よりここで俺のプロフィールを会長が誦じたところで、事前に調べてきたことに対する疑いへの反論にはならない。
しかしまあ、今後の対策を考える時間を稼げると思えばいい。メタ的な視点で言えば、読者諸兄姉に俺のことを知ってもらういい機会でもある。
ここは黙って拝聴させてもらうことにしよう。
「わかりました。ぜひお願いします」
「おっけー。ふふ、耳をかっぽじってよーく聞きなさいよ、キミのことはもう丸裸にしてるんだから!」
そして会長は俺のプロフィールを述べ始める。
「さて、じゃあまずは基本的なことから。名前は浅嶺賢治。一二月一三日生まれ。ウチとしては珍しいことに玻璃藻西中学出身で、家族構成は両親と妹がひとり。成績は生物を除いて至って平々凡々。中学の頃はバスケ部だったけど、高校では練習の厳しさに嫌気がさして三日で退部。彼女いない歴イコール年齢で、初恋は小学校三年の時に経験。だけど当時ハマっていた漫画の影響から——」
「——ちょ!」
それまで黙って聞いていた俺だったが、怪しい方向へと進み始めたプロフィールに待ったをかける。しかし会長はその先を朗々《ろうろう》と謳い上げていく。
「懸垂をしながら告白したところ、あえなく撃沈。ひとり枕を濡らしたが、もちろんそんな面白い話が広まっていかないはずもなく、その後追い打ちをかけるようにクラス内で付けられたあだ名は『け——」
「——ちょ、ちょっと待てって!! 会長ッ!!!」
慌てて止めに入る俺に、けれど当の本人はニタニタと笑って俺を見て、
「あれれ、どうしたのかな? まだ半分もいってないけど?」
「……そ、それ以上はやめろ。いや、やめてください。マジで。……っていうか会長、なんでそんなことまで知ってんだよ!」
本当に一体どこから漏れた? 学校の誰も、天城でさえ知らないはずの俺の黒歴史を? そのためにわざわざ地元の奴らが誰も行かないような学校を選んだんだぞ!?
しかし会長は得意げに胸をそらすと、
「ふふん♪ 生徒会長であるアタシに知らないことなんてないわ♪ 生徒のことなら何でも知っているのよ♪」
「馬鹿なッ! プライバシーってもんがあるでしょ!」
「ぷらいばしー? 初めて聞く言葉ね。悔しいけれど、そんな言葉はアタシの辞書には載っていないみたい」
……くそ、なんて奴だ。甘かった。俺としたことがこの異常な事態を受け入れるのに必死で、会長のもうひとつの異名を忘れていた。
なにも会長はその天才ぶりと可愛さだけで学校中に名を轟かせているわけではない。いかなる手段か、不良たちや教師でさえ、誰も彼女には逆らえないからこそ、マスコット兼学校の支配者と恐れられているんだ。
――賀茂橋に潜む純白の悪魔。
なぜ純金ではなく純白なのかわからないが、ともかく我が賀茂橋高校を実質的に支配するリリィデビルは俺の前で冷笑する。
「でもま、安心して。広める気はないし、そもそもキミだけじゃないから」
「俺だけじゃ、ない……?」
「そ。学校のみんなの秘密も集めてるわ。アタシに逆らう気がなくなるような秘密を——もちろん、キミのお友達の天城くんの分もね♪」
「……」
俺は戦慄する。ついに白日の下に晒された会長の力の秘密。それはまさに悪魔と呼ぶにふさわしいほどに恐ろしいチカラ………ん、待て、いま会長はなんて言った?
「あ、すみません。最後の方がよく聞き取れなかったんですが、え? 何の秘密だって?」
「あらら、興味津々ね。もしかして——聞きたいの? お友達の天城くんのヒ・ミ・ツ」
天城の秘密、だと? 何言ってんだ馬鹿野郎、そんなもん——。
「…………聞きたい、です」
すまない天城……どうやら俺は悪魔に魂を売らなければならなくなったみたいだ。だけどお前だってそうだろ、天城? お前だって俺の秘密を知れるってなったらさ、喜んで聞いただろう? だって俺たち、親友だもんな。……だから本当にすまない天城、俺の好奇心のために死んでくれ(笑)
「くふふ、キミも案外悪だねぇ。この状況でまず友達の秘密を聞きたいっていうんだから。うんうん、いいよいいよ。キミのその欲望に忠実な魂に免じて教えてあげるわ。えっと、天城くんはね——」
そして俺は天城の秘密を知った。俺は今後温かい目で奴を見守ってやろうと思った。
閑話休題。
「それより……会長、なんでこんなところにいるんですか? 授業はどうしたんですか、いまは絶賛授業中のはずでしょ?」
スマホで時間を確認すると、午後二時四六分。俺が春山に拉致されてから五〇分ほどが経っている。まだそれだけの時間しか経っていないことに驚くが、しかし通常であれば六時限目が行われている時間だった。俺も春山に拉致されていない世界線では今ごろ生物の授業を受けているはずだ。確かきょうは課題の提出日のはずだったが……まあ、それは後で会長になんとかしてもらうことにしよう。
「もちろん自主休講よ」
「……いいんですか、仮にも会長がそんなことして」
視線で咎めると、会長は意外そうに首を傾ける。
「あれ、キミ知らないの? 賀茂橋高校の校則を」
「校則? なんのことっすか?」
俺が知らないことに本当に驚いているらしく、会長は目を丸くして、
「へーホントに知らないんだ。ウチの生徒としては珍しいこともあるもんだね。あッ、まさかモグリ?」
「……アンタさっき俺のプロフィールを意気揚々《いきようよう》と語ってただろうが」
「ふふ、冗談よ。――あのね、賀茂橋高校の校則にはこんなモノがあるんだよ。『人命を助けるという名目に限り、授業を欠席することを認める』っていうのがね」
「はは、んなバカな。なんすかその校則。あるわけないでしょ、そんなの」
「むぅホントだってば。疑うのなら生徒手帳を見てみなさいよ」
会長に促され、俺はブレザーの胸ポケットから生徒手帳を取り出す。ペラペラとめくっていく。
ほ、ホントだ……マジでありやがる……。何考えてんだよ、うちの学校。
「いちおう定められた由来があるんだけど……どう? 気になるんなら教えてあげてもいいけど?」
「……いや、大丈夫です」
確かに気にはなるが、いい加減話を脱線させるのはやめておこう。いまはそれよりも重要な問題がある。会長のセリフには聞き捨てならない言葉が混じっていた。今はそれを追及するべきだ。
「んなことより会長。人命を助けるって、一体どういうことですか?」
「あら、もちろん言葉通りの意味よ」
「言葉通りの意味って……まさか、いったい誰の命を会長は助けるって言うんだ!?」
たまらず声を荒げた俺に、しかし会長は呆れたような視線を向けてきて、
「……キミねえ、ここまで来て本当にわからないの? それともわかっているけど認められないってことなのかな?」
「……」
「ふむふむ。図星って表情か。ま、仕方ないわね。今日いちにち、キミには刺激が強すぎただろうから」
そう言うと、会長は俺に背中を向けさっきまで座っていた椅子にまで歩いていく。たった数歩の距離だっていうのに、ラボに反響する会長の足音が、まるで人魚の歌のように俺には聞こえた。
そして会長は椅子までたどり着くと、腰掛けながら俺に向かって微笑んだ。
「でも、まだまだ序の口だよ? キミはこれから先、この世界の隠された秘密ってヤツを知ることになるんだから――」
「……勘弁してくれ。俺はもう限界なんだ。これ以上、会長の妄言には付き合ってられない」
「残念だけど、アタシは事実しか言っていないよ。今日だって、紅葉にキミをここに連れてきてもらったのはさ、他でもない、キミを守るためなんだから」
「……なんだよ、俺を守るためって……訳分かんねえよ……そもそも、どうして俺の命が危険に晒されることになってんだよ。あれか、今度は未来から来たとでも言うつもりなのか?」
「ううん、アタシは未来人でも、予知能力者でもないよ。ただキミの置かれている状況を正確に理解していて、キミに正確に説明できるってだけ」
「俺の置かれている状況って。だからなんなんだよ、それは! いい加減ハッキリ言ってくれよ!」
「うーん、一から説明すると長くなるんだけどさァ。ま、端的に言うとね、浅嶺くん——」
そうして、会長はクルクルッと椅子を子どものように回転させながら、ひたすらに冷静な声で、
「——キミはこれから先、悪いワルイ宇宙人に命を狙われることになったってわけさ」
またもやそんな訳の分からない事実を告げたのだった。