第20話 森ノ宮瑠美との邂逅
さて、生徒会室からグラウンドへと移動し、クラスメイトたちからの困惑と好奇が入り混じった視線が注がれる中で代打を送られ、きっちりと三振を喫した以外にはとりとめて言うことのない六時限めを終えた放課後。
俺はもう一度生徒会室に行くことにした。
「あら?」
「え?」
だが生徒会室に会長の姿はなく、代わりに俺を出迎えたのは三年の女生徒。椅子に座り、深窓の令嬢のような雰囲気で読書にふけっていたその人は副会長で、確か名前は森ノ宮先輩。先輩はきょとんとした瞳で入り口に立つ俺を見つめていた。
「何か御用?」
こてんと首を傾げる先輩。街中でUMAと遭遇しましたという様子に、俺は慌てて弁明する。
「あ、すみません。てっきり会長がいるとばかり……」
「へぇ、真昼に会いに来たんだ? ならここで待ってればいいよ。もうすぐ戻ってくると思うから」
そう言って先輩は椅子を勧めてくれた。お言葉に甘えて着席する。先輩はまた読書に戻っていった。
放課後の静かな時が流れていく。初夏を間近に控えた空は伸びやかな光で生徒会室を包んでいた。陽だまりの午後。落ち着かない二人の時間。
ちらりと視線を横に向けると、本を読みながらどこか物憂げな表情を浮かべた先輩の姿。漆黒の髪が背中まで艶やかに垂れ下がっているその姿は、まるで日本人形のようだ。会長の金に輝く髪とは対照的なありように、先輩が〝黒髪の天使〟と呼ばれていることを思い出す。もちろんそれは会長が悪魔と呼ばれていることに掛けたあだ名である。
しかしほんと綺麗な人だよなぁ……っと、ふいに先輩がこっちを見る。慌てて目を逸らそうとするが、合ってしまった目を誤魔化せるはずはなかった。
「ふふ、そんなにまじまじと見られると恥ずかしいわ、浅嶺くん」
「す、すみません! つい気になって……って、俺を知ってるんですか!?」
先輩の口から名前が出てきたことに驚く俺に、先輩はたおやかに微笑みかけてくる。
「ええ、よぉく知ってるわよ〜」
本を閉じて脇に置き、頬に流れる髪を耳にかけながら、印象とは違う間伸びした声でそう言った先輩の目に浮かぶのは妖艶な瞳。
……なんだろう。ひどく嫌な予感がしてきた。この目は知っている。嗜虐趣味の持ち主が獲物を見つけたときに浮かべる目だ。具体的に言うと会長のそれにそっくりだった。
「あ、でも真昼に比べたらそんなには知らないかなぁ〜」
左手の人差し指を顎に当てて先輩は告げてくる。
「私が知っていることと言えばぁ……そうねぇ〜、例えば浅嶺くんが八歳の頃まで犬のぬいぐるみを抱いてないと眠れなかったこととか〜、一四歳の頃には〝暁月の一匹狼〟と名乗っていたとか〜……うん、それくらいかな〜?」
「……」
絶句する俺。いつから俺の黒歴史は公然の秘密へとランクアップしてしまったのだろうか? どうやら〝プライバシー〟の六文字はこの世界から消失してしまったらしい。嘆かわ××ことだった。
「あ、でも安心してね〜。真昼はもっと浅嶺くんのこと知ってるから! あんなこととかこんなこととか、もう嫉妬しちゃうくらい!」
ギュッと両の拳を握りしめて訳のわからないフォローをしてくる森ノ宮先輩。心なしか、実に楽しそうな響きを声に感じる。
……ああ、ダメだこの人。あの悪魔が率いる生徒会に所属しているという事実から予測しておくべきだった。外見に性格が滲み出るとは言うが、アレは嘘だ。人の性格を予測する上で外見など何の当てにもならない。
深淵をのぞいた先に見えた真理に絶望した俺は涙さえ出そうな目で先輩を見つめる。すると、先輩はまた天使のような仕草で首を傾けて、
「あれ? もしかして私が誰かわからない?」
「……森ノ宮先輩、ですよね?」
「うん、それはそうだけどー。あ〜ホントにわからないんだ〜?」
「? どういうことですか?」
「ひどい〜。あんなに睦言を交わした仲なのに〜」
「む、睦言って、あなたは一体何を言ってるんだー!?」
実は幼馴染だったとかそういうオチか? あるいはお互いの両親が知り合いで酒に酔った勢いで許嫁にしちまったとか? はたまた並行世界ではすでに俺の嫁?
多元宇宙の可能性を真剣に考察し始めた俺に、先輩はよよよと古臭い泣きまねをして、
「ホントにひどいのにゃ〜。昨日の今日でもう忘れちゃうだなんて賢治は人でなしにゃのにゃ〜」
「え、……」
その口調には覚えがあった。しかし俺の思考がまとまるよりも先に入り口の扉が勢いよく開かれて、
「——ただいまー、いま帰ったわよー」
会長が入ってくる。白衣のポケットに両手を突っ込みながら、気だるそうな足取りで部屋の中を進んでいく。
「ったくあのタヌキ爺ー。空調の調子が悪いから見てくれって何よ。アタシは便利屋じゃないっつうの」
首元のリボンを投げ捨てながらどさりとソファに腰を下ろす会長。俺がいることに気がついていないのだろうか、そのままぐてっと背もたれに倒れ込む姿はまるでおっさんだ。仮にも年頃の異性に見せていい姿じゃない。
……気まずい。見てはいけないものを見てしまった気分だ。ここは先輩にそれとなく指摘してもらおう。そんなSOSを込めた視線を隣に送ると、先輩はニコニコと実に楽しそうに微笑んでいた。……ダメだこの人。
はぁ、このままこっそり抜け出してやろうかしら。半ば本気でそう考えていたところで、会長と目が合う。あっ、どうも(会釈する俺)。
「——ふにゃッ!」
なんだ今の声? どこのノラ猫だと窓の外へと目を向けかけるが、よく考えるまでもなく、もちろん会長の声に違いなかった。にしてもずいぶん可愛い声だったな。これは後々使えるかもしれない、と胸ポケットに入れた二台目の相棒に手を触れながら思う俺に、会長は言った。
「…………あははー、変なところを見られちゃったわね。……先輩としての威厳が下がっちゃったかしら?」
居住まいを正しながら恥ずかしそうに頬を掻いているが、大丈夫だぞ。そんなものは雀の涙ほども残ってなかったからな。むしろ親しみがわいたまである。ポンコツ腹黒悪魔、いい名前じゃないか。
「あーごほんっ」
っと、ひどく雑な咳払いをして、首元に流れた髪を払ったポンコツ腹黒悪魔が俺に微笑みかけてくる。
「でもよく来てくれたわ。ありがとうね」
「……まあ、春山と約束したからな」
そう、俺がここに来たのは春山と交わした約束を果たすためであり、決して会長に頼まれたからじゃない。だから別に会長に感謝される謂れはないのだ。
しかし会長は優しげな瞳を見せて、
「言ったでしょ? アタシたちの存在意義は紅葉のためにあることだって。だからキミが紅葉のことを思って来てくれたのなら、アタシとしては大歓迎」
「……そうか。ならまあ、よろしく頼む」
気恥ずかしさから少しだけ視線を逸らして首元を掻く俺。会長も会長でやはり気恥ずかしく思っているのか、風を感じたいと願うように窓辺へと向かって行った。そんな蜂蜜のような甘さが漂う空気を壊したのは、遠雷のごとく響いた悲痛な叫びだった。
「――ちょっと真昼ー! いつになったら私を紹介してくれるわけ〜!?」
「あ、瑠美もいたの?」
「いました〜。真昼が校長先生に呼びだされるよりも前からいました〜。というかひどくない? 賢治くんに紹介してくれるって言うから待ってたのに〜!」
ぷりぷりという擬音が似合うような仕草を見せながら怒りを示す森ノ宮先輩。そこに深窓の令嬢とした雰囲気は微塵もなかった。まったく第一印象というやつは卵の殻よりも脆いものである。
「ごめんゴメン。まあ知ってるとは思うけど、いちおう浅嶺くんにも紹介しておくわね」
会長は先輩を指さして言った。
「彼女は森ノ宮瑠美。生徒会の副会長を務めてくれているわ」
「はぁ」
「あと、瑠美はヨシツネだから。そのつもりで」
「はぁ?」
なんだって? 会長はいまなんて言った? よくわからん言葉が聞こえたんだが……。
戸惑いの視線を会長と先輩とのあいだを行き来させていると、会長が呆れたような表情を浮かべてきて、
「なによ、そんなに驚くこと? アフレコしてるってさっき言ったじゃない」
「それは、まあそうなんだが……」
まさか副会長がそうだなんて思わないじゃないか。しかもこんな綺麗で清純そうな人があんなお調子者の猫を演じている? そんなの想像できるか? 俺には無理だ。
「本当にあなたがヨシツネ先輩……?」
「そうにゃ〜、まったく賢治は鈍いのにゃー。ぶっ飛ばしてやろうかと思ったのにゃ〜」
両手を頭に当ててくいくいッと猫マネをする先輩。それは犬耳じゃないのかということを差し引いても危険だ。破壊力という意味で。端的に言うと可愛いすぎる。だれか猫耳と尻尾を持ってきてくれ。あーくそッ、なぜ俺はいまスマホを構えていなかった! 絶好のシャッターチャンスを逃しちまったぜ! くっ、一生の不覚!
「ねえ真昼。昨日から思ってたんだけれど、賢治くんってときどきアホの子みたいな表情浮かべるときあるよね〜」
「アレはもう病気ね。やれやれ、まさか初めて紅葉と関わったやつがこんな変人だったなんて。はぁ、先が思いやられるわ……」
変人に変人呼ばわりされたことに気づくこともなく、生涯に渡る悔いを嘆いていた俺を現実へと引き戻したのは、久しぶりに聞く会長の凛とした声だった。
「じゃあ改めて紹介するわ。彼女は森ノ宮瑠美。〝プロスペロー〟ではヨシツネとして出入りしているわ。まあ、その外見の通り、猫の皮を被った恐竜よ」
「ちょっと、まひる〜! なによその紹介は! 誤解されちゃうじゃない!」
「あら、事実じゃない」
「違います〜! もうっ私の清楚なイメージが崩れるでしょ〜!」
だからそんなイメージはない…………こともないな。会長とは違って、先輩とは今日はじめて話すのだ。朝会などで会長の傍にひかえる副会長の姿から楚々としたイメージを抱いていた。
ショックだ。まさか先輩が会長と同類だったなんて。類は友を呼ぶとは言うが、本当に呼んでどうする。ああ、この世界に神はいないのか。純朴な少年の心を弄ぶな。
「はいはい、わかったわかった。訂正してあげるわよ。はい、彼女は森ノ宮瑠美。恐竜の皮を被ったフランケンシュタインよ。これでいいわね?」
「い・い・わ・け・な・い・で・しょ! まひるーッ!」
……なんなんだよこのコントは。冷たい視線を送っていると、森ノ宮先輩がニコッと手を差し出してきた。
「おほん。——改めてよろしくね、賢治くん! ヨシツネの中の人こと森ノ宮瑠美でーす。学校では生徒会の副会長を努めているから困ったことがあったら何でも言ってね〜?」
「よ、よろしくです」
固い握手を交わす。ほっそりとした柔らかい手だった。しかし会長が俺の耳元までやってきてボソリと、
「……気をつけなさい。油断してると食べられるわよ」
「嘘だからね」
「は、はぁ……」
だが俺は思っていた。木下でさえ頭が上がらないようだった。おそらく本当のことなんだろうと。賀茂橋高校を真に牛耳るのは悪魔ではなく天使だったようだ。堕天使だったみたいだがな。