第17話 一〇文字以内で述べよ
「——いやぁ、失敗シッパイ。まさか途中で効力を失うとはねー」
決死のダイブに挑んだ俺が生徒会室に戻ると、マッドサイエンティストはそう言って笑った。
「うーん、おかしいなァ。計算は完璧だったはずなんだけどなー……あっ、もしかしてアンタの体重ってさ、一〇〇キログラム超えてたりする? それなら納得なんだけど」
絹のような髪を振り払い、ホワイトボードに何かを書き連ねがらブツブツと訊ねてくる会長に向かって、俺はひと言だけ告げる。
「——そろそろ怒っていいか?」
「あはは、ダメって言ったら?」
可愛らしく首を傾げる会長の返答に、俺は無言で歩みを進める。机までたどり着いた俺は、無造作に置かれていたハリセンを手に取った。会長が俺の頭を叩いたハリセン。それから感触を確かめるために素振りを何度か行う。
——ヒュン! ビュン! ブヒュン!
悪くない音だった。どうやら俺の怒りのパワーに当てられてハリセンの材質が〝紙〟から〝タングステン鋼〟へと変化したらしい。俺の手の中で鈍い光沢を放っているそれを見て、これなら悪魔を祓うことも造作のないことだと俺は思った。
「な、なにするつもりよ?」
俺の手の中で聖剣へと変貌を果たしたハリセンを見て、驚きの声をあげる会長に、俺はやや俯きげにして答えた。
「……会長、あんたはやり過ぎた。超えちゃいけないラインを超えたんだ。穏やかな心を持った一般人が、激しい怒りによって超能力者に目覚めるくらいに、な」
パシパシと聖剣を手に打ち付ける俺を見て、会長は冷や汗を浮かべて後退る。
「や、やめなさいっ、洒落にならないわよ!」
「洒落にならねえことをしたのはあんたが先だろ?」
「くっ!」
逃げる会長に俺は聖剣を振りかぶって叫んだ。
「——潔く報いを受けやがれぇっ!!」
もはや俺を止められる物は何もない! この世界のために散れ、会長ぉぉ!!
「——わ、わかったわよ! 後でなんでも言うこと聞いてあげるから今は許しなさいッ!」
「——っ!?」
ぴたりと動きを止める俺。会長の頭の寸前まで迫っていた聖剣の剣先がふにゃりと落ちていった。所詮は紙。妄想だけでは硬度を保てなかったらしい。
しかし俺はそんなことには構わずに震える声で告げる。
「い、今なんて……?」
「だからっ、後でアンタの言うことをなんでも聞いてあげるって言ったの!」
聞き間違いではなかった事実に驚愕しながら、尚も震えた声で俺は確認する。
「い、いいのか? そんな軽はずみな約束をして……俺は健全な男子高校生なんだぞ? エロいことだって要求するかもしれねえぞ?」
というか十中八九そうする。いったい据え膳を食わぬ男子高校生など世界に存在するというのだろうか。否、いるはずがない。
しかし会長はボーダー・コリーよりも真っ直ぐな瞳で言った。
「もちろん承知の上よ」
「マジかっ!!」
ま、まさかそんなことがあってもいいのか!? な、なにが悪魔だ……完全に女神じゃねえか! ヤバい、興奮で鼻血が出そうだ!
ああ、悪いな天城。どうやら俺は一足先に大人への階段を登ることになりそうだ。今だから言うけどな、天城。俺、ホントのこと言うとさ、お前と夢見た時間、案外楽しかったんだぜ? でも悪い……お前とした約束、やっぱ守れそうにねえ。あばよ、親友。お前が魔法使いになる日を、俺は天国《高み》から見守っててやるからな。
………。
……。
…。
……いや、待て浅嶺賢治。冷静になって考えてみると、確かに会長は美人ではあるが、如何せん体型が子どもっぽすぎはしないだろうか。いいのか? 俺の初めてがそれで? ——いいわけがない。『理想は高く、妥協は悪と心得よ。さすれば、貴様に女神は微笑むであろう』と、親父は子守唄代わりに良く言ったものだ。その結果として結婚したのが母さんということに目を瞑れば、浅嶺家の家訓として受け継がれているのも頷ける言葉だ。人生の教訓が豊富に詰まっている。
ああ、忘れてたぜ親父……。そうだよな、目先の欲望に囚われて大事なものを失うところだった。ありがとう親父。俺に思い出させてくれて。そうだ、会長は俺のタイプではない。ここは浅嶺家の家訓に乗っ取り〝ピー〟する程度にとどめておこう。俺はいつまでも夢見る男でありたい。
会長の発言からここまでを瞬時に思考した俺はハリセンを机の上にゆっくりと戻し、ニヤリと笑って会長に右手を差し出した。
「交渉成立だな」
「ええ、楽しみにしてなさい」
がっしりと握手する俺たち。様々な権謀術数が蔓延る子どもにはとても見せられない空間だった。あるいはR15のタグが必要かもしれない。考えておかねばなるまい。
「——さて、それじゃあ本題に入りましょうか」
握手を終え、白衣を翻しながら告げる会長に俺は疑問の声をあげる。
「本題? 俺を呼び出したのはあのマントの実験のためじゃねえのか?」
「それはついでよ。アンタを呼んだ理由は別にあるわ」
ポケットに手を突っ込み、こともなげに答える会長。なるほど、その〝ついで〟で俺は死にかけたわけか。怒りがまた再燃してくるが、未来のユートピアを思い我慢することにした俺は会長に向かって言った。
「じゃあ何のために呼び出したんだよ?」
「決まってるでしょ? きのうの話の続きよ」
「……ああ、まあ、そりゃそうだよな」
俺は納得して頷く。予想通りと言うべきだろう。きのうの会長の話では、会長たちは世界を征服せんとする秘密結社に所属しているらしい。
それだけでも訳がわからないのに、その上俺はこれから先、会長たちと敵対する〝X〟という存在から命を狙われるという。何もかもがデタラメだった。天城の言うように、漫画やアニメのあらすじを聞かされた気分だ。
正直、きのうの話だけでは半分も理解できていない。もっと詳しく訊いておくべきなのは間違いないことだった。しかし兎にも角にも、真っ先に確認しておくべきは身の安全の行方である。俺はまだ死にたくはなかった。
俺は会長に向かって言った。
「で? 実際のところ、俺はどうすればいいんだ? 今日から守ってくれるんだよな?」
「へ、守る? 何言ってんの、アンタ? 誰から守るって言うのよ?」
しかし会長は馬が鹿を見るような目で首を傾げてきた。
「おいおい話が違うじゃねえか! これからXとか言う奴らが俺の命を狙ってくるんだろ? だから守ってくれるって話だったじゃねえか! 忘れたのか!?」
「エックス?」
会長はさらにフクロウばりに首を捻ったあと、さもいま思い出しましたというふうに琥珀色の目を瞬かせた。
「あーそんなことも言ったわねェ……完全に忘れてたわ……」
明らかに面倒くさそうな態度でやれやれと首を振る会長を見て、嫌な予感が虫のように背中を這い上がってきた俺は、尚も何かを告げようとしていた会長を手で制して、
「……ちょって待ってくれ。嫌な予感がしてきた」
ズキズキとした痛みが現れたこめかみをさすりながら、俺は必死でこの後に待つ展開を予想する。
しかしそんなことがあり得るのだろうか? 頭まで下げてきたんだぞ? そんなことにいったい何の意味があるんだ?
様々な可能性が浮かんでは消えていく。だが結局、真実はいつも一つであり、その答えを告げようとしている存在が目の前にいるのだ。
どんな答えでも受け入れる覚悟を決めた俺は、ひとつ深呼吸をしてから、会長に向かって頷いた。
「ふぅ……よし、いいぞ会長。聞かせてくれ」
待ちくたびれたとばかりに椅子に座っていた会長は、机の上に組んだ手に顎を乗せると、これからの期待に思いを馳せる柴犬のような目で俺を見て言った。
「まあ、話すと長いんだけどねェ」
「……とりあえず簡潔に要点だけ聞かせてくれ。できれば一〇文字以内で頼む」
「うーん、一〇文字以内かァ……」
俺の無茶振りに少しだけ考える素振りを見せたあと、すぐに会長はにっこりと笑って言った。
「——〝昨日のアレは全部嘘よ〟」
さすがは会長。過不足のない解答だった。殴りたくなった。
アホな主人公だなぁ