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「これは借りるだけです」

 程なくして、荷車に入り込む鼻の奥を突く鉄と微かな腐臭が、辺りに広がる目を覆いたくなる惨状を知らせた。


 トウヤは吐き気を堪えるように、鼻と口元を手の平で覆った。脳裏に今は亡き友人の凄惨な姿がくっきりと浮かび上がる。

 マリーは懐から綺麗な布切れと小瓶を取り出した。蓋を開けると中身をハンカチに垂らし、荷車の下に置いた。


「ありがと、マリー」


 イリスは、ぽつりと言った。気分が悪いのかうつむいている。

 ジーナはイリスの後に続くよう、マリーに会釈をした。


「これで、少しでも気が紛れると良いのですが」


 トウヤは顔から手の平を剥がした。微かに清涼感のある香りが、晴れやかな気持ちにさせてくれる。

 荷車に入り込む風が香水の匂いを乗せて、内部の空気を一新してるようだ。


 それから、しばらくするとアドリアが荷車に戻ってきた。

 その手には、赤黒く染められた板切れが二枚、握られている。


「待たせたな」アドリアは、力ない声で言った。その表情は、憂いを帯びている。


 アドリアが荷車の席に座ると同時に、馬車が動き出した。

 誰も口を開こうとしない。息の詰まる静けさが辺りに圧し掛かる。

 アドリアは二枚の板切れを、切なげに眺めている。


 荷車の揺れが気にならなくなった頃、アドリアが奮い立たせるように口を開いた。

 その目は、強い意志を秘めてるかのように輝きに満ちている。


「お前ら、今のうちに腹をくくっておけ」


 トウヤ達はアドリアの方に顔を向けた。

 誰も返事をしない中、やっとの思いでトウヤが切り出した。


「先発隊は、亡くなってたんですね」

「ああ、この通りだ」


 アドリアが二枚の板切れをトウヤに見せてきた。

 その板切れには、文字が刻まれていた。内容は名前、所属、居住地のようだ。


 ――ドッグタグのようなものか。


「遺体も遺品も損壊が酷くてな。その場で丁重に埋葬してきた。辛うじて、認識票だけは回収できた。アタシが言うのも何だが、先発隊の二人は部隊内でも腕利きでな。そんな二人を無残な姿にする連中がこの森にいるってことだ」

「それは、人間技でしたか?」

「へえ、随分と切り替えが早いじゃないか。坊や」

「少し前、士官学校でも似たような事がありましたので」

「ああ、学生が三名亡くなった事件か」

「そうです」


 トウヤは口にしてから例の事件は、学校が架空の人物を犯人に仕立てて捏造した事を思い出した。


「あくまでアタシの経験則でしかないが人の仕業じゃないな。遺体の傷はどれもいびつで、遺品を漁られた形跡がない。もし相手が野盗なら、金もの物や身包みはおろか、金属で作られた認識票すら持っていかれてるだろうからな」

「わかりました」

「こらこら、お前らは戦うわけじゃないぞ。アタシらを見捨てる覚悟をしろってことだ。というわけで、こいつを預ける」


 アドリアは懐から、小綺麗な板切れを取り出した。どうやら認識票のようだ。それを亡くなった兵士の認識票の上に重ねた。

 イリス、マリー、ジーナは手を伸ばす素振りを見せない。

 トウヤが渋々、認識票を受け取った。


「これは借りるだけです。後で返しますからね」

「いっぱしの口をきくじゃないか。坊や」


 トウヤは、3枚の認識票を制服のポケットに突っ込んだ。


 しばしの間、荷車の中では誰もが口を閉ざしていた。

 時折、車輪が石や太い枝を踏みつけて荷車が揺れたときに、物音が鳴るくらいだ。


 だが、張り詰めた神経が弛緩する頃、それは起こった。


 御者席から「うわあああああああ!」と金切声があがると同時に荷車が転覆した。

 荷車自体の動きが止まるや否や、トウヤ達は大慌てで外に出た。


 そこで初めて、荷車が道から外れた事に気づいた。折れた車輪が、馬車を機能不全にした事を示した。


 御者席の兵も道の外に放り出されていた。土の上でうつ伏せになって「うっ……」とうめき声を上げた。

 アドリアは、すぐさま衛生兵の元に駆け寄った。

 それを見たトウヤ達は、まるで示し合わせたかのように周囲を目を配った。


「おい! 何が起こった!?」アドリアが衛生兵に声をかけた。

「突然、何かが飛来して、それで……」


 衛生兵の言葉を耳にしたトウヤは、御者席の近くに目を向けた。

 そこには、前半身だけになった馬が地に伏していた。

 恐る恐る、荷車に目を向ける。御者席の下敷きになった後半身があった。ひしゃげた車輪には、馬の尾と血が絡みついている。


「くそっ! 足が無くなっちまったか」アドリアが吐き捨てるように言った。


 トウヤはジーナに目を向けてから、口を開いた。


「ジーナ、一昨日の虫は使えるか?」

 ジーナは頭を振ると「あの子はダメ。明かりが苦手だから」と冷淡に答えた。

「他に足替わりになるものはあるか?」

「馬車の代わりはない」


 ジーナは断言すると、鋭利なナイフを抜いた。

 堂に入った構えが、この場から速やかに離脱する術が無い事を提示しているようだった。


「アタシたちを切り捨てろ、と言ったそばから、この様か。つくづく気が滅入るよ」


 アドリアは兵士に肩をかした。

 兵士は立ち上がると「ありがとうございます」と言って、アドリアから離れた。



「学生諸君。悪いが、ここからはピクニックだ。なあに、道なりに進めば野営地はすぐさ」


 アドリアが先頭に立つと、歩き出した。緩やかな歩調と表情の厳しさから、周囲を警戒してる様子だ。

 他の者はアドリアの歩調に合わせて、歩き出した。


 道中、襲撃を受けることは無かった。

 しかし、野営地が視認できるところに到達した時、狼煙が目に入った。間違いなく、火元は野営地である。

 その狼煙が何を意味するのか、トウヤ達は王都を出立する前に知らされていた。


「どうやら、寝床までやられたみたいだ」

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