「自分が人間じゃない事を思い知らされたよ」
辺りはオレンジ色がかってきた。日が沈みかけているようだ。
「はぁ……」
「トウヤ。せっかく、いい感じなのに、何で落ち込むかな」
「とうとうチートじみてきたな……って。つくづく自分が人間じゃない事を思い知らされたよ」
「今に始まったことじゃないでしょ」
トウヤは、今更ながら自身の体について気落ちしていた。
反対にイリスは、嬉々とした表情を浮かべている。
「イリス、トウヤ!」マリーが二人に声をかけた。その隣にはジーナがいる。
「どうしたの二人とも?」イリスが訊ねた。
「兵長が、学生諸君は至急、野営地に戻ってくるように、って」ジーナがいつもより大き目の声で言った。
「あれ? 日が沈んでないから、まだ大丈夫かと思ったけど」
「どうも私達に話があるそうです。アドリア兵長の様子も、いつもと違ってましたわ」
「わかったわ。用事もすんだし、すぐに戻るわ」
イリス達は、野営地に戻った。
野営地では、険しい顔をしたアドリアが待っていた。
その顔を見ただけで、緊急事態が発生したのだと、容易に察することができる。
「すまない。ちょっと面倒な事が起こってな、学生諸君の力を借りたい」
いつもの陽気さがないアドリアに、誰もが口を挟む様子を見せなかった。
イリス達は、じっとアドリアの顔を見ている。
アドリアは察したのか、続けて口を開いた。
「先ほど飛ばした早馬が、予定より遅い時間になっても帰還してない。つまり消息不明というやつだ。そこで急遽、捜索隊を編成、夜通しで彼らを探す事に決めた」
「それで私達は、何をするのでしょうか?」マリーが訊ねる。
「君たちは捜索隊に入ってもらうつもりだ。当然、拒否権はないと思ってくれ」
「差し支えがなければ、私達を選出する理由をお伺いしたいのですが」
「一つは身の安全、二つ目は部下を消耗を避けたい、三つ目は実地訓練としてエルヴィン王国と他国との関係性を知ってもらいたい。言っちまえば、見聞を広めよって奴だ」
「捜索隊に入る事が、あたし達の安全に繋がる理由がわからないわ」イリスが割って入った。
「こんな暗い森の中で、何者かに強襲されたらひとたまりも無いからな。これが戦時中でアタシたちが今、敵陣にいるなら、捜索隊を出すなんてマネはしないんだけどね」
「今は平時ですよ」
「知ってるさ。だから、すまないが一旦、旅行気分は捨ててくれ。なあに、捜索隊にはアタシもいるし、移動には馬車を使う。最悪の事態になった場合、学生諸君だけでも逃げられるようにね」
「それは、最悪の事態の場合、騎士団を置いて逃げても良い、という解釈でいいですか?」
「ああ。ただ補足すると、アタシたちの状況を必ず騎士団に報告してほしい」
最悪の事態、その言葉のせいだろうか、少し陰鬱な空気になる。
トウヤ達は各々、険しい顔で地面に目を向けている。
アドリアはトウヤ達を一瞥すると、バツが悪そうに口を開いた。
「悪いな、少し脅しちまったか。まあ取り越し苦労なら、それに越したことはない。もし早馬の連中がサボって森の中で遊んでたら、相応の厳罰を与えるからさ」
程なくして、捜索隊が組まれた。そして馬車に乗り、野営地を後にした。
向かう先は、アルブの森の中にある国境の要衝。先発隊の任務の進捗を確認、状況次第で捜索か帰還かを判断する運びになった。
捜索隊は、士官学校の生徒四人と騎士団からアドリアと御者席に衛生兵1人の計六人である。
先発隊の進行ルートは定められてるため、同じルートで要衝に向かう。
他の騎士団は、予定通り翌日まで野営地に残留。
前述の通り、これは学生を生かすための組み分けだ。
もし危険分子が潜んでる場合、無駄に捜索隊を増やし各個撃破を防ぐためである。
アドリアの考えでは、野営地に残した戦力で危険分子に対応できない場合、自分一人を増やしたところで左程変わりがない。だが、自分一人なら学生達の逃げ道を切り開く事ができる、と考えていた。
捜索隊は現在、夜道を馬車で走行中。
荷車の中では、トウヤとアドリアが向かい合っている。
「坊や。要衝までは、まだ時間を要するから寝ておきな。お嬢ちゃん達みたいにね」
「すみません、荷車の中で寝るの慣れてないもので」
「へー、剣筋は荒いのに、神経は繊細なんだな」
「俺の生まれ故郷には、こんなに揺れる乗り物がないんです」
「そうか」
アドリアの言う通り、イリス、マリー、ジーナの三人は小刻みに揺れる荷車の中で眠っている。
今、起きてるのは御者席の兵、アドリア、トウヤの三人である。
「アドリアさん、危険分子の目星はついてるんですか?」
「見当ついてるなら、国境になんていかないよ。撃退か帰還のどちらかさ」
「それじゃ何で国境に向かうんですか? しかも、俺達を連れて」
「実はな、君たちを逃がすだけでなくもう一つある」
「もう一つ?」
「国境の要衝、つまり関所に行く。どういう意味なのか理解してるか?」
「うーん、他の国の人間がいる、とか?」
「当たらずといえども遠からず、だな。先日、隣の国との緊張状態が高いって話したの覚えてるか?」
「覚えてますよ。でも、それはゼクスヴァイン領の事ですよね?」
「まあな。でも、正確に言うと尤も緊張状態が高い、だけで他の領土も似たような状態なんだ」
「それってつまり、エルヴィン王国は周辺諸国と仲が悪い、という事ですか?」
「今度は正解だ。平時ですら、国境を行き来できるのは商人と布教師のみ。ここ数百年は、普通の平民が国境を超えた記録は無い。そんな中、兵士をぞろぞろ連れて関所に行ったら、相手国に開戦の切っ掛けを与える事になる」
「戦争は……正直、嫌ですね」
「そうだな。だが、どの国も腰に剣をさしつつ、相手が先に剣を抜くのを手ぐすね引いて待っているのさ。先に剣を抜いたのは相手だ!! だから、こちらも剣を抜いた、という大儀を得るためにな」
「それって、相手が仕掛けてきたら、こっちも応戦するという意味ですか?」
「そのために、あたしたちがいる。そして士官学校の存在意義もな」
――戦争か……士官学校があるんだから、当然だよな。
トウヤは、ふとイリスの寝顔に目を向けた。
相も変わらず、安らかで愛らしい寝顔に胸が痛くなった。
そして、異世界に来た日の初めての夜の……まるで別人のように変貌したイリスの顔がよぎる。
光を失くした深紅の瞳に憂いを帯びた顔は、生気が抜けて虚ろな目をしてるようにも見えた。
あんな目をする女性が、人を殺めてしまったら、どうなってしまうのか。
トウヤは、想像しただけで戦慄した。心が壊れてしまうのでは、と考えた。
「そんな、怖い顔するな。相手を刺激しないために、部下は置いてきてる」
「そう、ですよね」
「戦争した記録も、ここ百年以上で無いしな。だから、大丈夫だ。坊やも、さっさと寝な。疲れがとれたら、前向きになる。関所に着くのは、明け方だろうしな」
「わかりました。お言葉に甘えさせていただきます」
「学生が遠慮するな」
トウヤは、不安な気持ちをかき消す様に眠りについた。