「わかった、虫で妥協するよ」
アルブの森に入って、初めての夜を向かえた。
今、野営地は見張りの当番だけが周辺を巡回している。
そんな中、トウヤ達は見張りの目を掻い潜って、野営地から少し離れたところにいた。
辺りは暗く、明かりが無ければ表情がまともに見えない。
か細い月明かりでは、森の闇を照らすには心許ない。
声だけが辛うじて、イリス、ジーナ、マリーの三人がいることを知らせてくれる。
「ここまで来たら大丈夫ね。さて、昨日も話した通り、精霊を探しに出るわよ」イリスが言った。
「探すのはいいけど、アテはあるのかよ。こんな暗い森の中を無闇に動き回るのは、関心しないぜ」
「当然よ。あたしだって、無駄骨は避けたいもの」
イリスはタブレットを出した。画面にはウンディーネが映っている。程なくして、メッセージウィンドウが出てきた。
「他の精霊の居場所は、マップに目印をつけておきます。後はそちらに向かってカメラを使えば、精霊をグリモアに収容できます」
――仲間を収容って、イリスも大概だけど、このウンディーネも相当なタマだな。
「何よ、その変な物を見る目は……」
「いや、用意周到だなと思って関心してたんだよ」
「ふーん」
イリスが訝し気な口調で言った。暗がりのため表情はよく見えないが、目つきも口調と同様なのだろう。
「アテがある事は理解したけどよ、足はあるのか? まさか徒歩、なんて事は無いよな?」
「安心して。馬よりも静かで早い乗り物があるわ」
「マジか!?」
――さすがファンタジーな世界だな! どんな乗り物なのか楽しみだ。
トウヤの胸中が好奇心で満たされた。しかし、同時に気になる事も出てきた。
何故、それを今まで使わなかったのか。何故、他の人達がそれを使わないのか。
ファンタジーの一言で一蹴するには、看過できない不安要素だ。
「ジーナ。あいつの出番よ! 人数分、お願いね」
「わかった」
イリスは得意げに、ジーナに指示を出した。
ジーナは二つ返事で快諾した。その声は、か細いけど力強かった。
「な、なあ、マリー。俺さあ、ペ、ペガサスとかュ……ユニコーンに、憧れてるんだ」トウヤの口調は、驚愕と微かな恐怖で震えている。
「そ、それはい、い、一体どんな生き物ですの?」マリーの口調もトウヤと同様、震えている。
「ペガサスは、大きな翼を生やした白馬。ユニコーンは、大きな一角を生やした白馬なんだ」
「そ……それはさぞ麗しいお姿なのでしょうね。是非とも、拝見したいですわ」
「ああ、俺も拝見したいよ」
「二人とも、早くしなさいよ!」焦燥感を募らせているのか、イリスは語気を少しだけ強めている。
「この子達の寿命すぐ尽きるから、早くして」ジーナの口調はいつもの調子だ。
トウヤが先ほど感じた不安は、刹那の間に現実のものとなった。
イリスとジーナは、それに乗り込んでいる。
それは確かに早い。そして静かである。
だが、トウヤとマリーは躊躇していた。それは確かに乗り物として扱えるなら、能力だけを見ると申し分ない。
問題はそれが……。
「何で、お前らは何の躊躇いもなく、ゴキブリに搭乗できるんだよ!」
「そうですわ! そんな、おぞましい生き物に嬉々とした表情で下に敷けるのですか!?」
そう、今トウヤ達の目の前には、人一人分くらいのせる事ができるほどの巨大なゴキブリが4匹、微動だせずに佇んでいるのだ。
微かな月明りが巨大なゴキブリの存在を明るみにしている。ぬらぬらと輝く胴体が、嫌悪感と吐き気を催す。
憎悪の化身とも言うべき生き物に、イリスとジーナは既に乗っていた。
今は、トウヤとマリーの搭乗を待っているようだ。
「もたもたしてると精霊を見つける前に、あたしたちが騎士団に見つかるわよ」
イリスがトウヤ達を急かす。
「わかった、虫で妥協するよ。だけど、もっとこう、普通の虫はないのかよ」
トウヤが情けない声で食い下がる。マリーも同調したのか「うんうん」と首を縦にふる。
「無いわ」ジーナがはっきりと語気を強めて言った。
それでもトウヤ達は、魔導生物に乗る事に躊躇している。
「仕方ない。精霊の探索は、あたしたち二人で行くから、あんたたち二人は騎士団の相手でもしてて。時間稼ぎ用のゴーレムがバレた時のために」
イリスの話に出てきた時間稼ぎ用ゴーレムとは、テントの中でシーツに包まってるマリーお手製のゴーレムの事を指す。
これは元々、何かの身代わりのため、事前にイリスがマリーのグリモアにトウヤ達の姿を書いていたのだ。
そして、より正確なシルエットを書き写すために、イリスは策を講じた。
タブレットをトレース台のように扱うことで、紙に写真を複写したのだ。
やり方は、画面に写真を表示しておき、その上にマリーのグリモアを1枚のせる。後は、タブレットの照明を最大にすることで、紙から写真が透けてみえるので、それをトレースしたのだ。肌と髪の着色は、グリモア用のインクに特別な薬物を調合することで実現。
ただ、肌の質感は岩肌のため、身代わりの出来栄えを一言で言い表すなら、完成度の低いマネキンである。
最後にマリーの手でゴーレムを製造、それをテントに忍ばせる事で身代わりの出来上がりである。要らなくなった身代わりには、モデルになった人物が手で触ると、テントから外に出て土に還るように命令が下されてる。
尚、当番以外の騎士団は、事前にイリスが一服盛っているので、ちょっとやそっとでは目覚める事はない。
このやり方も単純で、ペースト状の睡眠薬を食器に塗っただけだ。夜通しの見張りを立てるため、食事を取る順番は定められてる。つまり、夜が当番の兵隊以外の食器に睡眠薬を仕込むのは容易なのだ。
だが、これらはイリスが前述した通り、あくまで時間稼ぎの仕掛けに過ぎない。
つまり抜け出してることは、バレるのが前提なのだ。大事なのは、何時でバレるかがである。
一番の理想は、精霊を全て見つけた後、誰にも見つからずにテントに戻ること。
次点は、野営地内で見つかること。野営地内なら、発見されても言い訳が通じるためだ。
一番最悪なのは、早急に抜け出してるのがバレて捜索されること。全ての精霊を見つける前に、騎士団の捜索網に引っかかったら、実地訓練中は肩身狭いな思いをするのは明白。何故なら、学生の無傷で帰すのも彼らの仕事だからだ。
当然、トウヤは実地訓練終了後に精霊の探索すれば良いのでは? と提案をした。
何故、リスクを負ってまで実地訓練中に精霊探索をするのか。
見張りの巡回ルートには、テントの中を一瞥する事も含まれてる。もし夜目が利く者がいたら、何かの弾みでテントの中に入る者がいたら、抜け出してる事が明るみになる。そうなれば騒ぎになるし、翌日からの警備が厳重になる。
それなら、最初から騎士団がいない時に探索するのが一番だと進言した。
するとイリスはこう答えた。騎士団がいない時に探索する方が危険だから、と。
その理由は、騎士団が同伴することで身の安全が保障される事。
そして、学生が理由なく王都を出る事は禁止されてる。貴族が実家に帰る時でも、学長から城壁を出入りするための許可証をもらう必要がある。
今回の実地訓練で城壁を出る際、アドリアは一枚の令状を守衛に提示していた。その時、トウヤは許可のない者は王都を自由に出入りできない事を知った。
王都の城壁を抜け出すために協力者を探す事も考えた。ドミニク学長なら喜んで協力してもらえるだろう、とタカをくくった。
しかし、精霊を捕らえる能力は安易に知られるわけにはいかない。タブレットが禁書と断定されたら、人生の終焉を向かえる。予断は許されない。わずかな綻びも致命傷になりかねないのだ。
要するにトウヤが危惧するリスクは、イリスにとってはメリットなのだ。
今なら、身の安全が保障されてる中で精霊を探す事ができる。仮に騎士団に見つかっても、学生の悪戯で終わる。
精霊を探すなら今が千載一遇のチャンスなのだ。
――騎士団は野営地に戻ってきた時、嫌でも相手にする。でも、精霊の探索は今しかない……となれば!
トウヤは異世界を堪能するため、イリスについていく事にした。
腹をくくって、魔導生物の背にまたがる。手の平に伝わる、薄く敷いた油に触れたような感触に身震いする。
「うう……何で、私まで巻き込むのかしら」
「いいじゃん、身代わりを作った時点で共犯なんだし。地獄に落ちる時は一緒よ、マリー」
「くっ……わかりましたわ」
マリーも観念したのか、恐る恐る魔導生物の背にまたがった。
「準備できたようね。それじゃジーナ、ここに向かって」
イリスはタブレットをジーナに見せた。
「みんな、振り落とされないように捕まってて」
ジーナの魔導生物が動き出す。すると他の魔導生物がジーナを追随した。