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狩猟の幕間

 一同はアルブの森に入った。

 鬱蒼と生い茂る木々。大地を照らす太陽の光が頼りない。

 注意深く見渡すと、軽快に飛び跳ねる鹿の姿が目に映る。


 一同は、少しだけ開かれた場所に到着するとテントの設営に移った。

 そして、トウヤ達士官学校の生徒は、設営を終えると食料調達のための狩りすることになった。


 ◇◇◇


 マリーとアドリアの二人は、野営地から少し離れたところにいる。二人の手には弓、背には矢筒がある。

 現在トウヤ、ジーナ、イリスとは別行動中である。


「アドリア兵長、一つお伺いしたいのですが」

「どうした、お嬢様」

「何で私は、あなたと同伴なのでしょうか?」

「アタシの希望だ。ちょいと、話がしたくてな」


 ――きっと、今朝の稽古のことを詮索する、おつもりのようですわね。


 マリーが真剣を抜いた時、脳裏によぎったのは幼少期の、とある出来事だった。


 それは、バシュラール家の屋敷で一人の中年男性の、心臓を貫いた時のことだ。

 その男性はバシュラール家の血縁者、言わば親戚である。


 当時、当主だったマリエルの父は、ジュリアスとマリエルがまだ小さいころに亡くなった。

 ある日、マリエルの父は王都に出向いた。しかし、王都から帰ってくる事はなかった。代わりに王都の使者が訃報を知らせた。

 それから間もなく、屋敷でマリエルの母が亡くなった。


 当主の座が空席となれば、その後の動勢は想像に難くない。大貴族となれば、なおさらだ。

 当然、バシュラール家も例外ではなく、血縁者の大人は誰一人例外なく、悪魔に憑りつかれたように人が変わった。


 マリーが手にかけた中年男性も、その一人である。

 降って湧いた好機。権力闘争に勝てば、大貴族の当主になる。


 中年男性はマリーに襲い掛かった。

 幼いとは言え、マリーは剣豪で名を馳せるバシュラール家の公女。

 日頃から携帯していた真剣を抜き、必死の抵抗の末、中年男性を亡き者にした。


「顔色悪いけど、大丈夫か?」アドリアが心配そうに言った。

「いえ、ご心配なく」

「そっか……そういや、弓は使えるのか?」

「ええ、狩りは嗜んでおりますわ」

「そいつは、鋭い矢じりがあるから、人に当たれば致命傷になる代物だぜ?」

「問題ありませんわ」


 マリーは、飛び回る鹿に向けて弓を構えた。慣れた手つきで矢をつがえる。

 表情も目つきも、真剣そのものである。

 アドリアは、嬉しそうに笑みを零した。


 マリーの弓から矢が放たれた。


 凄まじい速さで木々の合間の抜けた矢は、鹿の頭部を真横から射貫いた。

 四つの足全てが地に着いた時、鹿の体が横たわる。起き上がる様子は無い。事切れたようだ。


「弓の腕前は、なかなかのものだな」


 マリーは得意げな顔になる。


「せっかく機会なので、王国騎士団の弓術を拝見させてくださいな」

「意趣返しか。まあ、アタシは構わないけどね」


 アドリアが矢をつがえる。

 そして、飛び回る鹿に向けて矢を放った。

 アドリアの放った矢は、鹿の頭部を射貫いた。鹿の体勢が崩れる。


「お見事ですわ」

「本職の弓取には劣るが、飢えを凌ぐ腕前はあるさ。これができなきゃ遠征もままならないしな」

「なるほど。しかし、私の見立てでは、食料はまだ十分にあるのに、どうして狩りをなさるのですか?」

「あれは帰りの分だ。戦時下ならともかく、今回はただの斥候、というか巡回だな。だから可能な限り、現地調達で済ませる。後は生徒達の思い出作りだな」

「今朝の稽古も、思い出作りの一環でしょうか?」

「そうだな。生徒じゃなくて、アタシの思い出作りだけどな」

「私の事……失望されましたか」


 マリーは浮かない顔でアドリアに訊ねた。


「ああ、失望したよ。もしかして、現当主もそうなのか?」

「兄は違いますわ」

「そっか、そいつはよかった。それなら、バシュラール家は安泰だな」

「ええ」


 マリーは覇気のない声で答えた。


「仕方がないさ。どうしても、真剣が握れなくなる時がある」

「え? アドリア兵長も、そういう時がありますの?」

「アタシは違うよ。ただ、こう見えて軍属は長いんだ。人を殺した十字架の重さに耐えられなくて、軍を辞めていく奴は何人も見たよ」

「平時に、人を殺める案件がありますの?」

「訓練中の事故や野盗の討伐とかな」

「そうですの」

「最初は、辞めていく奴をぶん殴ってでも止めようとした。でも、ダメだった。そういう奴は、心が折れてるんだ。アタシが息巻いたところでどうにもならない」

「アドリア兵長は、どうでしたか?」

「アタシが任務で、初めて賊を斬った時は……正直、きつかった。のぼせたのは一時だけ、でも……背徳感と罪悪感は一生ついてまわる。今だってそうさ。でも、だからこそ、こんな思いをするのは、アタシらだけで充分。そう思い込む事にした。そう思わないと、アタシの心が折れそうだったから。任務だから、領民を守るため、金のため、生きるため、名誉のため、正当化する理由はいくつも挙がるのに、重しは増える一方だ」

「心中、お察しします」

「アタシは、剣術は好きだが、人殺しは嫌いだ。だから……アタシは、お嬢様に剣をとらせようなんて気は微塵もない。剣を持つのが苦しいなら手放していい。きっと、お嬢様が剣を取らなくてもいいようにするのが、アタシたちの職務なんだろうな」


「お気遣い、痛み入ります」

「戦時下なら、ぶん殴ってでも剣をとらせてただろうがな」

「そうですわね。きっと、守らねばならない物ができた時は、剣を取らざるを得ないのでしょう」

「そうだな。ちなみに坊やは、そんな気概を持ってたな」

「トウヤが……ですか?」

「ああ、剣筋は大目に見て二流だな。でも、坊やの斬撃には、明確な強い意志を感じた。たまにいるんだよ、稽古だと大した事がないのに、本番になると人が変わったように急に強くなる奴。ああいう手合いは、いざって時、人殺しも厭わないだろうよ」

「それは、少々羨ましいですわね……私も本音を言えば、今すぐ真剣を手に取りたいのですが」

「……どんな事情で、そうなったかは詮索しないし、強要もしない。お嬢様に剣を取らせるのは、仕事じゃないからな」

「ええ、これは私の問題です。私自身の力で乗り越えなければ意味がありませんわ」

「そこまで理解してるなら、もう何も言う事は無いよ」

「ありがとうございます。何だか、少しだけ楽になりました」

「アタシもだよ」

「あら? どうしてですか?」

「言い辛いんだよ。アタシにだって面子ってものがある。上役にも部下にも、なかなか弱いところは見せられないからな。あんただって、そうだろ? 大貴族のお嬢様」

「ええ……アドリア兵長。もし、私が真剣を握れるようになりましたら、もう一度稽古をつけていただけませんか?」

「ああ、アタシでよければ相手になってやるよ。……さて、せっかく獲物を仕留めたんだ。さっさと持って帰ろうぜ」


 アドリアとマリーはそれぞれ、仕留めた鹿を担いだ。

 野営地に向かう途中、思い立ったようにアドリアがマリーに話しかけた。


「あ、バシュラール家で思い出した。一人だけ、つまんねえ理由で軍を辞めた奴がいたな」

「いまいち、お話が見えないのですが」

「そいつの名前。フランって言うんだけど、お嬢様は見た事ないか?」

「奇遇ですわね。見たも何も、私の従者ですわ。士官学校の卒業生とまでは、聞いておりましたが……」

「そうそう、フランとあたしは、学校の同期なんだよ。生まれも育ちも年も違うけど、何か妙にウマが合ってな。んで、フランは今も元気してるか?」

「息災ですわ。私が在学の間は士官学校におりますので、お顔を見せてはいかがでしょうか?」

「いいのか? 久しぶりだからな。一日は連れまわすぜ」

「ええ、是非お願いします。私から、いくら言い聞かせても一切、暇を取らないので」

「はは、騎士団から抜けても、妙に真面目なのは変わらねえんだな」

「騎士団に在籍してた時のフランはどんな人でしたの?」

「卒業した時とあまり変化が無かったな。真面目なのに切れるのか抜けてるのか、いまいちつかみどころが無いところとかな。せっかく学校卒業してから数年ぶりに王国騎士団で再開したと思ったらさ、その数か月後に突然、バシュラール家のメイドになるため本日限りで騎士団を抜けます、とか言う始末。お嬢様も大変だろ? フランがメイドだと」

「そうですわね。良くも悪くも、退屈しませんわ」

「それは違いない」

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