「他の男に目を向ける、あんたが悪い」
翌朝、トウヤは寝ぼけ眼でテントを出ると、鎧を身につけて剣を素振りしてるアドリアを見かけた。
トウヤは何となしに声をかけた。
「朝から素振りですか。真面目なんですね」
アドリアは素振りを止めると、トウヤの方に向いた。
「ああ、坊やか」
「お邪魔でしたか?」
「いや、丁度よかった。朝飯前で悪いが、ちょっと相手になってくれないか?」
「相手って――」
「剣の相手だよ。それとも、腰にぶら下げてる物は飾りか?」
「どっちの意味ですか?」
「どっちもだよ。男だろ」
「自分で言うのも何ですが、あまり強くないですよ。どうせなら、部下に相手してもらった方がいいんじゃないですか?」
「それはダメだ。部下を怪我させたら任務に支障が出る。その点、坊やはホムンクルス。殺さなきゃ手当てで完治するから、おあつらえ向きなんだ。なあに、アタシの相手が務まらないなら、すぐに終わらせるよ」
「わかりました。あくまで訓練という事なら、お付き合いします」
トウヤは鞘から剣を抜いた。それに呼応するようにアドリアは剣を構えた。
その剣は、トウヤの物と同等のようだ。鋭利な両刃と肉厚の刀身を併せ持つ、標準的な西洋の剣。
「俺の剣、刃引きしてないですが大丈夫ですか?」
「お互い様だ」
アドリアが不敵な笑みを浮かべた。
二人の間に緊張感が走る。
「兵長、朝っぱらから学生相手に何してるんですか?」
「得物を使う学生を見ると、これだからな」
アドリアとは違い鎧を来てない兵士たちが、二人の様子を見にやってきたようだ。
「お前たち、朝食の準備は出来てるのか?」アドリアが兵士たちに声をかけた。
「俺達、今日は当番じゃないですよ」
――誘っておいて、よそ見か……。
トウヤは、気がそれたアドリアに向けて斬りかかった。
アドリアは、トウヤの剣を涼しい顔で受け止めた。
「がっつくじゃないか。坊や」
「他の男に目を向ける、あんたが悪い」
「ふふ、それでいい!」
二人は同時に飛び退いた。
「いい目つきじゃないか。学生のくせに、場数を踏んでるみたいだな」
アドリアはうすら笑いを浮かべた。獰猛な目つきでトウヤを見据えている。
「師匠に恵まれたんでね」
「そいつは、楽しみだ」
張り詰めた空気を切り裂くように、二人は幾重も剣を交えた。
「よし、今日はこの辺で終わりとするか」
アドリアは陽気な口調で言うと、剣を鞘に収めた。
トウヤは肩で息をしている。額には玉のような汗を浮かべている。
晴れやかなアドリアとは対称的に、トウヤの顔には疲労が色濃く出ている。
「ありがとうございます」
息を整えてから礼を口にした。その直後、剣を鞘に収めた。
「こっちこそ、実りある稽古だったよ」
――稽古、か。良い様にあしらわれた気分だ。
トウヤとアドリアはお互い、白刃が体に触れる事は無かった。
「筋は悪いが肝は据わってるようだな。特に、あたしが窮地に追い込んだと思った時の、切り返しには感服したよ」
「無我夢中なだけです」
「謙遜も過ぎると、ただの嫌味にしか聞こえねえよ」
「アドリアさんが魔力を使えばね」
「剣術の練習には要らねえよ。それにホムンクルスは魔力が無いだろ。あたしが魔力を使ったらフェアじゃない。何より訓練にならない」
「お気遣い、感謝します」
「はぁ……そこまで縮こまる性分にした、坊やの師匠の顔が見てみたいね」
「俺の師匠は、シンドウさんですよ」
「シンドウって……カスミの事か?」
「そうです」
すると、先ほどまでほがらかだった、アドリアを含む騎士団の様子が急変した。顔面蒼白になり、全身をぶるぶる震わせている。
「そ、そうか……カ、カスミなら……し、仕方ないよなっ! うん」アドリアは歯をガチガチ鳴らしながら言った。
「アドリアさんは、シンドウさんにどんな目に遭わされたんですか」
「思い出したくない」
観戦してた兵士も同調するかのように頷いている。
――シンドウさん。指南役とは聞いてたけど、普通の人間相手でも容赦しないんだな。
トウヤはカスミとの訓練を思い出し、顔が青ざめた。
「ふあぁ……天気に恵まれた朝から、何で暗い顔しておりますの?」
マリーの眠たそうな声が聞こえた。イリスとジーナも一緒にいる。
どうやら三人は、今起きたばかりのようだ。
アドリアは気を取り直したのか、いつもの明るい表情になると口を開いた。
「いいタイミングで起きたな、お嬢様。ちょっと剣の相手してくれよ」
「私ですか?」マリーが答えた。
「当たり前だろ。剣術を学ぶ者にとって、バシュラール家の人間は雲の上の存在だからな。こんな機会でもなければ、剣を交えることができないんだよ」
「ねえ、朝食まだ?」イリスが覇気がない声で言った。眠気と怠さが相まってるのだろう。
「すみません。何分、大所帯なもので……もう少しお時間がかかります。準備が出来ましたらお声がけ致しますので、学生の皆様は適当におくつろぎください」兵士が申し訳なさそうに答えた。
「と、言うわけだ。お嬢様。朝食までの暇つぶしにどうだい?」
アドリアが言い終えると、マリーの顔つきが一瞬にして変わった。
眠気でだらしなく開いた口は固く閉ざされ、表情が凛々しくなり、サファイアのような青い瞳はアドリアを見据えている。
マリーは腰に帯びた剣を素早く抜いた。切っ先をアドリアに向ける。剣は、以前模擬戦でも使用した刃先の潰れたレイピアだ。
「これでよろしければ、お相手いたしますわ」
「アタシは、お嬢様と違ってオモチャは持ち合わせてないんだが」
「私は構いませんわ」
「さすが、お嬢様。では、遠慮なく」
アドリアは、躊躇いもせずに真剣を抜いた。口元は笑っているが、目つきは鋭い。
「怪我した時は、衛生兵がいるから安心しな」
「そのお言葉、そのままお返ししますわ」
二人の間の空気が張り詰める。
「おはよ、トウヤ。ふあぁ……」イリスが眠気混じり声で、トウヤに挨拶をした。
「おはよう。珍しいな、いつも朝が早いイリスが、俺よりも遅いなんて」
「早く起きる理由がないからね」
「何だそりゃ?」
「あれ、二人はまだ一緒の部屋なの? トウヤにも個室が割り当てられてるのに」ジーナがトウヤに訊ねた。
「ああ、その方が都合がいいからな」
「ふーん」
会話が途切れるとジーナは、マリーとアドリアの方に目を向けた。
トウヤ達と騎士団の兵士たちが見守る中、マリーとアドリアが剣を交えた。
力強くて荒々しいアドリアの斬撃。
対して、マリーは舞踏の如く流麗な剣捌き。
静と動。凪と嵐。対称的な剣の技が繰り広げられてる。
「凄いなあ、あの学生。刃引きのレイピアで兵長の剣と渡り合ってるぜ」
「バシュラールの名は伊達じゃないってことか」
兵士たちから感嘆の声があがる。
その直後、アドリアの剣がマリーの剣を切り裂いた。
「おいおい、互いに魔力を込めてるはずなのにマリーの剣が切れちまったぞ」
「当然よ。刃引きと真剣。どちらも魔力を込めてるなら、魔力の量に大きな差が無い限り、剣そのものの性能と使い手の力量が明暗を分けるわ」
「それじゃ、マリーがアドリアさんに劣ってるのか?」
「剣の力量はあたしにはわからないけど、訓練用のレイピアと肉厚で鋭利な剣なら、どちらが武器として優れてるのかは火を見るよりも明らかだわ」
マリーのレイピアは鈍らで軽い。アドリアの剣は鋭くて重い。武器の性能の差は歴然としている。
アドリアは剣を構えなおした。稽古を続けるつもりのようだ。
「今日のところは、これでお終いにしましょう」
マリーは刀身が短くなったレイピアを見つめている。
「おいおい、こっからが本番だろうが。坊や、剣をお嬢様に」
トウヤは言われるがまま鞘ごとマリーに放った。
単純に、マリーの強さを見てみたい、という好奇心に駆られたからだ。
マリーは剣を受け取ると肩を竦めた。その直後、意を決したかのようにゆっくりと剣を引き抜いた。
何か様子がおかしい。まるで初めて剣を手にしたかのような、不器用な所作で剣を構えた。
マリーの剣の切っ先を見ると、微かに震えていた。レイピアを振っていた時とは違い、顔色が悪い。何かに怯えているようだ。
――あの様子。確か、マリーが俺にレイピアを突き立てた時と同じじゃないか?
アドリアも察したのか、顔から笑みが消えていた。冷ややかな目をマリーに向けている。
「兵長、食事の準備が整いました」
その一言が訓練終了の合図となった。
まずアドリアが剣を鞘におさめた。
その所作を見たマリーは、ホッと溜め息とついてから、剣をおさめた。
アドリアは明るい表情を浮かべると口を開いた。
「腹が減っては戦ができぬ、ってな。飯にしようか」