「スマホ一つ無いだけで、このザマか」
再び街中を歩き回ると、とある人物の後ろ姿が目に入った。
長身で茶色のくせっ毛に白いロングコートの出で立ち。算術を担当するロバートだった。
ロバートは、トウヤの存在に気づいてないようだ。
――ふーん、先生達の休日は、街で過ごす事が多いんだな。
ロバートの後ろ姿は人混みの中に紛れてもなお存在感がある。
トウヤは、ロバートを尾行する事にした。
理由はロバートの行先が気になったのと、今まで遭遇した教員達からは声をかけられたから、今度はこっちから仕掛けようという、幼稚な発想のためだ。
――大の大人が休日の貴重な時間を使ってお邪魔する場所だ。ランドマークになるかもしれない。
トウヤは、人混みの中でも映えるロバートの白いロングコートから目を離さずに後をつけた。
しばらく、人混みをかき分けながらロバートを追いかけた。
すると、人垣が無くなった。盛り場を抜けたようだ。
道の先には、ロバートの姿が見える。
トウヤは尾行を続けた。
さらに尾行を続けると、色んな建物が林立する中でひと際、目立つ建物が見えた。
それは白を基調とした大きな建物で、見覚えのあるオブジェが飾られている。
そのオブジェは、上辺の内角が大きいY字をかたどっている。
――あれは、ジーナの首飾りに似てるな。確か、十字架に張り付けられた人間をモチーフにしてると言ってたな。という事は、ここは教会なのか?
ロバートは教会と思しき、白い建物の中に消えていった。
――平民でも入れるのなら、中身を拝んでみたいな。
トウヤはロバートに導かれるように、白い建物の門を叩いた。
門はあっさりと開かれた。
そこには、白い法衣と白い五角形の主教帽をかぶった、還暦をこえてそうな男性が居た。
一目で高い地位にいると断定できる装いだ。
ふっくらとした風貌、帽子からはみ出てる白髪、深く刻まれたほうれい線、糸のように細い目は好人物という印象を抱かせるには十分だ。
真っ白で神々しい装いのせいで近寄りがたい雰囲気を纏いそうだが、男性の出で立ちが見事に相殺してる。
男性は、トウヤを値踏みするような目つきでしげしげと見ると口を開いた。
「おや? 入信希望者ですか?」
「違います。初めて見る建物だから、見学したいなあ、と思いまして」
「そうでしたか」
「やっぱり、ダメですかね?」
「とんでもない。アリスト教は、どなたでも歓迎しますよ」
「入信はしませんよ」
「ええ、結構。ささ、礼拝堂はこちらですよ」
男性が門を開けた。
トウヤは遠慮なく中に入った。
正面には、大きく色鮮やかなステンドグラスと主祭壇が見える。
絨毯は入口から主祭壇まで真っ直ぐに敷かれており、その両脇には長椅子が等間隔でびっしりと配置されている。
両脇の壁に木製のドアが見える。
荘厳な空気で満たされているのか、外よりも気温が低く感じる。身が引き締まりそうだ。
前方から絨毯の上を歩くロバートの姿が見えた。
ロバートはトウヤの存在に気づいたのか、口を開いた。
「これはこれは、トウヤじゃないか。こんなところで、どうしたんだい?」
「珍しい建物だから中身が気になっちゃって……先生こそ、どうしてここに。アリスト教の信徒なんですか?」
トウヤは尾行した事を伏せた。
「違うよ。寄付をしにきただけさ」
「へー、立派なんですね」
「そんな事はないよ。今となっては、昔からの習慣で続けてるだけさ」
「それでも、俺からしたら立派に見えますよ」
その言葉は、嘘偽りのない本心から紡がれた。
トウヤは生まれてこの方、自ら進んで寄付をしたことは無かった。
生前、コンビニエンスストアで会計でお釣りが出た時、レジ横にある募金箱に端数の小銭をたまに入れる程度しかない。
だからこそ、無償で他人に施しをするロバートが人格者に見えた。
「買い被らないでくれ。ボクは、君が思うような立派な人間じゃないよ」
言い終えると、ロバートはトウヤの脇をすり抜けた。
トウヤは後ろに振り向いた。
ロバートが外に出るのを見届けた。
その後、トウヤは礼拝堂をひとしきり見学すると扉の方に向かった。
「お帰りですか?」白い法衣を来た男性が声をかけてきた。
「そうですけど」
トウヤが答えると、男性の顔色が青くなった。
口をへの字に曲げ、苦しそうな唸り声をあげた。
顔全体でわざとらしい悲壮感を表わしてる。
素人目で見ても、芝居がかっている事は一目瞭然だ。
トウヤの脳裏に、デボラのしたたかさと先ほどの露店でのやり取りがよぎる。
――この世界の連中に気を使ってたら、お金がいくらあっても足りない。
だけど彼らは、ただ必死なだけだ。
生き方を否定するつもりはない。
その代わり、俺も心を鬼にしてやる!
トウヤは頭を振ると、脇目もふらずに礼拝堂を後にした。
教会から外に出る。空がオレンジがかっている。日が沈みかけているようだ。
トウヤは再び、宿舎に向けて歩き始めた。
歩いてから、どれくらい経っただろうか。
気が付いたら、教会の前に居た。時間だけは経過している。
歩けばどうにかなるだろう、という希望的観測の下、再び歩き始める。
空はオレンジ一色に染まっている。両足は疲労が蓄積している。
だけど、今もなお教会の前に居る。
――最悪だ。スマホ一つ無いだけで、このザマか。