「やっぱり俺一人でやろうか?」
ドミニクの号令と共に、衛兵が黒板を持ってきた。
黒板には、人間の全身と思しき輪郭が白線が書かれている。
「トウヤ=オリベを死なせるのは禁止。じゃが、あの小僧はホムンクルス。絶命しなければ、どんな怪我もたちまち儂の愛しい娘の手当てで治る。そこでじゃ、小僧と試合をする者には、特別加点ルールを設ける!」
ドミニクは怨嗟を込めるかのように荒々しく黒板の腕、足、腰と順番に×を付けた。
「黒板に注目せよ! これは見ての通り、人間の形をしておる。これをトウヤ=オリベと思ってくれ。で、今、儂がバツを付けた場所。そこを切断、粉砕、骨折、炭化等々、一時でも使用不能に追い込んだ者は、勝敗に関わらず座学、魔法、魔導生物、武芸、好きな科目の単位を免除してやろう!」
「おおおおっ!」と一部の生徒達から歓声が上がる。
「当然、トウヤ=オリベが出場する試合の審判する者には、特別手当てを支給する。これで良いな?」
生徒達に混じり、衛兵たちからも歓声が上がった。
――あれ? これって、相手がめちゃくちゃ強かった場合、凄惨な見世物になるだけでは?
シンドウさんとの訓練は、深手を負ったらすぐに手当ての時間をくれるけど……。
トウヤの脳裏に浮かんだのは、四肢をもがれた後に手当てで完治、すぐさま四肢がもがれる、の永久ループ。
悪寒が全身を駆け巡る。喉がカラカラになり、固唾を呑む。
ネガティブな思考に陥るトウヤとは裏腹に、会場の雰囲気が明るくなる。
ドミニクの表情が暗くなる。拳を握りしめ、わなわなと震わせている。
「ええか? トウヤ=オリベという小僧はな、儂から可愛い娘を奪った憎い仇じゃ! この悔しさを、儂に代わり小僧にぶつけてくれい! 頼んだぞ! 生徒諸君!」
その言葉には、涙と憤りが混じっていた。
言い終えたドミニクは、そのまま人目もはばからず泣き崩れた。
何とも言えない雰囲気になる。
行き場を失くした感情をぶつけるかのように、会場にいる生徒の視線がトウヤとイリスに集まる。
「なあ、イリス。何だろう、この空気。居心地が悪いんだけど」
「気にしなきゃいいのに」イリスはトウヤと違い、周囲の目に晒されても平静のようだ。
「ったく、あのじいさん。話が終わったら、さっさと解散でもすりゃいいのに」
すると、泣き崩れてたドミニクがむくりと起き上がった。
「全部、貴様のせいじゃろう!」
ドミニクは、悲しみを微塵も感じさせない程に怒り心頭ようだ。
「おじいちゃん、トウヤの件、ありがとうね」イリスは溌剌とした口調で言った。
「ええよ、ええよ。おじいちゃん、イリスの言う事なら何でも聞いちゃうからねぇ~」娘の言葉には、猫なで声で返すドミニク。
「俺からも礼を言うよ」
「おう、感謝しろよ、小僧。死は免除してやったんだからな」
「ついでに特別加点とやらを失くしてくれると、こちらとしては都合がいいんだけど」
「甘ったれるな! ええか? 生き地獄が儂にできる最大の譲歩じゃ! 命をとらないだけマシだと思えい!」
――生き地獄とか言いやがったぞ、あのジジイ!
やっぱり、俺が痛めつけられるのを楽しむつもりだな!
「すまん、すまん。年をとると話が長くなっていかんわい。儂からの話は以上じゃ。この後も、試合に励めよ」
ドミニクは、黒板を持ってきた衛兵と共に会場を出て行った。
「俺達の試合は、もうすぐだっけ?」
「そうね」
「そういやランク上がったんだよな? えーっと、確か……」
「青銅クラスね。あーあ、カスミと訓練してるんだし、模擬戦くらい石クラスで楽をしたかったわ」
「青銅になったのは、イリスの口添えじゃないのか?」
「そんなわけないでしょ」
イリスとトウヤは青銅クラスの区画に移動した。
模擬戦は、一番下から順番に石、青銅、鋼、銀、金、白金の六つにランク分けされてる。
ランクを分ける理由は、実力の近い者同士が競い合う事で、着実に強くなるためである。
生徒一人一人の総合的な戦闘能力を学校の然るべき識者が測り、ランク分けをしている。
基本的に石、青銅、鉄、銀、金に振り分ける。
白金は、金の中でも突出した実力者が二名出た場合のみ、金から隔離するために用意された特別枠である。
ちなみにジュリアス、マリエル、ロザリーは金である。
そして、今年度の白金は、まだ誰もいない。
「やっほー、トウヤ。今日はよろしくね」
青銅クラスの区画に到着するやいなや、一足先に試合会場に入ってたエステルが声をかけてきた。
いつもと違い、大振りの戦斧を携えている。
大きく幅広い刃は、見る者を震わせる威圧感を放っている。
模擬戦なので刃引きしてるが、重さはあるので鈍器としては十分に活用できるだろう。
「よろしく、という事は……」
「今日の対戦相手は、エステルよ」イリスがぶっきらぼうに答えた。
「イリスちゃん、そんな顔しないでよー。楽しくやろうよ」
「そうね、その物騒な斧を捨ててくれたら、楽しくなるかしら?」
「それはだめ。もう私、色々と単位が欲しいからさ――」
エステルは右手で軽々と戦斧を振り上げた。
「これで、エイッ、て!」
掛け声と同時に斧を振り下ろした。分厚い刃が地面に食い込む。
続けて「私も色々と遅れてるからさ。単位がどうしても欲しくて欲しくて」と、明るい口調で言った。
これから試合に臨むとは思えないほど、晴れやかな表情をしている。
その様子を見たトウヤに、緊張感が走る。
先ほどのドミニクの言葉にすがるのを止めた。
試合となれば事故はつきもの。
万が一、戦斧が頭に直撃したら、高確率で死を迎える。
両手で自分の頬をパン、と叩いて気合を入れた。
トウヤの表情が引き締まる。
「なあイリス、やっぱり俺一人でやろうか?」
「エステルの相手に、二人がかりは卑怯、とでも考えてるの?」
「それもあるけど、あの斧がイリスに当たったらと思うと――」
「子供は、親の心配をなんてしなくていいの」
「お前なぁ」
「それに、あたしたちみたいに魔力を使えない人間が青銅を相手にするなら、二人がかりで丁度いいのよ。猛獣を相手するのに、遠くから魔法を撃ったり、矢を射るのは決して恥じゃないわ」
「そんなに強いのか?」
「そうね。少なくとも、トウヤが一人で相手したら、開始早々だるまやこけしみたいになるわよ。だからこそ、二人で戦うの。それが一番、安全だから。攻撃は最大の防御って言うでしょ?」
イリスの表情は、自信に満ち溢れていた。
愛らしい少女の顔は、今のトウヤには直視できない程、輝いていた。
トウヤは、イリスの身を案じる、という独りよがりな考えをした自分自身を恥じた。
「それに、特訓の成果を出すなら尚の事、二人で戦わないと意味ないでしょ?」
「そうだな……わかった」
二人は同時に、試合会場に足を踏み入れた。
トウヤの胸中には、不思議と焦りや不安が無かった。
かといって、自信があるわけでも無い。
緊張感で全身が微かに震える。
しかし、目の前の相手とどう戦うべきか、その気持ちの方が強かった。
昂ぶる精神が、強張る肉体を解きほぐす。
トウヤは無意識の内に、不敵な笑みを浮かべていた。
その様子を見たイリスは、安堵の表情を浮かべると弓を握った。
「では、始めい!」
何時になく、気合の入った衛兵の号令が試合の始まりを告げた。