「魔族って何だよ!」
魔族、という言葉を目にした途端、浮ついた気分が消し飛んだ。
背筋が凍り付く。二人きりの部屋に緊張感が走る。
トウヤは先刻、一瞬だけイリスの顔が険しくなったのを思い出した。
――イリスはこれを見たから、あんな顔したのか。2+2+1=5。小学生でも出来る算数だ。
エインヘリヤルは、俺とジーナの蜘蛛と見ていいだろう。これで2だ。
他はマリエル、エステル、ジーナの3人。だけど写真の情報には、人間は2、魔族は1。
トウヤの顔が青くなった。全身に悪寒が走る。痙攣する筋肉が歯をガチガチと鳴らす。
「魔族ってことはやっぱり……件の犯人って事かな?」
イリスの口調は、いつも通りだ。平静を装ってるのだろうか。
トウヤは体の震えを抑え込むと、無理やり言葉を絞り出した。
「そんな事より、魔族って何だよ!」
その声音は、感情的だが恐怖で微かに震えている。
「ちょっと! 声、落としてよ。誰かに聞かれたら、大騒ぎになるわ」
イリスは、興奮してるトウヤをなだめるように言った。
トウヤは昂ぶった感情を抑えるため、目を閉じた。
その様子を見たイリスは、続けて口を開いた。
「小さいころに見た文献に記述があったわ。魔族は、強くなるために人間を殺して魔力を奪う種族、と一文だけど。雑に言えば、人間の敵ってことかしら」
「それじゃ、三人の内、誰かが人間じゃないって事か? 嘘だろ!? いやいや、そのタブレット壊れてるんじゃないのか!?」
「そこまで言うなら試しに、今すぐ私自身を撮影するわよ」
イリスはすぐに自撮りをした。画像をスクロールして、文字を確認する。
そこには昨日、訓練所で見たものと同じく、人間1と書かれていた。
「あと、これも見て」
タブレットには、アルベルティナの正面姿が映し出された。文字は、エルフ1と書かれてる。
「いつの間に撮ってたんだよ」
「今朝に決まってるじゃない。でも、安心して。先生の分も、音と光の悪戯って事にしてるから」
「写真については、伏せてるという事だな?」
「うん。だから、種族を識別する能力を知ってるのは、ライラ、カスミ、トウヤに私の四人だけ」
――確かにティナ先生は耳も尖ってたし、自分の事をエルフと言ってた。
それが事実なら、やはり三人の誰かが、魔族という事になる。
剣と魔法にエルフまで出たら、魔物や魔族がいても何らおかしくないよな。
「わかった。お手上げだ。タブレットは壊れてない」
「何で残念そうに言うのよ」
――姿形があまりに元の世界の物と似てるから忘れそうになるが、あれはグリモアだ。故障を期待する方が間違ってたか。
「それじゃどうすんだ? 写真を見せて、校内に魔族がいますよって触れ回るか?」
「おじいちゃんとライラには伝えるわ。だから、覚悟しておいて」
イリスは真剣な表情で言った。
「な、何だよ急に」
「マリー、ジーナ、エステル、三人とも居なくなることを」
「どういう意味だ?」
そう口にした直後、トウヤの頭には、魔女狩りという言葉が過ぎる。
悪魔と契約した女性を魔女と称し、夥しい数の女性を死に追いやった人類史に残る忌まわしい記録。
「おじいちゃんとライラなら、事と次第によっては、強硬手段をとる事もありえるわ」
「でもよ、ティナ先生の言う事が正しいなら、グリモアは人間にしか出ない。マリエルとジーナはグリモアを持ってる。だから……」
アルベルティナの言葉が正しい、という前提なら、魔族の第一容疑者はエステルになる。
だけどトウヤは、今のイリスにエステルの名を告げるのを躊躇した。
「マリーとジーナが魔族に操られてるかもしれない」
イリスの口から、トウヤの想像を遥かに上回る、最悪の言葉が紡がれた。
「何で、そんな事を言えるんだ!」
「魔族は人間の敵。私は、それ以上の事を知らないの。だから様々な状況を想定してるだけ。おじいちゃん達も同じ様に考えると思うわ」
「それなら、俺だって操られてるかもしれないぜ!」
それは、イリスへの当てつけだった。
自分の親を自称するイリスが、友人に疑念を抱く事を厭わない、非情な人間だと思いたくなかった。
認めたくない。だけど、今のイリスを説き伏せるための反証がない。
だから、自分の中で燻る、わだかまりをぶつけるしかなかった。
「それなら、それで構わないわよ」
「何でだよ」
「あんたになら、殺されてもいい。そう、思ってるから」
穏やかな口調だった。表情は、慈愛に満ちていた。
母が子を慈しむような、柔らかく暖かい雰囲気を醸し出している。
トウヤは、言葉が出なかった。
有情か無情、どちらが本当の顔なのだろうか。
友情、信頼、愛情、母性……今のトウヤには、筆舌に尽くす事が出来なかった。
イリスは、身をひるがえした。顔の表情が見えなくなることで、再び緊張感が漂う。
「人間の敵は魔族、これは正しいと思う。でも、それが件の犯人とは限らない」
イリスの冷淡な口調で言った。
良心が鋭い爪でかきむしられてる気分になる。
耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
トウヤは、今のイリスの言葉を聞き入れたくなかった。
イリスは再び、身をひるがえした。トウヤと向かい合う。
「これから私の考えを言葉にするわ。気分を害する事になると思う。聞く覚悟はある?」
トウヤは、黙って頷いた。