「人間とホムンクルスが……」
イリスとトウヤは先日と同じ道を通り、不毛な水掛け論を交わしながら訓練所に着いた。
「あんたが変な事を言うから、余計遅れちゃったじゃない」
「お前が人のプライベートを掘り起こすからだろうが」
「そんなの関係ないでしょ! 元はと言えば、あんたが鐘の音を聞き逃したのが悪いんでしょうが」
トウヤは反論できなかった。
マリエルの部屋の細工を知らなかったとは言え、イリスの言葉は事実だからだ。
「目的地に到着したし、今日も訓練に励むかな」
「逃げたな」
トウヤが白々しく言うと、イリスはボソっと応えた。
訓練所に入ろうとしたとき、扉が少し開いていた。
隙間に右手を入れ、扉を開けようとした時、男女の口論と思しき強い口調の声が聞こえた。
「トウヤ、さっさと開け――」
イリスが言い終える前に、トウヤの右手がイリスの口元を手で覆った。
続けて、左の人差し指でイリスに隙間を覗き込むように仕向ける。
トウヤが扉から一歩下がると間にイリスが入り込むと、二人して隙間を覗く格好になる。
隙間からは、制服を来た人間の後ろ姿とそれに対峙するカスミの姿が見えた。
制服の人間は、首が見える事から、髪が短く色調が暗い事しかわからない。
人気の少ない訓練場は、静謐な空間のため、耳をそばだてると二人の声を一字一句聞き取る事は容易だった。
「アクセル様のお気持ちは嬉しいですが、受け入れるわけにはいきません」カスミは凛とした声で言った。
「今日もダメかぁ」対する制服を来た人間は、若干気の抜けた男の声だった。
「明日も明後日も変わりませんよ。修行に励むのは結構ですが、いい加減クロスフォード家、次期当主の自覚を持ってください」
――クロスフォード? たしかバルナバスが言ってた、五大貴族の一つだよな。
その上、次期当主ねえ。
士官学校は、当主になれない貴族の次男坊が通うイメージなんだけど、この世界では全く別物なんだな。何せ現当主様が通ってるくらいだしな。
「それはそれ、これはこれ。あなたが首を縦にふるまで、俺はあなたとの結婚を諦めませんよ」
「それが次期当主として相応しくない振舞いと申しております。アクセル様は人間、私はホムンクルスですよ」
「ホムンクルスと添い遂げる人間は珍しくないぜ」
――そうなのか。人間とホムンクルスが……。
トウヤは隙間から目を離すと、イリスの後ろ姿に視点を移した。
程なくして、イリスが後ろを振り向いた。
トウヤとイリスの目が合う。二人は一瞬だけ固まると、そそくさと目を逸らした。
「いい趣味してるなあ。有名人」
突如、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。二人は身を翻す。
目の前には制服を着用した男が立っていた。
見覚えのない男だった。ダークブロンドの清潔感あふれるショートヘア、色気のある整った顔立ち。
男は、穏やかな表情を浮かべている。だけど、男の周囲に漂う空気は張り詰めている。
――髪の色がカスミの向かいに居た奴に似てるよな。
トウヤは隙間を覗き込んだ。視線の先には、男とカスミが向かい合っている。
訓練場の中に男がいる事を確認すると、再び身を翻す。
「はぁ~、俺は今日もふられて落ち込んでるのに、お二人の仲はよろしいみたいで」
目の前の男は、気が重くなるような溜め息と共に嫌味を吐き出した。
「そ、そんな風に見えるのかしら!?」イリスはあたふたしている。視線が明後日の方に向いている。
「期待に添えなくて悪いね。あんたの想像してる関係じゃないよ」トウヤは自身の体温が上がっているのを隠す様に、平静を装う。
「はあ……覗き見の上に、振られた俺への当てつけかい?」
男は、右手の指を素早く動かした。
一連の動作を終えたのか、右手の人差し指と中指を立て、残りの指を手の内側に曲げる。
男の顔が険しくなる。気合と共に、右手をトウヤ達の方に突き出す。
すると、トウヤの全身に凄まじい風圧力が襲い掛かった。
トウヤはすぐさま、イリスに覆いかぶさった。
立つ事すらままならない風圧力は、トウヤ達の体を扉に押し付けた。痛みは無い。
しかし、風が止む気配は無い。それどころか風圧力が増していく一方だった。
――風の魔法って奴か。ったく、ここの貴族様はどいつもこいつも俺を何だと思ってんだ。
苛立ちが募る。風圧力でドアが軋む。
トウヤは風に抗うため、地に足を付けるが踏ん張りがきかない。
程なくして、急に体が軽くなった。
それは、風圧力によって壊れた扉と共にトウヤ達が訓練場に押し込まれた事を意味した。
「痛っ。くそっ! イリス、大丈夫か?」
「お、重い。早くどいて」
トウヤは素早くイリスから離れた。
「潰れるかと思ったわ」
「え? どこか膨張してたっけ?」
「何ですって!?」イリスの顔に怒りが露わになる。
「これはこれは、随分と派手な来場ですね。オリベ様、イリス様」
近くにいたカスミがトウヤ達に声をかけた。
「普通に入場したかったんですけどね。でも扉を壊したのは俺達じゃないです……よ?」
カスミの側らにいる男子生徒、アクセルと呼ばれた男の顔を見たトウヤは、驚きのあまり語尾がおかしくなった。
その男の顔は、先ほど外で風の魔法を使った男と瓜二つだからだ。
出入口に目を向ける。男は悠然と立っている。
再び、正面を見る。こちらも同様だ。全く同じ顔をした男が二人いるのだ。
正面にいるアクセルが、ゆるりとトウヤに近づく。