「俺の命運もここで尽きるかと思ったよ」
「なあ、マリエル……やっぱり、こいつの使い方が解明できなかった場合、俺は処刑されるのか?」
「あなたは私を殺人鬼だと思ってますの? 確かに先ほど申し上げた通り、この部屋なら、あなたの命をいかようにもできますわ。しかし、それはあなたが私に狼藉を働いた場合です。悩み事が解決しないだけなら、特に何もしませんわよ」
「それはよかった。俺の命運もここで尽きるかと思ったよ」
トウヤは気を抜くと、椅子の背もたれに体を預けた。緊張の糸が切れ、全身から力が抜けるのを感じる。
トウヤは改めて、紙の束から一枚の紙を摘まみ上げると、しげしげと眺めた。
マリエルは嘆息をつくと再び項垂れた。
――うーん、破いても、焼いても、遠くに放っても、忽然と消える。しかし、再びグリモアを出せば元に戻る。
グリモアってよりも呪いのアイテムだな、これは。何せ、持ち主のマリエルをがっかりさせる代物。せっかくの美人が台無しだ。
まるで、グリモアの呪いにかかってるみたいだ。呪い……か。
トウヤは、呪いというワードと異世界に来てから自分が触れてきた道具について色々と思い返した。
――そういや、あのスポーツドリンクみたいな薬品。確か、血が入ってるとか言ってたよな。血……血文字? 昔は血判状とかいって、文書にハンコを押印するように、指先に血をつけてから押してたんだよな。
「マリエル、ちょっと試したい事があるんだけど、いいか?」
「何か妙案がありまして?」
「いや、どちらかと言うとグリモアの特性を調べるためだ。使い方に繋がるかどうかは正直わからない」
「まさか今度は、紙を食べる、とか言いませんわよね?」
「そんなバカな事じゃねえよ。血だよ血。ほら、血文字とか? グリモアの持ち主、つまりマリエルの血を紙に付けてみるんだよ。俺もこの前、血を混ぜた薬を飲んだし、何か関係あるんじゃないかなと思って」
「なるほど!? それは盲点でしたわ。大昔は血判状というものがありましたし……ちょっと試してみますわ」
マリエルの表情がぱぁっと明るくなった。
――紙を食べるという発想は出てくるのに、血を使うという発想が出てこないのが不思議だ。本当に貴族なのか?
トウヤは、マリエルの思考に疑問を抱きつつも、希望に満ち溢れた明るい表情の前で水を差さないように口を閉ざした。
マリエルは、嬉々とした表情で刀身が綺麗なナイフを取り出す。
今まさに、マリエルの指先にナイフの先端が触れようとしている。
ナイフの動きには迷いが見られない。自分自身の指に切り傷を付ける事に憂いや躊躇いは無さそうだ。
トウヤは、その様子を直視する事が出来ず、目を背けた。
「トウヤ! こんなところで道草食ってないで、さっさと訓練場に行くわよ!!」
怒号の後に蝶番の軋む音が続いた。
「イリス!? ドアを開ける時は、ノックするのが礼儀でしょ!?」
マリエルが狼狽えている。予想外の音で手元が狂いかけたようだ。
マリエルの手から血が流れてないため、最悪の事態は避けられたようだ。
「マリー、人生が嫌になったの?」
「部屋に押し入ってからの第一声が、友人にかける言葉とは思えませんわ」
「どう見ても、そんな構図にしか見えなかったから、つい」
マリエルは右手に握ってたナイフを慌てて、テーブルの上に置いた。
「ご心配には及びませんわ。これは……ちょっと血が入用になったので、指にちょっと……ほんのちょっとだけ傷を付けようと思っただけですわ」
イリスはテーブルの上にある紙の束を見るやいなや、「ふーん」と力の無い相槌を打った。
どうやら、マリエルの目論みを察したようだ。
「マリー、続きは後日でいいかしら? これから、うちの子を訓練場に連れて行かないといけないから」
「ええ、構いませんわ」
マリーの承諾を得たイリスは、トウヤの袖を掴んだ。
「訓練場に行くのは構わないけど、鐘はまだ鳴ってないだろ?」
「鳴ったわよ。鳴っても来ないから、こうして迎えに来たのよ! もうあんたってば、私が居ないと何にもできないんだから」
「いやいや、俺だって鐘の音は聞いた事あるから、聞き逃すようなヘマはしないって」
「この部屋はちょっと特別なのよ。ね? マリー」
イリスの呼びかけに、マリエルは軽く頷いた。
「私の部屋は音を遮断するために、窓や壁に細工をしておりますの」
「窓が異常に重かったのはそれか。そういやイリスの部屋と違って隙間風も無いし、部屋に入った時、妙に静かだと思ったんだが」
「睡眠不足は美容の大敵ですので、熟睡するために特別に拵えてもらいましたの」
――なるほど。鐘の音が聞こえなかったのは、部屋が防音仕様だからか。他にも、異常な緊張下で目の前の事に集中してた事もあるんだろうな。
「それに……この部屋で何かする時、外に音が漏れる事を防ぐためでもありますわ」
マリエルは念押しするように、含みのある物言いをしている。
トウヤは一瞬、背筋に寒気を感じた。
「マリー、話は終わったようね。それじゃ私とトウヤは、これで失礼するわ」
イリスの言葉にハッとなったトウヤは、取ってつけたように「じゃあな」と挨拶をすると、マリエルの部屋を後にした。