「折り紙……にしては大きいよな」
「もし私に手を出そうものなら、その腕ごと切り伏せましょう」
「ホムンクルスは賓客じゃないのか!?」
「大丈夫ですわ。私、こう見えて応急措置の手解きは受けてますの。止血くらいは出来ますわ」
「賓客を痛めつけるのが貴族の習わしなのかよ」
「狼藉者に手心を加える必要がありまして?」
「子が死んだら、ホムンクルスの親が悲しむだろ」
「それなら問題ありませんわ」
「え?」
「そういう時は、慰謝料を払いますわ」
「さすが貴族、いざとなれば金かよ。感じ悪いな」
「もし民心が離れそうな時は、きちんと申し開きしますわ」
「へー、潔いんだな」
「悪いのはトウヤである、と。当然、真相は胸にしまっておきます」
「お前は悪役令嬢かよ!」
「平民のホムンクルスと貴族の言葉。民がどちらを信じるかは、火を見るより明らかですわ」
マリエルは、微笑を浮かべている。
今のトウヤは、その笑顔の裏に秘められた、暗黙の脅迫に肝を冷やしている。
――どこの世界でも支配層、つまり上級国民ってのは法でどうこうしようと考えない方が良さそうだ。貴族と平民で役割分担してるから隷属とは無縁だと思ってたけど、考えが甘すぎた。
この世界の支配層は、ただ理不尽な搾取してないだけだ。
その気になれば有象無象の平民の命を、闇に葬る事なんてお茶を淹れるより容易くできるだろう。
あーあ、俺に何か取柄でもあって、何か大きい後ろ盾を得られれば話は変わるんだろうけど……。
トウヤは、この世界で出会った人達の第一印象を思い返した。
――うーん、悪意と殺意と敵意にまみれてるな。この世界の人達はホムンクルスに対して、良くも悪くも関心が高いのだけは理解した。旅の恥は掻き捨てとも言うが、うかつな事をしたら即バッドエンドだ。
先ほどのジュリアスの威圧といい、マリエルの剣技といい、今の俺の力では死亡フラグだらけ。この調子だと、場を和ませるために口走った冗談が、遺言になりそうだ。
トウヤは異世界に対して、自分がいかに無力なのかを思い知らされた。
煩悩は命を危険に晒すと判断し、邪な事は考えないよう、心に深く刻み込まれた恐怖を思い返す事に決めた。
トウヤが押し黙ったのを見計らうように、マリエルが口を開いた。
「トウヤ。これから成す事に、決して笑わないでくださいまし」
「ああ。こんなところで死ぬのは御免だからな」
トウヤの軽口にマリエルは「もう」と言って口を尖らせた。
その直後、マリエルは右手をテーブルに乗せるような所作をした。
すると、テーブルの上に紙の束が出てきた。
「これは……グリモ、ア? 」
「ええ、これが私のグリモアです」
「実は、トリックじゃないよな?」
「トリックとは何でしょうか?」
マリエルは紙の束を出したり、消したりを何度か繰り返した。
――うーん、マリエルの暗い顔を見る限り、悪戯の類では無さそうだ。確かにタブレット型のグリモアがあるなら、様々な形のグリモアがあるだろうとは予測していたが……。
トウヤは、紙の束に面食らっていた。A4サイズの日焼けで茶色くなってる紙が複数枚、重なっただけのグリモアに。
――折り紙……にしては大きいよな。そもそも茶色がかってるのが気になる。魔法がある世界なら鶴や蛙でも折ったら、本物の動物になりそうな気がするけど、この世界で生き物を操るなら魔道生物があるし。やっぱり、文字を書くための紙だよな。
「俺にはどうみても、お手紙を書け、としか思えないけど」
「そう考えるもの無理もありませんわ、ですが……」
マリエルはテーブルの上にある羽ペンを掴むと、傍に置いてあるインクに付けた。
インクが付いてる羽ペンを紙の上で滑らせる。青黒い文字が紙に染み込んでいる。
紙としての機能はあるようだ、とトウヤが眺めてた時、紙に染み込んだ文字がじわじわと薄くなり、やがて綺麗に消えてしまった。
「この通り、お手紙に活用する事ができませんの」
「みたいだな」
トウヤは試しに、紙飛行機でも折ってみようか? と思い紙に手を伸ばした。
紙に指先が触れる。紙の手触りを確かめてる時、他人のグリモアには触れない、という原則を思い出した。
体中が焦燥感で熱くなる。痛みを覚悟して、両目を固く閉じた。
しかし、激痛は無かった。
「あれ!? これってグリモアだよな? 俺、触れるんだけど」
「このグリモアは、私以外の方でも触れる事はできますわ。ただ、ホムンクルスでも大丈夫なのは、今さっき知りましたが」
「光栄だな。ホムンクルスの身で、マリエルのグリモアに初めて触れたのが俺なんてね」
「そんな事より、何か良い考えは浮かびまして?」
「ああ、少し待ってろ」
トウヤは、紙の束から一枚だけ取り出すと、慣れた手つきで紙飛行機を折った。
それを正面から眺めて、Y字になっている事を確認した。
「窓、開けていいか?」
「ええ」
マリエルの承諾を得るとトウヤは窓を開けた。
心なしか、イリスの部屋の窓よりも重く感じた。
頬を撫でる風の心地よさを堪能すると、紙飛行機をダーツを投げる要領で前に押し出した。
紙飛行機は風に乗ったため、トウヤの予想を超えて遠くまで飛んだ。
「まるで翼を広げた鳥のようですわね」
マリエルが気の抜けた声で言った。
マリエルの声が気になりつつも、トウヤは滑空して前のめりになる飛行機を眺めていた。
それが地に落ちるまで見届けようと思ったその時、紙飛行機は忽然と消えた。
「紙が消えちまったぞ」
「原因はわかりませんが、このグリモアは破いても、燃やしても、今見たいに遠くに飛ばしても消えますの」
「ふーん」
トウヤは見た目よりも重量感の窓を閉めると、テーブルの席に腰を下ろした。
「さっきみたいに紙が消えたら、補充はできないのか?」
「それが恐ろしい事に、消えたそばから新しい紙が補充されておりますの。紙を燃やした後にグリモアを出してみると、燃やした分の紙が出てきますわ」
マリエルは、諦め気味の様子を見せている。
――使ってもすぐに補充されるなら、日常生活で色々と使えるな。鼻をかんだり、トイレで使ったり……何て言ったら、斬り殺されそうだから止めよう。
「やはり、あなたでも”これ”をどうするのか、わかりませんか?」
「正直言うとお手上げだ。用途不明の紙の束、どう使えばいいのか、見当もつかないよ」
――尤も、俺の世界にこの能力があれば、色んな団体をおちょくる事くらいは出来そうだけど。いや、そんな事よりも、このままマリエルのグリモアの使い方がわからない場合、どうなるんだ?
マリエルは落胆しているのか、顔を伏せている。
トウヤは恐る恐る声をかけた。