「この世界にも数学があるのか!?」
「仲いいんですね。イリスとロザリーって」
「「そんなわけないでしょ!」」
ロザリーとイリスの言葉が見事に被った。息がぴったりである。
イリスとロザリーはお互い向き直ると、目をつり上げて睨み合いを始めた。
「お互い、何だかんだで意識はしてると思うわ」
突如、後ろの席からジーナのか細い声が聞こえた。
声を聞き慣れないトウヤは、心臓が飛び出しそうになった。
一瞬、肩を弾ませた後、ジーナの方に向いた。
「そうなんだ」
「座学で一位と二位の関係だから」
「ライバルってこと?」
「うん。一位がイリスで、二位がロザリー」
「薄々思ってたが、イリスって頭いいんだな。居眠りするくせに」
「だから真面目に授業受けてるロザリーは、何かにつけてイリスに絡んでるの。見てる分には賑やかで楽しいわ」
イリスが凄まじい形相でジーナを睨みつけた。
「こっちは、いい迷惑よ!」
ロザリーは冷静になったのか、いつもの知性と美貌を兼ね備えた聡明な顔つきに戻っている。
「トウヤ。もしイリスが寝てたら、腕の一つや二つ叩いていいから」
「そんなところまで面倒見たくないです」
「だって、あなたはイリスの子なんでしょ? 子が親の面倒を見るのは当然じゃないの」
「部屋の掃除から戦闘要員までこなしてるのに、これ以上仕事が増えたら俺が倒れますよ」
「あなたなら倒れてもいいでしょ。私じゃないし」
「あんたは悪魔ですか!?」
「そろそろ先生が来るから、私は席に戻るわね」
ロザリーは逃げるように立ち去った。
自分勝手なところも少しイリスに似ているな、とトウヤは思った。
――それにしてもホムンクルスというのは、親と子で相互扶助が当たり前のようだ。毒親みたいな言い回しは引っかかるけど、ロザリーの言葉はそれとは無縁だろう。
昨日の授業でも思ったけど、イリスは居眠りの常習犯のようだ。薬は盛るし、部屋は汚いし、だけど頭が良い、いや悪知恵が働くと言うべきだろうか。
なんというか、友人よりも敵を作る生活を送ってるんだな。
トウヤは生前の学校生活を振り返った。
放課後を共に過ごす友人は居た。女子とも必要最低限の会話はした事はある。誰かに目の敵にされた事もない。
波風の無い、平凡な学校生活だった。青春を謳歌してるとも言い難いが灰色では無い。
率先して何かをやろうとも思わなかった。どちらかと言えば、周囲に流されてばかりだった。
自分の学校生活と比べたら、イリスの振舞いが眩く見えた。
今更ながら、イリスみたいに自由奔放に振舞っていたら、どうなっていただろうか。
トウヤは、二度と戻る事のない高校生活に後ろ髪を引かれていた。
「はーい、楽しい楽しい算術の時間ですよ」
ドアが開くと同時に、明るい男性の声が聞こえた。
茶色のくせっ毛に、顔は彫が深く鼻筋が通っている。
白いロングコートと男性の様相が清潔感と放逸さを兼ね備えている。
ほうれい線が加齢を感じさせるものの、溌剌とした表情が素晴らしい年を重ねている事を表してる。
体形は痩せ型ではあるが、堂々と胸を張った姿勢と長い脚がスマートな印象を与えている。
本来、高潔な印象を与える白い服装にも関わらず、硬すぎず柔らかすぎない印象なのは、ひとえに男性の様相のおかげだろう。
「うげ……この世界にも数学があるのか!?」
トウヤの苦手科目の一つである数学なので、思わず愚痴をこぼした。
――算術ねえ……算数やマイナスの計算くらいならどうにかなるんだけど。
「そんなに嫌そうな顔しないの。新しい事を知るのって楽しくない?」
「それよりも、さっきまで筋肉痛で苦しんでたくせに随分、元気そうだな」
「魔法じゃないからね。算術は理解した分、必ず報われるもの」
「冗談じゃない。俺の知識欲は、算術に奪われたんだ」
「へえ、あんたの世界にもあるんだ。算術」
――おかげでタブレットが造られたんだけどな。
トウヤは口に出そうとした言葉を飲み込んだ。
「そうだそうだ。今日は新入生のため、軽く自己紹介でもしておこうか」
「僕の名前は、ロバート=ラビ=シュレミール。先ほど申し上げた通り、算術を担当してるよ。トウヤ=オリベ」
「俺の事は、やっぱりドミニク学長から?」
「ああ。小僧は、強さだけでなく知識も足りないだろうから、一つでも多くの知識を脳みそに刻み込んでやってくれ、と仰せつかってるよ」
「あの、じじい。もう少しマシな言い方は無いのかよ」
トウヤは小声で悪態をついた。教室中から、か細い笑い声が上がる。
陰口を叩かれてるようで、不快な気分になる。これなら教室中の生徒全員が大声で笑ってくれた方がマシだと思った。
程なくして教室が鎮まるとロバートは沈黙を破った。
「それより、イリス。君の探求心と学問に対する姿勢は、目を見張るものがある。しかし、今の君はまがりなりにもホムンクルスの親でグリモアも所持している」
「相変わらず、魔法はからっきしですけどね」
イリスは投げやり気味に言った。
「そんな君だからこそ、この言葉を贈ろう」
ロバートは、意味ありげに咳払いをすると再び口を開いた。
「想像力は、知識より大切だ。知識には限界がある。想像力は、世界を包み込む」
「はぁ……想像力ですか……」
「グリモアは、意味も無く顕現する事は無い。きっと君だけにしかできない力があるのさ。慣例が無いグリモアを使いこなすには、きっと想像力が鍵になるだろう」
「私だけの力……」
「ただ、僕も魔法はからっきしだから、責任は持てないけどね」
「教師がそんなので良いんですか!?」
「ええ、僕の担当は算術だからね。門外漢の魔法は妄想しかできないよ。ただ、わからない事は難しい顔して悩むより、もっと気楽に朗らかに、部屋に閉じこもるより晴天の中を散歩した方が良い考えが浮かぶ時もあるよ」
言い終えたロバートは、誤魔化すように笑った。
ロバートの朗らかな表情に、イリスは二の句が継げなくなったのか、大人しくなった。
「では、授業を始めようか――」