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「あ……湖で会って以来だね」とジーナがぽつりと呟いた。どうやらタブレットの中にいた精霊が解き放たれたようだ。


「グリモアが、消えちまったぞ……」トウヤが言った。

「そうね」イリスは、嬉しそうな口調で言った。

「何で?」

「トウヤ……あのグリモアが出た時、最初に何をしたのか覚えてる?」

「指紋認証だろ? 人間とホムンクルス、つまり俺とイリスの指紋認証を……あ!? まさか、俺が人間になったからか」

「ご明察。トウヤが人間になったことで、グリモアの起動条件を満たせなくなった結果、ご覧の通り見事に散ったのよ」

「よかったのか? せっかくのグリモアを――」

「要らないわよ。大体、これ以上、何と戦うのよ」

「それもそうだな」

「エリー伯爵令嬢。お手数をおかけして申し訳ございませんが、今一度、あたしに水晶をかざしていただけないでしょうか」


 エリーは無言で水晶を取り出すとイリスに突きつけた。水晶には、何も映らなかった。


 それを見たトウヤは嬉しさのあまり大声で叫んだ。これで憂いは晴れた。力は失くしたが、今後の行く末を思えば瑣末なことである。

 トウヤの叫びが切っ掛けで、室内の雰囲気が明るくなった。


「皆に問う。グリモアを失くした我が妹をどう見るか。各人の見解を述べよ」ロザリーが言った。


 すると、間を置かずにレオンが口を開いた。


「イリスの士官学校での様子は聞いております。座学は秀でてるが、武芸と魔法は凄惨たる有様であると。それならば、危険視するまでもない、というのがゼクスヴァイン家からの評です」

「そうね」

「もし彼女が冷血な覇王なら今頃、戦費を賄うために神の御業を以って大陸を統治してることでしょう。ですが、それを選択しなかった」

「おかげ様で、我が国の財政は逼迫しているわ」ロザリーは明るい口調で言った。


 続けて、ジュリアスが口を開いた。


「伴侶であるトウヤについても、イリスとさして変わらないでしょう。剣の腕前は一兵卒と大差なく、彼女のグリモアが消えた今、監視は不要かと」

「それについては同意するわ」


 ――俺もイリスも酷いディスられようだな。……事実だけど。


「他の者はどう? 臆せずに申しなさい」


 ロザリーが促すと、神妙な面持ちのエリーが挙手した。


「僭越ながら申し上げます。今、もっとも憂慮すべき点は、彼女にはグリモアが無い時期が存在した事です。彼女のグリモアより以前は、グリモアは生まれつき持ち合わせてるというのが定説でした」


 エリーの言葉が室内に響き渡ると同時に、明るい雰囲気が払拭された。

 エリーは再び口を開いた。


「しかし、彼女のグリモアは、入学後に顕現しました。この事実がある限り、再びグリモアが顕現する可能性を見過ごす事はできません。そこでボクから提案があります。イリスの身柄は、これまで通り女王の監視下に、そして彼の身柄は、ガルテス家が預かります」

「訳を述べよ」

「一つはグリモアが顕現する要因に、二人が揃うこと、が考えられるためです。二つ目はグリモアが再度、顕現した折、二人が離れてた方が事態の収拾が容易になるためです」

「エリー、貴女の言い分は承知しました」


 エリーは一礼した。


「エリー! どういうことだよ! 俺とイリスを引き裂くなんて――」

「言葉の通りさ。でも、安心していいよ、トウヤ。家が没落しない限り、一生面倒を見るからさ。……それとも、腕づくで切り抜けるかい? 力の源泉を失くした君が」

「ああ、やってやるさ! マリー、剣をかしてくれ!」

「双方とも控えよ!」


 一触即発のエリーとトウヤを鎮めるように、ロザリーの一喝が響き渡る。


「最後に、私の見解を述べます。私は、彼らの営みに枷をはめるつもりはありません。ですが、監視を怠るつもりもありません。そこで王国親衛隊(ロイヤルガード)である、マリエル=フォン=バシュラールとジーナ=ランディの両名に、我が妹とその夫の、無期限の監視を命じます」


「その二人では役不足かと存じます」エリーが言った。その声には僅かに凄味と侮蔑が込められている。

「あなたもご存じのはず。ジーナは、その手の事には長けてるのを。それに、有事の際は――」ロザリーの視線がジュリアスに向いた。


 視線を感じ取ったのか、ジュリアスが口を開いた。


「彼らの気配は記憶しております。陛下のご命令とあらば、どこに潜んでいても三日以内に彼らの祖首を献上いたします」

「その言葉、胸に刻みつけておきます」


 マリーとジーナは喜びとも悲しみとも言えぬ、複雑な表情を浮かべた。

 見るに見かねたのか、アクセルが口を開いた。


「僭越ながら、女王陛下。あの二人に……その命を下すのは、酷かと」


 アクセルが言葉が終わると同時に、ロザリーが首をかしげた。

 程なくして、ロザリーが口を開いた。


「マリエル、ジーナ。お二人は、先王から王国親衛隊(ロイヤルガード)の特権を聞いてないのですか?」

「私は特に何も……」マリーは覇気のない声で言った。

「お城で寝泊りできて、専属のお世話係もついて、お給金もいいから、男爵程度の気分は堪能できる、って」ジーナが言った。

「え? 金くれるの? 俺、もらったことないんだけど」


 トウヤは思わず口を挟んだ。続けて、イリスの方に目を向けた。

 イリスの視線は、何故かトウヤ達からそれていた。顔は笑っているけど、ぎこちない。


「い、いいじゃない……トウヤ。ほら! それよりも早く行こうよ。もう、用は済んだし」


 イリスは、トウヤの袖を引っ張りながら歩いた。

 すると、ロザリーは邪悪な笑みを浮かべた。


「マリエルとジーナに命じます。大事な要件がありますので、二人を捕らえなさい!」ロザリーの言葉に威厳はなかった。その口調は、問題児を注意する級長のようだった。


 部屋から出て行こうとするトウヤとイリスは、マリーとジーナに捕まり、部屋の中央に引き戻された。


「大事な要件って何ですか?」トウヤはたずねた。


「端的に言うと、王国親衛隊(ロイヤルガード)の特権の一つに出自、性別、年齢に関わらず複数の配偶者をもつ権利が与えられるのよ。力を尊ぶこの国では、力ある者の子はいくらいても困らないからね。ただ、あなた達が数百年ぶりの王国親衛隊(ロイヤルガード)だから、知らないのは無理もないわ。私だって王位について初めて知ったからね。だけど、妹の様子を見る限り、配偶者に関しては、故意に伏せてたみたいね」


 ロザリーは弾んだ口調で言った。ただトウヤに、というよりイリスに向かって説明してるように見える。

 側にいるマリーとジーナは、恨みがましい目つきでイリスを睨みつけている。

 ただでさえ小柄なイリスが、いつもより小さく見えた。そして、ぽつりと「賭けに負けたか……」と言った。


「そもそも俺は、まだ王国親衛隊(ロイヤルガード)なんですか?」

「そうよ。任命は王の一存で出来るけど、解任はできないの。だから、例の儀式が始まって以来、誰も就く事がなかった幻の役職だったの」

「という事は……つまり……」

「あなたは、複数の妻をめとることができるのよ。丁度、良かったんじゃない。三回目の人生なんだし、妻が三人いても」ロザリーは満面の笑みを浮かべている。


 ――そんな周回特典みたいに言われても……。


 と、そんな事を考えてた矢先、妙に熱い二つの視線と……心臓を射貫くようなおぞましい視線を感じた。


 頬を赤く染めたマリーとジーナは、真剣な眼差しでこちらを見ている。


「トウヤ、わ、私を……わた、くしを……」マリーは恥ずかしいのか、口ごもっている。

「トウヤ、結婚しよう」ジーナは、柔らかい口調で言った。


 全身の血流が激しくなる。心臓はバクバクして、頬は熱帯びて、思考力が低下した。

 無理もない。容姿端麗のマリーと美少女のジーナに言い寄られては、女性経験の浅いトウヤが困惑するのは必然と言えよう。


「うんうん、マリエルとジーナの二人なら、たとえ我が国で謀反が起ころうとも、諸国の軍隊が攻めてきても安心ね」ロザリーはご満悦のようだ。


 心臓を射貫くようなおぞましい視線の元凶――ジュリアスは、今もなお険しい顔つきでトウヤを睨みつけている。

 アクセルは「まあまあ、いいじゃないか」と言いながら、ジュリアスをなだめている。

 レオンは、遠巻きにイリス達の様子を見て笑っていた。

 状況を飲み込めてないのか、しどろもどろするヨハン。

 そしてエリーは、いつの間にか部屋から姿を消していた。






 トウヤが二人への返答で固まってると、突然「ああああああああああ!」とイリスが声を上げた。


 トウヤ、マリー、ジーナの三人が一斉に、ビクリと体をすくませた。三人の視線がイリスに集まる。


 イリスはトウヤの袖を掴むと「ほら、行くわよ!」とトウヤを急かした。

「お待ちなさい! 私は、まだ返事を頂いておりませんわ」マリーが言った。


 ジーナは同調するように、小さくうなずいた。


「結婚する必要は無いでしょ」イリスが言った。

「私の何が不満ですの?」

「トウヤの伴侶があたし以外にいることよ!」


「わかった、わかった。イリスとも結婚するから、ね」ジーナが言った。

「なんで、そうなるのよ!」

「ならトウヤだけと結婚する」ジーナはトウヤの右腕にしがみついた。

「離れなさいよ、ジーナ!」

「ずるいですわ、それなら私も」マリーは右腕を、トウヤの左腕にからめた。


 両腕に押し寄せる女性特有の柔らかくて暖かい感触に、トウヤの男の性が大きく揺さぶられ、思考力が著しく低下する。


「どさくさに紛れて、何やってんのよ! あんたら! ほら、トウヤがハッキリ言わないか――」


「さあトウヤ。新居はどうします? 私のお屋敷なら、何時でも構いませんわ」マリーが言った。

「私たちの新しい生活は、この部屋を出てからじっくりとお話ししよ」ジーナが言った。


 トウヤは、マリーとジーナによって、腕が千切れそうな力で引っ張られている。


「ちょっと! 待ちなさい! トウヤは! トウヤは、あたしの――」

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