「俺は一体、何を考えてるんだろう」
「ティナ先生、質問いいですか?」
「はい、何でしょうか?」
「水と風が出てくるのは分かりますが、どうして火と土が出てくるのでしょうか?」
ティナは一瞬目を丸くした後、くすっと笑った。その後、すぐに顔を引き締めた。
「すみません、25年前にも同じような質問を受けた事がありまして……つい、その事を思い出してしまいました。気を悪くしたなら謝ります」
「いえ、大丈夫です。続けてください」
「火と土が何故、出てくるのか? ですね、答えは魔法の核には火、風、水、土の四大元素が既に含まれているからです。火属性に適正のある人なら、火が。土属性に適正のある人なら、土という感じで、魔力を体から外に放出する時点で、その人に適正のある属性が必ず付与されます。その核に対して、さらに火、水、土、風を混ぜる事ができます。これで答えになりましたか?」
「わかりました」
――頷くしかなかった。そもそも自分の基準で魔法を理解しようとする事が、おこがましいのかもしれない。先ほどの先生の実演、先日のロザリーとバルナバスの火の魔法。何も無いところから火が起こる事象を目撃した事と火球から感じ取った熱。理解の範疇を超えているが、確かにあるのだ。
トウヤはどこか後ろ髪惹かれる思いを微かに抱きつつ、無理やり納得する事に努めた。
ティナはトウヤを一瞥すると、悩む仕草をした。
「そうね、せっかくトウヤ君もいますから、魔導生物についても軽くお話しましょう。先ほど魔法の核が魔力と言いました。では、魔導生物の核とは? それは、死者の世界で彷徨う異世界の生命の魂です。魂に刻まれた肉体の記録を元に火、水、土、風を混ぜて造り、最後にフラスコの刻印で肉体と魂をピタっと、くっつけます」
――魔導生物か。
思わずトウヤは、隣のイリスに目を向けた。イリスは机に突っ伏している。どうやら寝ているようだ。
「ちなみに魔導生物について詳しく知りたい方は、魔導生物担当のライラ先生に聞いてくださいね。私は門外漢ですので」
ティナは淡々と話を続けている。トウヤは一瞬だけ周囲を見回した。真面目に話を聞いてる生徒もいれば、自分の世界に入ってる生徒もいる。復習のためか、先生の講義に耳を傾けてる生徒は半数くらいに見えた。但し、居眠りはイリス一人だけのようだ。
「続いてグリモアについてお話しましょうか。基本的にグリモアは、魔導士の才能が”本”として具現化したものです。グリモアを持ってる方は、最初のページに所持者の適正属性が記載されてますので、それに従えば最短で才能を開花する事ができるでしょう。さらに修練を積む事で、読み進められるページが増えます」
――そういえば、さっき魔力の核には適正のある属性が付与される、と言ってたけどグリモアには、その適正が書いてあるみたいだ。となるとイリスも実は魔法が使えるのでは? 後でイリスと一緒にタブレットを詮索してみよう。
「但し、グリモアはあくまで才能ですので、有為の証にはなりますが、強者の証にはなりません。本は持ってるけど怠けてた魔導士が、本は無いけど修練を積んだ魔導士に敗れた例は、枚挙にいとまがありません。ですので魔導士の方々はグリモアの有無に関わらず、日頃の研鑽を怠らないように気を付けてください」
――これは貴重は情報だ。グリモアを持っているイコール強い魔導士と思っていた。だけど相手が努力を嫌うタイプなら、才能は開花しないという事になる。才ある者は才に溺れるというのは、世界が変わっても同じなのだろう。努力を積み重ねられる天才には敵わない、という真理も同じなんだろうけど。
「では、続いてグリモアの分類について説明します。普通の本の形をしたものが”良書”と呼ばれてます。ほとんどグリモアはこちらに該当します。他にも全書、偽書、奇書、禁書があります」
――イリスのグリモアは、どうみても普通の本じゃないよな。俺の故郷ですら、ようやくスマホやタブレットで本を読む行為が根付き始めた頃だ。
「全書は、見た目が辞典のように分厚く、特定の分野に偏った内容になってます。例えばロザリーさんのグリモアは、火属性の魔法が覚えきれないほど記載されてる反面、それ以外の属性は一切ありません」
――ロザリーのグリモアが辞典で、バルナバスの本はそれに比べて薄かった。つまりバルナバスの本が所謂、良書であり標準的なグリモアなのだろう。さらに先生の口ぶりからすると、良書のグリモアには偏りが無い。つまり複数の属性が記載されてる可能性もあると見てよさそうだ。
「偽書は、グリモアの見た目が本棚に収納出来ない形をしてるのが特徴です。さらに一部の高名な魔導士は偽書に対して、このように評してます。まるで魔法そのものが具現化してるようだ、と。えーと、確かエリーさんのグリモアがそうですね。よければ披露していたけませんか?」
トウヤから離れた位置にいるエリーは着席したまま「わかりました」と答えた。
トウヤは、エリーの方に向いた。それに呼応するようにエリーがトウヤの方に向いた。トウヤはエリーと目が合うと、性別が男である事を思い出し体中に寒気が走った。
エリーが右手を前に出すと、山札からカードを引き抜く所作をした。すると、一枚の札と思しき細い長方形の紙が右手から出てきた。それをトウヤに向けて、弾き飛ばした。
細い長方形の紙は空気抵抗を受けてないのか、真っ直ぐに動いた。トウヤの眼前まで移動すると、そこでピタッと静止した。紙は宙に浮いたままだ。
――これは、栞か?
トウヤは、宙に浮いた栞を眺めた。栞には、立体感が無い一輪の赤いバラが描かれている。独特な花の形状と花びらの濃淡が、辛うじてバラであることを示してる。
「トウヤ君。エリーさんのグリモアは、触る事ができますよ」
「本当ですか?」
「ええ、そのグリモアは大丈夫です」
トウヤは恐る恐る栞に手を伸ばした。覚悟を決めて、右手で栞を摘む。痛みは感じない。摘まんだ指で栞をこする。紙の質感だけが、指を腹を通して伝ってきた。
――しかし、この押し花の栞で、何ができるんだろうか?
トウヤが疑問に思ってると、突然パチンと乾いた音が鳴った。同時に目の前の栞が、一輪の赤いバラに変貌した。赤いバラには白い髭のような根が生えている。
条件反射的にトウヤはエリーの方に向いた。エリーはトウヤと目が合った瞬間、頬が赤くなった。
トウヤは吐き気がこみ上げてきた。エリーから顔を背けた。机があったら、突っ伏していただろう。
再びパチンと乾いた音がなると、右手の赤いバラが一瞬で砂になった。トウヤは服にかかった砂を払った。
「偽書は堪能したようですね。続いて奇書の説明に移ります。奇書とは、姿形が書物ではないけど、内容は文字で記されてるのが特徴です。ですので、イリスさんのグリモアは、奇書か偽書に分類されると思われます。学長はイリスさんのグリモアは、見覚えの無い文字や模様が目まぐるしく変化する不思議な鉄板、と評してましたので」
――どうやらイリスは、俺が廊下に居た時、ドミニクにグリモアを披露してたようだ。育ての親だもんな、自慢したくなる気持ちもわからないでもない。
しかし、問題は”鉄板”扱いの部分だ。やはり、この世界にタブレット型のデバイスは存在しないのだ。にも関わらず、何故かイリスのグリモアがタブレットである。
ご丁寧にアプリケーションも幾つかバンドルしてあった。何よりも日本語で記載してたことだ。まるで俺がこの世界に来る事が、運命づけられてるみたいだ。そう考えるのは早合点なのか?
後は、偽書の説明の時に言ってた”魔法そのものが具現化している”という点も気になる。もしタブレットそのものが魔法なら、イリスは今後も普通の魔導士のように魔法が使えないままなのかもしれない。
「最後に禁書、こちらは見た目や文字の有無では無く、その内容が”神に等しい力を宿してるグリモア”の事を指します。もし文献に記録されてる禁書を持つ者が現れた場合、その身柄は国の監視下に置かれます。間違いなく普通の人生を謳歌する事はできないでしょう。では記録に無い力なら、問題無いのか? と言われればそうではありません。神に等しい力と判断されれば同じ道を辿ります」
ティナの言葉にトウヤは一瞬、身を震わせた。
――ま、まさかタブレットにそこまでの力は無いよな? 今のところ、イリスが疲労困憊になる代わりに俺が一時的に強くなるだけ。どんなアプリがあるのか俺はよく見てないが、仮に神に等しい力があった場合、それは隠すべきなのだろう。
俺はまだいい。ミードとかいう薬を摂取しなければ、一週間以内に勝手に死ぬみたいだし。だけど、イリスはそうじゃない。俺と違って普通の人間だ。
国の監視下に置かれたら、生き地獄になるのは容易に想像できる。もしイリスが、普通の人生を謳歌できない状況になったら、俺は耐えられるのか?
それとも耐えきれずに、ミードを飲まない事で死を選ぶのだろうか……俺は一体、何を考えてるんだろう。
トウヤは、自分自身の死生観が少しずつズレている事に対し、自嘲気味に笑った。
「以上がグリモアの分類となります。では最後に1つ、グリモアは人間にしか顕現しません」
「それじゃティナ先生は、グリモアを持ってないんですか?」
「その通りです。ですが我々エルフは、魔法に秀でた種族です。魔法だけなら、人間に引けを取りません。何故ならエルフは人間とは違い、魔法の核となる属性を好きなように変える事ができるからです」
それからは通常の講義に戻った。タイミングを見計らったかのようにイリスが目を覚ます。魔法の講義と言ってもトウヤには魔法が使えないので、あまりピンと来ない内容だった。