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創作論

外国人の目から語る物語の創作論

作者: デイロー

始めに



 どうも、身の程も知らず外国人の分際で日本語で日本人を描いていることが大好きな、ちょっとあんた外国人なのに何やってるんだと言われてしまっても言い訳できないただの変わり者の作者にございます。

 あまりこういう話をするのもどうかと思いまして話すのを躊躇っていましたが、日々の創作活動で苦悩しているお方が多くいらっしゃるようで、そんな作者の方々に役立つ情報を伝えたく、ここで聞いたことがないかもしれない書き方について少し語りたいと思います。

 自分はと言うとこのサイトを含めて長らく違う言語で色んな小説を書いています。

 物語性から入っていくことの多い一般的な日本人の読者様からしたら私が小説を書く方法は少し特殊かも知れません。

 その点は正直よくわかりませんが、少なくとも英語圏では普遍的に通用している話です。

 もし先に同じことを語った方がいらっしゃるのでしたら申し訳ありません。

 あまりにも多い創作論をすべて読むのはちょっと難しいと思ったものでして。


1. Character Development


 日本語で直訳するならキャラ開発、でしょうか。

 主に創作論においてキャラクターの具体的な動機を一から作り上げることを言います。

 作者なら皆やっているのではないかと言う話ですけど、意外とそうでもないかも知れません。

 西洋では物語とは常に劇の延長線上にあるものでした。

 劇が最初にあって、それをただ文字に起こしたことが物語と言った認識です。

 劇では俳優に役が与えられます。一人一人がただ一つのセリフだけであってもそれを自分の動機から話すようにします。固有のモチベーションを持っているのです。劇で俳優さんに喋らせるセリフが人間が喋っているより物語の都合に歪曲されて語らされているだけと言うのならそれはいくら小さな役であったとしても俳優さんに申し訳ないと思ってしまうでしょう。

 実際に脚本を書いているわけではありませんが、自分のセリフを誰かが演じてくださるという意識を常に持っていれば、自然とこれがどのようなものかわかってくると思います。

 作者は逆に有名な俳優さんなどを先に考えて、その俳優さんが語っているなんてことを想像しながら書いています。

 ただこのやり方を始める前に知っておいておく必要があるいくつかの知識があります。ただ俳優さんを想像して書くからとキャラクター性が自動的に完成するなんて都合のいい話は…。あるかもしれませんけど、それは多分、感受性がとても豊かなお方にしかできないやり方だと思いますので。

 知識こそテクニックの根底にあるもの、感受性を代替することは古くからよく劇作家にとって醍醐味と言っても過言ではありません。

 その前に。

 ダイナミックと言う表現があります。これは主にぶつかり合い様々な模様を描く様を指す、少し知的な用語として使われます。

 すべてが複雑に絡み合う様にこそリアリティが持たされる、物語に躍動感と美しさを形作ります。

 英語圏で人気の漫画作品はこれがうまく作られていて、某少年誌で長らく連載されていた忍者漫画とか、典型的な事例と言えるでしょう。

 


 a. 感情のダイナミック


 人間はただ一つの感情をプッシュして生きているわけではありません。複数の感情が絡み合い、パーソナリティを作ります。その感情にはトリガーとなるものがありまして、トリガーを引いた時に特定の行動が起きてしまう。しかしその行動はまた別の感情によって相殺されるかもしれない。

 相殺され尽くされないかもしれない。半分ほど相殺されるかもしれない。少しだけ相殺される。

 登場人物の感情は成長環境や持っている気性、生き様、そして今おかれている状況によって決まります。

 シェイクスピアの劇とかではそういった、内側で動いている感情を独白などでよく表現したりしますが。

 みんな学校で習いますからね、シェイクスピア…。日本ではどうでしょうか。わからなくてすみません。日本人の友達が一人もいないものでして。

 それでもハムレットなら皆さま方が聞いたことがあるかと思いますので、引用してみます。

 主人公の彼は正義を求める自らの感情と歴史とはそういうものであるという懐疑的な感情の間に葛藤します。

 正義の執行者になって死ぬか、正義を諦めて権力闘争とはそういうものであると受け入れてから何もならずに歴史の裏に消えていくか。

 これが“To be or not to be”と言う有名な文章で描かれている感情のダイナミックです。

 人は何かしら、複数の感情が絡み合って、行動に移すたびにその感情に突き動かされたり、邪魔されたりします。

 これは実は誰でも感じたことがある感情だと思います。玉砕されるのを知りながらも理不尽に立ち向かうか、理不尽を、それは仕方ないと受け入れてただやり過ごすか。

 ハムレットはどちらを選んでも悲劇的な結末でしかないことを知っています。だから悲しむ。愛する人たちを巻き込むことを躊躇ってしまう。

 どこかで見たことのあるモチーフではないでしょうか。

 ハムレットで描かれているこのような普遍的かつ相反する感情は観客の心を揺さぶることは間違いなし。

 しかしながらこれだけにはとどまりません。

 感情のダイナミックはただぶつかり合って相殺するだけではなく、思わぬ行動を引き起こしたり、acting out(理性的ではない急激な行動)につながることもあります。

 思わず○○してしまう。と、この思わず、と言うのを感情のダイナミックなしで描いたら説得力を感じるよりかはただ場面を見て満足するなどと言ったことになるでしょう。

 実際にこの手の場面をただ描いて満足、なんてことは結構よく見られます。売れるか売れないかと言う話はあまりしたくないですが、これでも売れる場合は売れると思います。

 日本のそういう文化は外国人からしたら不思議でたまりませんが…。

 文化に優劣なんて考えるのは極端な場合じゃないとあまり意味がありませんし、別にだからと日本は毎年創作されている作品の数に比べて海外で人気作になる数は少ないとかそういう話がしたいわけではありませんし。日本文化は好きですし…。言い訳がちょっと長くなりそうですので本題に戻ります。

 しかしそれでもあまりそういうのが好きじゃないお方や、物語にリアリティを求める方たちも少ないとないと思います。

 なので感情のダイナミックを先に頭の中で描いて、それがacting outに繋がってしまったら納得することでしょう。

 ちょっと陳腐な例えだと思いますが、誰しもが納得するというのはこういう感じです。

 辛いことに二人で立ち向かった二人の主人公。

 二人とも別々のベクトルで背負っているもの、心の中に渦巻くたくさんの感情。

 すべてが終わり、思いは高ぶって、どちらも今まで起きたことを話すことをせず、見つめ合って唇を重ねる。

 これもまた感情のダイナミックの一つと言えると思います。

 最後に私自身の意見ですが。

 別に過去から繋げなくても、感情には説明がつくものです。

 要はトリガーがあるかどうか。これに尽きます。トリガーは過去からのものかもしれませんが、過去からのもじゃないかも知れない。

 トリガーがあるなら行動を引き起こせる。

 それは別段登場人物の過去からのものではなくても問題ないです。気軽に考えてみてください。

 美味しいものが食べたい感情なんて過去と何の関係もありません。美味しいものが食べたいのにお金が少ない。じゃあどうする。

 出来れば甘いものよりしょっぱいものが食べたい、ここでトリガーはしょっぱい食べ物となるでしょう。

 このように問題を提示してそれを辿っていくだけで大丈夫です。

 感情のダイナミックはいわば提示された問題からどのような場面でトリガーを引くことになるのかを決める要因を描く行為に他ならないと言えます。

 ゲームのプログラミングと似てるかもしれませんね。あまり詳しくは知りませんが、トリガーなんてゲーム用語として特定の操作を行うと特定の行動をするという…。

 蛇足はこれくらいにします…。

 

 b.動機のダイナミック


 動機、モチベーションとは人を動かすすべての力を言います。

 ただ感情に突き動かされるより、様々な力が絡み人を形作る。

 どっちも感情ではなく、人を一人を形作る社会から人に持たされる力です。

 感情のダイナミックと違う点は内面の動機ではないということ。

 カウンセラーが主人公の物語があるとします。彼女はある日患者から自分が殺人を犯したことを聞きます。しかしその人は過酷な環境で育ち、意識の在り方がいびつに歪んでいる。

 そんなクライアントでもある患者を警察に突き出して刑務所へぶち込んだら心が壊れてしまうかも知れない。

 それを知りながら犯罪者を野放しにすることが出来るのか。

 短いですけど、まるで映画のあらすじのような気がしませんか?

 自画自賛がしたいわけじゃなく、このように動機のダイナミックは読者を引き込むプロットを作るためには重要なファクターだということを言いたかったのです。

 主人公がここで葛藤する動機は職業倫理と市民意識の二つ。

 もちろん様々な感情があると思いますが、ここで感情は付随するものであって、感情の方が先に来ているわけではありません。

 そしてどちらを取るにも主人公は自分が選んだ結末を迎えるでしょう。純粋な選択を迫られる時、人は自らを形作る力のぶつかりを自らの内面で体験することになります。

 まるで嵐のごとく心の中をかき乱す中、主人公は時には倫理意識に突き動かされ、時には市民意識に突き動かされる。

 一つだけにとどまらず行き来するのです。ただプロットを進めるにつれて一つの役割だけを持たされるよりずっと躍動感があるでしょう、このような躍動感が動機のダイナミックを描くについてメインの素材となります。

 別に登場人物全員が動機のダイナミックに突き動かされなくても、幾人かがこれによってぶつかり合ったり協力しあったりする様はそれだけでも見ていて楽しいものになると思います。

 ここで考えるべき点は人の立場が動機を決め、その動機とは時と場所、立場を決めさせる社会システムによって決まるもので、内面の流れではなく外側からもたらされます。

 なので動機のダイナミックは政治的なテーマなどを話すにも丁度いいと言えます。

 じゃあ実際にどのような政治的なモチベーションがあるのかについていくつか紹介してみます。


 パワーゲーム(Power game)、削ぎ合い

 多くの力を持つ違う勢力のトップが互いの力を削ぐために行動することです。この力は時にお金だったり、マンパワーだったりと様々です。


 パワーバランス(Power balance)、力の均衡

 力を持つ違う勢力たちが力が拮抗しているため動けずにいる状態です。これを壊すものをバランスブレイカーと呼んでいます。


 グラビティオブシチュエーション(Gravity of situation)、事態の収束

 現場で複数の力がぶつかりあった結果、特定の結果に収束してしまうことです。まるで重力に引っ張られるごとく事態が収束してしまうことからグラビティと言います。


 パワーバキューム(Power vacuum)、後継者争い

 力を持つ組織のトップがなくなり権力の空白が生まれた時、次の指導者をめぐって争うことです。戦国時代とかがそうですね。パワーバキュームは永遠のテーマですよね。誰がトップに座るかをめぐっての争い。


 ここで組み合わせをしてみましょう。力の均衡を保つために削ぎ合いをしてたら結果、指導者が死亡することに事態が収束してしまい、後継者争いが勃発した。

 なんてオンパレードになるのは滅多にありませんが。ハリウッドのファンタジードラマとか…?

 登場人物は様々なポジションで違う動機で動くでしょう。そして自分の中にも別々の動機が混在していて、内面の葛藤も起きるでしょう。

 この有様は基本的に集団の中での個人を描くと言う意味で、物語の背景となる社会全体の形を先に自分なりに考察する必要があります。

 そしてそれは別に複雑な社会じゃなくても大丈夫です。

 あまりそんな面倒なことはしたくないなら単純な社会を描いてそこで単純な動機を作るだけでも普通に面白いじゃないですか。某ドリルアニメとかね。そんな単純な社会でもモチベーションは見ていてはっきりしているし、面白いです。

 しかし作者が描く社会の模様から登場人物の動機が決まるというのを忘れてはいけません。社会の形こそ行動原理の根底にあるものです。

 Class war(階級同士の戦争)とかそうですね。上流階級と労働者階級がぶつかるとか、二つの階級が問題なく過ごしている状態では想定できませんよね。

 拗らせた社会で何かがトリガーとなって今まで見て見ぬふりをしていた矛盾が爆発する。

 これを描いたらかなりのカタルシス効果を見込めます。

 何せ今の時代はまた貧富の格差が広がっていて…。

 この辺の話はちょっと始まったらきりがないのでやめておきましょう。

 とにかくおすすめです。


2. Character Arc


 直訳をするとおかしくなるので意訳すると。登場人物の始まりと終わりと言ったところでしょうか。

 物語が始まって、いろんなことが起きて、最終的に特定の結果にたどり着く。別に死ななくても、登場してからフェードアウトするまでの期間とか、そんな感じです。

 普通にすべての物語が終わると同時にCharacter Arcを収束されることも多いですね。

 多くのラノベを見て言えることですが、これは普通に殆どの作者がやってることですね。

 じゃあなんでここで言う必要があるのかと言う話なんですけど。

 あまり気にせずやっているより気にしながらやる方が完成度が上がりますからね。

 同じ人体でも比例を気にせず描くより人体の比例を気にしながら描く方が綺麗になるのと同じです。

 登場人物は物語の中で固有の感情のダイナミック、動機のダイナミックを持っていることを説明しましたが、登場人物が登場したらフェイドアウトするかそうでないかは観客からしたら気になるところです。

 そして主要な人物として描かれているのなら、その登場人物の物語は最初から最後まで完結させるべき。

 基本中の基本ですが、主要な人物はほったらかして主人公のCharacter Arcだけ描いている作品、結構多いと思います。

 これが結構モヤモヤするところで。

 実際どうなのかよくわからないんですけど、日本って企業環境が悪くて過労しやすいと聞きますし。

 それで専業で作者をしているわけではない、私のように日々をだらだらと過ごすニートでもない、主人公以外をいちいち考えるなんて面倒なことやってられるかと。

 それは、まあ、別に強要したいとかそうじゃなくて。

 Character Arcを主要な人物全員にフォーカスを合わせない作品より、合わせた作品の方が、普通に完成度も高いですし、面白いですよ。

 分量だけ気にして、長々と様々な登場人物を登場させてからは主人公のCharacter Arcだけ書くと、あまり多くの読者に好まれるような作品にはならないのではないでしょうか。

 主人公だけが登場しているようなシュールな作品とかなら…。

 それはよくわからないので…。なんか数年前の芥川賞を貰った作品が主人公の内面を長々と語るようなものだったような…。それはまあ、それで何かしらのジャンルとしてあるということなんでしょうか。詳しくはわからなくてすみません…。

 話を戻すと、Character Arcは物語にとってかなり重要なファクターなのです。一度登場させた人物がどこに向かうのかを書き忘れたりすると物語は途中から現実味を失い始めます。普通に読者からも気になりますよね。あの子どこ行った?とか。

 そして作者としての経験則なんですけど、フレーム設定の問題があります。

 物語においてどれだけの場面と文章を特定のキャラクターが向かう結末に割くのか。先に決めておいたほうがいいです。

 見切り発車にたくさん登場させて、どこからともなく現れて、またどこからともなく消えてしまう。

 そのような役柄もあるにはあります、ただのモブと言った役割として。モブはCharacter Arcが殆どなく、ただすれ違うざまに何かしら登場人物と絡むことがある、いわばPlot deviceのようなもの。

 (※Plot deviceとはプロットを進めるために物語の中で決めた小道具のことです。プロットを進めるのに都合のいい特定の登場人物の性格とかもPlot deviceに含まれます)

 だけど主要な人物はその中には含まれません。

 主要な人物のCharacter Arcを完結させることで物語の完成度はぐんと上がります。

 そしてこのCharacter Arcを描く時、感情のダイナミックと動機のダイナミックが必要となるわけなんですね。

 ここで考えておくべき点は、登場させてCharacter Arcを完成させたと思っているなら、引きずることなく一旦フェードアウトさせること。

 別に作品内から完全に描写対象ではなくなるのではありません。

 その人物を積極的には描かない、ただの背景となるようなものです。

 メインプロットとはおさらばするだけです。

 もう終わってるのにしつこく物語に絡んでくるとか、終わってないのか終わってるのかわからないから読者側も混乱しますよね。

 当然、別に終わったからと死なせる必要はありません。別に死なせてもいいですけどね。

 普通にそのキャラの物語が一度収束してたら場面を書かない、どっかで幸せで暮らす、なんてことでも大丈夫。それかどっかで苦しんで暮らしているでも大丈夫。

 そして当然のことですが、はっきりした形で終わらせることが大事です。はっきりした形で登場させて、はっきりした形で終わらせる。

 あいまいにすっと登場して、あいまいにフェードアウトするとか、あまりよくない傾向です。作者がどれだけ頑張って書いても、あいまいかそうでないかとは別問題です。

 分量も大事です。特定のCharacter Arcに場面を割きすぎると違う人物のCharacter Arcが描かれることが減ってしまいます。

 登場してから消えるまでの間はコンパクトにまとめるかそれとも登場人物同士で絡まされて複数のCharacter Arcが同時進行するようなやり方が望ましいです。

 そしてCharacter Arcの最優先度は常に主人公にあること。これも大事です。

 一人の事情を別視点で長く語ってから本編に戻るとか、そんなことをするくらいなら普通に主人公を複数に設定した方がいいですね。

 読者は真っ先に提示された主人公を感情移入の対象にします。

 主人公ではないのにずっと語られるなら感情移入の対象を移すべきなのかと混乱します。

 主人公じゃない別の人物を主人公にする作品はそれはそれでスピンオフ作品と言って、同じ世界観を共有する別作品として扱われますよね。

 作品の枠組みを恣意的に超えるのはよくない傾向です。感情のダイナミックと動機のダイナミックが充実していたとしても、あくまで主人公を最優先に考えてください。それか主人公と絡む場面を長く描くとか。

 なぜこういうのを守る必要があるのか、それは読者がエンターテインメントとして楽しむには特定のフレームが必要だからです。

 フレームを設定しないと作品と読者の関係が破綻します。物語を書いて読まれるというのは大きな範囲ではコミュニケーションをするやり方の一つと言えます。横筋に向かうより本題を語ってほしいというのは、コミュニケーションの基本ですから、主人公のCharacter Arcを最優先に語るのが大事なのはそのためです。

 そして一度登場させた主要な人物のCharacter Arcは必ず完遂させること。

 モブはモブです。モブはいくらでも登場させても大丈夫。誰も気にしません。まあ、少しは気にする方がいるかもしれませんが、そんなに気を使わなくても大丈夫です。一度登場させたモブを簡単にフェードアウトさせるのは作者としての権限です。

 じゃあ具体的にCharacter Arcをどう語るべきかと言うと。


a. Execution


 死刑のことではありません。これは映画を語る時によく語られることなんですけど、同じ物語である以上、小説とも通じ合うところがあるので語りたいと思います。場面を執行させることを意味します。

 場面の執行とは何ぞや、と言うことで。

 この人物はここではこのようなことになると読者が期待するとします。期待値がある分、その流れを実際に描くと読者はカタルシスを感じます。

 要は引きずらない。期待される結果が待っているのなら、それに答える。

 Character Arcの本懐は執行の繰り返しです。場面を執行する。感情と動機が渦巻き、ぶつかっては模様を描く。

 ただ別に読者の期待通りに動かなくても作者は作者としての自由がありますから、作者としての力量と性格が試されるところですね。

 これがなぜ重要なのかって、場面が発生することを期待している読者に場面をずっと提供せずしつこくそのキャラの内面とか過去とか語るの、私は結構見てます。

 見てますからね。

 見てるんです。

 場面は迷わず執行しましょう。Character Arcは場面の執行がないとただの説明です。説明じゃなくて物語になるためには場面となって、そのキャラに何かが起きるかそのキャラが何かを起こさないといけません。

 場面の執行を繋げ続けると読者は、観客は、視聴者は、頭の中にその人物の人物像を簡単に描けるようになります。そうでないだらだらとした説明ではなく、登場人物に何かが起きるか何かを起こすか。

 人は自分に何かが起きないとそう簡単に本性を出したりしませんからね。逆に何かを起こすというのは本性の延長線上にあるものですし。

 だからこれはCharacter Arcにとって重要なポイントとなるのです。


 

b. Plot point

 

 これはテレビドラマなどで使われる用語ですが。要するにどうやってテンションの緩急を調整するかです。テンションを引っ張ったり上げたり落としたり。これを適切なタイミングで繰り返すことで読者の興味を継続させることが出来ます。

 緊張が起きるまでの流れもなくただこんなことが起きた、なんて書くだけだとあまり面白くありませんよね。だからテンションを引っ張ったり引っかけたりと、様々なテクニックが必要となってくるのです。

 緊張を築き上げるのは大事です。緊張なしでは物語の面白みなんて半減どころじゃありません。Character Arcには登場人物の何もかもがかかっています。緊張が膨れ上がり、何が起こるかと引き寄せて、場面を執行する。

 このように場面を執行するタイミングは様々で、意見が分かれるところではあると思いますが、大事なのはテンションが一定の間続いてから変化することです。

 最初から緊張が爆発することはありません、そもそも提示しないといけません。

 しかし提示して長々と続いてからテンションがいきなり変化するのも読者からしたらわけのわからないことになるでしょう。

 そのタイミングがどうなるかは経験で何となく辿っていくしかありませんので、これが嫌な人たちはテンプレを使うことになるのでしょう。わかります。それはそれで文化の形ですし。

 だけどテンプレだけに依存することも難しいです。短編ならともかく長編になると緊張を引っ張って、引っかけて、爆発させるタイミングは自分で決めないといけない。

 それで読者に失望されるかもしれない、あまり好まれないかもしれない。そういう不安はつきものです。

 それでもやると。これはある意味跳躍です。飛び越えるか飛び越えないか。わからないけどやる。物を書くとそういった跳躍の瞬間が訪れます。恐れず飛んでみて、それで良かったら次も同じものを使ってみるとか、それでよくなかったら反省する。

 それでいいと思います。




 最後に


 ここまで語りましたが、感受性が豊かな作者や普通に良質な物語をたくさん読んでいて直感でわかる作者もいると思います。そういう方々を否定したいわけではありません。それはそれで才能ですからね。

 けどそう言ったあいまいなものに頼るより、実際に研究して考えてみた方が良質な作品が描けるようになります。

 歴史が始まる前の太古の人間は洞窟に実物と見まがうような壁画を描きました。それから文明を築き上げて、絵はどことなく抽象的なものを描く方向へ向かい。

 ルネサンス時代になってから遠近法が発明され、現実と見まがうような描写がなされるようになります。

 芸術は才能とよく言いますが、長い年月を費やして発展したテクニックも馬鹿にできません。

 むしろ産業的な側面から見るとテクニックの方が才能より優先される場合も少なくありません。

 とある方に感想欄で私に才能があると言われたことがありますが、実はほぼテクニックです。英語圏ではyoutubeなのでしつこく、それも大作のブロックバスターとかが語られる文化があります。ファンダムですからね。

 私はそういうのを好んで見てました。英語圏でのそれらは辛辣なんてものじゃありません。私はそれで思いました。確かに共感する話だった、と。

 シーンごとに言ってたりするんです。このシーンのこの部分はどうかしているとか、シーンが始まって5秒も経ってないのになんであいつ死んでるんだとか。

 日本ではなんか、英語圏よりずっとマイルドで抽象的な批判をしている印象を受けます。

 ふんわりとした批判よりこのように具体的な話をした方が文化を育てるのに役立つと思います。好き嫌いがあるにせよ、結局文化とは人の精神にとって欠かせないものです。

 最も厳しい環境でも文化は残ります。それはどの状況であっても人間が文化を、それもより良質な文化を求めているからだと思います。

 皆様の実りのある創作活動を、敷いてはさらなる日本文化の発展を祈っております。


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― 新着の感想 ―
[良い点] すごく勉強になりました! このキャラモブだし、といってふわっとフェードアウトさせたことがあって、それをご指摘いただいたことがありました。それはつまり、Character Arcがちゃんと…
[一言] たいへん興味深いものを見せて頂きありがとうございます。 Luluなどのサイトで英語のアマチュア小説を読ませてもらっていたとき、感じた種々の疑問点がいろいろと解決しました。 なるほど「小説」に…
[良い点] この文章力で海外の方とか。 凄すぎます! [一言] 『西洋では物語とは常に劇の延長線上にあるものでした。』―――なるほど、と頷きつつ、では日本の場合は? と考えました。 あくまで私見です…
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