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悪童ピアニストと内気な剣道女子のための叙情的組曲【書籍2巻発売中】  作者: 福太郎
第11曲「空虚に、また、迷いを持って」
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11-3.深く、『美』に沈んで……/呉島 勇吾

「率直な感想を言っても?」

 社長は俺をうかがう。


 控室のモニターの中で、ルドヴィカ・ゲレメクが礼をした。

 聴衆は熱狂的なスタンディング・オベーションで彼女の演奏に応える。


 俺は無言で社長の言葉を促した。


「彼女は、世界が愛するショパン弾きになる」


「俺と比べてどうだ?」


「難しいね。高さを自慢している人に『こっちの方が重い』と言い張るような戦いだ。尺度が違う。

 このコンクール自体、『ショパンらしさ』と『演奏の完成度』どちらに重点を置くかということについては度々議論があるし、必ずしも一貫していない」


 俺は口元を緩めた。

「芸術っていうのは、そういうことから逃れられない」


「さて、ではどうする?」


 俺は上着を脱いだ。蝶タイも解いて社長に渡す。

「どっかの評論家によりゃあ、俺はコンクールには向かねえそうだ。審査員が嫉妬するからだと。

 ソイツの話じゃ、俺にコンクールを勝ち抜く方法があるとすれば、『次元の壁、あるいは生物としての種の壁を破ること』らしい。

 ゴリラの握力に嫉妬しねえように、そういう意志すら失うような、連中とは別の生き物になること……」


潜る(・・)んだね」

 社長の目に一瞬、緊張のようなものがにじんだ。


「ああ、深く(・・)


「帰ってこれそうかい?」


 俺はそれに答えなかった。


 俺は、日本に帰る。そのためには、勝たなくてはならない。それも、圧倒的に。

 俺というピアノ弾きの価値を、世界に知らしめる。


 結局、勝手が許されるのは強い奴だけだ。

 問題は、どれだけ強いか。


「後は頼む」


 それだけ言い残して、俺は控え室を後にした。


  ✳︎


 夏目 漱石の『草枕』、その一節を思い出す。


 (リュウ) 皓然(ハオラン)が寄越した一冊の文庫本、あれは、アイツにしてはなかなか気の利いたプレゼントだった。


──智に働けば(かど)が立つ。情に(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい──


 全くだ。


「Yugo Kureshima. from JAPAN」


 閉じた目を開いて、扉を抜けた。


──住みにくさが(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、()が出来る──


 割れるような拍手の中、客席に頭を下げ、ピアノの椅子に腰を下ろす。


『ワルツ6番』Op.64-1 変ニ長調『小犬のワルツ』


 社長は、小学生でも弾くヤツは弾くくらいの小曲を、この大舞台で自由曲の1つに選んだ。


 これにお前の音楽を込めてみろとばかりに。


 しかし、俺はこれをさらりと弾く。『自分』なんてものを突っ込む必要はない。


──越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、(つか)()の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が(くだ)る──


 俺の音楽は元々こういうものだった。

 呼吸もままならないほど住みにくい世の中で、束の間の命を、束の間でも住みよくするための。


 右手と左手で単位の異なる3拍子がずれ込みながら絡み合い、複雑なテクスチュアを織り上げる。


 中間部に入るとジグザグの音型の中に半音進行が取り入れられ、響きの変移がグラデーションのように描き出される。


『美』は、もともと音楽の中にある。俺はただ、深くそこに沈み込めばいい。


『ワルツ第7番』Op.64-2 嬰ハ短調

 

 一転してメランコリックな響きを聴かせるが、ここで描くのは嘆きや悲しみではない。終始一貫して、『美』だ。ただ、美しいということ。


 俺はもともとそこにあった美しいものを、ただ美しいまま取り出して、ありのまま観客の前に差し出す。


──住みにくき世から、住みにくき(わずら)いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、()である。あるは音楽と彫刻である──


『ワルツ第8番』Op.64-3 変イ長調


 ワルツの6番から8番は、『3つのワルツ』Op.64というひとまとまりのワルツとして書かれている。

 8番の最後の音は変イ音、これは6番、7番の始まりの音と同じだ。つまり8番の後で6番あるいは7番に戻れば、際限のない円舞として成り立つ。

 ひとまとまりの舞曲として、これほど形式的な美を持ったワルツはない。


 俺は前後を忘却して、その精緻さ、絢爛(けんらん)さ、壮大さを、ただ煌びやかに、どこまでも輝かしく、細部にわたって映し出す。


──着想を紙に落さぬとも、璆鏘(きゅうそう)(おん)は胸裏に(おこ)る。丹青(たんせい)画架(がか)に向って塗抹(とまつ)せんでも五彩(ごさい)絢爛(けんらん)(おのず)から心眼(しんがん)に映る。ただおのが住む世を、かく(かん)じ得て、霊台方寸(れいだいほうすん)のカメラに澆季溷濁(ぎょうきこんだく)の俗界を清くうららかに収め得れば足る──


 トリルを挟んで一瞬、怒りにも似た激しさを見せ中間部へ。しかしその中にも優雅さは失わない。


 チェロを思わせる穏やかな旋律を左手に託し、右手は室内楽のように多声的な構造を見せながら転調を繰り返す。


 音楽の深くに眠る『美』を、同じ曲を弾きながら、まだ誰も掘り出していない『美』を……もっと、もっと深いところへ……。


──この故に無声(むせい)の詩人には一句なく、無色(むしょく)の画家には尺縑(せっけん)なきも、かく人世(じんせい)を観じ得るの点において、かく煩悩(ぼんのう)解脱(げだつ)するの点において、かく清浄界(しょうじょうかい)出入(しゅつにゅう)し得るの点において、またこの不同不二(ふどうふじ)乾坤(けんこん)建立(こんりゅう)し得るの点において、我利私慾(がりしよく)覊絆(きはん)掃蕩(そうとう)するの点において── 千金(せんきん)の子よりも、万乗(ばんじょう)の君よりも、あらゆる俗界の寵児(ちょうじ)よりも幸福である──


 波打ち際に寄せては返す波頭(はとう)のように、クレッシェンドとディミヌエンドを繰り返しながら、だんだんと速度を速め、5オクターブの音域を駆け上がり、そして低音の変イ音へ、雪崩れ込むように駆け下りて終わる。


── 吾人の性情を瞬刻に陶冶(とうや)して醇乎(じゅんこ)として醇なる詩境に入らしむる──


 俺は音楽で、この境地に手をかける。


『舟歌』Op.60 嬰ヘ長調


 ルドヴィカ・ゲレメクが予選で圧倒的な演奏を見せたショパンの『舟歌』

 彼女はこれを、「自分は誰よりもフレデリック・ショパンという人間を知っている」という確信でもって歌いあげた。


 俺には、関係がない。


 音楽はすでに、作曲者の手を離れた。ショパンがどういうつもりでこの曲を書いたかなど、俺にはもはや関係がないのだ。ただその譜面の中に眠る美を、深く潜って掘り出す。


 ともすれば書いた本人さえ気付いていなかった、その音楽の深くに眠る美を。


 この舟歌にあるのは、ワルツの煌びやかな響きとは一転、薄く霧のかかった波間に揺れる、穏やかな美だ。


 左手に繰り返す舟の揺らぎ、右手に移ろいゆく風景を描きながら、薄霧に混じって甘くたなびいてくる死と滅びの匂いを、ふと香るようににじませる。


 左手の反復音形(オスティナート)は全て黒鍵で描かれ、白鍵の水面に浮かび、揺れて行く舟の有りようが空間的にも表現される。


 右手に重音のトリルが現れるたびに、音楽は色を変える。


 薄霧の中を、ゆったりと進みながら、時折、水の飛沫(しぶき)が朝日に輝くように、連符が閃く。


 追い風を受けて心地よい速さで進んだかと思えば、フェルマータのついた短い休符に、虚無がぽっかりと口を開ける。


 8分の6拍子の刻みがやんで、束の間、時間の流れが曖昧になる。


 また、重音のトリル。


 やがて、霧が晴れる。


 さあ……リズムに溺れ、和声に(ふけ)り、旋律に深く沈み込もうじゃないか。


 倒錯的とも言えるような、短調と長調を行き来する和音の中を、メロディは鼻歌を歌うように進んでいく。


 一陣の風が連符の水滴を巻き上げて、煌めく。


 そして最後、唐突なほど力強い終始。


 その一瞬、脳裏に寧々の姿がチラついた。

 体育館の床を揺らすような、彼女の力強い踏み込みと、相手の面に振り下ろす竹刀の重さ。


 彼女の、生命の熱。


 垂れ落ちてきた前髪を、右手でなで付けた。


 雑念が混じったな、と目を細める。


 今だけは、少し離れていて欲しい。愛とか、恋とか、戦いとか、そういうものを離れて、音楽だけに、深く入り込みたいんだ。


 いつか、お前の元へ帰るために。


 感覚を閉じて……。


 俺がいて、ピアノがある。


 それだけの、閉じた世界に、深く、深く、深く沈んでいく。


『アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ』Op.22 変ホ長調


 左手の分散和音は静かに、そして滑らかに、フレーズを大きくとり、旋律は甘く歌う。


 余計な抑揚を取っ払って、音楽の内包する自然な揺らぎに逆らわず、流れに任せて進む。


 後のポロネーズを予感させるように、高音域に輝きを加えると、客席のどよめきが聞こえた。


 うるせえ。邪魔だ。


 もっと、感覚を閉じて。


 鍵盤とペダルに、意識を集中する。ハンマーが弦を叩き、そこから生まれた振動が、駒を伝って響板を震わし、ピアノという楽器全体を鳴らす。


 細かい音符の一つ一つに、そうやって命が吹き込まれていく。


 悪くないな、と思った。


 俺はショパンという人間に、あまり共感できない。

 ポーランドという国の歴史を知り、ポーランド人という人たちと触れ合った後でも、俺はショパンという人間についてそう思っていた。


 女と目が合っただけでひどく動揺してみたり、想いを秘めた手紙を後生大事に懐に忍ばせてみたり、正直、「カマくせぇ」とさえ思う。


 だけど、彼の書いた音楽は、美しい。


 そして俺はその音楽に、もっと深く潜れる。


 長い前奏にあたる『アンダンテ・スピアナート』が消え入るように終わると、その残響を割って、ポロネーズの始まりを告げるファンファーレを高らかに鳴らし、華やかな和音を重ねていく。


 ポーランドの民族舞曲であるポロネーズ独特の飛び跳ねるようなリズムに、明快なメロディーが乗る。


 主題を繰り返しながら増えていく細かい装飾一つ一つに神経を巡らし、光を灯す。


 煌びやかな連符に続いてオクターブの激しい下降音形が雪崩れ落ち、勇壮な旋律とリズム、そうと思えばまた高音域を煌めかせて最初の主題へと戻る。


 俺の指先から鍵盤を通して弦を震わせ、絢爛たる技巧に満ちた軽快な音楽が、また俺の耳に、目も眩むほどの光を放ちながら、無限に循環していく。


 世界中、何もなかった。それ以外は。


 極彩色の地獄の中で、俺は独りだ。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 今回の勇吾の演奏も、とても印象的でした。 コンクールのために弾いているけれど、勇吾は全く別の次元で、世界と対峙してるように感じました。 研ぎ澄まされた芸術家の内面を垣間見たような……読んで…
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