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10-9.エンターテイナー/篠崎 寧々

 通学途中の電車で、ネット・ニュースに勇吾くんの名前を見つけると、思わず「ひょっ!?」みたいな変な声が出た。


 私は慌てて、「朝からしゃっくりが止まらないんです」というようなてい(・・)を装ったが、それで恥ずかしさがやわらぐわけでもなかった。


 ショパン・コンクールの1次審査、4日目前半のブロックで、2次に進んだのは勇吾くんだけだった。


 勇吾くんの突出した演奏と客席の反応に動揺したコンテスタントが、みんな調子を崩してしまったのが原因だと言われていたが、ニュースでは何と、その落選したコンテスタントたちが、勇吾くんの練習しているスタジオに押しかけたのだと報じていた。


 彼らはそれぞれ、自身のSNSやホームページでそのことを報告したのだという。


 記事のコメント欄は喧々轟々(けんけんごうごう)としていた。


「事務所のゴリ押しで勝ち抜いてる」とか、「呉島 勇吾を勝たせるために圧がかかってる」とかいう意見もあれば、逆に「そんな強い事務所なら他にも受賞者出てるわ」とか、「客席全員に圧かけるとか、どういう権力ですかね」みたいな意見もあって、ほとんど罵り合いの様相を呈している。


 写真が載せられていて、そこでは白人の綺麗なお姉さんやアジア系の可愛い女の人がギュッと肩を寄せ合って、その真ん中に勇吾くん、後ろには男の人たちが我も我もと顔を出していたが、身内びいきを差し引いても、男の人たちは勇吾くんに比べるとちょっと垢抜けない印象で、対照的に女の人たちは美人揃いだった。


 思わず「へぇ〜……」と呟く。


 ずいぶん、楽しそうじゃないですか。


 さっすが、国際コンクールで予選から会場を沸かせるピアニスト様っていうのは、ご身分もよござんすねぇ……。


 というような、イヤな自分を追い出すように、一度目をつむって大きく息を吐き出してから、落ち着いてその写真をもう一度見る。


「よし」とうなずいた。

 勇吾くんは、デレデレしてはいない。というよりむしろ、写真の他の人たちが審査を通って、勇吾くんだけが落ちたんじゃないかと思うほど、表情にギャップがあった。


 勇吾くんは、いつものように鋭い目つきでこちらを睨みつけている。

 反対に他の人たちの笑顔からは、まるで圧政から解き放たれた市民みたいな開放感がうかがえた。


 納得できた。この写真の中では、彼だけがまだ、戦いの途中なんだ。


  ✳︎


「ああ、ムカつくよな、あの写真」

 柴田さんは言った。電話越しにもしかめ面が見えるようだった。


 お昼休み、お弁当をクラスの友だちと食べた後、勇吾くんの企画のことで話さなければならなかったのだ。そこで、ネット・ニュースの記事が話題に上がった。


 私はずっと、彼女に勇吾くんの企画のアイデアを送り続けていた。


『呉島 勇吾の公開レッスン』だとか、『ピアノ音楽の歴史を辿る演奏会』だとか、『24時間耐久コンサート』だとか……もう、「誰かがやってるかも」とか「こんなこと現実的に……」とか、そんなことは考えず、思いつくものを思いつくまま、片っ端から送った。


 柴田さんはその一つ一つに、ほとんど辛辣なレビューをつけて返信を寄越したけど、時々、「他のに比べりゃ幾分マシ」みたいな評価をつけてくれることがあって、そのことが一つのモチベーションになっていた。


 これは、ストックホルム症候群というやつなのでは……? と、多分違うけどそう思ったりもしが、とにかく、柴田さんは私に質より量を求めているみたいだった。一つ一つはありきたりだったり、荒唐無稽なアイデアだったとしても、それらを組み合わせれば、呉島 勇吾にしかできない演奏会を生み出すアイデアになるかもしれない、とか、多分そういうことだと思う。


 というようなことを考えている時に、「CDが出る」と柴田さんが唐突に言うので、私は思わず「ひょっ!?」みたいな変な声が出てしまって赤面した。


「何、今の声」


「朝からしゃっくりが止まらなくて」と取りつくろう。


「ジャケット送るわ」と柴田さんが言った時、休み時間の終わりを示すチャイムが鳴った。


 電話を切ると、すぐに彼女からメールが来た。


 多分彼女は、このCDをリリースするための準備を、かなり早い段階からしていたのだろう。


 ハッと思い出す。そう言えば、夏休み、私が彼にCDをおねだりした時、彼は柴田さんに電話をかけて、そこで交渉を始めた。


 このCDが録音されたのは、きっとその時だ。


 彼女はその録音をこの時まで温めていた。


 考えようによっては、確かに、『今』なのかもしれない。


 1次審査で他を圧倒する演奏をし、そのことが大きく報道された今。2次審査以降、(ふるい)にかけられたコンテスタントの中では、これほどインパクトのある出来事は起きないかもしれない。


 そもそも、勇吾くんの2次の演奏は3日目の深夜、日本ではリアルタイムの視聴者も減って、話題性としては一段落ちる。


 添付ファイルを開いた。


 CDジャケットの写真だ。


 ステージの上に、スポットライトを浴びたピアノが寂しげに1台。勇吾くんの姿はない。


『アンコール・ピース』

 それがCDのタイトルだった。


 左の端には帯があった。

「姿を消した【悪魔のヴィルトゥオーゾ】が、5年にわたる皆様のアンコールにお応えして」


 解説:半田 恭介

(第〇〇回ショパン国際ピアノコンクール第2位入賞、日本国際管弦楽団CEO)


 帯の下の方にあるロゴに、また驚いた。誰でも知っている大手のレコード会社だ。


 こんな人たちを相手に、柴田さんは商談や交渉をしていたのか。


 席につくと、世界史の授業が間もなく始まったが、全然頭に入って来なかった。


 このショパン・コンクールの真っ最中、普通のピアニストならコンクールの練習に費やすべき期間に録音された、リストやアルカン、他にもバラキレフ、リゲティなどといったちょっと知らない作曲家も含めた、おそらくとんでもなく難しいのだろう楽曲を詰め込んだCDを……。


 と、そこでふと思い当たって、「ひょっ!?」と変な声が出た。


 クラスの視線が集まって、赤面する。

「すいません。ちょっと、しゃっくりが止まらなくて」と何度目かの言い訳をする。


 彼が子どもの頃に出したCDは、売れなくて廃盤になった。理由は、彼がまだ小さな子どもで、途方もなく難しい音楽を、そんな子どもが弾いたということが信じてもらえなかったからだという。


 では、今回はどうだろう。録音なんて、制作側が「いついつ録音しました」と言い張ったところで、買い手はいくらでも誤魔化しを疑える。


 まして今は、ショパン・コンクールの真っ最中、その練習期間にこれを録音したということ自体が、価値を高める一方で疑いの種になる。


 しかし思い返せば、彼はSNSや動画サイトでリスト、アルカンを弾く姿を拡散されている。そのことは、このCDの録音時期に、一定の信憑性を与えるのではないか。

 それと同時に、宣伝にもなり得る。そう考えれば、彼の生い立ちが報道されたことなども含めて……。


 どこまでが、計算されたことなのだろう? 誰が仕組んだことなのだろう?


 その過程で、勇吾くんは、傷つかずに済んだのだろうか?


 彼が、ほとんど衝動的とも言える唐突さで日本を発ってしまったことに、こうした出来事の影響はなかっただろうか?


 そういうことが、頭の中をぐるぐると回った。


 授業が終わるとすぐに教室を出て、階段の踊り場へ向かい、また、柴田さんに電話をかけた。


 彼女が出ると、私はほとんど急き立てるように、どこまでが仕組まれていたことなのか、誰が図を書いたのか、ひどいことは起こらなかったのか、そういうことを問い詰めた。

「彼は、傷つかなかったの? 私は、そのことが知りたい!」


 電話越しにも、呆れたようなため息が聞こえた。

「あんた、アイツに会うまで『呉島 勇吾』って名前を知ってたか?」


 私は否定した。

「だって、私は音楽なんて全然詳しくないし」


「レコード会社の連中も似たようなもんさ。クラシックの、それもピアノの世界に限れば、ヤツはほとんど神話的と言ってもいいくらいの存在だが、レコード屋の社員ってのは、別にクラシックのプロじゃねえ。

 ヨーロッパの金持ちの間でこそこそ荒稼ぎしてたガキの存在なんて知らねえさ。

 傷つく傷つかねえで言うなら、傷ついたかもね。そういう連中のために、『呉島 勇吾』ってアイコンを売るようなマネを、それなりにやったからさ」


「それって、つまり……」私はゾッとした。

 私が合宿に行っている間、彼は自分が捨てられた故郷の街を訪れて、頭からお酒を浴びせられながら、その中でピアノを弾いた。


 彼の生い立ちはテレビででかでかと報じられ、天野 ミゲルとの勝負には、とても日本だけでは済まない数の視聴者がついた。


 そういうことは、全てCD1枚売るための仕込みだったのか?


「どうして……!」私はこの怒りを表現する言葉が見つからなくて声をつまらせた。


「アンタさぁ、ちょっと、過保護すぎるぜ」と柴田さんは言った。


「過保護?」

 ふざけるなと思った。好き勝手、都合よく扱っておいて、よくそんな口が叩けるものだと思った。


「あいつはエンターテイナーだ。人前に顔と技を晒して金を稼ぐ人間だよ。

 だからって傷つけられて良いわけじゃねえ。ああ、そりゃ確かに正論だ。だけど、じゃあ、どうする? あんたは、この国じゃ無名のピアニストが弾いたCDを『聴きゃあ分かる』で何枚売れるよ。

 こういう商売にはアンチがつきものだ。身の上だって切り売りするさ。好き勝手吹いて回る連中は後を断たねえ。アタシも勇吾も、んなこたぁとっくに覚悟の上だ」


 私は強く反論しようとして口を開きかけたが、そこで、ふと別の考えがよぎって踏みとどまった。

「あなたは、そういう人たちからずっと、勇吾くんを守ってきたの?」


 フンっ、と鼻を鳴らすのが聞こえた。

「敬語使えよ、ガキが」

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