10-4.練習曲集 第12番『革命』/呉島 勇吾
俺は今まで、いくつものコンクールを受けてきたし、受けたコンクールは全て優勝してきたが、そのために課題曲を何度も弾き込むというのをやったことがなかった。
俺の中にはいつも『この曲はこう弾くべき』という確信があって、他に選択肢はなかったし、音楽にも鮮度のようなものがあって、同じ曲を弾き続けるほど、何かが損なわれるような感覚があったからだ。
しかし、ピアノを弾き続けて10数年、俺は初めて、『どう弾くか』ということについて迷っていた。
フレデリック・ショパン国際ピアノコンクールといえば、言わずと知れた世界最高峰のピアノコンクールだ。与えられた課題曲が弾けないというヤツはいない。
その中でも俺は一番上手く弾くという自信はあるが、そこではテクニック以上のものが求められる。
あるいは、そのテクニックを使って音楽に何を込めるか。
これは解釈と表現の戦いなのだ。
俺はポーランドに来てからというもの、何人かのポーランド人と親しくなった。
スタジオの店員と、よくそこに顔を出す駆け出しのロック・ミュージシャン。駅近くのパン屋のおばちゃん、延々と公園のハトにエサをやり続ける謎の爺さんなど。
そしてまた、3件のサロン・コンサートに顔を出し、そこでは「おおむね好意的」というよりはもう少し熱烈な歓迎を受けた。
ポーランド人というのがどういう人たちかというと、一言で言えば『よく分からない連中』だった。
概して人との距離感は近いが、かといって皆陽気で前向きかというとそうではない。どちらかといえばネガティブ思考で、しかも愛想笑いを一切しない。
真顔で迫って来たかと思えば、俺が東洋人だというので、迷子にでもなっているのではないか、とか、何か失くし物をしたのではないかとかいうことを、全く知らない人間が真面目に心配したりする。
国民性としてそういう傾向があるのだと知るまで、俺はこの仏頂面と親切さ、距離感のギャップに戸惑うことになった。
そして、俺が出会ったポーランド人は、どういうわけか一人残らずゆで卵が好きだった。
しかし当然、それぞれ別の人間で、別の価値観と歴史、ものの見方を持っている。
日本で出会った人たちがそうであるように。
そういうことに思いを寄せながら、目の前の譜面と向かい合う時、『この曲をどう弾くか』その選択肢はほとんど無限だった。
あいつの目にはこう映るのではないか、あいつの耳にはこう響くのではないか、ではその中で、俺はどういう解釈と表現を選び、1つの音楽に統合するか……。
不意にスタジオの防音扉がノックされて、その小さな窓から顔を覗かせていたのは、ギタリスト兼ヴォーカリストのラファウという男だった。
20代半ばのユダヤ系で、多くのポーランド人がそうであるように笑顔は少ないが、また多くのポーランド人がそうであるように、人懐っこくて親切だった。
「Dzień dobry.(やあ)」
勝手にドアを開けて入って来る。
俺は片手を挙げてそれに応えた。
「俺のお母さんにユーゴのことを話したら、『ラツーシュキ』を焼いてくれたのさ。
お前また、泊まり込みでロクに飯食ってないんだろ?」
『ラツーシュキ』というのは、ポーランドの朝食では定番だというリンゴのパンケーキだ。
耳を劈くようなヘヴィ・メタルのギタリストであるラファウは、家族をとても大事にする男で、青果店でアルバイトをしている。
「助かるよラファウ。言われてみると腹が減った」
俺はピアノ椅子から立ち上がり、ラファウの肩に触れた。
ラファウは片腕で俺の肩を抱くと、両頬を交互に一度ずつすり合わせて唇にキスの音を鳴らす。
日本人の感覚から言うとゲイと疑われるようなスキンシップだが、ラファウには結婚を前提に付き合っている2つ歳下の彼女がいる。
「それと、俺のバイト先で大量にスモモをくれたんだ。俺がとても一生懸命働くからだぜ。手を抜かねえからな。この世の終わりみたいな量の果物が届くと、俺はそれが神の与えたもうた試練だと考えるわけだ。そして、ソイツらを無心で陳列棚に運ぶ。すると、試練を乗り越えたご褒美に、大量のスモモが手に入るって寸法だ。神の思し召しだぜ。バイト先の店長とな」
こういう男が、ディストーションで歪んだギターをギャリギャリ鳴らしながら、「俺は『社会』ってヤツに中指を立てるぜ!」とかいったことを叫ぶのは、俺の感覚からするとやや滑稽だった。
俺とラファウは、スタジオのロビーで、少し遅めの朝食を一緒にとった。
「なあ、アンタみたいな親切な男が、ああいう攻撃的な音楽をやるってのは、どういう気持ちなんだ?」
俺は思い切って聞いてみた。せっかくの機会だ。
ラファウは、意外そうな、というか、どうしてそんなことを聞くのか分からないというふうな調子で、答えた。
「人が戦うのは、愛する人がいるからだろ? そうじゃないなら逃げればいいんだから。システムと戦って、隣人を愛する。俺たちはみんなそうさ」
「みんな?」
「そう。俺が思うに、人間ってのは、みんな。俺も、お前も」
手に持っていたラツーシュキの包みをテーブルの上に落として、慌てて拾った。
ずいぶん昔に失くしたまま、探すことさえ忘れていたものが、思ってもみなかったところに転がっていたような、そんな感じだった。
俺は何と戦っていたのか、何のために戦っていたのか。
✳︎
ここ数日、俺は珍しく練習としてピアノを弾いているのだということを、寧々にメッセージで送った。
寧々も、剣道の部内試合で目覚ましい戦果を挙げて以来、苛烈な稽古に身を晒しているという。
俺たちは互いに励まし合ったが、電話はしなかった。後ろ髪を引かれ合って、なかなか通話を切れないことが分かっていたからだ。
俺はここに来てから出会ったポーランド人の印象について、メッセージに書いた。
「勇吾くんに似てるね」と寧々が返信を寄越したので、俺は驚いて、「どこが?」と聞いた。
「一見取っつきにくくて、いつも大きな何かと戦っているけど、本当は優しいところ」
ああ……スタジオの中で一人呟くと、ピアノの弦が共鳴して、俺は自分がダンパーペダルを踏んでいたことに気付いた。
「ありがとう。
おかげで準備は整った」
ピアノを弾くということの意味が、寧々と出会って以来、俺の中で目まぐるしく変わっていった。
ある時は誰かを勇気付けるためだったり、誰かの気持ちに寄り添うためだったり、自分自身を奮い立たせるためだったり……だけど俺は、結局戦わなければ気が済まない。
ショパンのエチュードOp.10は、奇しくも12番『革命』に入っていた。
ほとんど耳障りとも言えるほどの緊張した和音から、16分音符が崩れ落ちるように下降していく。
1830年に起きたワルシャワ蜂起を受け、同年12月にロシアがワルシャワに攻め入ったことを知ったショパンが、怒りに突き動かされて書いたという説は否定されつつあるが、蜂起の火種となる不満や怒りはポーランド人の間に充満していたことだろう。
それはショパンも例外ではなかった。
俺はショパンを弱々しい人間だと思っていた。
しかし、それは誤解だった。とんでもない誤解だ。
彼はポーランド人だ。
人生の半分近くが死にかけの病人だろうと、故郷が大国に飲み込まれようと、祖国の舞曲を書き続けた。
ショパンは戦う男だ。
俺のショパンは、ポーランド人の心に響く。
その確信が、俺を突き動かす。
俺は戦う男だ。
何と?
それは俺自身であり、そして、音楽そのものとだ。
俺は自分の才能と、音楽というものの途方もない深さに翻弄されながら生きてきた。
俺のピアノが金を呼び、金が人を呼ぶ。そうやって渦巻きながら肥大していくシステムが、俺を飲み込もうと舌舐めずりして薄笑いを浮かべている。
俺はそいつをひっくり返す。俺自身の才能を手懐け、俺が音楽を支配する。
これは『革命』だ。
音楽は一瞬の平穏を破るように、両手のユニゾンで高音域から低音域へ一気に駆け下り、幕を閉じる。
譜面台の上に置いたスマホが鳴った。社長からだった。
「演奏順が決まった。準備はいいかね?」
「何度でも言うぜ。今からでもいい」
✳︎
俺は喧嘩っ早い人間だが、それ以上に、どうも他人を刺激するきらいがある。
ホールの出入口から控え室へと通される間、何人かのコンテスタントとすれ違ったが、彼らは皆、俺に対する敵意を芬々と漂わせていた。
生まれか育ちか、俺は元より口も目つきも態度も悪いので、無理もないことではあるが、音楽家というのはもう少し泰然と、おおらかな心持ちで構えてはどうか、などと自分を棚に上げて思う。
その日、1次予選に先立って、本番に使うピアノの選定が行われた。
ステージ上に5台のピアノが並べられ、その中から本番で弾く1台を15分で選ぶ。
・スタインウェイ479
・スタインウェイ300
・ヤマハCSX
・カワイShigeru Kawai-EX
・ファツィオリF278
俺には最初から決めていた1台があって、確認するのはその楽器のコンディションだけだった。
楽器の状態が悪くないことを確認して、早々に使用ピアノを記入した紙を提出すると、データを採っていたらしい調律師が「もう少し何か弾いてくれ」と言うので、思いついたものをつらつらと弾いた。
ホールを出たところで「クレシマ ユーゴ」と声をかけられ、何語で返事をすべきか迷った。
若いアジア人の男だ。俺より少し年かさだが、二十歳を超えることはなかろうと見えた。俺の名前を呼ぶ発音はカタコトで、日本人とは思われない。
「Who are you?」
とりあえず英語でたずねると、相手は少し機嫌を損ねたようだった。こんなところまで来るようなヤツは、皆自分が注目の若手ピアニストだと思っている。そのプライドを害したのかもしれない。例に漏れず、敵意をふんだんに含んだ視線で俺を睨む。
男は劉 皓然と名乗った。
「ピアノの椅子を蹴るんだって?」
「他に蹴るもんがねえ時はな」
俺は嘲笑うようにそう言って、会場を後にした。