6-3.私ではない誰かが、あなたを温めるのだとしたら/篠崎 寧々
合宿初日の夕方、1年の寝室となる大部屋で、私とマユは大勢の部員に押さえつけられていた。
「この初日が勝負!」
マユは先輩方の押さえ込みを振り解こうと、身をよじる。
「かわいい水着を買ったので……!」と、同じく抵抗する私には、マユの倍の人数がついていた。
確かにマユより身体は大きいが、何も倍はない。これほどの人数を割かなくてもいいのではないか。
部屋の入り口を塞いだ他の1年が、必死の形相で首を横に振っている。
私たち1年は、この合宿初日から猛烈なシゴキを受けていた。
まず、この剣道部の顧問の先生というのが、大学時代に国体上位入賞後、警察官を経て高校教諭に転身したという異色の経歴の持ち主で、合宿所に着くや強烈なキャラ変を見せ、警察学校式の苛烈な態度で訓練を課してきたのだ。
私たちのトレーニングは、都度、部員の様子を見てテコ入れをするという。
つまり、余裕を見せれば見せるほど、トレーニングは過酷になっていく。稽古の後に海で遊ぶなどもっての外だ。
そういうわけで、死人も憐む疲労感を演じて少しでもトレーニングを楽にしようという他の部員たちと、新調した水着と弾ける若さで呉島くんを悩殺しようという私たちの利害は、真っ向から対立した。
そこで先輩たちが考えたのは、「ネネとマユを潰せ」ということで、他の1年も、そのあおりを食ったのだ。
確かに、いつ終わるとも知れず繰り返される砂浜ダッシュや、諸々の筋トレ、先輩たちとの互角稽古は激烈だった。でも、私とマユはそれを承知で水着を買ってきたのだ。覚悟が違う。
私は床についた手を強く押して、身体を持ち上げた。
先輩たちが悲鳴を上げる。
「発情期のメスゴリラ!」
「お前……人間か?」
「まるで、ブルドーザーだ!」
私は上から押さえつける先輩たちを跳ね除けながら、「もう少し、言い方ないですか……?」と抗議した。
しかし先輩たちはそれに答えず、今度はマユに飛びかかる。
「ネネがダメならマユを押さえろ!」
指揮を執っていた2年の先輩が、私を見上げて嘲笑う。
蛇沼 霧子、Aチームの次鋒で、相手の手元に絡みつくような、クレバーで嫌らしい剣道をする。
一方で、部のムードメーカーでもあり、周りの人間を焚きつけたり、逆に落ち着かせたりするのが異様に上手い。
「これで、マユがここから抜け出せる可能性は、万に一つもなくなった。アンタと違って、元々パワー系じゃないからね。さあ、どうする? マユを見捨て、一人で夕陽を背景に自撮りか? それを送りつけられた男はどう思うだろうね」
「それは……」と私は言いよどむ。
「言ってやろうか。『抑えきれない自己顕示欲で、一人で海とか行っちゃう、友だちのいないイタい女』さ! 表向きは無難な返信があったとしても、内心『うーん……』って思うだろうね!」
私は、くっ……と喉を鳴らす。
「なぁに、私らだって、鬼じゃない。何もタダで海を諦めろとは言わないさ」
そう言うと、キリコ先輩はスウェットのポケットに手を突っ込み、そこから取り出したものを私に見せた。
「まさか……」
私は息を飲んだ。
「そう。UNOさ。楽しいぞぉ……? 『リバース』しちゃうかもねぇ……えぇ? それとも『スキップ』かなぁ?」
先輩たちの下敷きになったマユが、苦しげにうめく。
「卑怯な……」
「残り1枚の相手に、溜め込んだ『ドロー』を喰らわす快感を、アンタたちも身体で覚えちゃってんだろう?」
「でも、私は……」
そう言いかけた私を、マユが遮った。
「ネネ、仕方がない。今日のところは」
「でも……」
「私も、UNOがしたい……」
マユは先輩たちに押し潰されながら、苦々しい表情で言う。
「ほぅら、マユは堕ちたよ。アンタはどうする? 無理にとは言わないさ。赤が無いヤツの隣で、アタシが『ワイルド』で赤を指定するのを、指をくわえて見てればいい」
私は、目をつむって、悔しさに眉間を寄せ、それから、言った。
「分かりました。でも……これっきりにして下さい……」
「アタシは別に構わないよ。アンタが我慢できるならね……」
キリコ先輩は不敵な薄笑いを浮かべた。まるで誘惑に堕ちていく女の末路を予言するように。
結局、私とマユはUNOの誘惑に屈したが、実はそんなこともあろうかと副案を走らせていた。
用意していたのは何も、水着だけではないということだ。新品の部屋着をおろしている。
仲間とパジャマでわいわいしている風景を、呉島くんに送るのだ。
そして、UNOというのは大体そうだが、やる前はあれだけ楽しみだったのに、1試合で飽きた。
✳︎
仲間とUNOをしている写真を、1つだけ、呉島くんに送った。
もちろん、十数枚撮った中から厳選した1枚だ。
手札が減っては増え、上がり目前でまたカードを引くというのを延々と繰り返した末、やっと私が上がった時には、他の部員は各々布団に寝転がってスマホを眺めたり、お菓子を囲んで談笑したりしていた。
「いや、遅いわネネ!」
待ちくたびれたマユが顔をしかめる。
「ごめん。UNOって、終わらなくない?」
「まあ、分かるけど。で、返事は?」
そう聞かれて、私はポケットからスマホを取り出した。
UNOも勝負である以上、途中でチラチラスマホを見るなんて相手に失礼だと思い我慢していたが、私はそれが一向に鳴らないことに、内心かなり焦れていた。
メッセージアプリを開くと、部員たちの視線を感じた。
「未読……」
「はい解散」
キリコ先輩が言う。
「いや、その解釈とかを、ヤイヤイ言うのが醍醐味じゃないですかぁ」
マユが、ソイヤしましょうよ、ソイヤ、と付け加えながら言うと、キリコ先輩は少し困ったように、眉間にシワを寄せた。
「アタシゃ言いたかないよ、わざわざ可愛い後輩が傷つくようなことをさぁ……」
私たちをUNO堕ちさせておいて、どの口が、とも思ったが、その先が気になって仕方がなかった。
「それって……どういう……」
恐る恐るたずねると、キリコ先輩はため息をついた。
「他所の女とよろしくヤッてるに決まってんじゃないか」
血が出てから斬られたことに気付くような斬れ味で、キリコ先輩は言う。
「いやいや、まさか、呉島くんに限って……」と、私がオドオド言うと、キリコ先輩は寂しげな顔で笑った。
「男なんか、みんな同じようなもんさ。ヤレない美女よりヤレるブス。
遠征だの合宿だの、道着袴で絞れるだけ汗かいてる間、パンケーキだのマリトッツォだの食ってる、透ける素材の服着たショートボブの女に、みんな男食われてんだから。
ウチらもそうだけど、この学校じゃ吹奏楽部とか、女子サッカー部とか、その辺りはみんなやられてるって。『ガチ部』の宿命だよ」
「いやいやいや……まさか……」
「相手ぁプロのピアニストだろ? それもアタシらみたいな体育会系の耳にも入るような世界的なコンクールに出る、ガチ勢中のガチ勢だ。アマチュアのバンドマンでさえ女ぁ取っ替え引っ替えしてるってのに、言い寄る女の一人や二人、いないワケがない」
「でも、ユーゴくんって、彼女とかいたことないって……」とマユが加勢する。
「そりゃ、『ちゃんと付き合ってる特定の人はいない』ってだけだろ。あのレベルの男なら、『記念に一発』みたいな女、掃いて捨てるほどいるさ」
「いやいや……」
「いやいやいや……」
私とマユは、呉島くんがそういうタイプではないということを、なんとか説明しようとしたけれど、キリコ先輩の圧倒的な説得力を前に、続く言葉を見つけられなかった。
そして、一方で、以前行った彼のお家を思い出し、こうも思った。
テーブルやソファ、バーカウンターに、2台のピアノ、あれだけ物に溢れているのに、どこか“がらんどう”な感じのするあのお家で、呉島くんは、独りピアノを弾いているのだろうか。
私やマユや酒井くんは、ほんの少しかもしれないけれど、彼の心を温めた。確かに、その手応えがあった。今、学校の友だちと会えない間、彼の心を温めてくれる人はいるのだろうか。
私ではない誰かが、彼の心を温めるのだとしたら、私はそのことをどう受け止めるべきなのだろうか。
私は、布団の上に大の字になった。
「ヤダぁ……!」
と、前触れもなく、そこに部長が入って来た。
私たちは持てる限りの瞬発力で、姿勢を正し、その場に正座して「お疲れ様です!」と声を揃える。
「楽にしてくれ。明後日の合同稽古について、資料を持ってきた。この街の高校で、最近になってそこそこ勝ち始めたようだ。目を通して、知っている選手がいれば情報を共有するように」
そう言って部長が置いていった資料に、私たちは額を寄せ合って目を落とした。
相手チームの部員の名前が並んでいる。その中の一人に、私は目をとめた。
「マユ、後で、ちょっと話がしたい」
私がそう言うと、マユは何かを察したようにうなずいた。