6-1.私は恋をする戦士だ/篠崎 寧々
この一週間、学校での稽古で、私は大分、感覚を掴みつつあった。
動画サイトで上段の選手の試合を研究したり、一つ一つの打突の動作を細かく確認したり、また先生に助言を受けたりしながら、技術的な成長を自覚し始めると、『リスクを負って攻める』ということに対する恐怖も薄らいでいった。
上段は攻撃の構えだ。そもそも小手や胴のリスクは中段よりずっと高い。
私は、『負けないこと』より『勝つこと』を選んだのだ。そう自覚した時、私は格段に強くなった。
「ネネあんた、最近キてるね」
駅前の大きな通りを歩きながら、マユが言った。
デニムのショートパンツに、薄いグレーのTシャツを着て、ラフだけど何となくキマっている。
「上段が、やっとハマってきたと思う」
私は急に褒められたのがくすぐったくて、ワンピースの裾をひらひらしてから頷いた。
合宿前の休日に、一週間の補習を終えたマユと一緒に水着を選ぶことになっていたのだ。
「水着の写真をユーゴくんに送って、弾ける若さで彼を合宿所までおびき寄せる」というのが、マユの考えたプランだったが、それを聞くと、彼女はまだ、呉島くんを諦めていないのではないかと、私は少し不安だった。
そして、不安なことがもう一つ。
「私絶対、かわいい水着似合わない……」
「関係ねえんだわぁ、そういうこと」
マユは呆れたように、ため息をつく。
お説教が始まるぞ、と察した私は、「まず、見てみないとね」と百貨店に向かう歩を早めた。
しかし、しばらくすると、やっぱりまた、不安が頭をもたげてきて、結局、また相談に走ってしまう。
「私、フリルとか付いてるかわいいヤツがいいんだけど……今、バッキバキなのね。おかしくない?」
「要するに、フリルのついたトップスの下が、バキバキに割れた腹筋だったらってこと?」
「そう」
「そりゃおかしいわ」
「ほらぁ……『筋肉女子』『水着』ってググったら、ボディビルダーの人とか、フィットネス系のヤツばっかり出てきて……それはカテゴリが違うし……」
「ああ、それは……まず、見てみないと」
マユは私と同じセリフで問題を棚上げした。
百貨店に着くと、マユと私は、買うつもりもないのに、まず服や靴を見て回った。
マユの試着に付き合ったりして、一通り見て回ると、彼女は、「じゃあ、次アンタの番ね」と言った。
「いいよ。私のサイズ、置いてないし」と遠慮する私の腕を掴んで、マユは強引にぐいぐい引っ張って行く。
それから、駅を西から東へ渡って反対側の駅ビルに入るとトールサイズの専門店に入り、店員さんにグイグイ話しかけて、買うつもりもないのに、たくさん試着をさせてもらった。
私はその勢いに気圧されながらも、マユのそういうところが、好きだな、と思った。
水着のお店に着いた時には、少し空腹を感じていた。駅前のお店が揃って開店する10時から、ほとんど休まず歩き続けたせいだ。
どこかお昼に寄ろうと提案したが、それは水着を決めてからとすげなく却下された。
水着を試着するのに、お腹がぽっこりしていたらイヤだから、というのがその理由だった。私にはない発想だ。
水着の専門店に入ると、そこには『大きいサイズ』のコーナーもあって、一緒に水着を選べることが嬉しかった。
私はそこで、体型を全部隠せるワンピースタイプの水着を見つけ、マユに見せたが、却下どころか引くほど怒られた。
「ヒヨってんのか? 上段使いが守りに入ってんじゃねえよ!」
「でも……腹筋が……」
私がうろたえているところに、ちょうど店員さんが「何かお探しですか?」と声をかけてくれた。
「あの、腹筋がバキバキでして……」
「すごいですね。うらやましい」と店員さんは高い声を出す。
「いえ、そういう、かわいい割れ方じゃなくて……」
「ちぎりパン」マユが横合から割って入った。
「ええ? すごーい!」店員さんは、一層声を高くする。「それはもう、見せていきましょうよ!」
「でも、かわいいのが良くて……なんか、私みたいにでっかいと、カッコいい系のヤツばっかり薦められるので……」
「ああ〜、なるほど〜、お顔カワイイですもんね」
「いえ……そんな、かわいくは……」
私は手ぐしで前髪をくしくしやった。さすがショップ店員。息をするように人を褒める。
店員さんは、商品の並んだ売り場から、いくつかの水着を選んで見せてくれた。
マユはそれを一つずつ手に取り、「これはまだ、攻めが足りないわ」とか「ここまでいくとアマゾネス」などと、私よりずっと真剣に吟味して、私はその中から、マユにとってはもう一つ攻めが足りないという評価だったが、気に入ったものを選んだ。
マユはハイネックの花柄のヤツで、スカートの付いたかわいい水着をすでにちゃっかり選んでいた。
✳︎
「そういえば、休み中、ユーゴくんに会ったの?」
水着を選んだ後で入った喫茶店で、『アイスきな粉豆乳ラテ』のストローから口を離したマユがそう聞いた。
「ううん、なんか、忙しいみたい」
私は、『アイス宇治抹茶豆乳ラテ』の氷をカラカラやって、言葉を選んで答えた。
甘いドリンクを飲む時も、せめて豆乳でタンパク質を突っ込むという、筋肉と乙女心の折衷を図ったチョイスだった。
日曜の喫茶店には、お客さんがたくさん入っていたけれど、ちょうど奥の方に、人目の気にならない席が空いていて、私たちはそこに座っていた。
「大丈夫? そんなことだと、『フェロモンだだ漏れ肉食通い妻』に……」
マユが言うのを、私は遮った。
「多分、そうはならないと思う」
「なんか、聞いたの?」
「あのマネージャーに、直接会った」
「マジ?」
マユはグラスをかき回す手を止めた。
「多分、あの人もピアニストだったんだと思う。それで、呉島くんに、すごく複雑な感情があるみたいだった」
「嫉妬ってこと?」
「多分それも。でも、それだけじゃなくて、呉島くんのピアノを、なんていうか、ただすごいと思ってるっていうよりは、もっと、信仰? 崇拝? そういうものに近いような、なんか……特別な感じ」
「神様は信じてるけど、自分を救ってくれなかったことを恨んでるみたいな。でも、ユーゴくんだって、生身の人間でしょ」
「そう。そういう部分を一番近くで見てきたのもあの人だから、そのギャップに苦しんでるのかもって、勝手に思ってて……」
「敵に同情?」
「ていうか、敵と思っていいのかなって」
「ああ、なるほど」
マユはそう呟くと、持ち上げたグラスに直接口をつけて、中の氷を2つ、口に滑り込ませると、ボリボリと噛んだ。
「関係ないね」
「そう、私はそういう意味じゃ部外者だから……」
「そうじゃなくて、結局さ、アンタがどうしたいかでしょ。あんた、ユーゴくんとどうなりたいのさ。それに邪魔なら、あの人は敵だし、そうじゃないならほっときゃいい。
そりゃ、事情はあるんでしょうよ。ユーゴくんほどの人のそばにいりゃあ。でもそんなの、みんな一緒でしょ? 多かれ少なかれ、みんないろんな事情の中で生きてんだ。アンタだけがそれを飲み込んで、大人しく指くわえてなくちゃいけない理由なんかない」
「私が呉島くんとどうなりたいか……」
マユの言葉を反芻して、私は考えた。というより、妄想した。
「そんなの、とても言えない。人前では……」
「そうでしょうが。どスケベ女剣士!」
「いや、どスケベとかでは……だって、みんなそうでしょ?」
「エロいことを隠してんのがエロいんだよ。逆に」
「ええ……」
「とにかく、明日から地獄が始まるんだ。連絡くらいはしときなよ。
私がフラれたのは、あくまで私とユーゴくん2人の間の話だし、アンタに負けたなんて思っちゃいないけど、阿久津さんに立ち向かって、ケンカの現場に直接乗り込んだ、アンタの、ユーゴくんに対する気持ちは、私よりも強かったって思ってる。半端な試合すんじゃねえぞ」
「分かってる」
そう言うと、私もグラスの氷を口に放り込んだ。
グラスの氷を食べるなんて、普通の女の子なら、行儀が悪いことだろう。けれども、出されたものは全て食べきる、これが戦士の品格で、私たちは戦士なのだ。