4-8.バーサーカーズ/呉島 勇吾
早朝、西校裏手の公園、荒屋の陰で、俺はボロ雑巾のように這いつくばっていた。
口の中に鉄の味がする。
手をついて、そこからよろよろと立ち上がると、血の混じった唾を吐く。
「おい……こんなもんか?」
相手は5人。これほど、おあつらえむきな事はない。
その内1人は膝をついて、俺がしつこく狙った鼻を押さえて悶えている。他の4人にも、最低一発ずつはくれてやった。
予定通り、6時過ぎに南側の入り口から公園へ入ると、そこは高い生垣に囲まれて、敷地の中にも遊歩道に沿って立木が生えていた。なるほど、見通しが悪く、隠れてちょっとした悪さをするにはもってこいだ。
目標のボロ小屋を目指して、立木を縫うように突っ切ると、その向こうからタバコの臭いがして、小屋の裏には、石の下に張りつく虫ケラみたいに、黒い詰襟の学生服が身を寄せ合っていた。
奇しくも5人。俺が互恵院学園高校に登校した初日、戦った上級生と同じ人数だ。
連中は、どちらかといえば、学級委員だとか、クラスのムードメーカーみたいなタイプに見えた。
小屋の裏にしゃがんだまま、「誰だテメー」とか「何見てんだ」とかいったセリフも、どことなく不慣れに聞こえた。
連中のリーダー格と見える、肩幅の広い1人の顔面を、俺は思いきり、前蹴りに蹴りつけた。
連中は俺を取り囲み、引き倒し、踏みつけ、引き起こし、殴りつけたが、俺は俺でまた存分に暴れた。手足を振り回し、最初に目をつけた1人を徹底的に狙いながらも、掴みかかろうと近付くヤツは見境なく殴り、蹴り、肘を入れた。
予定通り。全てが予定通りだ。
連中には覚悟がない。適当なところで切り上げようとする。俺は何度もボロ雑巾のように這いつくばっては、その度に立ち上がって、さらにヤツらを挑発する。
「こんなもんかって聞いてんだよ、ザコども!」
俺にとって予想外だったのは、その直後に自転車を飛ばして酒井が駆けつけたことだった。
「ユーゴ!」酒井は声をあげて俺を呼んだ。「お前、早えよ!」
俺より先に反応したのは、西高の生徒だった。
「酒井テメェ、俺らにやられた腹いせに、面倒臭えヤツ寄越しやがって。反省が足りてねえな。1人増えれば何とかなると思ったかよ」
酒井は5人の前に歩み出ると、「うるせえ」と吐き捨てた。
「でけえ口叩く割にいいザマじゃねえか」
「テメェ、こんな死に損ない1人増えたところで、何とかなると思ってんのかよ。頭沸いてんじゃねえのか?」
そう嘲りながら詰め寄ろうとした1人を、酒井はしたたか殴りつけた。
虚を突かれた相手はひっくり返って尻餅をつく。
「試合に負けた腹いせも、5人がかりでやっとのカスが、調子っくれてんじゃねえよ」
酒井が啖呵をきると、残りの連中も、「テメェ!」だの「ぶっ殺す!」だのと喚きながら、酒井に詰め寄って、俺の前には、先刻俺が徹底して鼻を蹴ったり殴ったりした男が、なんとか体裁を取り繕おうと、形だけ立ち上がったまま残された。
俺はそいつに掴みかかる。
「テメェは誰なんだよ……」と言う相手を、俺は構わず殴りつけた。
連中の中でも一番体格の良いヤツだ。
横に倒れて、もう勘弁してくれとでも言わんばかりに手のひらをこちらに見せる男を一目見下すと、酒井に群がっている男たちに飛びかかる。
「おい、こいつゾンビかよ!」
忌々しげに俺を押し倒した男に、酒井が蹴りを入れる。
「テメェ!」
また別の1人が酒井に組み付くのを、俺が立ち上がって殴りかかる。
別に、なぜ酒井がここに来たのか問うつもりもない。最初にヤられたのは酒井だし、コイツにだけは俺の戦いに横槍を入れる権利がある。
酒井は詰襟の連中に向かって、高らかに叫んだ。
「コイツは俺の相棒だ! 2人揃えばテメェらごとき、屁でもねえわ!」
遠くからこちらへ向かってくるバイクの音が、朝のひんやりした空気と立木の枝が葉を揺らすさざめきの中に、イヤに高く聴こえた。
1人はほとんど戦意を失ったが、それでも相手は4人いる。俺と酒井は、息を切らし、人とも獣ともつかない唸りをあげながら、1人殴れば倍殴れられ、1人蹴れば倍蹴られるのにも構わず、4人を相手に暴れまくった。
と、公園の遊歩道を揃いのジャージを着た男子生徒が数人、いや、目の端に映っただけで10人前後、通りかかった思うと、何か戸惑ったような表情でこちらを見たそのジャージの群に、酒井を囲んでいた詰襟の1人が急に勢いを得て、声を上げた。
「おい、1年! コイツら囲め!」
どうやら、ジャージ姿の男たちは、西高バスケ部の1年生らしい。しかし、彼らは互いに顔を見合わせて躊躇した。
「おい! さっさとしろよ!」苛立ち気味に、詰襟の1人が檄をとばす。
そうする内に、バイクの音はどんどんこちらへ近付いている。こちらも早くケリをつけなければ、近所の住民だの通行人だのに通報されて、ウヤムヤになるのがオチだ。
ジャージの1年は、従うでも無視するでもなく、曖昧な態度を取っていたが、やがてその内の1人が意を決したように、口を開いた。
「いや、僕らそういうの、勘弁っス」
「あ? 誰に口きいてんだテメェ!」
俺と酒井が3人を相手取っている傍で、詰襟の1人とジャージの1年が押し問答を始める。
「つーか、相手2人っスよね。5人がかりで苦戦して、1年応援に呼ぶとか、正直……」
「テメェ、部活で生き残れっと思うなよ」と凄む詰襟に、最初は遠慮がちだった1年も、しだいに反感を露わにした。
「いや、先輩、朝練来てないじゃないっスか。デカい顔されたくないっスね」
そこまで近付いていたバイクの音が、いよいよ公園の中に入ったと思うと、まるで速度を落とす気配もなく公園の中を駆け抜けて、慌てて道を開けるジャージ姿の人垣の間を縫うように、ドリフトで停車した。
俺は思わず怒鳴った。
「阿久津!」
「『さん』を付けろよ。1年坊主」と言うが早いか、阿久津はジャージの連中と押し問答していた詰襟のこめかみに、強烈な右フックを叩き込んだ。
殴られた詰襟はそのまま横に倒れて、それきり、ソイツを含め、そこにいた全員が、動きを止めた。
ジャージの西高1年が、「僕ら、関係無いんで……」と、そそくさと去って行く。
「いい判断だ」と阿久津は冷然とした笑みを口の端に浮かべたまま、去っていく男たちを見送った。
「テメェら……何なんだよ!」と声を張り上げたのは、俺が最初に狙い撃ちして以来、すっかり大人しくしていた大柄な男だった。
「酒井はともかく、テメェら2人は何の関係もねえだろ! 首突っ込んでくんじゃねえよ!」
その声は、抗議にも懇願にも聞こえた。
阿久津は、ハハっ! と短く笑った。
「自分を棚に上げる競技があれば、お前が優勝だな。だが、関係ねえってことはねえ。お前らは、『互恵院学園の王』阿久津 ルカの臣民に手を出した。その報復は、王である俺の、当然の義務だ」
阿久津がそう言った時、公園の入り口から、少しだけ歪んだリズムの忙しない足音が聞こえたかと思うと、その足音の主は高い声で俺を呼んだ。
「呉島くん!」
俺は、腫れたまぶたの間からその姿を確認すると、ただただ混乱した。
膝丈のスカートの裾を風に翻し、夏制服のブラウスにはちきれんばかりの肉体を詰め込んだ、身長180センチの女。そんな女は俺の知る限り1人しかいない。
「篠崎……?」
今回の件について、篠崎はマジで何にも関係がない。強いて言えば、どういうワケか今回の件に責任を感じていたマユの友だちではあるが、ではこの期に及んでここに登場したところで、いったい何をするつもりなのか。
というようなことを考えている間に、顔がはっきり見えるまで近くに来ると、篠崎はもう一度、「呉島くん!」と叫んで、こちらに駆け出した。
俺は、他の何をおいても、篠崎だけは、巻き込まれてはならないと思った。
近くの詰襟に飛びかかる。
彼女がここに着く前に、ケリをつける。
阿久津がまた、ハハッと声をあげて笑うと、自分の近くにいた1人と、酒井と向き合っていた1人を瞬く間に叩きのめした。
俺は自分の目の前の相手に組みついて、力任せに押し倒すと、馬乗りになって、無我夢中に拳を叩きつけた。
相手は俺の股の下で必死にもがきながら、泣きそうな声で何かを言った。そのツラに拳を叩き込もうとした俺の手を、阿久津が掴んだ。
「お前の勝ちだ」





