4-4.『戦争ソナタ』/呉島 勇吾
携帯が何度も鳴った。おそらく真樹だろう。
俺はこれを全て無視してピアノを弾き続けた。
鍵盤の高音域に手を滑らすたび、右のサイドテーブルに置いたスマホの光が視界の端に映る。
リストの『マゼッパ』から始まって、同じく超絶技巧練習曲の中でも無題の10番を、冒頭の『Allegro agitato molto』の指示通り強烈な速度と熱量で弾き上げると、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ17番『テンペスト』、チャイコフスキーの『義勇艦隊』、バルトークのピアノ・ソナタと、次々に、左の奥歯を食いしばって、鍵盤を叩き続けた。
途中、休憩を挟み、トイレを済ませて、コンビニで買っておいたパンを牛乳で流し込むと、サイドテーブルからスマホを取った。
真樹はやっと諦めたとみえる。着信履歴は無視してマップを開く。
西高校の裏手、目標の公園までのルートは頭に入った。マップを航空写真に切り替えると、阿久津の言っていた管理棟らしき小屋はすぐに見つかった。
阿久津の見立て通りなら、連中はわざわざ朝早く家を出て、その陰でタバコを吸っている。ちょっとした冒険はしてみたい、しかし先生に怒られたり、ましてや処分を喰らうのはまっぴら御免という覚悟のなさが、その『勤勉な非行』とでも言うべき滑稽な行動をとらせるのだろう。
俺は短く鼻で笑う。
半端者どもが。無頼を気取るのは連中の勝手だ。だが、ヤツらは、酒井を巻き込んだ。俺はそのことを絶対に許さない。
鍵盤に指を落とす。
セルゲイ・セルゲーエヴィチ・プロコフィエフ、ピアノ・ソナタ第6番Op82。
俺はこのあと、同じプロコフィエフの第7番、第8番も続けて弾くつもりだ。
この3曲は、第二次世界大戦中に書かれ、日本では『戦争ソナタ』と呼ばれる。
いずれも極めて完成度の高い、激烈で攻撃的なソナタで、特に7番は、ピアノ・ソナタ史上、突筆すべき傑作だ。
この3曲を弾き終わった時、俺はそのまま鍵盤の上に突っ伏して眠るだろう。そして、目覚めたら、戦地に赴き、戦う。
6番の1楽章冒頭、鮮烈な不協和音が、鋭いリズムで、激しく跳躍する伴奏の上を、アンバランスに下降していく。──
俺がこの国に来て、高校というところに通い始めてからというもの、俺にとって初めてのことがたくさんあった。
鼻に絆創膏を貼ってもらったこと、クラスメイトに気安く話しかけられたこと、他人に自分の深いところを明かしたこと、屋上で上級生と話したこと、女に後ろから抱きつかれたこと……数え上げればキリがない。
そして、他人が傷つけられて怒ること……──
そこまで考えた時、ピアノ・ソナタ第6番は、3楽章に入っていた。
極端に緩慢なワルツだ。
長いフレーズのメロディと、分厚く幅広い内声部の和音が、複雑にうねり、奥行きや色合いを変化させながら、シンフォニックに膨張していく。
──俺が以前、上級生5人と戦った翌日の朝、顔の傷を指した酒井は、それが転んで出来たものではないと気付いていた。しかし、アイツはそこに、深く踏み込んではこなかった。
アイツは俺と違って、人との距離の取り方が上手い。
相手への関心をはっきり示して色々と聞くが、こちらが、少し答えづらいなと感じると、その瞬間にスッと引く。
「俺はお前のことを知りたいよ。けれど、知られたくないお前の気持ちも尊重するよ」
酒井の態度からは、無言の内に、そういうメッセージが伝わってくる。
誰とでも分け隔てなく接し、相手のことをよく観察して、理解しようとする姿勢が、それを可能にするのだろう。
アイツは多分、校長が言っていた『人格に対する敬意』というものを持っていた。
だから、俺のような、得体の知れない、不穏な人間にも、ある意味では馴れ馴れしく、しかし親切で、親密に、それでいて適度な距離感を持って接することができた。
俺があの教室の中で、これといったトラブルも起こさずに過ごせていることは、奇跡ではない。アイツが俺と、クラスメイトとの間を取り持って、上手くバランスをとりながら立ち回っているからだ。
アイツにとって、それは簡単なことで、当たり前のことなのだ。そこに何の見返りも求めていない。酒井はそういうヤツなのだ──
ピアノ・ソナタ第7番Op.83の1楽章に入る。
無調性的な、不安定な和音が、規則的な鋭いリズムで繰り返されながら、熱量を増す。
俺はこれまでの短い人生を、ほとんど、怒りによって生きてきた。親から売られ、外国に飛ばされ、差別され、軽蔑され、嫉妬され、見世物にされ……いささか逆説的だが、そういう不条理こそが、俺を生かしていた。
しかし今、俺を動かしているのは、過去のそれとはどこか違う、『新しい怒り』だ。
酒井に手を上げた連中を、俺がブチのめしたとしても、多分アイツは喜ばないだろう。アイツはそういうことを俺に求めてはいない。
だから、アイツは俺に、事情を説明しなかった。短気で喧嘩っ早い俺が、何をしようとするのか、想像できたからだ。
アイツは、自分がブチのめされた時でさえ、俺のことを考えていたのだ。
それなら俺は、アイツが俺にそうしたように、アイツに深く踏み込まない。しかし、酒井に手を出した連中は、必ず俺がブチのめす。これは、俺の問題だ。
酒井が望もうが望むまいが、アイツがボコられたことに対する俺の怒りは、俺自身の手によって、クソどもを地獄に叩き落とすことでしか晴らされない。
酒井が俺を気遣う必要はない。
これは俺の怒りだ。俺は、俺のために戦うのだ。
7番の『戦争ソナタ』は3楽章に入る。8分の7拍子の無窮動的で激烈なフィナーレだ。
打楽器的とも言える力強いアクセントと、執拗に繰り返されるリズムが、否応なく闘志を掻き立てる。
どれだけ打ちのめされても、クソどもを地獄に引きずり込むまで戦うことを辞めない、戦士の足音だ。
俺はおそらく、何人もの男たちに囲まれて、ボコボコにブチのめされるだろう。相手は身体が大きく、人数は多く、体力もある。だが、そういうことは、俺が戦わない理由にはならない。
アクセントの変化でリズムが移り変わり、無調性的な旋律を持つ中間部を過ぎると、音域を広げ、圧倒的な質量とエネルギーでコーダへ向かう再現部を経て、変ロ長調の主和音で終始する。
と、ちょうどそこで、また携帯が鳴った。それが置いてあるサイドテーブルに視線を向けると、その着信は篠崎からのものだった。
俺は一瞬、携帯に手を伸ばしかけて、止めた。
8番のピアノ・ソナタが、「俺を弾け」と呼んでいる。
いつか、阿久津に、俺は好きでピアノを弾いてるわけじゃないと言った覚えがあるが、俺はこの時代の作曲家が好きだ。
アルノルト・シェーンベルク、イーゴリ・ストラヴィンスキー、そしてセルゲイ・プロコフィエフ、こうした作曲家たちは、当時の楽壇で、既存の価値観と真っ向から戦っていた。
演奏を掻き消すほどの怒号、腹を立てて席を立つ聴衆、辛辣な批評、しかし、それと同じくらい熱烈な支持者を、その灼けつくような音楽の世界に引きずり込んだ。
戦争ソナタの最後の1曲、ピアノ・ソナタ第8番の冒頭へ、指を落とそうとしたその時だった。
スタジオの扉のレバーが動いた。そして、その分厚く重い防音扉は、ボコッ、と鈍い音を立てて開いた。
空気が急に薄まったように、息苦しく感じた。
「ユーゴくん!」
扉の隙間から姿を現した女が、今にも泣き出しそうな顔で俺を呼んだ。
「マユ……」
俺は椅子の背もたれに寄りかかって、鍵盤に落とそうとしていた手を、膝の上へ下ろした。
鳴っていた携帯の振動が、何かに遠慮するように止んだ。