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悪童ピアニストと内気な剣道女子のための叙情的組曲【書籍2巻発売中】  作者: 福太郎
第4曲「荒々しく、そして迷いなく、まっすぐに」
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4-1.リスクを負う/篠崎 寧々

 私は、呉島くんと自分の関係を計りかねていた。


 これを、俗に言う『友だち以上、恋人未満』などと思うのは自惚れなのだろうか。


 お昼ご飯を一緒に音楽室で食べて以来、私と呉島くんは、時々お昼を一緒にとるようになった。当然、そういつも音楽室を独占出来るわけではないので、場所は学校の中庭だったり、学食だったりしたけれど、私たちは、そこでとりとめもない話をした。


 彼は北区に住んでいて、家にはピアノが2台ある。私は知らなかったけれど、ピアノも、ギターみたいに弦が切れることがあって、しかもすぐに張り替えられるようなものではないので、1台では足りないのだそうだ。


 私と一緒じゃない日は、呉島くんは阿久津さんという先輩や、酒井くんという同じクラスの男の子とよくお昼ご飯を食べるみたいで、お節介かもしれないけど、彼にも普通に友だちができたことに、私は安心した。


 ただ、彼には時々、自分の心を俯瞰的に観察しているようなところがあって、彼が自分の心を使って実験しているような、あるいは自分をピアノの部品みたいに、加工したり交換したりしようとしているような、自分自身に対するその言いようのない冷たさに、背筋が寒くなるような思いをすることがたびたびあった。


 そういう時、私は、私と彼のこういう関わりも、彼にとっては一種の実験に過ぎないのではないか、ピアノの鍵盤や、弦を調節するような道具以上の意味はないのではないかと、不安になった。


 そして、あの週末に予定していたお食事は、呉島くんに仕事が入ってしまったため、またの機会に、ということになってしまい、「またの機会」の目処は今のところたっていない。


 呉島くんはここ最近、毎週、週末には仕事が入ってしまうのだという。


 はっきりしたことは、呉島くんは、自分が恋をしているのか否か、自分でもよく分かっていないということだった。


 それから一月くらい経ったが、その間、特に進展はなかった。

 いやむしろ、これは、トータルで後退ではないだろうか?


 私は呉島くんのことが好きだと、かなりソリッドに自覚してしまっていたけれど、一方で肝心の相手が、自分が恋をしているかは分からない、つまり、「好きな人がいない状態」だと確定してしまった以上、次の手をどう打つべきかということについて、知識も経験も全くなかったのだ。


 今、私が「好きです。付き合ってください」と言ったら、呉島くんは多分、「いや、よく分からねえな」とか言って、すげなく私を振るだろう。恐ろしすぎる。


 しかし、私は諸々の出来事で、剣道部の部員からは「3馬身のリード(これは競馬でだいぶ大きな差らしい)」と言われており、マユも警戒して私へのアドバイスをしなくなってしまった。


 いや、大体、ライバルを自称する相手から、アドバイスというのがそもそもおかしいワケだけど。


 さて、とはいえ私は、何も男のことばかり考えていたわけではない。


 部内選考以来、上段の構えを本格的に練習し始め、身長179センチ(公式記録181.3センチ)の上段女子選手という未体験ゾーンに相手を引きずり込むことで、私はいくつかの試合で勝利を収めたが、しかし公式戦では最高で3位と、戦績は振るわなかった。


 私自身が、左手一本で竹刀を振るう上段の構えにまだ慣れていないこともあったが、やはり中学時代の怪我が私の心に残した傷跡が、まだ鈍く疼いていた。


 身に付けるべきことはいくつもある。剣道の基本に立ち返って、打突の精度を上げること、技のバリエーションを増やすこと、立ち合いの駆け引きを学ぶこと、他にもたくさん。


 呉島くんと話していて分かったのは、彼が強くいられるのは、彼自身が、単純に闘争心の強い性格だということもあるだろうが、それにも増して、自分の技術に対して揺るぎない自信を持っているからだということだった。


 私が恐れていることは、自分が周囲の期待を裏切ることで、逆に言えば、私自身に、その期待に見合うような技術と実績の裏付けがあればいいのだ。私はそう考えるようになった。


 身に付けるべきことはいくつもあるが、やるべきことは一つ。稽古だ。


 そんなある日、部活の稽古中に顧問の先生が、私を格技室の隅の方へ呼んだ。

 私は、他校の生徒と違って、私の上段に慣れ始めた部員との立ち合いに苦戦していた。


「脚の調子はどうだ?」

 先生は太い腕を分厚い胸板の前に組んで、優しい目でそう聞いた。


「大丈夫です。気持ちも、少し安定してきたように思います」

 私はそう答えた。先生は、私が怪我から精神的な不調を起こしていたことを見抜いていて、脚のことを尋ねる時は、気持ちの状態を聞いているのだということが分かった。


「よし。じゃあ、次の段階に行こう」と先生は言った。


「ハイ!」と私はうなずく。


 この学校の剣道部が女子剣道の名門になったのは、この顧問がいたからだと私は思う。その先生が、私を「次の段階」に入れると評価してくれたことが、私は単純に嬉しかった。


「『攻め』についてだ」と先生は簡潔にトピックを提示した。


「ハイ!」


「剣道における『攻め』というのは、永遠のテーマだが、少なくともこれは攻撃をすることではない。それは分かるな」


「ハイ!」


「先の試合で、君の勝因は何だっただろう?」


「相手が、私ほど背の高い選手の上段に慣れていなかったからです!」

 私は出来るだけ歯切れ良く答えた。


「そう。そういう経験がなかったために、相手は崩れ、そこに隙が生まれた。これは、君ほど体格に恵まれた選手が上段をとるということそのものが、ある意味『攻め』として機能したと言える」


「ハイ!」


「今君は、君の上段に慣れた部員たちに苦戦しているが、それは、中段の構えを使っていた時に、無意識に出来ていた『攻め』が、使えなくなったからだと考えている。

『攻め』とは、『相手を崩すこと』もっと言えば、『相手を意図した通りに動かすこと』だと先生は思う。

 相手が崩れるだけでは駄目なんだ。『崩れた状態』というのは、試合の中でも、実は頻繁に起きる。構えを崩さなければ、打突が出来ないワケだから。

 では、相手が打突のために構えを崩す全てのシーンを、打突の好機に出来ないのはなぜか。それは、『相手がいつ、どのように崩れるか知らないから』だ」


「ハイ!」

 相手を意図した通りに動かすこと。私はその言葉を頭の中で反芻した。多分、呉島くんは、誰かの意図した通りになど動かないだろう。そういう人だ。


「もちろん、我々は予知能力者ではないから、完全に知ることなど不可能だ。だが、相手の行動をいくつかの選択肢に限定し、予想することはできる。

 例えば、小手と面を庇いながら大きく振りかぶったまま前に出れば、相手は左右どちらかの胴を狙うだろう。自分からそう働きかけた時、自分は、相手がどう動くのか、『あらかじめ知っている』

 あとはそれに、自分の打突を合わせてやればいいわけだ。注意すべき点は、この時、自分が『あえて先に崩れている』ということだ。攻撃に必要な軸を残して、崩れて見せる。

 つまり、『リスクを負うこと』先生は、これが『攻め』だと思う」


「リスクを負うこと……」と私は繰り返してから、取ってつけたように「ハイ!」と返事をした。


 その言葉に、私は深く納得したからだ。「打てば当たる」などという状態は、試合の中では滅多にない。あったとしても、いつ訪れるかも分からないそんなタイミングを、のんびり待っているようなノロマに勝利の目はない。 


 攻めるのだ。攻撃の軸を残しつつ、あえて自分から崩れることで、相手を崩す。リスクを負って。


 剣道も、恋も。


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