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悪童ピアニストと内気な剣道女子のための叙情的組曲【書籍2巻発売中】  作者: 福太郎
第3曲「ゆっくりと、とても感情を込めて」
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3-3.ひとりぼっちの王様/呉島 勇吾

 酒井によると、今朝教室に来た男は、阿久津(あくつ)といって、比較的学力の高いこの高校では珍しい、というより、確認される限りただ1人の不良なんだそうだ。


 昼休み、わざわざ俺を迎えに来た阿久津について行くと、校舎1階の購買で、宣言通り俺の分までパンを買った。


 それから4階建の校舎の階段を上りきると、そのさらに上へ続く短い階段を上り、屋上へ続くドアに鍵を挿して、開けた。


 そこから入り込んだ強い風が髪をなで付け、細めた目を開くと、空が、いつもより青く見えた。


「なんで、アンタが鍵を持ってんだ?」と俺はたずねた。


「誰かがパクって合鍵を作ったからさ。それを俺が奪った」


「とても分かりやすい」


「だろ? 俺が入学したての頃は、屋上に続く階段の陰なんかは、カップルがイチャつくスペースだったらしいが、俺がそこを戦場にしたからな。今じゃ誰も寄り付かねえ」


「この学校じゃ、そういうことをやるのはアンタしかいねえと聞いたけどな」


「元からいなかったんじゃねえ。いなくなったのさ。俺が片っ端からブチのめしたから。そういう意味じゃ、俺はむしろこの学校の治安維持に貢献したとも言える」


「なるほど。それで、俺に何の用だ」


 俺がそう聞くと、阿久津は大きく伸びをした。


「用ってほどのことじゃねえんだけどな。お前にからんだ5人、アイツら全員、俺がヤった。別にお前のためじゃねえけどな。群れでイキがってんのが前から気に喰わなかった。最近じゃ、教室の隅で置物みてえに縮こまってる」


「どうりで、見かけねえと思った」


 それは俺にとって、もう過ぎた話だった。

 気に入らないヤツらが余所で痛い目にあうというのは心温まる話ではあるが、それをすすんで願うくらいなら、俺は自分でやる。

 阿久津があの5人をヤったということの価値は、俺の知らないところで(どぶ)にハマった犬が救出されたとか、その程度のことだった。


「俺がヤる前にアザやらキズやらができてたから、聞いたんだ。お前、5人いっぺんに相手したって?」


「囲まれて、小突き回されたから、その場で戦っただけだ」


「聞いたぜ。お前はぶっ倒れるまで1人で戦った。俺はお前がどういうヤツか、興味があった」


「別に、どうってこともねえよ。変わったところがあるとすれば、ピアノが世界で一番上手くて、そのせいで世界中を転々とする羽目になったってことくらいだ」


「ああ、ピアノね。すごいらしいな」と阿久津は思い出したように言った。


「全校集会で弾いたんだが」


「俺が、そんなもんに行儀よく並ぶタイプに見えるか?」


 俺は考え込んで、うなった。「いや、どうだろう。俺は日本に来て間もないせいか、どういうヤツがどういう行動をするのか、いまいちよく分からねえ」


「そうか。まあ、とにかく、俺はその時も屋上にいた。言われてみれば、ピアノの音が聞こえたような気もしなくはないが、特に感想を持つほどそれに耳を傾けていなかった。お前には悪いけどな」


「俺はヒップホップやレゲエに興味はないが、それをやってるヤツに悪いとまでは思わねえ」


 阿久津はハハッと声を出して笑った。

「確かに。だが、レゲエを聴かねえのは人生の損失だ。ボブ・マーリーくらいは聞いた方がいい」


「まさか俺に音楽を語るとはな」


「ボブ・マーリーを聴かねえヤツは、俺の講釈(こうしゃく)を聞く義務がある」

 そう言うと、阿久津はスマホを取り出して、音楽をかけた。


 ゆったりした4拍子で、うねるようなベースラインを、不規則なパーカッションの装飾と、エレキギターのカッティングが刻んでいくのに乗せ、語りと歌の中間みたいな男の声が、気怠げに流れていった。


 俺たちはそれを聴くともなく聴きながら、パンを食った。


「まあ、悪くはねえな」

 特に、天気のいい昼飯時のBGMとしては、かなりおあつらえ向きとも思えた。


「『悪くない』んじゃねえ。『良い』んだよ」

 阿久津は抗議するように言う。


「分かったよ」


「じゃあ、今度はお前の好きな音楽を聴かせてみろよ」


 俺はそう言われて、何と答えるべきかためらった。

「まず、俺はスマホに音楽を入れてねえ」


「ピアニストなのにか?」


「ピアニストだからだ。スマホで聴く演奏より、俺の方が上手いからな。それと俺は、好きとか嫌いとかを考えたことがねえ」


「好きでもねえことを何年も続けてきたってことか?」

 阿久津は心底不思議そうに言った。


「アンタは、1日で100万単位の金を稼ぐ手段がある時、それを捨てて別の仕事をやるか?」


「納得できねえな。お前にどんな才能があろうと、その実力を身につけるには、相応の何かを払ったはずだ。稼げるようになるまでに要した時間は、他の奴より極端に短かったとしても。好きじゃねえってんなら、何かそれに代わる動力があったはずだぜ」


「アンタ、ぐいぐい来んな……」

 しかも、おそらくこいつは、バカではない。


「俺はただ、納得してえだけなのさ。いつも。

 並んだ机に向かってなくちゃいけねえ意味や、揃いの服を着させられる意味、気の小せえ連中が5人揃った途端に無敵だと勘違いする仕組みや、好きでもねえピアノを弾き続ける理由ってやつなんかについて」


 そう言いながら、阿久津はブレザーのポケットからタバコを取り出し、1本くわえると、その先に火をつけた。


 コイツは、上っ面の言葉で引き下がるようなヤツじゃない。


「魂に直接結びついていて、それをしてなきゃ上手く呼吸ができない。そんな感じだ」


「好きとか嫌いとか、そういう次元じゃねえってことだな。『必要』だからそうしてる。

 お前にとってピアノに触れてねえ時間は、例えりゃ知らねえオッサンと同居させられてるようなもんか?『オッサンのいない時間が好き』とかじゃねえ。それ自体が生理的にあり得ねえ』


 俺は驚いた。他人に理解されるとは思っていなかったからだ。

「アンタにも、そういうものがあるのか?」


「ねえな。だが、想像することくらいはできるだろ」

 阿久津はタバコの煙をふぅと吐いた。

「お前、ピアノ弾けよ。俄然興味が湧いたぜ。俺は放課後も大体、しばらくはここにいる。音楽室は4階だ。窓開けて弾きゃ、ここまで聴こえるだろ」


「音楽室は吹奏楽部かどっかが使ってんじゃねえのか?」


「いや、吹奏楽部はホール練だか何だかで、今日は空いてるはずだ」


「何でアンタがそんなこと知ってんだよ。吹奏楽部に友だちがいそうには見えねえぞ」


「友だちはいねえが、セフレがいる」


「せふれ? とは?」


「おいおい、お前、赤ちゃんかよ」


 阿久津は、その言葉が何の略語であるか、具体的に何をする関係であるか、そして彼には特定の恋人はおらず、そういう関係の女が何人かいることなどを説明した。


 俺にはそれが、うらやむべきことかどうか、いまいち判断がつかなかった。


「お前には、いねえのか? そういう相手は。金も才能もあるなら、そういう機会はいくらでもありそうなもんだけどな」


「俺の生い立ちを作文にするなら『ピアノを弾いた』としか書くことがねえ。せいぜいそれに、『いつ』『どこで』『曲目は何を』が加わるだけだ」


「なるほどな。じゃあ、今後はその生い立ちに、こう書き加えろ。『高一の時、私立互恵院学園の王、阿久津 ルカと出会う』」


「アンタ、下の名前『ルカ』っつーの?」なんというか、大分イメージと違う。


「父親がイタリア人だ。クズだったが、金だけはあったらしい。おかげで、この学校にねじ込まれた。まあ、俺の話は大して面白くもねえ。いいか、今日の放課後だぜ。俺はここで、お前のピアノを待ってる」


「ああ」俺はそう返事をして、阿久津と別れた。


──高一の時、阿久津 ルカと出会う。またこの時、酒井 駿、平坂 マユ、そして、篠塚 寧々と──



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