3-2.人間ではない、何か/篠崎 寧々
昼休み、校舎裏で、私は一人お弁当を食べながら、雑誌を開いていた。
──消えた【神童】呉島 勇吾 ショパン・コンクールにて復活!──
昨日この雑誌を見かけた時には、思わず変な声が出た。その時、同じ学校の制服を着た男の子に見られたような気もしたけど、もう、視界がギュッとなってしまって、ただ一目散にその雑誌を買って店を出ることしか出来なかった。
呉島くんが有名なピアニストなら、ネットで調べれば何か情報が得られるはずだということは、これまで何度も思ったけれど、私はそれが何か、ひどく失礼というか、無遠慮というか、とにかく気が引けて、そういうことを避けていた。
彼について知りたければ、彼に直接聞くべきだ。
ところが、たまたま立ち寄った本屋さんでこの雑誌を見たとき、私の頭の中には、
「彼が公開を許した情報ならば、それは不特定多数に向けられたものであって、その不特定多数の中には私も含まれるのでは? それはつまり、彼が私に言ったと同じことでは?」といった拡大解釈が働いて、私は雑誌を手に取ったのだけれども、いざそれを開こうとすると、
「ちょっとこれって、ストーカーに近いのでは……」というような後ろめたさと、しかし、彼を知りたいという葛藤の末、結局この雑誌を学校まで持ち込んで、イカガワシイ本をこっそり見る男子中学生みたいに、1人校舎裏でこそこそと、これを覗き込んでいるのだ。
スイーツをたらふくご馳走してくれたあの日、彼は、その壮絶な胸の内を、私に明かしてくれた。けれどきっと、それは彼のほんの一部に過ぎない。
私は、知りたい。この気持ちが、恋愛感情というのかどうか、私には、まだよく分からないけれど、とにかく、今私は、彼が知りたいのだ。
──ニコロ・パガニーニというバイオリニストについて、この雑誌の読者に改めて説明する必要はないだろう。18世紀から19世紀の伝説的ヴィルトゥオーゾであり、その突出した演奏技術は「悪魔に魂を売り渡した代償として手に入れたものだ」とまことしやかに囁かれた──
「いやいや……誰?」
何の話をしているのか。私は人知れず顔をしかめる。呉島くんの特集なんだから、呉島くんの話をしなさいよ。
と、そのすぐ下に、呉島くんの名前を見つけ、私は先を読み進める。
──さて、時は下って、今から10年ほど前、1人の幼児が、音楽界を震撼させた。
呉島 勇吾、当時5歳。
日本人の小さな男の子が海外のステージに挑戦するというので、取材に訪れていた記者は、その日起きた出来事を、今も鮮明に覚えている。
ハンガリー、ブダペストのコンサート・ホール。新進気鋭の若手ピアニストたち、その壮々たる顔ぶれの中に、一際異彩を放つ5歳の幼児がいた。
子ども用の補助台とアシスト・ペダルを使って、フルコンサート・グランドピアノという、まるで不釣り合いに巨大な楽器の前で、小さな身体を落ち着ける様子は、微笑ましくもあり、客席も和やかなムードでそれを眺めていた。
彼が、それを弾き始めるまでは。
『ピアノ・ソナタ ロ短調S.178』
空前絶後のヴィルトゥオーゾ・ピアニスト、フランツ・リスト唯一のピアノ・ソナタであり、30分に渡る難曲を、彼は事もなげに弾ききると、椅子の上から、ちょこんと飛び降り、唖然とする客席にペコリと頭を下げたのだ。
客席は、ただ混乱の内にどよめいていた。
すると、彼は自分の演奏に何か足りなかったとでも思ったのだろうか。もう一度ピアノの椅子によじ登ると、おそらくアンコール・ピースとして用意していたのであろう、同じくリストの『半音階的大ギャロップ』をさらりと弾いて、もう一度椅子を飛び降りた。
聴衆はこの時初めて、今自分たちの目にしているものが、本物の天才による、奇跡的偉業であることに気付いたのである。
割れんばかりの拍手と、絶叫に似た歓声に、彼は、安心とか、満足とかいうよりも、「納得した」というような表情をして小さくうなずくと、舞台袖へ去っていった。
「小さな天才による健気な挑戦」とでもいうような、微笑ましい記事を書くつもりでいた記者は、この時、全く筆を進めることが出来なかった。これは、そんな生やさしいものではない。
私が彼の背中に重ねたのは、歴史上の優れたヴィルトゥオーゾの中でも、ウラディミール・ホロヴィッツや、それこそフランツ・リスト、あるいはフレデリック・ショパンといったピアニストたちではなかった。
ニコロ・パガニーニだ。
そしてその時、呉島 勇吾の背中にその気配を感じていたのは、私ばかりではなかった。
「かつて、その魂と引き換えに、ニコロ・パガニーニを伝説的名手にした『音楽の悪魔』は、現代に降り立ち、呉島 勇吾の魂を買い取った」
あるフランス人ピアニストが、その日の演奏に書いた評論である。
彼の才能は、『神からの贈り物』ではない。『悪魔の呪い』だと。
我々にそう感じさせたのは、単にその卓抜した演奏テクニックだけではない。たった5年の人生に、一体何が起こったのか。彼の鋭い目つきや、立ち居振る舞い、足運び、そうした一つ一つに、独特の凄味と、一種の「危うさ」を感じずにはいられなかった。
彼について、もう一つ、評論を引用したい。
「まず、最初に明言するが、彼はコンクールには向かない。理由は単純である。審査員が嫉妬するからだ。
ある審査員はこう言うかも知れない。『機械のように正確だが、機械のように感情がない』あるいは、『ある種のドラッグのように、強烈な興奮作用を持つが、健康のためには勧めない』などと。なぜなら、そういう主観的な評価や、捻くれた揶揄でしか、彼の演奏を貶めることが出来ないからだ。
彼がコンクールを勝ち抜く方法があるとすれば、(審査員が私情を排し、公平性に殉ずるという淡い期待を除けば)次元の壁、あるいは生物としての種の壁を破ることだろう。
我々がゴリラの握力に嫉妬しないように、そういう意志すら失うような、我々とは別の生き物になることだ。そしてそれは、早晩訪れると予感する。なぜなら、彼はすでに、その境界線上に立っているからだ」
その後彼は、ハンガリーの音楽学校に在籍しながら、ヨーロッパ中を飛び回り、彼の年齢で出場出来るコンクールを片っ端から総なめにしていく。
しかし、彼は(いや、おそらく彼のマネジメントをする所属事務所や、彼の保護者は)、メディアへの露出を徹底して嫌った。
好意的にとらえれば、それは、彼の健全な発育のための配慮と言えなくもない。しかし、一方でこのことは、好事家たちの関心を引くためのイメージ戦略だとか、素性身上の不健全な要素を隠すためともとらえられ、一層の議論と憶測を呼んだ。
そうした中、あの衝撃のデビューから、5年が経った頃である。
フランスで行われたコンサートで、演奏中、客席から野次が飛んだ。彼の謎めいた出自や、年齢に見合わぬ超絶技巧、客席を睨みつけるような鋭い眼光は、時に強烈なアンチも生んでいたのだ。
その時の演目は『夜のガスパール』他数曲だったが、そのモーリス・ラヴェルの超難曲を引き切ると、彼はピアノの椅子を蹴倒して、以来、公の場から姿を消した──
──私は、その雑誌を思いきり、塀に向かって投げつけた。
みんながこうやって、彼を、まるで人間ではない、何かにしたのだ。怖いもの見たさをあおって、見世物にして、ある者は祭り上げ、またある者は罵ったのだ。
予鈴が鳴った。
私は長く息を吐いて、自分が投げ捨てた雑誌を拾うと、その表紙、今にも噛みつかんばかりにこちらを睨んでいる呉島くんの写真に、「ごめん……」と謝った。それから、雑誌とお弁当箱を鞄にしまい、校舎へと歩き出した。
彼のために、私が今、してあげられることは何だろう……。