2-4.雨傘と竹刀/呉島 勇吾
学校の玄関を出たところに、真樹が傘をさして待っていた。
「女か?」と顔をしかめる。
「あー、クラスの女に会ったわ。すげえ話しかけられた」
「ここまで聞こえてたよ。ガキが。媚売りやがって。ほら、早く傘入んな」と毒づきながら俺を急かす。
「思ったんだけどよ、傘2つあるべきじゃねえか?」
「あ? いいんだよこれで」と言いながら、真樹は振り返って校舎を睨んだ。
なぜ真樹を俺の担当にしたのか、事務所の社長に聞いたことがある。
俺の所属する事務所の社長、50そこそこの能天気な男だが、彼が言うには、「ほら、ムカつくことがあっても、隣のヤツが自分よりキレてると、逆に冷静になる時あるじゃない。だから、キレキャラはセットにした方がいいんだよ。片方しかキレずに済むから」とのことだ。
今考えれば、それは要するに、責任者の彼が頭を下げに行くのが1件で済むから、というふうに聞こえなくもないが、その時は妙に納得してしまった。
「校長に1曲弾いてくれって頼まれたんだけど、いいんだよな」後部座席に乗り込むと、俺は真樹にそう聞いた。
「ああ、そのくらいは構わないってさ。生徒がネットに動画上げたりしても、かえって宣伝になるからって。代わりに身なりはちゃんとしな」
「あー……苦手なんだけどよ、そういうの」
「アタシがついてってやるよ。アンタ、自分で蝶タイ結べないだろ」
「そこまで必要か? 別に制服でいいだろ」
「ダメだな。動画がネットに上げられたら、制服で学校が特定される」
「そんなもん、どの道じゃねえの? 体育館のステージとかだぜ? 分かるヤツは分かるだろ」
「アンタが自分から制服晒すようなマヌケじゃないってことが重要なんだ」
俺はウンザリしてため息をついた。「面倒くせぇ……」
そもそも、ピアノが弾ければ俺は何だってよかった。俺が弾くことで金が入るなら、それはそれで結構なことだし、そうじゃないとしても別に構わない。どうせ俺はピアノに触れていないと、息をしている感じがしないのだ。
だが、あの堅っ苦しい格好だけはいつまで経っても慣れない。
信号で車が止まった時、ふと窓の外に目をやると、そこに武道具屋が見えた。
「ちょっと、停めてくれ。降りる」俺はそう言うと、ドアを開けて車を降りた。
「あ? 何勝手こいてんだてめぇ!」真樹の怒声を背に、俺は走る。
武道具屋のショウ・ウィンドウには、剣道の防具が飾られていた。
雨に濡れるのにも構わず、店に駆け込むと、「いらっしゃいませ」と中年の女店員が声をかけてきたので、俺は思いつくままに尋ねた。
「剣道やってる女で、高校生なんだけど、なんか、あげたいんだ。何がいい?」
「あらぁ!」女店員は何が嬉しいのか、歓声に近い声をあげた。「彼女?」
「そういうのじゃねえけど」
馴れ馴れしいなコイツ、と思いながらも、俺は店の中を見回した。
「あらあらあら……じゃあ、これから、そうなると……」
「いや、知らねえけど。とにかく、こう、勇気を出して戦えるような感じのヤツを……」
「小物とか?」
「あぁ……俺は剣道のこと全然知らねえからな。どんなのがいいか……」
俺がそう言って、店に並んでいる商品を物色し始めると、店員は、棚の奥の方から、ビニール袋に入った商品を1つ取り出して、俺に見せた。
「これなんて、どうでしょう」
剣道の防具を上から押し潰したような、手のひら大の、平べったい厚紙みたいなものだ。
「いや、何コレ」
「『不屈の剣士』っていうんですけどね、組み立て式のペーパークラフト人形です。仕掛けがあって、上から水平に落とすと、その衝撃でストッパーが外れて立ち上がるようになってるんですよ。2つあれば、紙相撲も出来ます」
いや、要らねえだろ……と思ったが、それが上手く声にならなかった。思ったことをわりとすぐ声に出してトラブルになりやすい俺にとって、それはかなり珍しいことだった。逆に言葉を失ってしまったのだ。
何せ、これほど強く、『要らねえ』と思ったことは、思い出す限り一度もない。誰がやるんだ。紙相撲を。
「もうちょっと、実用的なヤツを……」
「じゃあ、これなんかは?」と店員は近くのTシャツを手に取って広げる。「剣道の技がプリントされたTシャツです」
ダセェ……。俺は店の中を見渡した。もうダメだコイツは。全くアテにならない。
と、壁際に、大量の竹刀が立てかけられているのが目に留まった。
「竹刀……そうだ、竹刀を買えばいいんじゃねえか」
「ああ、でもイマイチ、アピールに欠けるような気がしますけどね。ロマンチックじゃないというか」と店員は言う。
お前の意見は聞いてねえよ、と思ったが、俺は構わず「一番強いヤツを出してくれ」と頼んだ。紙人形の2.5倍はロマンチックだろうが。
竹刀に、合う合わないはあっても、強い弱いはない、と言うので、俺は篠崎の特徴を考えながら、店員にあれこれ質問した。
竹刀の長さというのは、身体に合わせて変えるものではなく、ルールで決まっているものだそうだ。ただ、柄の太さや長さ、重心に違いがある。
篠崎は背がデカい。おそらく比例して、手もそこそこデカいだろう。柄は太い方がいいかもしれない。それに、柄が短くても窮屈そうだ。
話によると、重心は手元に近い方が軽く振れるが、先が重い竹刀は、互いに面を打ち合うような場面で有利だという。
俺はあれこれと考えて、一本の竹刀を買った。店員はラッピングをすすめてきたが、断った。この店員のセンスに期待できなかったし、何より、これは、武器だ。
眺めてウットリするためのものじゃない。無二無三に斬り結んで、敵を叩き伏せるためのものだ。
店を出ると、そのすぐ前に憮然とした表情で、真樹が車をつけていた。
「悪いな」俺は後部座席に乗り込む。
「テメェ、どういうつもりだよ」真樹はアクセルをふかす。
「いや、武道具屋が見えたから」
「説明になってねえんだよ。竹刀? それで何するつもりだ。どういうプレイだ」
「プレイ?」
「いや、いい。とにかく分かるように説明しろ」
「友だちにやろうと思っただけだ。勇気が出ねえらしいから」
「女か?」
「ああ。そいつは女だが。最近、随分それにこだわるな」
「アタシは、アンタにプレゼントなんてもらった記憶がないけどね。飯の世話から、洗濯、掃除、身づくろいまで、大分世話焼いてるつもりだが」
「アンタのは、仕事だろ? 金が入るからやってるって、自分で言ってたじゃねえか」何を言ってるんだこの女。俺は首をかしげる。プレゼントが欲しいのか?
「そんなもん、言葉のアヤに決まってんだろ。アンタの飯の用意や、掃除洗濯に給料が出るとでも?」
「出ねえのか?」
だとしたら、いよいよ、なぜこの女は俺の身の回りの世話までかって出るのか。
「出るわけねえだろ。アタシが大学出て、会社入ってから、ずっとアンタの担当だ。もう5年になるか? その間、ずっとアンタの仕事に付き添って、身の回りの世話まで、これはもう『内縁の妻』だろ」
「ナイエンノツマ……?」
俺はその言葉を反芻した。諺だろうか。『塞翁が馬』みたいな。
「そう。内縁の妻だよ、内縁の妻。他所の女に竹刀なんか買って寄越す余裕があるなら、この内縁の妻にはなんかねえのか。内縁の妻の、内助の功ってヤツに、報いようって気はねえのかよ。この内縁の妻によ」
「いや、何回言うんだよ」
「てめえの海馬に焼き付くまでだ」
「あー、いつも、ありがとう……?」
俺がそう言うと、真樹はふんっと鼻を鳴らした。
「まあ、いいけど」