12-1.ニコロ・パガニーニ/篠崎 寧々
スマホにメッセージが届いていた。
「昨日の13時ころ、Yugo Kureshimaは定食屋で見られました。
Ludovikaと一緒に。
私たちは、それを複数の追跡者から得ました。
それらの人たちは、『彼は苦しんだ』と言いました。
私たちは、とても心配しています。
Riley Lee」
中国系イギリス人のピアニスト、ライリー・リーさんからだ。
自動翻訳をかけられたメッセージは、とても読みやすいとは言えなかったけど、意味は十分理解できた。
イタリアのレオポルド・ランベルティーニ(愛称はレオ)さん
フランスのニナ・ラブレさん
韓国のリー・ソアさん
カナダのノア・ルブランさん
中国の李 梦蝶さん
ロシアのナターリヤ・ラヴロフスカヤ(愛称はナターシャ)さん
中国(香港)の劉 皓然さん
そして、イギリスのライリー・リーさん。
私と柴田さんは、ワルシャワに来てすぐ、彼らと接触し、事情を説明して協力を仰いでいた。
コンクールの事務局から提供される宿泊先のホテルというのが、驚いたことに私たちの泊まっているホテルからロータリーを挟んだすぐ向かい側で、柴田さんが私の名前を出してホテルに問い合わせると、彼らは快く会ってくれた。
1次審査敗退以来、打倒呉島 勇吾で一致した彼らは、みんなでコンクールのことや、ワルシャワ観光、勇吾くんとのやり取りなんかを発信すると、そのワイワイ感がウケて、SNSがバズっているそうだった。
彼らは自身のSNSを使って、それぞれの言語でワルシャワにいるファンに呼びかけ、勇吾くんの目撃情報を募ってくれた。
中でもライリーさんは、ネット上ではとても饒舌らしく、フォロワーが一番多い。
柴田さんが彼らに勇吾くんのCD『アンコール・ピース』を渡し、有力な情報への報酬にすると、かなり反響があったようだった。
勇吾くんのCDは、現在日本でしか手に入らない。
CDの売れない時代で、リリース自体にかなりタフな交渉を要したということだったが、その生い立ちの報道や、コンクールでの活躍で飛躍的に知名度を上げた彼のCDはリリース後間もなく完売、増版がかかっているのだという。
メンバーの中で唯一日本語の話せるフランス系カナダ人のノア・ルブランさんは、刀を抜くようなジェスチャーをしながらこう言った。
「みんなで『悪魔』やっつけるデスね。ショパン・コンクールは負けたケド、次は勝ツ。『シチテンバットウ』デス」
多分『七転び八起き』を『七転八倒』と間違えていて、『八倒』を『抜刀』と間違えていた。
そういう間違いが起こり得ることが不思議だったけど、とにかく彼らは勇吾くんが十分に実力を発揮して、次の審査を通過することを望んでいて、私は彼らの健全で爽やかな敵意に感謝した。
送られてきた複数のメッセージの内容と、これまでに得た情報を総合すると、次のようなことだった。
勇吾くんは、喫茶店でルドヴィカとピアノを弾いた後、彼女に誘われて定食屋さんへ行った。
2人はしばらくそこで会話をしながら食事をしていたが、たまたま入ってきたお客さんが「ショパンの姉の生まれ変わりと、パガニーニの生まれ変わりが一緒に飯を食ってるぞ」というようなことを言った瞬間、勇吾くんは突然その場にうずくまった。
そこへ、マネージャーを名乗る日本人が現れて、「持病の発作」と説明し、彼を連れ去った。
その日本人というのが、柴田さんの会社、クラシック音楽事務所の社長だという。
「また、悪いことだけ思い出したねアイツ」
レストランで朝食を食べ終えた柴田さんが、コーヒーを一口飲んで言った。
思えば彼は、私や友だちと過ごした日々と、それ以外の出来事を区別しているようなところがあった。
「俺が生きてきたクソッタレの世界と、地続きだとは思えない」そういうふうに捉えていた。
だから、きっと私たちの思い出は、彼の辛い記憶と意識的に切り離されていたのだろう。
──かつて、その魂と引き換えに、ニコロ・パガニーニを伝説的ヴィルトゥオーゾにした『音楽の悪魔』は、現代に降り立ち、呉島 勇吾の魂を買い取った──
「パガニーニ……」私は呟いた。
「ああ、恐らく、それがトリガーだ。19世紀ヴィルトゥオーゾの根源。リストもショパンもシューマンもブラームスもラフマニノフも……数えきれない作曲家や演奏家がその影響を受けて、当時の音楽界に技術革新を起こした。勇吾が【悪魔】と呼ばれるのも、元を辿ればパガニーニからきてる。
ウチの会社は、それをイメージ戦略に利用してきた」
「私、疑問だったんですけど、勇吾くんって、あなたたちが、そうやって色々しなくちゃ勝てなかったんですか? 私には、そうは思えない」
柴田さんは、少し考え込むようにしてから言った。
「そもそも、アタシが当初、勇吾を日本の高校に入れる理由として聞いてたのは、『社会性』を身につけさせるためだった。やり方に多少異議はあったが、まあ、納得できなくもない。分かるだろ?」
「はい、それは……」私は勇吾くんと初めて会った時のことを思い出す。「とてもよく」
「アンタ日本に来てからの勇吾しか知らないだろうけど、パリにいた頃はあんなもんじゃなかったからね。フラッといなくなったと思ったら、酔っ払いだのチンピラだのとケンカ。そんなのがしょっちゅうだよ。
自分がピアニストだから手を大事にするって発想がない。痛覚が死んでんのさ。ハサミで切った後遺症か、チビの頃から疲労も痛みも度外視で弾き続けたせいか知らないけど、手の痛覚だけが。だから動きさえすれば6時間も7時間もぶっ通しで弾き続けられる。
まあ、それはさておき、社長が本格的に方針を変えたのは勇吾が学校で『マゼッパ』を弾いた後だ」
私が初めて彼のピアノを聴いた時だ。
「そんな、早い段階で……」
「こんな仕事してるくらいだからね。あのジジィも耳だけは確かだ。
あの演奏が動画サイトに上がってすぐ、アタシに連絡を寄越した。
『勇吾は誰かに何かを伝えようとした。その相手を教えて欲しい』ってな」
「じゃあ、あの演奏が、きっかけに……?」
そうだとしたら、彼を今の状況に立たせているのは……
「最初から、期待はあったんだろう。思い返せば、そう思えるようなところが節々にあった。わざわざ日本の高校に通わせるなんて、住む場所の手配から何から、動く金が尋常じゃない。だが、『人との出会いや感情の変化で勇吾のピアノは変わる』と確信したのはあの演奏だろう」
記憶の引き出しから、勇吾くんの声が聴こえた。
──「俺は、お前に出会うまで、こういう曲を、こんなふうには弾けなかった」──
彼が、ドビュッシーの『亜麻色の髪の乙女』を弾いてくれた時。
「私と、出会ってしまったから……」
「自惚れんな、バカ女」と柴田さんはぴしゃりと言った。
「別の女と出会ってりゃ、またそこで同じようなことになってたさ。
アンタらは思春期だ。いつもステキなものを探してる。
そうした時に、勇吾にとっちゃ音楽がかえって邪魔だった。アイツはそれが絡むとまず勝負に走るし、その結果相手を完膚なきまでに叩きのめす」
確かに、あの人は、闘志の化身みたいな人だから。
「だから、音楽とは離れたところで人と出会う必要があった……。そうすることで、彼の音楽が変わる。でも、結局、どうなんですか? そうしないと、勝てなかったの?」と最初の疑問に戻る。
「3次選考ではマズルカが課題になってる」
「マズルカ……」
「ああ。言っちまえば、地味な音楽だ。だが、ショパンの故郷、ここポーランドの舞曲で、ショパンはそれを58曲書いてる。これが弾けなきゃショパン弾きじゃねえ」
「勇吾くんは、弾けなかったんですか?」
「弾けるさ。ショパンの書いた曲の中じゃ、だいぶ簡単な部類だ。アイツはそれを弾いて予選の会場を沸かした」
「じゃあ、何が問題なんですか?」
「完璧を超えないってことだよ。アイツにはアンチが常について回る。審査員の中にもな。一度その態度を表明しちまった以上、それを覆すほどの理由が必要なんだ。
ピアニスト呉島 勇吾のヤバいところは、あれでまだ『成長する』ってことだ。
アイツはこれまで、聴衆の予想を遥かに超えた演奏をしてきた。だからアンチを黙らせながら、これまでピアノで食ってこれたのさ」
「でも、マズルカだけはそれが出来なかった?」
「欠点と呼べるほどのもんは何もねえ。だが、アタシも、社長も、何より勇吾本人が不満だった。
社長が勇吾に植え付けようとしてんのは、『郷愁』だ。マズルカを言い表すなら、それに尽きる。
ショパンはワルシャワからウィーンに渡り、それからパリへ移った。ポーランドの熱烈な愛国主義者だったが、それきり生涯祖国に帰ることは出来なかった」
「日本には二度と帰れない、そういう状況が必要ってことですか?」
「そういうことになる」
「でも、それって、ドッキリっていうか、コンクールが終わったら『やっぱ帰れます〜』みたいなのじゃ……」
「ダメだな。アイツは野生動物並みに勘が良い。そして、ウチの社長は勇吾のピアノが一番輝くのはショパンだと思ってる」
私はそれに驚いた。
「リストでも、アルカンでもなく?」
「あいつのピアノからは、死の匂いがする。あんなピアニストは他にいない。そこに郷愁が加われば、もう、ショパニストとして無敵だよ。社長は勇吾に、この先もショパンを弾かせ続けるつもりだ」
「そのために、彼は日本に帰れない?」
「そういうことになるな」
お腹の底にどす黒い炎が上がるのを感じた。
「そういうの、バカげてるって思ったことはないですか?」
「だからアンタを連れて来た」と柴田さんは言った。
私は安心した。
ブチのめす相手は1人でよさそうだ。