第三十一話『感情という理屈』
声を発したグランの方へ、シルザとバロウッドが顔を向ける。
グランはその視線を受けて、バロウッドへ目配せして再び口を開いた。
「俺とバロウッドの要求は先も言った通り、デノサイト家への手出し不可とバロウッドとへルザの婚約解消だ。……そして、俺の個人的な申し出として、ヘルザの自由を約束してほしい」
後半の言葉は、グラン自身もおそらく吞まれないだろうと理解していながらも口にしたものだ。
それに、ヘルザの自由は本来は主人公が手に入れてやるべきもので、グランが手を出すまでも無かったが――ヘルザの“友人”としてグランもヘルザの自由を望む必要があった。
でなければ、ヘルザを発端としたこの騒動の最後が悲劇で終わってしまうかもしれないからだ。
演劇において、グランが嫌うのはこの『悲劇の物語』というものである。
最後の最後まで救われないヒロインがいるなんて、糞食らえもいいところだ。
如何に陳腐だと、つまらない結末だと観客に罵倒されようが、グランは王道なハッピーエンドを迎える演劇が好きだった。
故に、この騒動も“演劇”として、ハッピーエンドを迎えさせてやりたいのだ。
「(まぁ、正直こんな序章にハッピーエンドはいらないかもだけど)」
何故自ら株を落とそうとするのか。自尊心の塊でありながら何処か中途半端な男である。
グランの言葉を聞いたシルザは、目を閉じ、数刻沈黙してから、
「ええ、いいわ。その要求を呑んであげる」
薄っすらと瞼を上げて、静かに答えた。
てっきり断られると思っていたグランは目を見開き、驚愕の表情でシルザを見る。
そんなグランの顔を見たシルザは、小さく笑った。
「だって、ここまでされて断れるわけないじゃない? 貴方達、どうせ自分たちの要求が呑まれるまでずっとここに来ちゃいそうだし」
「……おっしゃる通りで」
「よく見抜いてるな(ったりめえだ! 諦めたらそこで試合終了なんだよ!)」
バロウッドは苦笑交じりに、グランは何故か尊大に言葉を返す。
メビリア家へ訪れた当初の目的を達成したグランは「それで?」とシルザに目をやった。
「あの兵士達は何だったんだ? やけに強かったが……それに、貴方が言った“失敗作”とはどういう意味だ?」
「そんなに急かさなくても、ちゃんと答えるわ」
「(ならさっさと答えんかい! クソババアがぁ!)」
内心で憤慨しているグランを差し置き、シルザは語りだす。
「いつの話だったかしら? 私に惚れたとか言っていた、魔族の血を継いだ振りをしていた男をこの家から追い出した頃の話よ」
「(こんな奴のどこに惚れるねん。カルボードも存外狂ってんな)」
カルボードもコイツにだけは言われたくない事だろう。
シルザの話は続く。
シルザは、魔族に一目惚れをしたその日から、魔族について必死に調べた。
魔族の特徴や言語、生物としての構造まで全て調べ上げた結果、魔族は人間と違い、胸に心臓ではなく魔石を生命の核として存在させているのだという事が分かった。
だから、シルザは思ったのだ。
――ならば、人間の胸に魔石を埋め込んでしまえば、その者は魔族に変化するのではないか?
実際にシルザはこの考察を実行に移したのは、魔族だと思っていた男がただの人間だと知った時だった。
自分の夫を、自分が惚れた魔族へと変える為に、シルザはカルボードの身体に魔石を埋め込もうとしたのだ。
そんなシルザの狂気に触れたカルボードは取り乱し、錯乱し、恐怖し、このメビリア家から逃げ出すように追い出された。
カルボードを実験台にできなかったシルザは、次は使用人達や奴隷に目を移す。
メビリア家は公爵家だが、それ故に屋敷に住まう使用人たちも多い。
この数多くいる使用人たちを使い、シルザは“実験”を開始したのだ。
その結果、魔石に身体が適応できず死亡した人数が約50人。仕えていた使用人の半分が死んでしまった。
適応できた者達も、身体能力が向上しただけで常人との大した違いも出なかった。精々が身体に魔力が流れるようになった程度だ。
それでも、シルザは諦めきれなかった。
ここまで尽くしても魔族を作れないのならば、せめて娘の婚約者は魔族の血を継ぐ男にしたい。せめて、魔族紛いの男と共にいたい。
だからこそ、ヘルザが自身の思い通りに動くよう洗脳し、魔族の血を『優れた血統』としてバロウッドやロンソードに目をつけた。
その結果として、ヘルザを想い慕う(慕ってない)グランが、この家ごとシルザを潰そうとやってきてしまったのだが。
「……と、私がやった事はこれが全てよ」
黙って話を聞いていた二人は、共に複雑な表情を浮かべていた。
バロウッドは、“魔族の代わり”という二番煎じのような役割の為に人生をかき回されそうになっていたのか、という不満からだ。
そして、シルザの設定と背景を知っていたグランは、雰囲気に合わせて表情を作っていた。因みにコイツ、後半からシルザの話聞いてません。
「そうか。まぁ、俺からは何も言う気はないし、王国にも貴方の非人道的行為を伝える気はない」
自分の欲でヘルザを洗脳した事に憤怒すると思っていたグランが、やけに静かな事に訝しみながらシルザはグランに目を向ける。
その視線を受けて、グランは言葉を紡ぐ。
「その代わり、俺達がここへ乗り込んできた事は秘密にするようお願いしたい」
グランの言葉にシルザは一瞬唖然として、次の瞬間には吹き出すようにして笑った。
「あっははははは! 公爵家の秘密を知って直後に出る言葉がそれなの!? それって……くっ、ふふふふふ」
「(何笑ってんだ婆ぁ……!)」
「グランさんは変なところで慈悲がありますよね」
「(だまらっしゃい! 俺はただ変にシナリオを動かしたくないだけですぅ!)」
シルザは堪えられないとばかりに肩を震わせて笑みを浮かべ、バロウッドはそれに釣られるように頬を緩める。
ただ一人、グランだけは眉間に皺を寄せていたが。
妙なところで保険をかけようとするからだ、流石は小物である。
「とにかく、これで俺達がやる事は終わったんだ。後は、なるようになるだろう」
「ですね。では、帰りましょうか」
「馬車を手配してあげてもいいわよ?」
「貴方に借りを作りたくない」
「貴方に借りを作りたくありません」
そんな一幕があった後、ようやくグランとバロウッドは学園へと戻った。
翌日、当然の如く学園の教師に叱られるのだが、それはまた別の話である。
*
その日は、いつも通りの日常だった。
あの騒動から約三日が経ち、学園では“デノサイト家が没落した”という話が話題となっており、学園を賑やかせていた。
そんな日に、グランはいつも通りソレイル寮の中庭で昼食をとっていた。
「――グラン、美味しい?」
その横に、青髪の少女も添えて。
「ああ、美味しいぞ(なして!? なして俺は未だにここで飯を食っておりますの!? もう食堂に言っても変な視線は来ないだろうが!)」
青髪の少女――ヘルザに、グランは微笑みかける。
ヘルザはグランの穏やかな表情を見ていると、何だか照れ臭くなってすぐにグランから目を逸らしてしまう。
そんな風に、感情を表に出すようになったヘルザを前に、グランは脳裏に昨日の事を思い浮かべていた。
昨日、丸一日学園の授業をサボったという事でグランは補修を受けさせられていた。
王国からの手配により、裏社会で幅を利かせていた事が明るみに出たデノサイト家はあっという間に没落し、社交界からの追放という処罰に下された。
実家が没落した事でバロウッドも学園には居られなくなり、来月には退学する事が決定している。
『では、また四年後に会いましょう。その時に、今回の襲撃をする条件だった“報酬”を、果たしてもらいますよ』
バロウッドはそう言い残し、グランと別れた。
おそらく、退学するまでの一か月間はグランと会わない気なのだろう。
あれだけ学園で噂され、しかもグランによって没落させられたようなデノサイト家の長男とグランが二人で話しているところを見られれば、どんな事を言われるか分かったものではない。
故にグランもバロウッドの意図を尊重し、バロウッドに近づくことはしないと決めた。
補修が終わった頃には、空は赤く照らされていた。
春だった季節は夏へと変わり、太陽は沈む時間を遅らせるようになった。
春よりも長く留まる夕日は、綺麗だった。
「(そして、そんな夕日を眺めて黄昏ている俺も、綺麗である)」
ここにやかましい奴が一人いた、消えろ。
そうやって教室に一人、黄昏ていたグランの背中に、誰かが声をかけた。
「グラン」
振り向くと、そこには青い髪と灰色の瞳が特徴的な少女が居た。
少女の瞳は夕日の赤みを帯びて、どこか幻想的で、思わず見惚れてしまう。
もっとも、ここにいる男はそんな事思わないが。
「随分と、久しぶりの気がするな」
「ん、久しぶり」
「(相変わらずの無表情ですねぇ……気味が悪いですわ!)」
何故おねえ口調になったのだコイツは?
グランは窓に寄りかかるようにして、ヘルザの方へ身体を向けた。
見ると、ヘルザの様子が何処か夢現なのが分かる。
夜更かしでもして、寝る時間が遅くなったのか。
――それとも、何か信じられないような事が最近になって起こったのか。
グランに見つめられているヘルザは、静かにグランの横へと移動し、先程のグランと同じように窓の外にある夕日を眺める。
そうして十秒ほどたった後、ヘルザは静かに呟き始めた。
「……私は、前までお母様に感情を表に出さないようにって命令されてた」
ヘルザの瞳は、空を紅色に照らす夕日ではなく、遠い昔の欲に塗れた母の姿を映していた。
グランは静かに、けれど頷きを返してヘルザに話の続きを促す。
「けれど、昨日にまた急に実家に呼び戻されて……私は、自由に感情を出してもいいって、言われた」
ヘルザは瞑目し、そして再び目を開いてグランへと顔を向けた。
グランの金色の双眸は以前として表情の変わらないヘルザを映し、夕日の光に照らされている。
その瞳の輝きが、あの夕日とは比べ物にならないくらい奇麗だと、ヘルザは思った。
「デノサイト家が没落したとも聞かされた」
ヘルザという名の人形は、感情の表し方を知らない。
「バロウッド公子との婚約も解消された」
ヘルザという名の少女は、どうすれば感情を出せるのかが分からない。
「それは――貴方のお陰なの……?」
故に、胸に巣くうこの感情が、どういうモノなのかが分からない。
グランの表情に変化はなかった。
無論、心情も特に波立つ事は無く、今のグランは凪のように穏やかだ。
嵐の前の静けさというモノなのかどうかはさておき、少なくともグランはヘルザの言葉をよく吟味し――した上で、グランは言った。
「――違うぞ」
「えっ……」
「俺じゃない」
その言葉を最後に、グランは黙り込んだ。
ヘルザがどれだけ呼びかけても、グランが応える事は無い。
やがて、ヘルザが諦めて教室を出ていくまで、グランが口を開く事は無いだろう。
――そうして覚悟を決めたグランにヘルザが折れる事は、終ぞなかった。
「……頑固過ぎるだろ、流石に」
「グラン程じゃないよ」
ヘルザはとっくにグランに声をかける事は止め、静かに落ちていく夕日を眺めていた。
空を照らしていた太陽は、最早地平線に半分以上の姿を隠されている。
その光景が、何か儚いものに見えてグランは咄嗟に聞いてしまった。
「あの夕日、綺麗だと思うか?」
ふと、声をかけられてヘルザはグランの横顔を見た。
真っ直ぐに夕日に目を向けるグランの顔は、どこか大人びていて凛々しかったが、その瞳は何かに感動しているような、悲しんでいるような、複雑な感情を帯びているようにも見えた。
「わ、分からない」
それは、夕日が綺麗かどうかというグランの問いに向けてなのか、それとも何故か大きく音を立てて拍動するこの心臓に向けてなのか、ヘルザには分からなかった。
そんなヘルザの答えに、グランは小さく笑って、
「――俺もだ」
そう言った。
「何でアレが綺麗だと思うのかは、本当に分からない。太陽が空を照らす様が、何で綺麗なのか。木漏れ日の差す迷いの森が、どうして幻想的とされるのか。光を反射して光る湖が、どうして神秘的とされているのか。――それは、俺にも分からない」
多くの物語、神話に出てくるような大自然の中に生まれる絵画の如き光景。
それらを想起して尚、グランはそれが何故綺麗とされているのかが分からないと言う。
無論、グランにも感情はある。
故に、その光景も綺麗だと認識している。
けれど、その理由が分からないのだ。
「物事を“綺麗”だと感じ取る事ができるのは、人間の本能でしかない。それ以外の、理屈や合理では“綺麗”という物事や表現を自然の光景で比喩する事はできても、単純な言葉で表す事はできない」
――そしてそれは、ほとんどの感情がそうである。
人間の感情は複雑だ。
頭では意味がないと分かっている事でも、人間は感情を優先してしまう。
人間が死者を悼むのは、理屈ではない。
人間が誰かを愛するのは、理屈ではない。
理屈では語れない“感情”という、何よりも扱いずらい性質が人間にはある。
故に、今の今まで感情を知らなかったヘルザには、感情を理解する事は難しいだろう。
何せ、グランは己の感情を制御するのが下手な男だ。
ただ隠しているだけで、グランは自分の感情を抑える術も、方法も知らない。
故に、グランに感情を教えるなんて事は不可能だ。
そんな己の短所を改めて自覚する事になってまでグランが言わんとしている事は、つまるところ、
「俺も分かんないから大丈夫だ」
という、何とも無責任で頼りない言葉だった。
それを聞いて、どれだけヘルザの心が軽くなったか。
自分に味方がいるという事は、安心感を与えてくれる。
人間が群れで生きるのは、そういう理由だ。
――なんて理屈がどうでも良くなるように、グランは先程まで不慣れな語りをしてくれたのではないか?
ヘルザはなんとなく、そう思った。
そして、そんなグランの不器用な優しさが可笑しくて、嬉しくて、ヘルザは笑った。
「――やっと、笑ったか」
その顔を見て、グランもニッと歯を見せて笑う。
邪気の無い、幼さすら感じさせるその笑顔。
それは、一先ずのハッピーエンドを迎えられたとか、ようやく面倒だった騒動が一段落ついたからとか、色々な要素があって初めて出てきた笑顔だろうけれど――。
「(ま、その“感情”ってのを手っ取り早く伝えられる方法が、この世界にもあるんだろうけどな)」
と、自身が愛する“演劇”に対する尊さに、改めて気づいたからこそくる笑顔だったのかもしれない。
*
「なぁ、ヘルザ」
頬を赤くし、照れて顔を俯かせていたヘルザは、グランの声に反応してその顔を上げた。
「最近、楽しいか?」
確かめるように聞くグランに、ヘルザは胸を張って答える。
「分からない」
堂々としたヘルザの態度に、グランは苦笑して肩を竦めた。
一度ヘルザの弁当に入っている卵焼きを口に含み、咀嚼して飲み込んでから、グランは遠くを見るように目を細める。
「今度から、ハルウォードとかと一緒に昼食を食べないか?」
「え?」
ふとしたグランの言葉に、ヘルザは首を傾げる。
「きっと、楽しい筈だ」
断言するように、グランは言った。
今からその時間が楽しみだというように、顔を綻ばせる。
そんなグランの横顔が、ヘルザにとっては酷く眩しかった。
「……ライシアさんも来る?」
「多分な。けど安心しろ、あの人はあの口調だが良い人だ」
「ん、知ってる」
ヘルザもまた、想像を膨らませるように目を閉じた。
「リナリア様は、良い人?」
「ああ、良い人だぞ。あの人は目が見えないから、気を遣ってやってくれ」
「でも、魔素感知ができるって聞いた」
「そうだな……確かに、そこまで気遣う必要はないかもしれないな」
小さく笑った事が分かるグランの息遣いに、ヘルザは微笑みを浮かべて目を開く。
「けど、気遣うの?」
「ああ。理屈じゃないのさ」
弁当を空にしたグランは、それを包みに入れてヘルザへと手渡した。
ベンチから立ち上がり、グランは不敵な笑みを浮かべてヘルザへと振り向いた。
「なぁ、ヘルザ。“演劇”って知ってるか?」
その笑顔は、何とも無邪気で幼い顔だったという。
グランがいい奴みたいになってしまった……。




