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姫は宇宙に愛される  作者: 月瀬ハルヒ
第三章 神々の思惑
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96 秋望(4)

 周囲の民は、愛おしそうに昭仁(あきひと)咲子(えみこ)の額に唇を寄せたのを目の前で見て、咲子にかけていた声が止まり、ある者達はあっけにとられ、ある者達は頬を染め、その様子に釘付けとなる。

 大勢の民の前で、昭仁から唇を額に寄せられた咲子は、恥ずかしさでおろおろと湯気が出そうなほど顔を赤く染め、涙目になる。


「げ、月白さま・・・」


 咲子が俯きながら昭仁の名を呼ぶと、昭仁は満足そうに微笑み、それを見ていた御劔(みつるぎ)達がやれやれと言った顔で溜息をつく。


躑躅(つつじ)が慕われるのは嬉しいですが、私の妻だと忘れられてしまいそうで、つい」


 今度は俯いたままの、咲子のつむじにもう一度口元を寄せると、甘く目元を緩ませる。咲子はと言うと、再び昭仁の口元が寄せられた事で「ひゃっ」と小さく悲鳴を上げると、ぎゅっと目を瞑り、ますます顔を隠してしまった。

 そんな咲子を見て、ますます昭仁が笑みを深くする。


「・・・わたくしは、忘れておりません」


 漸く小さな声で咲子が告げると、昭仁は破顔する。


「やっと安心出来ました。では、車に乗りましょうか?」


 民達が頬を染めて自分達を見ている中、昭仁は咲子の手を引き車箱(くるまばこ)へ乗り込む。

 咲子の方は、ふらふらとついて行くのがやっとの様子だ。


「・・・まあ、民を静まらせるのは効果的ですが、姫様が心配です」

「だなぁ・・・」


 苦笑いを浮かべた封土(ふうど)が呟くと、傍に居た迅雷(じんらい)が頷いた。


「ちょいやりすぎやさかい、公卿(くぎょう)はんは浮島(うきしま)はんに怒られたらええと思うわ」


 そう言いながら、宵闇も呆れたように笑う。

 二人が箱車に乗り込むのを見とれていた民達の中で、いち早く正気に戻った者が「当主様と奥方様に」と、手にしていた野菜や干し柿などを舎人達に手渡すと、動き始めた牛車へと声を掛ける。


「お気をつけて!」

「源様、またいつでも奥方様とお越しください~」


 笑顔と心の籠った言葉に、昭仁は半蔀(はじとみ)から顔を覗かせ、笑顔で頷く。

 ゆっくりと動き始めた源家の一行を、民が手を振り見送った。

 車箱に乗り込んだ途端、腰を抜かすように座り込んだ咲子を、慌てて浮島が支える。


「姫様、大丈夫でございますか?」

「・・・はい。でも、少し疲れました」

「では、少しお眠りください。浮島が傍に居りましょう」

「でしたら、躑躅。私の側で」

「それは駄目です。・・・これ以上月白さまのお傍に居たら、わたくしの胸がどきどきして休まりません・・・」


 浮島の提案に昭仁が答えると、咲子は恥ずかしそうに頬を染めたまま浮島の着物の袖をきゅっと握る。


「月白様、姫様をお傍に置きたい気持ちはわかりますが、先程の事は姫様には刺激が強すぎたようですね。姫様の為にもここはわたくしに」


 浮島は咲子の手をそっとさすりながら「大丈夫ですよ」と微笑む。

 浮島を見上げる咲子の目は潤んだままだ。

 それを見て浮島が、わざと昭仁に聞こえるように「お可哀想に・・・」と呟くと、咲子が慌てて首を振る。


「違うのです、浮島。あの、少し驚いたのと皆の前だったので恥ずかしかったのです・・・」


 段々声が小さくなる咲子を見て、浮島が微笑む。


「わかりました。どちらにせよ、姫様は初めての市井でお疲れでしょう。少しお休みください」

「・・・はい」


 浮島の言葉に素直に頷くと、そのまま咲子は慣れた様子で浮島の膝に頭を乗せた。浮島も膝に乗った咲子の髪を優しく何度も撫でる。


「まるで子猫のようですね」


 しばらくすると、すぅすぅと寝息を立てはじめた咲子の顔を覗き込み、昭仁が微笑む。


「本当に・・・。姫様には初めての市井ですからお疲れになったのでしょう。しかし、月白様?」


 愛おしそうに咲子の顔を見つめる昭仁に、少しだけ怒りを含ませた声で浮島が名を呼んだ。


「民の前であのような事を。無垢な姫様には刺激が強うございますよ?」

「仕方がないではありませんか。躑躅の愛らしさと優しさに、民が心を掴まれてしまったのですから。あのままでは躑躅は民の好意を一人残らず受け止めようとしてしまったでしょう」


 そう言いながら、昭仁はそっと眠る咲子の柔らかな頬に触れる。


「途中で切り上げる事は、躑躅が気に病むでしょう。それに」


 穏やかな笑みを浮かべた昭仁の視線は、愛おしさに溢れている。


「民に躑躅の心根を知って貰えれば、民が躑躅の味方になる。民が『源家の当主は大層妻を愛しんでいる』という事を目にすれば、都で噂となり源家や藤原家に悪意を注ごうとする貴族は、かえって民からの評判を落とします。少し躑躅には負担だったかもしれませんが」


 そう言うと、昭仁はそっと咲子の髪を撫でる。

 その愛しさに溢れた様子を見て、浮島が小さくため息をついた。


「貴方様が姫様を大事に思っている事は、わたくしも存じておりますが・・・」


 その言葉に、昭仁が小さく笑う。


「・・・皆に躑躅は私だけのものだと、私が自慢したかったのですよ」

「程々にお願いいたしますね」


 素直な昭仁の言葉に、浮島が優しい眼差しで昭仁を見つめる。


「それと、良くも悪くも躑躅は人にも、人でない者達にも興味を持たれてしまう様ですから。少なくとも都に潜む妖達は、私が躑躅を大切にしている事を知り、簡単には手出しできないでしょう。貴女方は()()()()()()()()()が、私だけでなく躑躅の側に()()()()()()、妖達は正確に知る事になったでしょう」

「・・・どこまでも貴方様は姫様を第一とお考えなのですね」


 浮島の優しい声音に、昭仁が浮島へと顔を向ける。


「・・・でも、姫様を困らせるのはいただけません。それに、まだお二方は公となっていてもまだ婚儀前の身。姫様が目覚めるまでの間、少しお小言を聞いていただきましょう」


 にっこりと笑顔で浮島に言われ、真顔になった昭仁は黙って頷いた。









 勤めを終えた盈時(みつとき)は、久方ぶりに側室である智子(さとしこ)の居る屋敷へと戻る。


「おかえりなさいませ。父上様」


 盈時を出迎えてくれたのは嫡男の高昭(たかあきら)だ。

 咲子より三歳上で、元服をしてからは式部省に使部として勤めている。

 いつもであれば、大内裏を後にする時間はさして変わらないが、盈時は昨日まで休んでいた間の日誌等の確認をしていた為、一時(2時間)程遅い帰宅だった。


「久方ぶりだね。中々こちらに寄れず悪かった」


 週の半分以上は本邸ではなく、智子の居るこちらの住まいに居る事が多いが、此度の出来事で本邸に留まる事となっていた為、ひと月近く別邸をあけていた事になる。


「いえ。それは気にしないでください。それよりも、咲子の具合はいかがでしょうか?」


 屋敷に入り、盈時に向かい合って座った高昭は、眉根を寄せ心配そうに問う。


「随分と良くなったよ。今日から、源家の別邸に皆と療養も兼ねて向かったところだよ」

「そうですか。安心しました」


 盈時の言葉に、高昭はほっとした表情となる。


 高昭は、咲子の母である正室の紗子(すずこ)が存命の頃、よく本邸へと顔を出していた。

 子が居ない紗子も嫡男として高昭を可愛がり、優しく穏やかながらも、時に厳しく我が子のように接していた為、高昭自身も紗子を慕っていた。

 後に紗子が咲子を懐妊した際にも優しく「弟か妹かわからないけれど、仲良くしてあげて下さいね」と微笑まれ、高昭自身も生まれて来る事を楽しみにしていた。

 生まれてきた咲子を見た時には、本当に嬉しくてはしゃぎ、父の盈時に頼んで本邸に足を運ぶ事も多かった。

 紗子の事も、咲子の事も、高昭は大切だと幼心に思い、今も変わらない。

 その後紗子が亡くなってからは、母の智子から本邸に足を運ぶ事や、咲子と関わる事を禁じられてしまったが、それでも父に頼み、数か月に一回は咲子と顔を合わせる事を続けていた。

 本邸に行くたびに、智子の小言が煩い為、元服後に大内裏に勤めるようになってからはその足で咲子の顔を見に本邸に寄る事もあったが、咲子に縁談があがってからは毎日のように源家の当主が通っていると聞いて、足が遠のいている。

 それでも、高昭にとっては大切な異母妹(いもうと)に変わりはなかった。

 欣子(よしこ)内親王が咲子に行った出来事も人づてで聞き、盈時に使いを送って初めて詳細を知った時には、肝が冷える思いをした。


「元気になったのならよかったです」

「咲子も異母兄()が心配していると伝えたら、会いがっていたよ。療養から戻ったら会いに行ってやっておくれ」

「はい」

「ところで、智子と絢子(はるこ)は?」

「二人でへ母上様の部屋にいる様ですね。父上がお帰りになった事を伝えるように使いを出しましたから、じきにお見えになるかと」


 絢子とは、高昭の妹で咲子より一つ下となる。

 母である智子が、咲子の母である紗子を目の敵のように思っていた為か、何かと咲子と張り合いたがる。見た目は悪くはないのだが、咲子と比べると何かと劣る事が多く、その度に咲子に対して負け惜しみのような皮肉を言う。

 同じ父の血を受け継いでいるのだから、努力をすればいいのに、と、高昭は思うが、絢子はただ不満を言うだけだ。

 実際、咲子は幼い頃から勉強をし、努力をしてきたのを高昭は見ている。

 琴に関しても、浮島と言う良い師範に出会えたのも確かだが、咲子自身が紗子のようになりたいと頑張っていたからこそ、春の宴での演奏に繋がったのだと高昭は思う。


「ああ、高昭にはまだ伝えていなかったね。年が明けたら咲子の裳着を行う事に決まったよ」

「そうなんですね! では、源様との婚儀も」

「そちらに関しては、一年待ってからという事で進めているよ。源様も皇族に連なるお方だからね」


 盈時の言葉に、高昭が納得したように頷いた。

 あのふわふわと柔らかい赤子だった異母妹が嫁ぐ。

 嬉しいような、寂しいような気持が胸に広がる。


「・・・高昭。私が留守の間は変わった事はなかったかい?」


 盈時の問いに、高昭が一つため息をついた。








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