95 秋望(3)
「とても可愛いですね」
嬉しそうに瞳をキラキラとさせ、鈴が鳴るような声で咲子が並ぶ髪飾りを見て微笑む。
端切れそのものが貴族用というのもあって、華やかで色鮮やかな花の形を模した飾り達だ。
店主とその妻は、降って湧いたような殿上人に心ここにあらずな様子で、咲子と昭仁の傍らに居る。
咲子が一つ一つに目に留め、気になるものがあれば、その都度手に取って良いかと店主に問う。
声を掛けられる度に、店主とその妻はどこか遠くに飛ばしていた意識を戻し、慌てて返事をするという事を繰り返していた。
浮島の教育もだが、咲子の屋敷にいる者達の心根が良いのだろう。
貴族であれば横柄な態度をとる者も居るが、咲子は心ここにあらずな店主たちの態度を気にする事もなく、都度返事を貰うと嬉しそうに「ありがとうございます」と伝えてから飾りを手に取る。そして手にした細工を傍に居る昭仁へと見せ、その咲子を見て昭仁は甘い表情と声で答える。
そうすると店主たちや、通りから店の中を眺めている民たちが再び意識を遠くに飛ばしてしまう、という状態を繰り返す。
「気に入ったものがあれば買いましょう。皆と出掛けた思い出には良いでしょう?」
楽しそうに飾りを見ては、その細工に目をキラキラとさせている咲子に昭仁が微笑む。
「良いのですか?」
「ええ。その代わり、一つは私に選ばせてくださいね。躑躅はどういったものが好きですか?」
「どれも可愛らしくて悩んでしまいます」
「では、これからの時期に合うものにしましょうか。ああ、椿を模したものもあるのですね。こちらはツワブキかな」
そう言いながら咲子に倣うように、昭仁は店主の顔をみて「手に取っても?」と問う。
「あの、お好きに手に取っていただいて構いません」
何度も意識を飛ばしかけた店主は、やっとの事でその一言を言うと、昭仁の顔を見てこくこくと頷く。
「ありがとう。では・・・」
そういうと、目の前の椿を模したと思われる髪飾りを手に取ると、そっと咲子の髪に差す。
「ああ、よく似合いますね。でも躑躅は淡い色も良く似合いますから・・・」
周りの者が頬を染めるような甘い視線で咲子を見つめると、昭仁は飾りの並ぶ棚へと目を移し、その中から季節ではないが桃の花を模した、桃花色と躑躅色、そして白色で彩った飾りを手に取る。
「『躑躅』を見つけました」
嬉しそうに言う昭仁の言葉に、咲子が首を傾げ昭仁の顔を見つめる。
「ほら、まるで躑躅のような飾りでしょう?」
「わたくしのような、ですか?」
「ええ。可愛らしく愛らしい色合いで、躑躅の色もあるし、白は私の色でもありますから」
そう言いながら、昭仁は咲子に先程挿した椿の飾りを取ると、代わりに手にした桃の飾りを挿す。
「やはりよく似合う」
甘く蕩ける様な微笑みで満足そうに言う昭仁の言葉に、咲子は恥ずかしそうに少しだけ俯く。
「ありがとうございます」
俯きながらも微笑んで答える咲子の視線は、そっと見上げるような形になり、昭仁がその頬に手を添える。
「折角ですから、顔をあげて良く見せてください」
昭仁の言葉に、咲子がおずおずと顔をあげ昭仁を見上げると、昭仁が微笑む。
「本当に、貴女は愛らしい。他の者に見せるのが勿体ないぐらいです」
「・・・恥ずかしいので、揶揄わないでくださいませ」
頬を染める咲子の様子を見て、昭仁はくすりと笑う。
「揶揄ってはいませんよ。では、一つ目はその飾りにしましょうか。他に気に入ったものはありますか?」
約束通り一つを選び終えた昭仁は、他に咲子が気に入ったものはないかと問う。
「あの、月白さま・・・?」
優しい声音で問う昭仁に、咲子が昭仁の名を呼ぶ。
「何でしょうか?」
咲子に名を呼ばれ、昭仁は首を傾げながら咲子の顔を覗き込む。
「あの。選ぶのはお一つだけと言われましたが、・・・もう一つも月白さまが選んでくださいませんか?」
恥ずかしそうに咲子にお願いをされた昭仁は、嬉しそうに微笑んだ。
その後、咲子に似合いそうな飾りをいくつか手に取っていた昭仁が、二つ目の飾りを選ぶ。
小さな花がいくつも集まり、藤色や濃紅、そこに躑躅色や白色と葉を模した緑色が入る、可愛らしくも少し大人びた印象のものだ。
咲子は可愛らしいものが似合うが、年が明ければ裳着の儀を行う事を考えてか、子供っぽくなりすぎないようにと咲子自身が意識していると浮島から聞いていた昭仁は、可愛らしさと少し落ち着いたものを選んだ。
「躑躅は可愛らしいものが似合いますが、このような落ち着いたものも似合いますよ。先ほどの椿も似合っていたので悩みましたが」
余程、咲子にお願いされた事が嬉しかったのか、昭仁はあれこれと咲子にあてがい楽しそうに選んでいたが、その中から咲子の目が留まっていた一つと、先程昭仁の選んだ桃の花のものと藤色のもの、三つを購入する。
「三つもなんて・・・」
「良いんですよ。この飾りも気に入っていたでしょう? 本来なら躑躅の気に入ったものなら全て購入しても良いのですが、折角ですし新しい物を作って貰った方が良いかと思って」
そう言い、にこりと微笑む昭仁の顔を咲子が驚いた顔で見つめる。
「別邸から戻って、躑躅の体調が良い時に店主に藤原邸に来て貰いましょう。普段使いであればいくらあっても良いでしょう?」
話を聞くと、この細工を作っている工房は店の奥にあり、店主と年の離れた弟の二人が飾りを作っているという。
「では、店主殿。いきなりで申し訳ないが、妻も大層喜んでいるので後日、妻の希望のものを作っていただけないだろうか? 躑躅もどんな飾りが欲しいか、考えておいてくださいね」
昭仁の言葉に、店主とその妻は目を丸くしてこくこくと頷いた。それを見て昭仁がにこやかに微笑む。
「では、躑躅。行きましょうか」
そう言うと、咲子の手を引いて店の外へと昭仁は出る。それと入れ違いに、颯水が店主の方へ向かうと、支払いを済ませる。
「あの、金額をお間違えでは・・・?」
伝えた金額より少し多いものを渡され、店主と妻が慌てる。
「このような形で大変申し訳なく思います。姫様も当主様も大層お喜びになっていますが、商売の邪魔になってしまったかと。お詫びとしてお受け取り下さい。あと、先程当主様の言葉通り、後日こちらに人を寄らせますのでお願いいたします」
その言葉に店主はますます慌てる。
「そんなっ、私共は源様と奥方様のような方に立ち寄っていただけただけでも」
「そうです。それにあのように仲睦まじいお姿を目の前で見られただけで、自慢出来ます」
「それでも、お騒がせしたのは変わりありませんから」
嬉しそうに店主と妻が顔を見合わせて微笑む様子に、颯水の表情が微かに笑みを作った。
昭仁が咲子の手を引いて店の外に出ると、牛車から少し離れて人の輪ができていた。
「・・・まあ、こんなに人が大勢・・・。月白さま、どうしましょうか」
咲子は昭仁の背の影からそっと顔を出すと、その集まった人の多さに目を丸くする。
自分が細工屋へ立ち寄りたいと、我儘を言ってしまったせいで大事になってしまったと眉を八の字にし、昭仁を見上げる。
「躑躅のせいではありませんよ」
そう言うと、昭仁は安心させるように咲子の髪を撫でる。
どう見ても周りの民たちは、昭仁の事だけでなく、躑躅を一目見たくて集まっている者達で、その瞳はぼんやりと見惚れているというのが正しい。
周りを見回すと、牛車の側で馬と共にいる迅雷達が苦笑いを浮かべている。
「皆が躑躅を一目見たくて、集まったようですね」
昭仁がそう言うと、咲子が目を丸くする。
「皆様が、わたくしを・・・」
「ええ」
そう言いながら昭仁が困ったように笑った。
咲子の可愛らしさを自慢したい反面、皆に知られるのは惜しい気持ちが心に湧く。
「おひめさま!」
可愛らしい子供の声に、咲子と昭仁が反応し声の方へと顔を向けると、人の輪の中から3歳から5歳位の子供が3人こちらに向かって来る。
その子の母親らしき女が、慌てた様子で人垣に割って入るのも見えた。
慌てて迅雷が子供達を抱き上げようとするのを、咲子が「良いのです」と止める。
一瞬、迅雷の目が昭仁へと向かい、意を汲んだ昭仁が小さく頷く。
「きれいなおひめさま、これあげる!」
掲げられた子供達の手に袋が握られているのを見て、咲子がそっと手を伸ばし受け取ると、袋の中からは甘く香ばしい栗の香りがする。
「まあ、栗ですか?」
「おひめさま、食べて」
「ありがとう。でもこれをいただいたら、あなた達の栗が無くなってしまうのではなくて?」
そう言うと、子供たちはふるふると首を振る。
「おひめさまに食べてもらいたいの」
そう言いながら嬉しそうに笑う子供たちの顔を見たあと、咲子は昭仁の顔を「どうしましょう?」といった表情で見つめた。
「折角だからいただきましょう」
昭仁の言葉に、咲子がちょっとほっとしたような表情をした後、子供たちの顔を覗き込む。
「良い物をありがとう。何かお礼を・・・」
そう言いながら微笑む咲子の顔を間近で見た子供たちは、一斉に頬を染める。
「では、姫様。こちらをお渡ししては?」
咲子たちの傍に居た封土が、懐から袋を取り出し、それを見た咲子が嬉しそうにふんわりと笑い、受け取る。
「それは何ですか?」
「・・・おやつに食べようと思っていた、唐菓子なのです」
昭仁がそっと咲子の耳元で手渡された袋の中身を問い、それに応えるように咲子が小さな声で昭仁だけに聞こえるように言うと、昭仁が甘く微笑む。
「なるほど。それは子供達も喜びますね」
昭仁の言葉に咲子は微笑むと、子供達に一袋ずつ手渡す。
「わたくしからのお礼です」
可愛らしく微笑みながら咲子に手渡された子供たちは、頬を染めたまま元気よく「ありがとう」と礼を言うと、嬉しそうに母親の元へと駆けだした。
「お、お姫様! こっちには美味しい野菜が!」
「貴族の皆様評判の甘酒も・・・!」
「干し柿もありますよ!」
皆が咲子に笑顔を向けて貰いたくて、口々に言うのを聞いて昭仁が笑う。
「躑躅は民に人気がありますね。皆が躑躅の笑顔を見たくて仕方がないようです」
「そんな・・・月白さま、どういたしましょう?」
ますます困惑する咲子の様子を見て、昭仁が微笑む。
「躑躅の笑顔は、私だけのものの筈なのですが」
そう言いながら、昭仁はそっと咲子の額に唇を寄せた。