89 桐一葉(2)
火の手のあがった泊瀬斎宮は丸三日も燃え続けた。
火の勢いが激しく、火消しに手を尽くしても治まる事がなく、近衛に遅れて到着した陰陽寮の者たちも、清浄なる地で呪詛が行われた為、火での浄化を神が行っているのだろうと判断する。
あくまでも火が周りの木立や山に移らない為の手立てであり、泊瀬斎宮はそのまま燃え尽きるのを待つ形となった。
まだ、悪しきものが出ないとも限らず、近衛や陰陽寮の他、月影の一族の者が警戒に当たる。
火の手が収まり始めた場所から近衛が入り、状況を確認していくというのを繰り返す。
「ひぃっ!」
欣子の部屋を確認していた屈強な近衛が、その姿に似合わない引きった声をあげた。
その声に、一緒に焼け跡を確認していた数人の近衛が集まる。
「うわあぁ!」
焼け崩れた柱の下あったのは、所々肉が焼け落ち骨となった女の亡骸だった。
何故か来ている着物には煤や破れ、端の焦げはあっても身体にあるような焼け跡がない。
「急ぎ、近衛次将様と陰陽寮の者を呼べ!」
一人が我に返り、焼けた建物に居た若い近衛へと指示を出した。
欣子の魂を砕き、全てが終わった時には明け方を迎える時間だった。
咲子の父である藤原盈時には浮島が立ち合い、昭仁が咲子の身に何が起きていたのかを説明する事となった。
咲子の病が欣子内親王による呪詛であった事を突き止め、その呪詛を昭仁の手によって阻止したので、じきに咲子の病も回復するという内容だ。
さすがに、根之堅洲國と欣子の関り等は伏せられた。
朝一番で「大事な話があるとの事」と迅雷より伝言を聞いた盈時は、急ぎ咲子の元へと向かう。
咲子の室の帳台には浮島が控え、帳台の帳の外に昭仁が座っていた。
咲子の近衛である御劔達は室の外に控えている。
「源様・・・!」
「義理父上様、まずは躑躅の様子を」
なぜ、咲子の室にいるのかという焦りから、昭仁の名を呼んだ盈時に穏やかに昭仁が答える。
その言葉に頷くと、盈時は咲子の眠る帳台へと向かう。
盈時が帳の中に入ると、咲子はまだ目覚めてはいなかったが、昨日に比べれば咳き込む事もなく、穏やかな寝息を立てている。
随分と落ち着いた咲子の様子に、盈時はほっと息を吐くと昭仁を見る。
「大事な話とは躑躅の病の事・・・」
「躑躅の様子が落ち着いたばかりですので、こちらでお話させていただきます」
そう答えると、昭仁は盈時を坪庭の見える廂へと誘う。
「躑躅の病の原因が分かった為、昨夜のうちに対処いたしました。本来であれば義理父上様にお話すべきだったのですが、躑躅の命に関わる為、あとからのお知らせとなる事をお許しください」
盈時が自分の後について廂へと出たところで、昭仁は振り返り深々と頭を下げ言う。
「なっ、そのような・・・」
自分より身分が遥か上の昭仁に、いきなり頭を下げられ、盈時が慌てて昭仁の体を起こす。
「それに、咲子の病の原因とは・・・?」
昭仁に問いかける声に、ゆっくりと頭をあげた昭仁の表情が苦い様子に盈時は首を傾げる。
「咲子の病は薬師によれば風邪と・・・」
「・・・風邪ではなく、呪詛によるものでした」
告げられた昭仁の言葉に、盈時が驚きで目を瞠る。
「呪詛・・・。誰がそのような・・・」
呆然と声を発する盈時に、昭仁は目を伏せる。
宮中では覚えも良く、目付という立場であるが、争いごとを好まず穏やかな盈時には心当たりがないのは当然の事だ。
「呪詛は欣子内親王によるものでした」
「ま、さか・・・。内親王様は斎宮として泊瀬斎宮におられるはず・・・」
「その、泊瀬斎宮にて呪詛を行いました」
冷静に告げる昭仁の言葉に、盈時の言葉が詰まる。
泊瀬斎宮は神に仕える斎宮の野宮だ。清浄な地でそのような悍ましい行動をとるなど、誰も考えつかないだろう。
「躑躅から悪しきものの気配を感じ、急ぎ東宮様へ使いを送り、私と迅雷、颯水と共に泊瀬斎宮に向かったところ、呪詛による異形たちが溢れており、欣子内親王含む異形を調伏しました。この事は私が向かっている最中に、陰陽寮でも悪しものの気配が泊瀬斎宮にありという事で、東宮様に報告が上がり、近衛を手配したようです」
昭仁の言葉に、盈時は信じられないといった表情を浮かべる。
「現在、泊瀬斎宮には火の手が上がっておりますが、東宮様の御指図をもった近衛次将により、私達三人はこちらに戻り、東宮様からの知らせを待っております」
「・・・内親王様は」
「躑躅にかけた呪詛により、命を落としました」
告げられた言葉に、盈時が息を呑む。
「これは東宮様もご存知です。また、禁忌である泊瀬斎宮での呪詛・・・。躑躅や藤原家には何の手落ちもない事とお分かりいただいております。ただ、今回の事は斎宮である内親王が野宮という潔斎の場で行った前代未聞の事。隠す事は出来ない為、公表の為にも義理父上様にも東宮様よりお呼びがあるかと思います」
そう言い終わると、昭仁は再び盈時に向かい頭を下げる。
「源様・・・っ!」
「私がついていながら、躑躅には辛い思いをさせました」
昭仁の言葉に、盈時がふぅ、と息を吐く。
「婿殿」
盈時の言葉に、昭仁が弾かれるように顔をあげた。
「その謝罪は私ではなく、咲子に」
昭仁の目に映るのは、穏やかに微笑む盈時だった。
「私の方こそ、婿殿に礼を言わねばなりません。咲子を助けていただき、ありがとうございました」
「・・・義理父上様」
「その姿を見れば、あなたが咲子の為に月影の力を使い、奮闘していただけたのだとわかります。湯の用意をさせましょう。咲子が目覚めた時、その姿だとあの子が泣いてしまう」
そう優し微笑む盈時の言葉に、昭仁は頷いた。
あの日の盈時との会話以降、昭仁は藤原邸に留まり、咲子が目が覚めるのを待ち続けた。
一度程、一瞬だけ意識が戻ったが、ぼんやりとした様子で浮島の顔を見て名を呼んだあと、また眠りについたらしい。
薬師によれば、今まで眠れなかったものが楽になった事で、一気に眠りについているのだろうとの事だった。
咳も出る事もなく、脈も正常で休息が十分取れれば、自然と目が覚めるだろうと言われている。
「まだ、躑躅の姫が臥せっているというのに、呼び出してすまないね」
火が収まった泊瀬斎宮の跡から、欣子の亡骸と呪詛に使われたと思われるものが、いくつか発見されたとの報告があり、東宮より昭仁と盈時に梨壺へと呼び出しがかかった。
「いえ。まだ躑躅は眠ったままですが、浮島殿と御劔達がついておりますので大丈夫かと」
気遣う東宮の言葉に、昭仁が答える。
「呼びだしたのは、ほかでもない。これが欣子内親王の亡骸の側に、呪詛の道具と共にあった。見覚えはあるかな?」
東宮の言葉と共に、陰陽寮に属する者が箱を持ってくる。
「月白殿であれば、既に害がないのはわかるだろう。念の為に、残っていたものに関しては陰陽寮でも確認はしている」
そう東宮が言うと、持ってきた者が箱の蓋を開け、二人の前へと置く。
「これは・・・っ」
声を発したのは盈時だった。
箱の中身は、欣子と対峙した際に昭仁が見つけた、黒い蔦の絡んでいた咲子の髪飾りだ。あの時、蔦は消滅してしまったので、今は煤と灰で汚れた髪飾りとなっている。
「我が娘、咲子のものでございます」
「その確信は?」
「これは、曲水の宴にて琴の披露をすると決まった時に、祝として私が飾り師に頼み作ったものです。大層気に入っておりましたが、いつだったか『失くしてしまった』と咲子から言われました」
『失くしてしまった』というのは、欣子が咲子を襲った時だろう。
あの時は騒ぎの収拾に東宮は気を取られ、昭仁は最愛の姫が傷つけられた事に意識が向いていた為、飾りの事まで気がつかなかったが、まさかそこで失くした飾りを使用して呪詛を使う等、誰も思い至らないだろう。
「なるほど。この飾りは、内親王の骸傍にあった火鉢と組木と共にあった。また、灰の中には呪符の一部とみられるものも残っていた。陰陽寮の者の見立てでは、それらを使い躑躅の姫に呪詛を行ったのだろうという事だ」
「私が向かった際には、既に泊瀬斎宮には多数の異形がおりました」
「それについては、聿子殿からも聞いているよ。彼女は内親王が呪詛を使い、異形を呼び出した、と」
東宮の言葉に、盈時が青くなった顔で喉を鳴らす。
「すまないね。これで証拠は確定した。既に大内裏内では、此度の内親王の行なった事が噂となっている」
そう言うと東宮は困ったように笑う。
「まあ、やった事が前代未聞だし、泊瀬斎宮に仕えていた者が何人か命を落としている。実際、異形を目にした者達が多数いるから、隠す事は難しいだろう」
「そうですね。東宮様にお任せしますよ」
少しだけ、目の据わった昭仁が事も無げに言うと、盈時がぎょっとした顔をする。
「躑躅は内親王の逆恨みによる呪詛によって命を落としかけたのですから。夫として、それなりの対処を望みます」
最後に微かに口の端をあげ、微笑む昭仁に東宮が溜息をつく。
「盈時殿。暫し周りが煩いだろう。少しの間、屋敷で休むといい。目付の務めはこちらで何とかするよ」
「私も暫し藤原邸に留まりますので、こちらには参りませんよ」
東宮の言葉に続くように、昭仁が伝える。
それを聞いた東宮が苦笑いを浮かべた。
「当り前だよ。躑躅の姫が目覚めるまで、傍についていると良い。きっと姫も月白殿が傍にいれば、目覚めた時に安心するだろう」