88 桐一葉(1)
延長八年 -九三〇年- 長月 京の都
源昭仁が迅雷、颯水と共に泊瀬斎宮の外に出ると、近衛達が到着した所だった。
泊瀬斎宮に来る前に、昭仁が東宮へと知らせをした為、手配をしてくれたのだろう。
「源様!」
火の手が上がる泊瀬斎宮を振り返り、淡路の気配がないかと目を細めて探す昭仁に、近衛次将が駆け寄る。
「ご無事でありましたか!」
東宮の元に、昭仁からの知らせが届いたと同じく、陰陽寮からも泊瀬斎宮内にて悪しきものの気配ありと知らせが届く。
昭仁の文の内容は、欣子内親王が根の者と契約をし、躑躅に呪詛を掛けた事。その呪詛を解く事しか救う手立てがない為、急ぎ向かう事が書いてあった。
陰陽寮からの知らせを受け、東宮は近衛を泊瀬斎宮へと向かわせる。その際、陰陽寮の報告と同じく、月影の家も動いている為、手助けをせよと命をした。
「東宮様より伺っております。此度の事は内親王様によるものと」
「間違いない。異形が溢れていた為、聿子殿含め助かった者は先の祠へと向かわせた。急ぎ迎えを」
「して、内親王様は・・・」
「根の者と手を組んだ為、助かってはいないはず」
「ではこの火の中に・・・」
そう言うと、近衛次将が喉を鳴らす。
「いえ、東宮様も陰陽寮と源様の報告を受け、助からぬであろうと。亡骸の確認をせよと申し付かっております。それよりも今回、内親王様が御内儀様に呪詛を使ったと聞いております。その証があれば確認せよと。ここは我らに任せ、お戻りください」
そう近衛次将が言い終わると同時に、ガラン!、と大きな音を立てて泊瀬斎宮の本殿が崩れた。
「すまない」
昭仁は近衛次将にそれだけを言うと、迅雷、颯水と共に都へと向け、駆けだした。
そのまま人気のない、木立の茂る場所まで辿り着くと、迅雷と颯水が来た時と同じように狐の姿へと変わる。
「急ぎ屋敷に戻ろう」
迅雷はそう言うと、昭仁に背に乗るようにと顔を向け、昭仁も地を蹴りその背へと身を乗せた。
「飛ばすぞ」
迅雷の言葉に颯水が頷き、地を蹴る。
「急ぎますが、行と同じぐらいの時間は要します。暫く迅雷の背でお休みください。姫様の為にも」
迅雷と並走する颯水が、昭仁に声を掛ける。
「落としゃあしねぇよ。安心しろ」
「わかった、頼む」
その一言を告げると、昭仁は意識を手放した。
藤原邸では、残された者達が咲子を守る為、奮闘する。
「不知火、封土! 姫の閨に異形を近寄らせぬように!」
浮島の声に、呼ばれた二人は頷くと、近寄ろうとする異形たちを切っていく。
浮島は帳台の周りに界を張り、咲子に纏う黒い靄を払うのは宵闇が担っている。
「浮島様! 姫はんがっ!」
宵闇の声で、意識が帳台の外へと向いていた浮島が、慌てて咲子へと視線を向ける。
次の瞬間、ドクン!と咲子の身体が大きく跳ねた。
「姫様っ!」
慌てて浮島が咲子の身体を抱きしめると同時に、帳台の外に居た不知火が、いきなり消えていく異形を見て呟く。
「消えた?」
「異形が・・・」
封土も呆然と、目の前で霧散していく異形を見つめる。
「呪詛を止めたんや・・・」
宵闇の言葉に、咲子を抱きしめた浮島がゆっくりと身体を離す。
「花が・・・」
咲子の意識は戻らないままだが、咲子の胸元に浮かんだ黒い花と蔦が徐々に薄く消えていく。
その様子を見た浮島と宵闇がほぅ、と、息を吐いた。
その後、一刻も経たず、昭仁は迅雷の背で目覚める。
「丁度いい、もうすぐ屋敷につく」
「具合はいかがですか?」
「少し休んだおかげで随分といい。助かった」
それから間を置かず、藤原邸の庭へと降り立った三人は、急ぎ咲子の居る北対へと向かう。
その勢いのまま室に入った昭仁は、帳の開かれた帳台へと視線を向ける。
「呪詛は無事、解かれたようでございます」
咲子の枕元に座る浮島が、昭仁の為にと場所を譲る。
その言葉に弾かれるように、昭仁は咲子の傍へと進み、そっと眠る咲子の顔を覗き込む。
「まだ、お目覚めにはなっておりませんが、暫くすれば・・・」
そう言いながら、浮島は自身の目元に浮かんだ涙を袖で抑えた。
「躑躅・・・」
昭仁が、ゆっくりと咲子の頬に触れようと手を伸ばし、あと僅かとなった所。
パリッー!パリパリッ!
薄い氷が割れる様な音が響き、室内の灯が一斉に消えた。
真っ暗になる室内に、御劔達が異様な空気を察して戦闘態勢を取る。
次の瞬間、中庭の方角から暴風が吹きこみ、帳台の帳が揺れ、几帳が倒れた。
それと同時に、聞き覚えのある声が響く。
『なぜ、その女子なの・・・? なぜ、美しいわたくしをこのような姿にした・・・っ!』
揺らり、と影が集まり、次第に人の形を作っていく。
自慢の髪は乱れ、焦げ、真珠のようだと褒められた白い肌は所々焼け爛れている。
そこに居たのは顔の右、口から上が爛れ、形を成していない欣子内親王の姿だった。
『なぜ、その女子だけが幸せになる。わたくしだけがなぜ浮かばれない。ならばその女子だけでも道連れに・・・っ』
恨みがましい視線を向けていた欣子は、帳台に横たわる咲子の姿に気がつく。
『ああ、そこに。ふふふっ、其方だけ幸せにはさせない』
「怨霊と化したか」
咲子を欣子の視界から隠すように、前に出た昭仁が冷たい視線のまま呟く。
ちらりと昭仁を見たあと、迅雷と封土は頷くと、欣子へと攻撃を仕掛けた。
『どけぇ―!邪魔をするなあぁぁ!』
欣子がボロボロになった腕を振ると、液体が飛び散り、その液体が落ちた場所が、ジュウッと嫌な音を立て、煙を出した。
液体を躱した迅雷が舌打ちをする。
『その女子を連れていけぬなら、生涯消えぬ傷をつけてやろうっ!』
そう言い、欣子がにやりと笑う。
「させるかっ!」
不知火が扇を振り、火炎を欣子へと放つと、その火が着物につき燃え広がる。
既に怨霊となった身には、熱さなど感じないのだろう。
不気味な笑みを浮かべるだけだ。
『忌々しいその女子を渡せぇぇ!』
禍々しい気に呼び寄せられたのか、他の怨霊たちが少しずつ集まってくる。
「月白様、この帳台には界が張られている為、あれらであれば入って来る事は出来ませぬ」
「躑躅を今暫く頼みます」
浮島の言葉に昭仁は答えると、目を覚まさない咲子の頬にそっと触れ、帳台の外へと向かう。
「躑躅に手を出す事は、私が許さぬ」
昭仁の声に、狂気を孕んでいた欣子の瞳に一瞬歓喜が宿る。
『ああ、そこに居られるのですね。月白様。さあ、あのような女子ではなく、わたくしを選んでくださいませ』
揺らり、揺らりと歩みを進める度、欣子の身体から破片が落ちる。
『ほら、わたくしは美しく身分もある。月白様の隣にはわたくしが相応しい』
「怨霊となってもとは、執念やな」
『煩い、煩いっ!』
形を成さない自分の姿を、うっとりと視線を向けながら言う欣子の言葉に、宵闇が呆れたように呟くと、癇癪を起し宵闇を睨みつける。
『そう、あの女子が悪い。わたくしは悪くない。わたくしの邪魔をするあの女子が悪い・・・』
同じ言葉を繰り返す欣子の元に怨霊達も集まり、その言葉と共に地鳴りのような声を響かせる。
その声に共鳴し、びりびりと床や柱、天井が鳴る。
集まってきた怨霊たちが飛び交い、それを払うように御劔達が扇を振るうと、触れた者から塵となっていく。
「丁度良い。都に集まる怨霊を一気に片付けられます」
「姫さんも、公卿様と一緒に居られる時間が増えて喜ぶんじゃないか?」
珍しく好戦的な笑みを浮かべた颯水の言葉に、迅雷が掌に雷を集める。それを見た欣子が怒りを二人に向けた。
『おのれ、邪魔をするなあぁ! 皆に傅かれ大事にされるのはその女子ではなく、わたくしっ! 怨霊共よ、あの女子をねらえぇ!』
その言葉と共に縦横無尽に飛び交っていた怨霊たちが、ひと塊となり咲子の居る帳台へと向かう。
だが、その前には昭仁がいる。
「公卿様!」
そのまま昭仁を飲み込むように覆った怨霊たちが、中から昭仁の術の光によって飛び散り、消えていく。
「あのまま、塵となれば良かったものの」
昭仁の言葉と共に、怨霊が消えたのを見た欣子が目を瞠る。
『狙うのはあの女子、行きなさいっ!』
「皆はそのままで、手出し無用だ!」
欣子の背後から次々と黒い塊が飛び出し、帳台へと向かうのを見て御劔達が反射的に動くが、昭仁がそれを制す。
「躑躅をあのように苦しめたうえ、まだ手を出そうとするとは」
そう言った次の瞬間、蜘蛛の巣のようなものが昭仁の背後に浮かび上がり、咲子の帳台へと向かおうとした怨霊達が絡めとられる。
「散!」
昭仁が、破邪の法と共に術を再び発動させると、その蜘蛛の糸たちは捕らえた怨霊たちをぎりぎりと締め上げる。
ぎゃあああぁぁぁぁっ!
怨霊たちが断末魔のような声をあげると同時に、細かく切り刻まれた塊が霧散していく。
「私が愛するのはただ一人、躑躅のみだ。美しさも聡明さも、心根も貴女とは比べ物にならない」
冷たい目で、昭仁は欣子を一瞥する。
「怨霊など、我が月影には赤子のようなもの。そのような姿になってまで躑躅を狙うとは・・・」
そう口にした次の瞬間、蜘糸が欣子の足元から浮かび身体を絡めとると、ぎりぎりと細かい網目が欣子の身体に喰い込み、糸が触れている部分がしゅうしゅうと煙を上げ始めた。
『わたくし、は、内親、王・・・。みな、が、わたくし、に傅き、わたくしの、幸せの、為・・・』
「何度言えばお分かりになるのか。『内親王様は月影の家及び、我が妻への関りはお控えください』と申し上げたはずです。お分かりにならなければ、その魂でお分かりいただきましょう」
『わたくし、の、幸せ、を、邪魔する、あの、女子をおおぉ・・・』
その言葉を最後に、碓氷の割れるような耳に響く高い音と共に、欣子の身体が粉々に砕け散り、昭仁と御劔の前から消えたのだった。