81 神議―かむはかり―
今の箱庭よりも、遥か昔。
綿毛で選ばれた「次代の鍵」は「鍵」としての時期が来るまで、天界の神々に大切に、大切に保管される。
鍵の使命は新しくこの宇宙という箱庭を作る事。
その機会が訪れるまでは、人の子の輪廻の中で静かに暮らす。
箱庭の中は知らないだろう。
自分達の世界が、何度も進化し、壊れ、再生している事を。
「つまんないなぁ」
天之御中主神という存在に選ばれて、どのぐらい経ったのだろう。
他の神々には興味はないけど、僕が選ばれてからは、すでに両手の数ほどの「鍵」の選択は行った。
造られた箱庭の時間は様々。
箱庭自体が形にならなかったもの。
人の子も、それ以外もうまく成長できなかった箱庭。
急激に進化し過ぎて収拾がつかなくなり、神々で強制終了となった箱庭。
大樹のようにゆっくりと成長し、やがて終末を迎えた箱庭。
他の神はそれを見守り、時には人の子や、その箱に生を受けた者達に手を貸す事もある様だ。
僕のやる事は、「次代の鍵」を選ぶ事だけ。
これは天之御中主神という、創造主の力を持つ者にしか与えられない力だ。
「ふむ・・・。此度の箱庭はあまり良いとは言えぬな」
天界で神々が集まる神議の場で、箱庭の様子を観察していた国之常立神がそう呟く。
約二千年前に造られた今の箱庭は、幾度となく争いを繰り返し、安定した時期の方が少ない。
破壊活動と争いで、箱庭自体も限界を迎えている。
「このままでは、維持は難しいかと」
「では、天之御中主神が既に選択している『鍵』を新たに」
それに応える思金神の言葉に、高御産巣日神が水鏡に手をかざす。
映ったのは、人の子達が逃げまどい、その場に馬に乗った男たちがなだれ込む様子。
馬上の者達は、手当たり次第に手にした剣を振るい、粗末な建物やそこに住まう者達が育てた作物を踏み荒らす。
その中、一人の男が弓矢を構える姿を捕らえる。
「この者が次代の『鍵』となる者か」
「まだ、人の子としての生は二十年程残っているかと」
宇比地邇神の言葉に、思金神が淀みなく答えた。
「これ以上は、箱庭自体が持たぬであろう。『次代の鍵』の今生が終わり次第、輪廻の輪から外すといたそう」
淡々と進む神議を、僕はあくびを堪えながら耳を傾ける。
僕はいつも始まりを選ぶだけだ。
別にこの場に居なくてもいいのでは、と思うけど、毎回、神産巣日神に連れられてこの場にいる。
何度、こんな事を繰り返しただろう。
造っては壊す。
または、自ら壊れていく。
僕からすれば、くだらない、と思う。
どうせ人の子達は同じ事の繰り返しだ。
「・・・無意味」
ぽつりと呟くと、隣にいた神産巣日神が小さく笑う。
「なぜそう思う?」
「同じ事を繰り返してるだけにしか見えないから」
「そうか? 箱庭はその都度成長が違う。長い箱庭であれば五千年は続くものもある」
「それでも最後には、終末を迎える」
「それは仕方がない。命には始まりと終わりがあるのは理だ」
僕の言葉に、神産巣日神が微笑む。
僕ら「神」と呼ばれる者達には、人の子のような命はない。
ある意味神の名も役目のようなもので、時期が来れば先代から次代の神に役目を引き継ぎ、消滅するだけだ。
輪廻と言うものも存在しなければ、始まりも終わりもない。
それに。
「『鍵』に選ばれる人の子だって迷惑な話だ。自分の運命も知らずに、人の子の輪廻から外され『鍵』となる」
僕の言葉に神産巣日神がふぅむ、と考える様子を見せる。
僕はずっと不思議だった。
神々が、この箱庭を造り、壊すという作業を淡々と行っていく事を。
同じ事を繰り返し、繰り返し、繰り返し。
延々とそれが続く。
その事に一体何の意味があるのだろうと。
「天之御中主神は、箱庭を眺めた事はあるかな?」
唐突に神産巣日神に言われ、僕は首を横に振る。
「何度か見たけど、興味はないよ」
「そうか。人の子の生涯もだが、箱庭の寿命も我らと比べれば、短く儚い。そして、生まれるものに意味のないものなどないのだよ。それは人の子も、箱庭も、我らも」
そう言い、神産巣日神は穏やかに微笑んだ。
「そうか、天之御中主神がそのような事を」
神産巣日神の言葉を聞き、高御産巣日神が呟くと、隣で思金神が溜息をつく。
「して、天之御中主神は?」
「いつものように、神議が終わったと同時に、高天原を去りました」
「そうか・・・」
高御産巣日神、神産巣日神、そして天之御中主神は造化の三神と呼ばれる。
一番初めに天之御中主神が生まれ、次いで高御産巣日神、神産巣日神と続いたという。
遥か昔の事、既に初代の三神も消えてからかなりの時間が経過している為、どのように誕生したのかまでは、簡素な記録と微かな繋いだ記憶のみだ。
天之御中主神は根源、全ての創造を司る神として『次代の鍵』を選択し、高御産巣日神、神産巣日神は、物を生み出しそれらを生成、発展させていく力を司る。
「意味のない事か」
高御産巣日神の言葉に、思金神が怪訝な顔をする。
「天之御中主神は箱庭の為の鍵を選ぶ事は出来るが、その箱庭の成長には関わる事が出来ぬからな」
『鍵』を選ぶ事に神の意思を反映する事は出来ない。あくまでも『次代の鍵』を選ぶまで。
それは創造神という、特殊な立ち位置の神が介入する事で、箱庭が神の意志で造られたものとならない為であるという。
神は司る者であって、支配するものではない。
それが天界に住まう者達の、暗黙の約束事だった。
「無意味だと思っていても、天之御中主神として選ばれ、天界に存在するのであれば、役目を全うするのは致し方なき事かと」
思金神の言葉に、神産巣日神が微笑み頷く。
思金神は知恵と策を司る。
感情に動かされることなく落ち着いている為、どことなく冷たくも感じる事があるが、根は名の通り思慮深い。
「だからこそ、『天之御中主神』として選ばれたのであろうよ」
「次代の鍵」に興味を持たず、箱庭を「意味のない事」という。
それぐらい冷めていないと全うできないのだろうと、高御産巣日神が頷くと神産巣日神が続けた。
「それと共に、私は天之御中主神の姿が変わらない事が少々気になります」
天界に住まう神々は、それぞれの持つ役目を引き継ぎ、継承していく。
当代の天之御中主神は数えて三代目となり、継承したのは思金神と同じ頃。
思金神の姿は青年といった風貌だが、天之御中主神はそれよりも十近くは若く幼い風貌だ。
年の頃なら十二、三歳。
思金神も天之御中主神も、同じ年頃に選ばれ同じ様にこの天界で過ごしているのに、思金神は過ごす年月と共に風貌も変わっていくが、天之御中主神は選ばれた時のまま変わらない。
「本人が意図して変わらないのか。それとも何か原因があって変わらないのか」
神産巣日神の言葉に、高御産巣日神、思金神共に押し黙る。
天界に住まう者達は、徐々に天界に馴染み、心身共に天界に住まう者となる。
それは黄泉であっても、根之堅洲國であっても同じだ。馴染むまでは変化に、時間差のようなものが個々で現れはするが、馴染めばその場の者として時間は進む。
「・・・それはわからぬ。天之御中主神はなんと?」
「幼い姿である為見下される事、天之御中主神と気が付かない神々もいる様です。まあ、本来あまり他の神々と交流がありませぬ故、本人はあまり気にもしていない様子ではありますが」
「もしかすると、天之御中主神の持つ力故、なのかもしれません」
神産巣日神の言葉に、思金神が続ける。
「神々によって継承までの時間は違いますが、当代の天之御中主神は今までの方々よりも力が大きく、在位が長いのかもしれません。故に変化が遅いのかと・・・。あくまでも私の憶測で御座いますが」
「なるほど」
「当代を連れてきたのは、先代本人でありましたね」
遠い昔、先代の天之御中主神が天界に連れてきたのが当代だった。
「『我の力は急速に衰えるであろう故、連れて参った』とだけいい、ある日突然言ったように消滅してしまった」
神産巣日神の言葉に、その時の状況を思い出したのか、高御産巣日神が目を細める。
「先代は何も言わず、で、あったからな」
先代と当代の天之御中主神の代替わりには謎が多い。
突然、天界に天之御中主神の代替わりの知らせが飛び、鐘の音が鳴る。
慌てて高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神の別天つ神達が天之御中主神が、住まう島に向かうと、当代の少年だけがぽつんと残されていたのだ。
その時の事は当代もよく覚えておらず、何があったのか不明のままだ。
別天つ神たちの姿を見て、その場に当代が倒れ、そのまま人の年月として一年程眠ったままとなったのだった。