79 恋と親友
遥か遥か昔から。
何度こうやって綿毛を飛ばしただろう。
ふぅっと息を吹きかけると、掌に乗せた綿毛についた種が舞う。
ふわり、ふわり。
漂う綿毛は散らばり、足元へと広がる沢山の小さな光の玉の上へと落ちていく。
光の玉に触れた瞬間、綿毛がふわりと光を放ち消えて行った。
ひとつ。ふたつ。
無数にあった綿毛が落ちては消えていく中、一つの綿毛がその玉の光を吸収したように、黄金色に輝いた。
「おめでとう、と言うべきか。お気の毒さま、と言うべきか。今回は君が選ばれたんだね」
そう呟くと、天之御中主神は黄金色の綿毛を眺め、微笑んだ。
今、漆黒の闇に浮かぶ島で、天之御中主神だった神は呟く。
「まあだだよ」
くすくすと笑う声が、闇に紛れて消えて行った。
「榴ヶ崎さん」
午後の点滴にきた看護師さんに声を掛けられて、私はゆっくりと目を覚ます。
「気分はどうですか?」
半分寝ぼけた状態の私に、看護婦さんが笑顔で声を掛けてくれる。
昨日は目が覚めてから慌ただしかった事、状況が状況であった為、眠れないかもしれないとお薬が出されたおかげで、早々に寝る事が出来たのに、日当たりのいい空調のきいた部屋の寝心地の良いベッドだと、ついウトウトとしてしまう。
先生からは自分が思っている以上に心も身体も疲れていると思うから、無理しないようにと言われている。
骨折はないけど打ち身がいくつかあって、肩甲骨や腰、腿、足首に青あざと頬に切り傷。
青あざは時間経過とともに薄くなる事、頬の傷も痕も残らず治るでしょうと説明された。
昨日はいきなり身体を動かしたせいでかなり痛みを感じたけど、ゆっくりと動かせば我慢できない事もない。
そう思って、昨夜はうっかり病室にあるトイレに一人で行こうとして、看護師さんに怒られたばかりだ。
病室はいわゆる特別個室と言われる部屋で、バス、トイレ、洗面所にミニキッチン、ソファーセットまである。
なんだかとても豪華な病室なせいもあって、落ち着かない。
午前中に来てくれたお母さんの話では、吉野議員側から提示されたと拓さんから話があったそうだ。
「あちら側も外聞が気になるんだろうって言っていたわ」とあっけらかんとお母さんに言われて、取り敢えずは納得したけど、入院というよりはどこかのホテルに泊まっている感覚になる。
そんな事を思いながら、看護師さんの問いかけに応える。
「はい、大丈夫です」
「どこか、痛みが増したとかありますか?」
「今の所はないです」
「何かあったら声を掛けて下さいね。あとで先生が来ますから」
看護師さんに笑顔で言われて頷く。
因みに、暫くは車いすで移動と言われているけど、移動する事があるんだろうかとちょっと思う。
この病室で大抵の事は完結できそうだなぁと、家電量販店に飾ってありそうな大きな薄型テレビを見ながらぼんやりと思った。
「えーっ!月森さんとは去年の出雲旅行で会ってたんだ?!」
「そうなる、のかな」
昨日、お母さんたちが戻って来るまでの時間、期待感マシマシの香澄ちゃんに促される形で、拓さんとの出会いが出雲だった事を話した。
本当に偶然、別行動をした銀細工のお店で少し話をした事、その時は下の名前だけしか知らなかった事、連絡先の交換もなかった事、そしてこの春の移動で再会した事。
「えー、じゃあ本当に偶然の再会だったんだね」
香澄ちゃんが目を丸くして言う。
「私だってびっくりしたもの。三月に辞令がおりて七階に異動したら責任者が拓さんだし」
「まあ、そうだよねぇ。七階は全国から精鋭が集められているんだもん。大体うちの会社、社員が何名いるんだって話だよね。あ、でも月森さんは先にえりの事、気がついていたかもしれないねぇ」
それはあり得るなぁ。
配属予定の社員データーは見ていると思うし。
「かもしれないね」
「でもやっぱり、運命的だよねぇ。だって出雲の時点ではお互いの事全く話してなかった訳だし」
「まあ・・・そうなるのかなぁ・・・」
「という事は、月森さんがえりに一目ぼれしたって事になるのか」
「えっ?! あ、痛・・・」
香澄ちゃんの言葉に思わず声と身体が反応してしまった。ぴしりと痛みが走り、思わず顔を顰める。
「えり、大丈夫?」
「・・・うん、はぁ。香澄ちゃんが変なこと言うからつい力んじゃった」
ふぅ、と息を吐きだすと香澄ちゃんがごめんね、と口にする。
「一目惚れって・・・」
「だって、そこからアプローチされたんでしょう?」
「ア、アプローチって言うか・・・」
畳みかけてくる香澄ちゃんの言葉に、私はあわあわと焦る。
「そうだよねぇ」
香澄ちゃんは私の様子お構いなしに、自分の言葉にうんうんと納得した顔をする。
「好きって気持ちがないとパートナーをお願いしたり、その後、食事する為に予約してたり無いよねぇ」
「そ、そうなのかな?」
何と返事をするのが正解かわからず、思わず疑問形で返してしまう。
「で、月森さんに告白されたと?」
にやりと笑って、香澄ちゃんが直球を投げてきた。
「な、なんで・・・?」
焦る私に香澄ちゃんが続ける。
「だって、さっきの月森さん見てたらそうとしか思えないもん。あんなにあっまーい顔してさぁ。えりの事目の中に入れても痛くない、は違うか。大事にしてます感ただ漏れだったし、やたらとえりの頭撫でてたし」
そう言いながら香澄ちゃんは、座っている自分の膝に両手で頬杖をして、私を見上げる。
「・・・まだ、返事はしてないの」
ぽつりと言う私の言葉に、香澄ちゃんが先を促すように首を傾げる。
「拓さんから気持ち伝えられて、その後すぐに出張になって、今回の事だし・・・」
「そっか」
そう言うと香澄ちゃんがにっこり笑う。
「まあ、えりが悩むのも仕方がないよねぇ。上司だし、いずれはうちの会社のグループのどこかを継ぐだろうし。あんなハイスぺに気後れしない方が凄いと思うもの」
確かに、それは否定できなくて。気軽に「はい、よろしくお願いします」なんて答えられない気持ちもあって。
「でもさ、私の勘なんだけど。まあ、私の勘は当てにならないかもしれないけどさ」
そう言うと、香澄ちゃんがすっと真面目な顔をするので、思わずこちらも身構える。
「月森さんはえりの事を好きな気持ち、本気だと思うよ。今回の事にしても宗方さんが言うには直ぐに動いたみたいだし。私は病室に来てからしか見てないけど、もう視線がなんて言うか、ガチ勢?」
え、ガチ勢って何?
私の顔にそう書いてあったんだろう、香澄ちゃんが噴き出す。
「あれだけ『大事にしています、近寄んな』ってオーラ出していたらねぇ? 私からしたら『月森さん、選択グッジョブ』って言いたいけど。うん、ハイスぺだけでなく見る目もあったなって、そこは認めてあげよう」
ふふふ、と笑いながら香澄ちゃんが言うのでつい、私もつられて笑う。
「今日の様子を見ていたら、えりの事すごく大切って伝わってきたよ。まあ、今は身体整える方を優先して、ゆっくり考えたらいいんじゃない?」
「うん、そうだね。そうする」
そんな会話をしていたんだよね、香澄ちゃんと。
二人で話した会話を思い出していたら、ドアがノックされた。
「はい、どうぞ」
そう答えるとドアが開き、入ってきたのは拓さんで。
さっきまで、昨日の香澄ちゃんとのやり取りを思い出していた私は、焦ってしまう。
「どうしたの? えりさん? 調子が悪い?」
サイドテーブルに持ってきた荷物を置きながら、拓さんが心配そうな顔をする。
とにかく心臓を落ち着けようと、少し俯いて深呼吸をした。
「いえ、だいじょう」
ぶです、と言いながら顔をあげると、私の顔を覗き込む拓さんの顔がすぐ傍にあって。
―近い、近すぎます!
声にならず、思わず口をパクパクさせていると、拓さんのおでこが私のおでこにコツンと当たる。
すぐ目の前にある、伏し目になった切れ長の目元を見て心臓はばくばくしているのに、頭のどこかで「ああ、まつ毛長いなぁ」なんて考えている自分がいて。
「えりさん? 熱はないみたいだね」
おでこに触れたまま、拓さんが冷静に言うので一気に顔が赤く染まるのを感じる。
それを見た拓さんがくすりと笑った。
「揶揄ってますね?」
何とか声を出して伝えると、拓さんが甘く微笑む。
「本当に昨日は心配したんだ。だから今のはご褒美かな」
「ご褒美っ・・・」
余りの甘い言葉に、私の顔がますます赤くなる。
「先生は傷の痕は残らないって言っていたけど。ごめんね」
そう言いながら、拓さんがテープの貼られた頬に触れ、そして短くなった髪に触れた。
「拓さんが謝る事じゃないです。それに、助けに来てくれました」
気がついた時、一番に目に入ったのは拓さんの泣きそうな、安心したような顔だった。
その顔を見た時、拓さんが来てくれた事に安心して、嬉しかった。
身体中は痛かったけど、抱きしめられた時に凄く安心したのは覚えている。
「私、目が覚めた時、一番に拓さんの顔が目に入って、安心したし嬉しかったんです。嬉しいって言ったら変ですけど。本当にありがとうございました」
そう伝えると、拓さんが困ったように笑う。
「参ったな」
「え?」
きょとんとして拓さんを見つめると、拓さんの手が傷のない方の頬に触れた。
「えりさんが怪我をしていなかったら、思いきり抱き締められるのに」
そう言いながら、そっと私の頬の傷テープに拓さんの唇が触れた。
―え、香澄ちゃんの言ってたガチ勢ってこの事なの?!
思わず触れられた頬に手を当てると、目の前にはいつも以上に甘い目をした拓さんがいた。