76 神の遊戯
「公卿様」
別荘の外にえりを抱えて出てきた拓を見て、成瀬が声を掛けた。
「姫様の様子は?」
「拘束の術の為、少し打撲の症状が出ている。あと術のせいで体力の消耗が激しい」
「頬に傷が、アイツ・・・っ!」
成瀬と共に、えりの顔を覗き込んだ桐生の顔に怒りが浮かぶ。
「お顔に傷が」
「換心の呪詛の為に、髪を切られた時についたものだろう」
「・・・宗方に連絡を入れる」
怒りで奥歯を噛み締めた桐生が、それでもえりの為にすべき事を優先する為に、ポケットからスマートフォンを取り出し、社内に残る宗方へと連絡をする。
少し離れたのは、眠るえりを思いやってだろう。
「怖い思いをされたでしょうに」
「術を使って眠らせた。このまま戻る」
眉根を寄せ小さく呟く成瀬に、愛おしそうにえりの顔を見つめながら答える。
「・・・宗方も安心してた。医者は手配するって」
手短に連絡を終えた桐生が戻り、二人に宗方からの言葉を伝える。
「では、後始末はお任せください。・・・ああ、ようやく到着したようですね」
そう言うと、成瀬が敷地の外へと視線を向けた。
少しの間の後、高級国産車が敷地内へと入って来る。
屋敷自体は吉野の魂が切り離された後、元の様相に戻っていると司波から報告を受けたが、中に入る際に司波が面倒とばかりにドアを蹴り上げ、損傷した部分もあると言う。
「まあ、その辺りも含めて話しをしますよ。不知火は公卿様について戻ってください」
そう成瀬が言い終わると同時に、成瀬の傍に車が停まり、中から吉野永一郎と秘書と思われる男が慌てて飛び出す。
ぐったりとしたえりを抱えた拓を見て、二人は顔色を無くす。
「月森氏の婚約者は打撲等のほか、お嬢さんに髪の毛を切られ、頬にも傷があります。月森氏はこのまま彼女を連れ病院に向かいますので」
「では、車を・・・」
「いえ、用意しております」
吉野永一郎が慌てて拓に告げると、拓は吉野永一郎の顔をちらりと見ただけで、そのまま桐生を連れて歩きはじめ、拓の代わりに成瀬が口を開いた。
「では、私から状況を説明いたします」
拓の怒りが伝わったのだろう。呆然と拓を見送る吉野永一郎と秘書の二人の肩が、成瀬の言葉でびくりと大きく跳ねた。
暗い空間に漂う、一つの島が見える。
音も、太陽の光も、月の姿もない、真っ暗な宇宙のような空間だ。
直径500メートルもない小さな島には、一本の大木と草原、その間に大きな岩がいくつか転がっているだけだ。
その岩の上に少年が一人座り、水盤にはられた水鏡を覗く。
「『鍵』は完全には目覚めなかったか」
『その様ですね。それにしても「魂の番人」まで出て来るとは』
水鏡に映っているのは、番人と呼ばれる遠野達から捕縛を逃れた初鷹だ。
『おかげで欣子内親王の魂を回収し損ねましたよ』
あーあ、と呟きながら続ける初鷹に、少年は口の端をあげる。
「重要なのはそこではない。『鍵』に『鍵』である目覚めを促すのが目的だからな」
大人びた口調で少年が告げると、初鷹がため息をつく。
『全く、創造神である神の考える事はわかりませんね』
「創造神、という折角の立場なら楽しまなくては。そうだろう?」
『そう言いながらも、そんな所にいつまでも幽閉されてるのもどうかと思いますが』
「捕縛されたのは本意ではないが、これはこれで楽しい」
そう言うと少年は含み笑いを浮かべた。
「まあ、想定外の魂が輪廻に入ったのだから、番人が動くのは仕方ないだろう。内親王の魂は使えないが約束通り、其方の主の復活には手を貸そう」
『・・・ありがとうございます』
楽しそうにくすくすと笑い始めた少年に、初鷹が眉を顰めた。
「ああ、すまないね。これからの事を思うと楽しくて」
切っ掛けを作ったのは天之御中主神である自分なのに、それに気がつかず、自分との契約を交わした。
『鍵』としての宿命を逃れなれないのであれば、せめて彼女の魂が輪廻の輪にいる間は、人としての幸せをと願い。
そして、自分の人としての輪廻の権利を手放してまで、あの男は中枢となる選択をした。
神の神使達も同じだ。いとも簡単に神使である立場を放棄し、『鍵』を男と共に守る事を選択した。
そして、言葉通り、彼等は『鍵』を守ってきた。
天之御中主神である、自分の掌で踊らされているとも知らずに。
「遊びは始まったばかりだ。取り敢えず、君は暫く姿を隠した方がいいかな。元部下達は君が思うより優秀だ」
少年は水盤に向かって微笑む。
「心配しなくていい。『約束』は守る。そうだな、維持の為に少し根の者を開放しようか。ここからでも道を作ることぐらいはできる」
初鷹は怪訝そうな表情を浮かべたが、力的に有利なのは天之御中主神だとわかっている為、素直に頷く。
水盤の向こうに見える姿は十二、三歳位の少年だが、相手は宇宙の創造神である天之御中主神だ。
現在、天界での「天之御中主神」の席は空欄となっているが、次に担う者が出ていない為、実質幽閉されていると言っても、目の前の少年がその名を継承しているままだ。
幽閉時にいくつか持つ力はそがれたようだが、月森拓達のように、真っ向からぶつかるのは得策ではない。
天之御中主神の力を借りて主を復活させてからだ、と、初鷹は考える。
「では、また手が必要であれば連絡を」
そう初鷹が答えると、水盤が何も映さなくなる。
「さあ、君たちはどこまで『鍵』守り切れるのかな?」
何も映さなくなった水盤を見て、天之御中主神が呟く。その声は、まるで今後起きる事を、娯楽と考えているような声音だ。
「天界は天之御中主神をこの地に留める事で、『鍵』を手に入れようと動いているのは根之堅洲國のみと考えているだろうね。ああ、今回の事で、中枢は気がついてるだろうな。あと、あの子も」
千年前からいくつもの種は仕込んでいる。それが花開く時、『鍵』を守る者達はどう思い、動くのか。
千年前のあの日、彼等に大事な事を隠し、自分の駒とした事を彼らが知った時は、可笑しくてたまらなかった。
「ああ、楽しくてたまらないね」
くすくすと笑い、天之御中主神は水盤に触れると、初鷹の目から見た、えりの姿が繰り返し映し出される。
「君は僕が選んだ中で、最高の玩具なんだ。もっと楽しませて欲しいなぁ」
水盤に映るえりの姿に、天之御中主神がそっと触れ、水面が揺れた。
この話で二章完了となります。
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三章の前に、昭仁が藤原家に婚姻の申し込みをした時の、咲子パパの苦悩のお話が入ります。
時系列では「希う」ですね。
引続き、閑話以降もお付き合いいただけますと嬉しいです。