73 奪回
下ろされた扇から現れたのは、千年前の京の都で承香殿の女御の傍仕えであり、泊瀬斎宮での欣子内親王の暴走を煽った淡路だった。
「おまえっ!」
当時、藤原咲子の近衛として、何度か宮中について行った事のある、御劔達の記憶が蘇る。
「道理であの後、検非違使が泊瀬斎宮を探しても、欣子内親王の亡骸しか無かった訳か」
あの日、源昭仁と迅雷、颯水が泊瀬斎宮を立ち去ったあと、迅雷の言うように燻っていた火の手が上がり、瞬く間に泊瀬斎宮を炎に包んだ。
丸二日燃え続け、鎮火出来た時には炭となった泊瀬斎宮だったものとなっていたが、何故かその敷地内の欣子が使っていた室は形が残り、その場に欣子の遺体だけが残っていた。
その遺体は所々人の形を成しておらず、当時の検非違使や勤めていた者、聿子の証言と、昭仁の報告で幕引きとなったが、あの場には同じく雷霆の陣を受けたはずの淡路の姿は残っていなかった。
「あの時の一撃は中々効きましたよ。まさか『真実の鏡』を使われるとは私も思っていなかったので、油断しました」
そう言うと、淡路の姿からまた姿が変わり立花の姿となるが、先程とは違いその顔に浮かんでいるのは冷たい笑みだ。
「それがお前の本性か」
「ちょっと久方ぶりですが。ああ、一応名乗っておいた方がいいかな? 初鷹、と呼ばれております」
次の瞬間、初鷹はにぃっと口の端をあげると、素早い動きで腕を使い、空を切る。
ドオオォォン!
初鷹の手からは光の輪が浮かび、それが先程の倍はある衝撃を起こし、地面を揺らした。地面を削ったのか、遅れてぱらぱらと土粒が拓たちの頭上から降る。
「派手にやってくれたな」
「何が『人の世に馴染んでいるから、被害があると後々大変』だよ」
司波が溜息をつき、桐生が、数時間前に立花だった初鷹が自分たちに言った言葉を返す。
成瀬が初鷹の瞬時の動きを読み、防御の術を使った為、二人だけでなく衝撃を受けた全員には傷一つもない。
「あの時も戦う気はなかったですから」
「じゃあ、何で現れた?」
初鷹の言葉に、司波が反応し地を蹴る。
ザッっ!!
司波が手にした扇が空を切り、擦れ擦れのところで初鷹は躱すと、後ろへと飛び、間合いを取る。
司波の攻撃を躱した初鷹を見て、拓を除く四人の纏う空気が変わる。
「邪魔をするなら、俺が相手になる」
空を切った扇をみて、ちっ、と舌打ちをした司波が、態勢を元に戻し初鷹を見てにやりと笑う。それを見た初鷹は、面白い物を見たとばかりに笑みを浮かべた。
「だから『あの時も』と言ったではありませんか。別に、今回も貴方がたと戦うのが目的じゃないんですよね。戦ってみたいのは山々ですが」
飄々と言葉を続けるが、初鷹の能力はかなり高い。千年前もだが、今も気配を感じさせなかった事。そして欣子内親王の魂を吉野由加里として再生させた事。
今の司波との一瞬でも、戦闘能力の高さが分かる。
拓もだが、此処にいる御劔全員が感じた事だった。だからこそ、司波が一瞬で行動し、足止めをする為に放った言葉だが、それに続く初鷹の言葉は意外なものだった。
「ちょっと興味があったんですよ。あの『鍵』のお姫様を守る皆さんに。私は内親王様の願いをかなえる手助けを頼まれただけですから、この先は私には預かり知らぬ事。では、失礼」
そう言うと、初鷹は姿と気配を消した。本当に、監視と興味だけで動いていたらしい。
「どうしますか、追いますか?」
成瀬が拓に問う。
「泊瀬斎宮と同じ、俺達では痕跡は追える可能性は低い。本来の目的が躑躅でないと分かったのなら、奴の事は向こうに任せればいい」
拓の言葉に、久我が自分の使役の白狐を呼びだし、指示を出す。
「陣を通って宗方に」
短い言葉だが、白狐は言いたい事が伝わったのだろう。地を蹴ると陣へと向かい、躊躇いなく飛び込んだ。
「公卿様は姫様の元へお急ぎください。我らは後から参ります。迅雷と宵闇は公卿様を」
白狐の姿が消えた所で、成瀬が陣に保護の術を掛けながら言う。
屋敷の靄は、少しずつ行動範囲を広げている。保護の術は向こうに靄が渡らないようにの保険だ。
「むちゃ振り」
桐生がため息と共に、目の前に徐々に迫りくる黒い靄達に視線を向けた。
「おや、あれぐらいが払えないとは。随分と弱気ですね」
「んな訳、ない!」
成瀬の言葉にムッとした顔で答えると、桐生は靄の方へと飛び出して行く。
「ここの保護は保険です。到達させるつもりはありませんので」
成瀬はそう拓に告げると、自らも桐生の後に続く。
「さあ、躑躅を迎えに行くぞ」
二人が向かったのを見て、拓が司波と久我にちらりと視線を向けると、三人が地を蹴る様に駆け出し吉野家の別荘へと向かった。
陣を繋げた場所に、司波と桐生が到着した時には、靄として漂っていたものが、あの時と同じように少しずつ靄が固まり、形を作る。
靄であれば形がない分、纏わりつくものを攻撃するので広範囲になるが、形を作るとなれば範囲は狭まる。
バリバリバリバリッッ!
ザッッ! シュッッ!
扇に、自分の属性である雷を纏わせた司波が、目の前で形になった黒い異形を雷光で薙ぎ払い、久我が扇を振るごとに、細い銀糸の光が異形に巻き付き、切り裂く。
黒い影のような異形も、屋敷に近づくほど密度が濃くなり、異臭を放ち、赤い目らしきものを光らせるものへと変わっていく。
初鷹のように攻撃力は高くないが、次から次へと湧いて出る異形に司波が笑う。
「あれだ、なんて言うんだっけな、ゲームで流行ったやつ」
「ん? あぁ、死霊になるやつやったかいな?」
「噛みはしねぇけど、こいつらも大概タチが悪いっ! 根之堅洲國へ引きずり込もうとすっからなっ!」
二人は、徐々に大きな塊となり攻撃をする異形を、手にする扇一本で仕留めていく。
不意打ちを狙ったのか、司波は後ろから襲ってきた異形を躱し、振り向いたと同時に扇で突く。
一方の久我も、前方から飛び掛かってきた異形に対し、躊躇いもなく扇を下から上へと振る。
スーツ姿のままだが、それはまるで戦闘というよりも、舞を舞っているようにも見える姿だ。
攻撃を受ける度、異形たちは断末魔のような叫びをあげ、霧散する。
「異形への攻撃は最小限でいい! 内親王を制すれば消える!」
襲い掛かる異形を交わし、破邪の法を使い、術を放ちながら拓が司波と久我に言うと、二人が頷き目の前となった吉野の別荘の敷地へと向かう。
「公卿はん、内親王はこっちで抑える。異形の元を探せばそこにおるやろ!」
「姫さんの気配を探せ! 雷の光で五秒だけ抑える!」
千年前に使った雷霆の陣は雷を司る。その力によってあの時泊瀬斎宮に湧いていた『そのものとも無し輩』たちと、根之堅洲國に染まった内親王を消滅させた。それならば雷の属性を使う事で、邪魔な異形たちを一瞬抑えることは可能だと司波は考える。
一気に消滅という手もあるが、現時点で『吉野由加里』が、えりにどういった呪詛をかけているのかわからない。下手をすると屋敷の中に居るえりも、自分の放った攻撃で傷つけてしまう可能性がある。
「姫さんへの影響を考えたら五秒が限界だ」
司波はそう言うと、右手からボール程度の雷を帯びた球体を作ると空中へ投げた。
「久我! 目ぇ覆え!」
司波の声の二秒後、激しい雷光が辺りを包み、その光を浴びた異形たちがじわり、と形を崩し霧散していく。
―躑躅、何処にいる?!
大量の異形の臭いと気配に包まれていれば、微かに発するえりの清浄な気も、穢れでかき消されてしまうが、一瞬でも穢れが無くなれば辿れる自信はある。
5、4、3・・・。
拓は意識を研ぎ澄まし、えりの気配を探す。
「地下だっ!」
雷光が収まると同時に、拓が声をあげる。
次の瞬間、抑えられていた靄が一気に多数の異形を作り、三人へと向かう。
「ここと内親王はまかせぇ! 姫はんが無事なら何とでもできる!」
拓へと向かう異形に扇を振り、久我が銀糸で異形を拘束しながら、声をあげる。
自分達が守るべきものが手に戻れば、方法は幾らでもあるのだ。
「遠野女史からは『捕縛』て言われたけど、自分らの最優先事項は姫はんが無事である事や、言い訳は幾らでもできるやろっ!」
人の悪い笑みを浮かべて言う久我を、同じく扇で応戦する司波が呆れた顔をする。
「まぁ、そう言う事にしておく。姫さんの事は旦那に任せたっ!」
「ほな、そう言う事で宜しゅう」
好戦的な笑みを浮かべた二人は、その場に拓を置いて靄の元を追い、一気に屋敷奥へ姿を消す。
その背中を追うように、異形を躱し拓も屋敷内へと進む。
屋敷内は、外にいる異形の放つ臭いとは比べ物にならないような、死臭とカビが混ざった悪臭を放っており、思わず拓が眉を顰めた。
「成程、これが根之堅洲國の臭いか」
神も人もそして、拓のようにどちらに属さない者も、足を踏み入れる事が出来ないのが根之堅洲國だ。
一般的な別荘の作りとなっている筈なのに、内部はまるで別世界の様相になっている。
所々屋敷としての面影はあるが、床は泥で埋め尽くされ、壁はごつごつとした岩肌が壁紙の間から出ている。
空間はどこか歪でねじ曲がっているようだと、拓は様子を窺いながら思う。
実際、先に入っていった司波と久我の気配も感じられない。
また、あれだけ屋敷の外にあふれかえっていた異形の姿が一つも居ない。
「罠、である可能性は高いな」
それでも先程見えた、間違えようもないえりの気が地下にあるのならば、そこに行くのみだと拓は思う。
「躑躅に手を出した事、後悔して貰おうか」
そう呟くと、拓は誘うようにぽっかりと開いた、地下へと進む空洞へと足を進めていく。
カツン、カツンー
薄暗い階段を、拓の靴音だけが響く。
階段は元々の石造りのままだが、壁は玄関ホールから続くごつごつとした岩肌に不似合いなモルタルの壁が続く。
暫く下りると階段が終わり、階段と同じ石造りの廊下が続く先に、開け放たれた扉と、薄暗く落とされた照明の灯が見えた。