69 黄泉路(3)
延長八年 -九三〇年- 長月 嵯峨野 泊瀬斎宮
淡路の言葉を信じ、欣子はあの水無月の日から少しずつ、斎宮としての務めや清浄潔斎を続け、淡路との約束の長月を迎えた。
今か今かと淡路の訪問を心待ちにするが、月の半ばに差し掛かる頃になっても気配がなく、欣子の心が荒む。
「内親王様」
聞き覚えるある声が耳に届き、欣子は急ぎ廂へと向かう。
「淡路なの?」
廂に膝をつき、身を乗り出した欣子が問うと、前回と同じく大きな木の陰から淡路が姿を現した。
「ご無沙汰しております、内親王様」
素早く欣子の元へと歩み寄った淡路は、膝をつき深く頭を下げる。
その後ゆっくり顔をあげると、涙を浮かべ欣子の顔を見る。
「淡路・・・それで、準備は?」
淡路の顔を見た欣子が問う。
「できております。内親王様、お心を落ち着けてお聞きくださいませ」
欣子の問いに淡路が言うと、手にした包みを開く。
中に入っていたのは、細木が六本ずつ三組、四寸四方の不思議な模様の描かれた紙が三枚、そして別に包まれた袋が二つある。
「・・・これは?」
「ある呪詛師に頼み、用意した呪詛の道具でございます」
淡路の発した言葉に、欣子が目を瞠った。
「都には民の中に有名な呪詛師が居ると。内親王様は、月影の内儀となる方。身を明かさず依頼でき、月影に匹敵するものを探す為時間がかかりました」
淡路の言葉を聞きながら、欣子の喉がこくりと鳴る。
「内親王様は、あの娘の噂はご存知ですか?」
ここは都から離れた場所であり、俗世とは離された空間だ。まして、自分がここに来る事になった元凶の事など、誰も話すはずがない。
そう思った欣子は、その言葉に首を横に振る。
「今あの娘は病に倒れて臥せっております。まずはわたくしの手で身体を弱める呪詛を施しました」
その言葉に欣子がはっとして淡路の指先を見る。そこには血の滲んだ布地が巻かれている。
「まさか・・・」
「はい、呪詛師はまず代償としてわたくしの爪を望みました。この呪詛は相手を死に至らしめ、術をかけた者が変わり身としてその地位につけるというもの。わたくしが先に呪詛を行った為、内親王様が行っても疑う者はおりません」
そう言うと、別に包まれた包みを開ける。
「これはあの娘が宮中で落とした飾りと髪でございます。飾りは形代として使い、髪はこの呪符と共に火鉢に入れるようにと」
開いた包みにはあの時、咲子が身に着けていた飾りだった。忘れるはずがない、あの出来事が自分の運命を変えてしまったのだから。
「それで、わたくしは何をすればよいの?」
意を決した欣子が淡路へと頷いた。
「この呪詛は、月の終わり三日に効力を発揮します。明後日の夜、火鉢の灰の中に飾りを埋め、その上に組木を六芒星の形に。中心に火を置き、この【一の呪符】とあの娘の髪を一緒に燃やし、燃え尽きるまであの娘の魂を絡めとるよう願うのです。その翌日には【二の呪符】と髪を同じ様に。最後の日は成就日です。【三の呪符】と残りの髪を全て燃やし、願うのです。燃えきった時、呪詛は完成し、あの娘の命を奪う事でしょう」
淡路はそう言うと、包みを欣子の手に乗せる。
「あの娘が死んでしまえば、月影の内儀の席が空きます。そうすれば承香殿の女御様を慕う上位貴族も立ち上がります。不可解な死となれば『相応しくない者だった』と噂もたちましょう」
「でも、あの女子には月白様が」
「・・・だからこそ、闇に通じる呪詛師を探しました。呪詛師が言うには、この呪詛はじわじわと体内を蝕み、最終日に一気に死に至らしめるとの事。それに気がついた時には、いくら月影の者でも手の施しようがないだろうとも申しております。・・・力が大きい呪詛にはそれに見合う代償が必要になるのです」
淡路の伏せた顔がゆっくりとあがり、欣子を見つめる。
「・・・代償は魂。内親王様、これにてお別れでございます」
「・・・淡路っ」
「必ず、必ず成就なさいませ」
三日後、欣子は自室の火鉢の灰の中に咲子の飾りを埋め込むと、その上に三本ずつの組木で三角形を上下二段に組み、六芒星の形を作り真ん中に炭を置く。
呪詛師によると、六芒星の形は「出るところがない」という意味があり、呪詛に使うと相手の魂を絡めとるという。
「あの女子のせいで・・・!」
忌々しく呟くと、淡路に渡された一の呪符に咲子の髪を巻き付け、火の上に置く。
じわり、と炭の火が呪符へと移り微かな髪の焼ける匂いが漂う。
「あの女子は、わたくしが求めるものを全て奪う! 憎い、呪詛により苦しんで果てるがよい・・・! 簡単には死なせはしない。わたくしと同じ苦しみを味わうがよい!」
呪符が少しずつ燃え、黒い灰となっていくのを見ながら欣子が禍々しい笑みを浮かべた。
藤原邸では源昭仁が意識の中で護符を描き、術式唱えると、横たわる咲子の身体から光が放たれる。
苦しさからか、意識のないまま横を向いて咳を繰り返す咲子の背を、浮島が支える。
―必ず、種はある筈だ・・・。
昭仁は咲子の頬に手のひらを当て、意識を収集する。
意識の中にも黒い靄が蔦のように昭仁に絡み、取り込もうとするのを払う。
蔦はある種の呪詛の具現化だ。呪詛の種から延び、呪う相手の心と身体を絡めとり、取り込もうとする。
少しでも咲子の心も身体も傷つける事はしたくない。だが、これ以上長引かせることは、自分の術でなくても呪詛が咲子を傷つけてしまうだろう。
焦る気持ちを抑え、咲子の身体、精神と意識を集中して探していく。
「月白様」
額に玉の汗を浮かべる昭仁に、浮島が声を掛ける。
「あと少し・・・っ」
何かが先程から昭仁の意識に引っかかるのだ。手が届きそうで届かない、そんな感覚に焦りが浮かぶ。焦りが浮かぶと、意識の中の自分に咲子の中にある黒い蔦から一気に絡み付こうとする。
焦るな、と自分に言い聞かせ、蔦を払うと昭仁は再び意識を集中する。
「手放したくないのだ、あなたを」
―躑躅!
心の中で昭仁が咲子の名を呼ぶと、一瞬咲子の左の鎖骨下あたりが暗く鈍い光を放った。
「見つけた」
昭仁は呟くと口の端をあげた。
「浮島様、種を見つけました。このまま・・・」
「月白様っ!」
昭仁が浮島に伝えかけた途端、咲子の身体、鎖骨下あたりに黒い染みが痣のように浮かび、そこを元として黒い蔦のような痣が咲子の胸元、喉へと延びていく。
まるでその蔦が、咲子の呼吸を止めようとするかのようにぐるりと巻き付き、同時に咲子が苦しそうに胸元を抑えながら咳を繰り返す。
「くそっ」
相手の呪詛師は昭仁の手を読んでいたのか。
種を見つけ、相手を探ろうとした途端、種が今まで以上に咲子を苦しめ始める。
「姫様っ」
慌てた浮島が背から手を放し、鎖骨下に大きく広がる黒い痣を覆う。
バチイッ!!
反発するように、咲子の身体から火花があがり、浮島が弾かれ崩れた。
「浮島殿!」
「わたくしは大丈夫です、姫様を」
その言葉に昭仁は、一瞬浮島へと向けた視線を咲子へ戻す。
「これはっ」
かなりの火花があがったため、咲子の肌に傷がないか慌てた昭仁は、黒い痣の形が微かに変わっている事に気がつく。
少しずつ何かの形を作り始めていたそれは、やがて一つの形を作っていった。
ザッ!!
シュッ!
帳台の周りに集まる靄を、形になる前に御劔達は散らしていく。
扇で斬る度、靄は蒸発するように消えていくのに、次から次へとまた靄が集まり形を作る。
「めんどくせぇ! 一気に消し飛ばせねぇか?!」
「そんな事をしたら、お屋敷が吹っ飛びますよ」
「封土が界張ってるんちゃうん?」
「迅雷の攻撃をまともに食らうなんて御免ですよ」
苛々としてきた迅雷の言葉に、颯水、宵闇、封土が答える。
「おい、あれみろ!」
不知火の声に四人が振り向くと、庭に多数の禍々しい黒い影が現れ、こちらへとゆっくりと進んでいるのが見える。
「ほんと、仕掛けてるのは性格悪い奴だ、なっ!」
そう迅雷が言うと、襲ってきた一体に扇を振り、二つに切り裂く。
「めんどくせぇけど、相手するか」
迅雷の言葉に四人が頷いた時だった。
「呪詛元が分かった! 呪詛元は欣子内親王である!」
浮島の声に五人が振り返った。
咲子の胸元に浮かんだ痣のようなものは、ゆっくりと花のような形を作る。
「花・・・?」
昭仁が一瞬思案する中、浮島が続ける。
「月白様、これは牡丹の花では・・・」
「牡丹・・・っ! 欣子内親王かっ!」
「今、内親王様は泊瀬斎宮にいるはずです」
「そこで呪詛を・・・! ならば元を払えば呪詛は解ける!」
昭仁はそう言うと、意識がないまま浅い呼吸を繰り返す咲子の頬に手を当てた。
「絶対、あなたを助けます。信じて待っていてください」
咲子の傍から立ち上がった昭仁に、浮島が慌てる。
「お一人で向かうおつもりですか?!」
「これは私が命に代えても担うべき事。浮島様、躑躅を頼みます」
昭仁の言葉に浮島が何かを決めたように瞳を閉じ、息を吐く。
「呪詛元が分かった! 呪詛元は欣子内親王である!」
普段の穏やかな浮島とは違い、神々しくも力強く響く声に、昭仁が目を瞠る。
それと同時に、禍々しい黒い影達が御劔達から弾かれるように後ろに下がり、次の瞬間、御劔達が片膝をつき、浮島へと頭を下げる。
「迅雷、颯水は月白殿の手助けを。封土、不知火は屋敷を『そのものとも無し輩』から、宵闇は我と共に姫を守れ」
そう言うと、浮島は昭仁の手を取る。
「姫は我が娘と思って育ててまいりました。此度の事が終わりましたら月白様に全てお話いたします。わたくし共をどうか信じて下さいませ。泊瀬斎宮へは迅雷と颯水がお連れ致します」
その言葉と共に迅雷と颯水が立ち上がり、次の瞬間、颯水は六尺六寸、迅雷はそれ以上は有りそうな大きな狐へと姿を変える。
「これは・・・っ!」
「月白様、お時間が有りません。迅雷の背に乗れば一刻もあれば着きましょう。また、彼らの姿と一緒であれば、月白様も人々に見える事は御座いません。姫様は残る者達でお守りいたします」
浮島の言葉に昭仁は頷き、庭で待つ大狐の迅雷と颯水の元へ向かった。
●六芒星について
本来呪詛に使う壇は尖った角があることが重要で、三角に組む様です。
六芒星は「出る所がない」という意味をもち、本来退魔や捕縛に使う様ですが、呪詛をかけた相手の魂を絡めとるという意味付けをして六芒星を使用しました。





